第31話 アセンション
スオキ港。
スオキ島の東部沿岸の南北中央部に位置するそこは、中世の城塞都市だったのだろうか。至る所に石積みの壁や塔が見られる、なかなかに風光明媚な所だった。
空港から陸路で移動した私達は、スオキ港にてジャック達の帰りを待っていた。移動手段はグランツさんが用意してくれた車で、その車中で私は初対面の2人へとひと通りの自己紹介を行なった。
ただ事情の深い所まで話す時間は無かったので、エイリが少し不機嫌そうな顔を浮かべていたのが申し訳無くなる。
そのあたりの説明にはジャックも居た方が間違いが無いだろうと思っての事なのだが……。
そうして潮風を浴びている所で、
「すまんのぅ、もしわしの弾が変な所に当たりでもしていたら……」
そう言いながら私に向かって頭を下げるナオの曾祖父、三郎。
「そんな事言わないで下さい、あれが最善の方法だったと思います。大戦機の方がグリペンのマウザーより口径が小さいですし、機体へのダメージも少ないでしょうし、私がやるよりよっぽど良かったと思ってますから」
彼がナオの身内だからという理由からの言葉ではない。彼女の作戦はあの時に考えられるベストな答えだったと思っている。
こちらの切り札が失われたばかりか敵の手に落ちたという事が衝撃的で、あの時の私の頭は全く働いていなかった。責められるとしたらそれは私自身であるべきだ。
……私がこんな事では、チャールズの行動を阻止するだなんて大言壮語でしかない。
しかし、無理矢理に前を向こうとする私を現実は容赦無く追い詰めてくる。
ベルが居なければ他人のスクランブルミッションへの介入は出来ない。それ以上に何か不味い事になりそうな予感もしている。
こんな事をせず、もっとリアル側で直接的な行動を取った方がいいのではないか。
そもそも、とっくに私なんかがもうどうこうするべき問題では無くなってしまっているのではないのだろうか。
表現しようの無い気持ち悪い感情が、ぐるぐると頭の中をかき混ぜてくる。
視界の焦点も合わせずに思考を巡らせていたら、目の前にはいつの間にか接岸を終えたクレーン船が到着していた。
ワイヤーで船上に固定され、痛々しく翼を折ったグリペン。その姿に胸が苦しくなる。
クレーン船の後ろにはジェイクの所有するズムウォルトが接岸していた。
「待たせたな」
クレーン船のデッキ端から顔を出したジャックが声を掛けてくる。が、挨拶もそこそこに、
「悪いが全員、タラップを登ってこっちに来てくれ」
そう彼に促され、私達はクレーン船に鎮座するグリペンへと足を進めた。
「……どう言う事なの?」
機体の残骸を前にし、改めてジャックへと状況を確認する。
「引き揚げた時にはもぬけの殻だった。何が起きたのか、全く分からない」
彼は腕を組みながら言った。
センサーだらけのコクピットハッチを開けたUCAV型グリペンは、外観のダメージから見てもプレイヤーであればほぼ確実に生還出来る程度の破損具合だった。特にコクピット内は無傷で被弾の形跡は皆無。
だが、肝心の中身が"無い"のだ。
「泳いでその場から離れた……とか?」
対人戦ではたまに見られる行為ではあるので発言してみたのだが、その可能性はすぐに否定される。
「わしとグランツ君は燃料に余裕があったのでジャック君の到着まで上空を旋回しておったが……」
「三郎さんも僕も、例えば何かが泳いで行ったりしたような動きは確認していないですね。救助用の蛍光マーカーも海面上には見えませんでした」
「これだけの事で結論を出すには情報が無さ過ぎるが、まぁ今から言うのは移動中にジェイクと話し合った中で浮かんだ1つの仮説だ」
「僕達プレイヤーがログアウトする時のペナルティは知ってると思うけど……」
出撃したプレイヤーがリアルの都合等でゲームを中断しなければならない場合、陸海空に関わらず、搭乗中の兵器がある場合はその兵器毎ログアウトをする事が出来る。
ただし敵対勢力との交戦中は例外で、交戦中にログアウトした場合はその場に兵器が残される事となる。
このゲームのシステムには交戦タイマーと呼ばれる数分間の時間制限があり、その時間内はAIの操作へと強制的に切り替わって戦闘が続けられるのだ。
まず無い事だが、AIがその戦闘に勝利した場合はプレイヤーが出撃した拠点へと自動的に帰還が行なわれる。しかし帰還分の燃料が足りなければその場で停止、墜落もしくは漂流となる。
「それって機体だけが残されているから、つまりは墜落後に"ログアウト"した、と?」
「そう言う事だな」
そんな。いくら規格外のAIとは言え、ゲーム内での扱いは私の所有物であった筈だ。
「人の形を取ってはいたけど、ベルはあくまでUCAVでしょ? だって私のインベントリにずっと……」
言いながらホロメニューを開いて自分の所持品欄を見ると、そこで現実を突き付けられた。
いつもメニューの最上段へ置いていた彼女の名前はそこから無くなっていたのだ。まるで、前回の大規模戦直後の時のように。
「……やっぱり。今の彼女はもうプレイヤーと同等の扱いになってるんだ、と。そう考えてもいいのかもしれないね」
「お前は前に"モノ扱いはしない"って言ってたから、そう言う意味じゃ悪くは無いのかも知れんけどな」
「……こんな時にふざけないでよ!」
つい、抑え切れない感情が溢れ出してしまった。
こんなの、ただの八つ当たりだとは分かっている。だが、行き場の無い気持ちの噴出を止められない。
「このままじゃベルが、アイツの戦争ビジネスの片棒を担がされるのよ!? 私のデータとベルで、もうアイツの手札は揃って……」
そこで突然、今まで沈黙を貫いていたエイリが口を開く。
「ねぇ、その話。私達に詳しく聞かせてくれない?」
その言葉にハッとして、私は己を取り戻す事となった。
彼女は今まで見た事が無い様な、怒りでも疑念でも無い、複雑な表情で私の目を見詰めていた。
「……場所を変えるか」
頭を掻いてから、ジャックはズムウォルトを親指で指しながら言った。
***
ズムウォルト艦内の食堂。そこへ移動した私達は、一先ず思い思いの軽食や飲み物をチョイスして落ち着いた。
勿論、データに過ぎないそれらで腹は膨れないが、手持ち無沙汰になるよりはいいからだ。
この場所を選んだのはジャックだが、ズムウォルトは現在NPCのみで運用されているので第三者に聞かれないような話をするには最適な場所とも言える。
スオキの遺跡に彩られた景色が堪能出来ないのは少し残念な所ではあるのだが。
まず発言したのはジャックだった。
「これからする話は、ちと重いぞ。聞いたらもう遊び感覚でログインする事は出来無くなると思っておいて欲しい」
それに合わせて私も、
「今回、ある程度私に関わってしまった時点で完全に無関係とは言えなくなってしまったので、そこをまず謝らせて下さい。ごめんなさい」
とりあえずさっきより私の頭は冷えた。少し時間を貰って、ここに入る前にジャックと2人きりにさせてもらったからだ。
単に、これから話す事の方向性を話し合っただけではあるのだけど。
「それはここの所、フィオと連絡が取れなかった事に関係するんだよね?」
エイリの質問に頷く。
「ええ。ただ、聞いてしまえば戻る事は出来無くなる。出来れば、みんなにはこの部屋から出て行って欲しいと思ってるのが私の本音」
「って事なんで、申し訳無いがリアルを巻き込む可能性のある厄介事に関係したくない人は退出してくれ。頼む」
暫くその場を沈黙が包んだ。
私だけがそんな世迷い事を言うならまだしも、ジャックも本気の顔で話をしている。
一番の年長者である三郎さんも、流石に迷う顔をしている……が、
「聞かせて下さい」
そうナオが言うと、皆が私の目を見た。
「……いいの?」
その眼差しひとつひとつに視線を返していくと、誰もが無言の答えを渡してきた。そんな様子に三郎さんへの目配せでストッパー役をお願いするのだが、最終的に彼も彼女を止める様子は無い。
最後に横にいるジャックへ目を向けると、アイコンタクトで話を進めるように彼は言った。
「話はゲームのメジャーアップデート直後ぐらいまで遡るのだけど……」
誰が聞いても、法螺の様な話だ。
実装されたスクランブルミッションが、実は現実とリンクした物であるという事。
それに関連した私の行動から、アカウントの停止処置。それに釣られた私の拉致。
私の父が実は生きていて、このゲームの開発関係者であったと言う事。
最後に、ベルと行なった妨害作戦。
そしてその顛末。
「ネットで少し話題になったログがあって、私も落としてナオちゃんと見たりはしたんだけど……」
「やっぱりあれは本当の事だったんですね。でも、フィオナさんが直接関係してたなんて」
「そもそも女子高生を拉致するって、なんかイヤらしい事とかされたりしてないでしょうね……?」
その辺はとりあえず大丈夫だと思う……多分。
頭の中を覗き見られたぐらい?
「しかし、そこまでの大事となると国際社会や国連、大国が動かないんですか?」
「そうじゃの。アメリカさんは黙ってはいまいとは思うんじゃが」
「三郎さんとグランツ……君でいいか? 2人の指摘はもっともな所なんだが、最初はまだトルコ国境上での小さな衝突だったからあまり問題視されなかったんだ」
「前にも一緒に飛んだ仲なんですから、遠慮なく呼び捨てでいいですよ。今は確かギリシャの反政府組織が実権を握ってしまって、トルコへの侵攻も行われていますよね? 安保理の制裁決議案も出たと報道されてましたが……」
「あれは廃案になった。アメリカ政府も非難をする声明を出してはいるが、実際の所はただのポーズに過ぎない。西洋と東洋の境目にある国というだけあって、色んな思惑が絡みやすい場所なんだ。どちらも、少し前までは西側という大きな括りだけで考えれば良かったんだがな……」
「そんな理由から、私達は単独行動を取り始めたの」
流石に皆、話の大きさに戸惑いを隠せないでいる。
「今行われているスクランブルミッションは、ギリシャ現政権側の要望による物だ。知っての通りだが、このゲームの運営会社であるローリングキューブは先日、グローバル・エレクトロニクスの子会社になった。グローバル・エレクトロニクスは以前から当時のギリシャ反政府組織との繋がりが指摘されていたんだが、政権を取ったタイミングでローリングキューブを買収し、このシステムを導入したようだ。俺等はそう分析している」
「ねぇ、ちょっと待って。"俺等"って……?」
私の認識と齟齬があった一点についてツッコむ。少なくともジャックが個人で動いてると思ってはいなかったが……。
「すまん、口が滑った。まぁ、あれだ。ほら。アルファベット三文字の正義の味方、じゃないかも知れねぇなぁ……やってる事はあんま評判良くねぇからなぁ……」
突然、口ごもるジャック。
それを聞いていたグランツは少し考える素振りをしてから何か納得したように、
「ああ、もしかしてSIGINTがメインの方の三文字ですか……? たまげたな、それなら今の話、全部信用しますよ。そんな人が言うんですから」
「すまん、否定はしないが肯定も出来ない」
「わかりました、とりあえずアメリカは現状を良しとしてないって事ですね」
「そう言う認識で構わないぜ」
……うん、よくわからなさ過ぎる。頭が痛くなってきた。
ただ、とりあえずジャックの居る組織と私のやりたい事の方向性は合っているようだ。それなら問題は無いだろう。
「話を戻しましょ。私達はそれが分かってから、ベルの助けを借りてスクランブルミッションの妨害を始めたの。ベルの力で私達はこのゲームの領域外へと入り込み、プレイヤー機への攻撃を行なった。そうすれば現実世界とゲーム内のリンクが絶たれて、現実側の無人機は戦闘の継続が出来無くなるから」
「初回の攻撃はなんとか成功。そこから領域内へと帰還した所で、今回の事が起こった訳だ。この作戦の要であるベルを失ってしまった現状、正直言ってお手上げ状態だ」
ベル無しには、この作戦を継続する事が出来ない。
私達の弱点として何となく認識はしていたが、こんなに早く行動を起こされるとは思わなかった。
ナオ達への一通りの説明を終えた後、少し重い空気を残したまま私達はログアウトする事となった。