表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
101/120

第28話 マイグレーション



「さーて、今日は何が来るかな」


 そう呟きながら、竿のガイドへと糸を通していく。

 何が来るかなと言いつつも、狙う魚は既に決まっているのだが。それはヨーロピアンシーバスだ。


 シーバス、和名で言うとスズキ。大きいものでは1mを超える獰猛なフィッシュイーターである。

 特に東京湾は日本一のシーバスのストック量を誇ると言われており、首都圏近郊で気軽に狙える魚としてルアーフィッシングの人気対象魚になっている。千葉にある某東京ランドの近くで竿を振っている人は、ほぼ間違いなくシーバス狙いだろう。まぁ、今いるここは東京ではないのだが。

 正確に言うとヨーロピアンシーバスと日本のスズキは違う種だ。スズキの方が遅く見つかったので、学名に「見逃されていた」という意味が付いているらしい。ヨーロピアンシーバスはなんというか間の抜けた顔付きなので、個人的には日本のシーバスの方が好みである。


 今回使用するタックルは9ftの竿に2500番台のリール。実に一般的なシーバスタックルである。なんでこのゲームにこんな物が実装されてんだという疑問が無い訳ではないが、仮想空間とはいえこれだけリアルな環境で釣りが出来るんだから文句は言わない。

 リールから伸びた1号のPEラインが先端のガイドにまで通ったので、それを手元まで更に伸ばしてからフロロカーボン製のリーダーと結束する。今回は20ポンドを使用するが、それだけの太さがあれば充分だろう。

 糸と糸を結ぶには、一般的にはFGノットと言う結び方を使う。リーダーに対して何度もPEラインを結び付けるので時間が掛かり面倒なのだが、結束強度はピカイチだ。ライトソルトゲームやショアジギングでも使うので、皆きっちり覚えておくように。

 ちなみに自分は覚えていないので、今回使うのは電車結びだ。そこそこの強度で簡単。だが過信はしてはいけない。


 リーダーの先にスナップと呼ばれるルアーとの接続用金具を取り付けた後、周りを見ながらルアーの選定に入る。

 ここはスオキ島の北東に位置する磯場。目の前には別の島があり、そことの間が海峡になっている。なので潮の流れが早く、そのの境目である潮目がくっきりと出ていた。潮流が変わる場所には餌となる小魚の群れが溜まりやすいのだ。

 40m程の沖だろうか、この距離ならフローティングミノーで充分届く距離だ。そう判断した俺は、リップレスミノーと呼ばれるタイプのルアーを選択した。


 目の前まで垂らしたルアーを振り子のようにして自分の後ろへ持って行き、そこから反動と遠心力を使って竿を振り抜く。竿を持つ右手を支点にしてロッドエンドを持つ左手を引き寄せ、同時に右手を押し出す。するとルアーは潮目に向かって気持ちよく吹っ飛んでいった。

 そうして飛んで行くルアーを目で追っていると、ルアーが飛行機雲を引いた。


 いやいや、いくら会心のキャストだったとは言ってもそれはありえない。目を擦りもう一度それを見直すと、ルアーの飛んで行った先で偶々航空機が飛んでいただけだった。

 大規模戦の無い今でも戦闘を行う物好きもいるんだなと、そんな感想を浮かべながらリールのベイルを下げる。サミングする事をすっかり忘れていたので急いで糸ふけを取りながら、また飛行機雲の見えた方向に目を凝らした。


「あ、2機いるのか……」


 そのままスローリトリーブへと移行すると、ドゴッと竿を持って行かれる感覚。


「おっしゃ、きた! ……あ?」


 渾身のアワセを入れると、一気に力が抜けた。不審に思いながら回収した糸の先には、結んだ筈のリーダーとルアーは存在していなかった。


「うへぇ、まさかのアワセ切れ……FGノット覚えよ……」


 意気消沈しながら再びリーダーを結び直す。すると慣れないノットに糸をこんがらかせている俺の上をあざ笑うかのように、また1機の戦闘機が海の向こうへと飛び去っていった。


 それ以降、俺のルアーに魚が掛かる事は無く、見事にその日の金策は失敗したのである。




 ***




 スロキス島、最北部にある空港の管制室。ベルはそこに残り、フィオナ達を誘導していた。

 彼女達が交戦する予定の空域はここから150km以上離れているが、航空路監視レーダーの範囲内だ。だがより詳細な情報を得る為に、データリンクを介してジェイク達の所持するズムウォルトのSPY-3レーダーをもベルは利用していた。

 それらにゲーム的な嘘は無い。現に今ベルが行なっている作業は、プレイヤーなら誰もが同様の事を行なえる作業だった。ベルは少しだけその作業内容に「詳しい」だけだ。

 両者からの情報は統合され、管制塔内に設置されたディスプレイへと送られてくる。


 黙々と作業を行なうベルを眺めながら、ジェイクは不謹慎にも心を躍らせていた。


「楽しそうですね」


 ジェイクの様子に対し、ベルは表情を変えずに言う。


「そりゃあ、ね。身内のガチプレイがこんな形で観られるんだからさ。兄さんとしては、僕のそう言う所が複雑なんだろうけども」


「フィオナ機、レーダー照射開始しました。彼の当時の職務から考えれば当然の事でしょう」


「はは、厳しいなベルちゃんは」


 敵の機数が1という事がその時点で判明する。だが、その目標は再び民間機だった。フィオナ達の方が数は多いが、守るべき物がある以上は失敗が許されない戦いになる。


「もう10年以上になるかな。初めて兄さんが家を出る時、それで喧嘩したんだ」


「敵機、フィオナ機へ反転。食い付いたようです。――喧嘩、ですか」


「軍へ入る時だったから、そりゃナーバスだったんだと思う。そんな兄さんに向けて、僕が言った言葉は『楽しそうでいいな』だった」


「力のある道具を使う事は人間に快感をもたらすようです」


「おまけに男の子だからね。仕方無いと言ったらそれまでさ」


「性差については理解しかねますが」


「多少はあるかもしれないけど、どちらかというとそれは人間の"性"だと思ってるよ」


「そういう物ですか。ジャック機、レーダースパイク。回避行動に移りました。護衛対象の民間機は回避行動に入ります」


「そういう物だよ。で、そうして兄さんとは数年間会話すらしなかった。たまに帰ってきても、お互いに知らない振りさ」


「感情エンジンのプロセスを殺したのですか?」


「そんな便利な事が出来れば良かったんだけど……お、流石は兄さん。振り切った」


「フィオナ機、ミサイル発射。ジャック機、護衛対象のカバーに入ります」


「兄さんに食い付いている内に後ろに回ったのはいいけど、この角度と距離だとちょっと当たらないかな。で、少し前。軍を辞めた後、やっと話が出来るようになったんだ」


「ミサイル、目標ロスト。護衛対象の空域離脱まで150」


「僕はこれでも結構後悔していてね。いくら子供だったとは言え、あの言葉は無神経だったって」


「和解は出来たのですか」


「どうなんだろうね。お互いにはっきりとは言葉にしていないし、まだ怒ってるのかも知れない」


「フィオナ機、被ロック。どうして今、私にこの話を?」


「ずっと溜めてたからさ、誰でも良いから吐き出したかったのかな。特に、今の兄さんを知っている人に」


「私はAIです。心理モニタリング数値、正常域へ回復しました。吐露の効果はあったようですね。フィオナ機、ブレイク開始。対象離脱まで50」


「……君に嘘を吐くことだけは止めておくよ。そろそろ決着が付きそうだ。兄さんが良いポジションに入った」


「ジャック機、FOX2」


「敵の光点が消えた、兄さんナイスキル!」


 小さくガッツポーズをしながら喜びの声を上げるジェイク。


『――おう、ありがとよ』


 その声に、目を丸くしてベルを見るジェイク。

 ベルはそれに少しだけ微笑んでから、


『目標の撃墜を確認しました。護衛対象の民間機の空域離脱を確認。帰りはそのままこちらへと飛んで下さ――』


 彼女はそう言い切る前にビクリと身体を震わせ、その場へ倒れ込んだ。




 ***




 今日の相手は、初回だと言うのになかなか手強かった。何度かチャンスはあったのだが上手く物に出来ず、良い所は結局ジャックに持って行かれてしまったし。ベルとジェイクが何やら会話していたが、それも内容があまり入ってこなかった。

 そんな消化不良の頭にベルの報告が飛んできたのだが、


『目標の撃墜を確認しました。帰りはそのままこちらへと飛んで下さ――』


 彼女の言葉はそう言い切る寸前で途切れ、誰かが倒れる音と何かにマイクがぶつかったような雑音がインカムに響く。


「……ベル、どうしたの?」


『こちらジェイク。よく分からないんだけど、ベルちゃんが倒れた』


「倒れた?」


 状況が分からないまま、スロキス島へ向かって機体を飛ばす。それしか出来ない事が少しもどかしい。

 そうして暫くした後、


『あ、気が付いたようだよ……ベルちゃん、大丈夫――かい?』


 そうジェイクが問い掛けてすぐ。

 2回の銃声が、ヘルメットの向こう側で鳴り響いた。


『おい、なんだ今の音は……? ジェイク、聞こえてんのか? ジェイク!』


「ジャック、急いで帰るわよ」


『クソったれ、何が起きてんだ!!』


 左側のMFDを操作し、残存燃料量を確認。行きは増漕を付けてきたが、先程の戦闘である程度燃料を消費してしまった為にアフターバーナーはもう使えない。グリペンが軽戦闘機である事を悔やむが、少しでも燃費の良い高度を飛ぶしかないだろう。

 高い高度では空気が薄くなるのでエンジン出力は下がるのだが、空気抵抗も下がる為に結果として燃費は良くなる。良くなった燃費をスピードに変換するか迷うところだが、横を飛ぶ僚機は迷いなくエンジンノズルから追加燃料を燃やしていた。


『ジェイク、おい返事しろ! 何が起きた!?』


『兄……さん』


 掠れた声。荒い息遣い。無線越しですら痛々しい声の主は、絞り出すように言葉を発する。


『ベルちゃんが……格納庫へ……かった』


『誰にやられた!? まさか、ベル……か?』


「ちょっと、何でベルがそんな事するのよ」


『腰の銃……を、持ってかれ……』


 その声に混ざって、微かに響く銃声。時間の経過と共に頻度が多くなっていく。


『わかったから……痛えだろ、とっととリスポーンしちまえ』


『僕は、大丈夫だから……くそ、1機上がっていった……そっちに』


 データリンクでNAVマップが更新される。私達は後数分もすればゲーム内の領域へと戻れる位置だ。

 それに正対する機影がスロキス島から動き出す。


「こっちの状況はこっちで確認するわ。痛いでしょ? ジェイクは自分の事だけ考えてて」


『はは、こんな痛みなんてのは疑似的な信号さ……』


「そうやって舐めてると、更に痛い目を見るわ。真摯に向き合うのがこのゲームのコツよ」


『これ以上のは勘弁して……貰いたいね』


『――フィー、来たぞ』


「了解。ジェイク、また基地で」


 返答を待たずに無線のスイッチを切る。これ以上話していたら無駄に彼を苦しめるだけだ。スロキス島の規模であれば、薬品の揃えはあるだろう。人も居るし、何とでもなる。

 だが、何とでもなりそうに無いのはこっちだ。


「裏切り……なんて事は、考えたくは無いけど」


『そう考えるより、あの糞野郎が何かしたって考えた方が自然だ。当たり前だろ?』


 ジャックの言う通りだ。ベルにこちらを裏切る理由なんて1つも無い筈。であるならば何かしらの外的な要因での行動、いや、行動させられている……?


「そうね。でも、何を――」


 何をベルにしたのか、それが問題だと言い掛けた所でRWRから警報が鳴り始めた。データリンクで捉えている機影と同じ方向からの反応。


『レーダー照射! 正面、下だ!』


「向こうがこっちを捉えたなら、こっちだって!」


 すぐさまレーダーを稼働させる。火器管制は先程から戦闘モードだった為、HUD上へターゲットコンテナが表示されるまで時間は掛からなかった。


「FOX3!」


 ミーティアの射程外寸前の距離だが、迷いなくミサイルをリリースする。翼下から白煙が伸び始め、初期加速に入る。

 距離が距離なので命中は期待出来ないが、近付くまでの牽制にはなる。


『チィッ、こっちに撃ちやがった! 離脱するぞ!』


「了解! 向こうも回避に入るだろうから、その間に接近するわ」


『分かった!』


 一瞬だけ横を見て、ジャックのスーパーホーネットが回避に入るのを確認。視線を戻すと、HUD上のターゲットコンテナが緩やかに左へと動き出していた。予想通り、回避行動に入ったようだ。

 すぐさまスロットルを押し込み、最大出力のアフターバーナーを点火。


『……ちょっと待った。お前、こういう状況の時ってどうする?』


「どうするって、今からアフターバーナーで接近しようと……」


『上下位置を含めて考えると、こっちの方がやや有利だ。すぐに後ろへ反転して、ミサイルの射程外に出るのがセオリーだろ? ……ここに来た時のベルの装備ってなんだったか覚えてるか?』


 対気流速度は上昇を続け、相対距離は縮んでいく。


「最初は非武装ね、海賊の彼らを刺激しないようにって。その後、出発する時に私にミーティアを乗せて、万が一の為にベルにはアムラームを――」


 その瞬間、コクピットにミサイル警報が響き始めた。


「うそっ、ロックされてないのに!?」


『今すぐ回避に入れ! アムラームにゃ道中を慣性航法させてぎりぎりまでミサイルのレーダーを使わないモードがあるんだ。動きを読まれてるぞ!』


 動き出していたはずだったターゲットコンテナの位置は、元の場所へと戻っていた。それはこちらへ正対する位置で、今から自分が回避行動に入ればそのまま後ろを取れる位置でもある。


 完全にやられた。


 数的有利を一時的に潰され、ミサイル回避に入らざるを得ない状況だ。回避行動が必要なのは向こうも同じだが、より近距離でミサイルを発射されたので行動のイニシアチブを取られたと言っても良い。


 ……それなら!


 私は直進する事を選んだ。

 お互いにレーダー波を当てながら、相対距離を詰めていく。それぞれが放ったミサイルも同様にして、一気に目標との距離を詰める。


 そして爆発。

 目の前で起きた事は信じられない出来事だった。ミサイル同士が空中衝突したのだ。

 いや、違う。これは最初から狙っていた出来事だったのだ。母機からの誘導が無ければ、アムラームのシーカーは覚醒した時点で一番近くにいる物に向かって飛ぶ。向こうの発射したアムラームの狙いは、最初から私の放ったミーティアだった。


 砕け散ったミサイルの残骸を飛び越え、1つの機影がこちらへと飛んでくる。

 カナードとデルタ型の主翼。機体色と同じグレーに包まれたキャノピーと、そこに赤く輝くセンサーアイ。背面飛行でこちらと交差したその尾翼には、自らが選んだ白い羽根のマーキング。


『……ママ、鬼ごっこしようよ!』


 無邪気な声が無線に入る。

 それは、最強の味方が最悪の敵となった瞬間だった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ