第27話 アンノウン・エリア
「あー、地面に降りるのがこんなにも楽だなんて!」
「わたしも人の事言えないですけど、これが普通なんです。いきなり空母ってのが厳しいだけですよ」
卵のような機首からエプロンへと降りたエイリは、身体の緊張を解すために大きな伸びをした。そこに歩み寄って声を掛けるナオ。スオキ島へと降り立った2人は、ある人物とここで待ち合わせをしていた。
ナオによるとそれは「リアフレ」との事だったが、エイリは彼女にそんな人が居るという事は初耳だった。今まで会話で出た事は無く、現実を通しての知り合いなんてフィオナぐらいしか居なかったからだ。
待ち合わせの場所は島の東部、南北に広がる滑走路に横付けされたエプロンの端であるようで、ハンガーが並ぶ中央部からは少し遠い場所に2人は駐機した。
「で、ここで待ち合わせって言ってたけど誰なの? もしかして……男?」
「そうですよ。もうそろそろ来ると思うんですけどねぇ……」
あっけらかんと言葉を返すナオに、「え、まじで?」と驚くエイリ。彼氏がいる気配なんてあったっけ? と首を傾げるエイリは、お互いの発した言葉の意味に齟齬がある事に気付いていない。
2人の周囲にはけたたましいエンジン音、破裂音に等しい排気音が響き渡り、空母のハンガーとはまた違う臭いに包まれていた。それにエイリは、現実の車弄りを趣味とする自身の兄を少し思い出した。
その臭いの出元はガソリンエンジンだった。空港のエプロンでは古いレシプロ機が自分の縄張りを主張している。エイリとしては、最近やっと聞き慣れてきた甲高いジェットエンジンの音よりはこちらに親近感を覚えていた。
この島で使える武器は、全て第二次世界大戦で使われた物らしい。南北に細長いこの島は起伏に富んでおり、陸戦における戦場は島の西部だ。という事は、ここから離れた所ではM4シャーマンやティガーが我が物顔で走り回っているのだろう。
勿論、エイリとしては興味の対象が銃器へと向いてしまう。あの時代の、試行錯誤を繰り返す機械達は彼女の好きな物の1つだった。
ただの鉄パイプにしか見えないステンとか。
「奈央や、待たせたのー」
「あ、来た来た!」
その声でエイリが振り返ると、そこには襟元にファーを生やした茶色の飛行服に身を包んだ老人が立っていた。予想していなかったあまりの年齢差のリアフレに驚く。
援交どころか介護じゃないか、なんてどうしようもない事を考えるエイリをよそに、
「いやの、入ってすぐ金ちゃんとグランツ君に捕まってしもてのー」
「え、向かいの太田さんもやってるの?」
「いつの間にかみんな、ボケ防止とか言いながらやっとるよ。皆、暇は持て余しとるしの。ところでそちらのお嬢さんはどなたかな?」
内輪トークと思われる物から急に話を振られ、エイリは慌てながら背筋を伸ばして挨拶をした。
「そ、それがしはナオさんの友人でエイリと申す候」
「何時代の人ですか……まずは紹介しなきゃですね。こっちはわたしの曾祖父で三郎おじいちゃんです。で、こっちは友人のエイリさん。年は1つ上の先輩です」
「これはこれは、いつも奈央がお世話になっております」
「こちらこそ、初めましてです。本名は英里って言います」
ぺこりとお互いに頭を垂れる英里と三郎。
「おじいちゃんの愛機は昔から零戦で、ここでも乗れるっていう事でゲームを始めたらわたしよりハマっちゃってる感じです」
「最近のぅ、五二型も買ったんじゃよ。現実じゃ乗れなかったからの!」
「強くなったの?」
「んや、微妙じゃ。二一の方が思い通りに動くもんで、あんまり乗ってないわい」
三郎の言葉を笑いながら聞くナオ。端から見ても仲の良さそうな光景にエイリの顔は少し緩んだ。
彼女の家族でこんな話が出来るのは兄だけになるが、その兄はふらふらといつもどこかをさ迷っているのであまりゲーム内で出会ったことは無い。ベルを探しに行った時に偶然出会った以来、音沙汰も無かった。
たまには兄を誘ってどこかへ行くのも良いかも知れないと、彼女は思った。それも、これが終わってからの話になるだろうが。
「さて、これからどうするの?」
「そうですね……。おじいちゃんにはフィオナさんを捜すって事は伝えてますけど」
「奈央の友達がどこかにいるんじゃろ? 烏賊みたいな飛行機に乗ってるという事は聞いておるが、会った事が無いのでの……どうしたもんか」
「多分、ジャックさんも一緒だよね。あの感じからすると」
「ですねぇ」
「ジャック君というと、あの彼かね? 彼もグランツ君に負けず好青年だったの。そういえば今もログインはしている様じゃが」
会話をしながらメニューを触っていた三郎が言う。
「三郎さんは会った事あるんだ。それなら話は早いかな……って、フレンドリストにいるんですか!?」
思いもしなかった三郎の言葉に、2人は驚いて目を丸くした。てっきり2人と同じようにフレンド登録を解除されている物だと思っていたからだ。
「おじいちゃん、ちょっと見せて!」
ナオに急かされ、三郎は自身のメニューを2人へと向ける。見ると名前横にあるアイコンが緑色になっており、確かにログイン状態になっている。
また、Lazward onlineのフレンド機能では、その人間の大まかな現在位置も表示されるようにもなっている。
その位置は、スオキ島西と表示されていた。
「近くないですか!?」
「無線なら届くだろうけど、どのチャンネルを開いてるか分からないし……」
そうしている内に、リスト内の表記がスオキ島西から"上空"へと変わった。
レシプロエンジンの騒音の中、それとは異質な物が聞こえ始める。最初は大量の空気が吐き出される重低音。それが段々と甲高い物へと変化してきた。
英里が音のする方向を探すと、西の空低くに他の航空機とは違う見え方をする機影が2つ。
「ナオちゃん、あれ!!」
機体のシルエットが分かる程に低空を飛ぶジェット戦闘機が、空港上空へと突っ込んでくる。ナオにはその音の具合から、それらがアフターバーナーを全開にしている事が分かった。いつも聞いているF414の音だ、聞き間違う筈が無い。
我が物顔で空港上空をローパスしていく2機。機体周囲に発生した衝撃波によって空気中の水分が雲状になり、見えるショックコーンが一瞬だけ形成される。海が近く、湿度が高いからだろう。
空気をこちらに叩きつけるような爆音を残し、そのまま東へと飛び去る2機。それを見送りもせずにナオは走り出した。
「追い掛けます! わたししか追い付けないと思うから2人は待ってて下さい!」
「あ、ちょっと!」
グリペンのコクピットに飛び乗ったナオは、一度落としたエンジンの火を再び入れる。コンパスが地磁気を拾い上げるよりも先に動翼達へ血が通い、持ち上がった推力変更パドルからアフターバーナーの炎が吹き出した。
「追い掛けるって言っても、タキシングしてる時間なんて……!」
そう叫ぶエイリに、ナオはコクピットを閉めながら笑いかけた。
グリペンはくるりと向きを変えて反対側のエプロンの端へと機首を向けるが、右手側にはハンガーが並んでいて、その前には駐機された機体がいくつも並んでいる。そこまでの距離は300m程だが、公表されているC型グリペンの離陸滑走距離は400mだ。各部が強化されて重くなっているシーグリペンではもっと距離が伸びる可能性がある。
だが、ここまでの飛行で燃料も減って武装もしていない今なら充分だとナオは判断した。
ブレーキがリリースされ、機首が揺れる。コンクリート舗装の路面から大きな振動を拾いながらも、艦載型であるこの機体のランディングギアはそれを軽くいなしていく。
暴力的な加速。一瞬で駐機されているレシプロ機との距離は縮まっていく。
残り、200m。対気流速度、50kt。
残り、100m。対気流速度、110kt。
操縦桿を引くと、カナードが機首を持ち上げる。
残り、50m。対気流速度、130kt。
あっという間に助走距離は無くなるが、ナオは機体から、その主翼が空気を掴んだ感覚を得た。
「いけぇぇえ!」
更に強く操縦桿を引くと機首が勢いよく持ち上がり、少しだけ遅れて後部が浮く。
すぐにギアアップ。ハンガーの屋根の上を掠めるようにして右旋回。下にいる人達がこちらを見ているのが見えた。
フィオナ達の向かった方向へ機首が向き切ると、前方上空にうっすらと機影が浮かんでいるのがわかった。
大きな上昇は行わず、推力の全てを速度へと変換する。猛スピードで機体の下をスオキ島の地面や木々が通り過ぎていく。
一か八か、無線をオープンチャンネルへと変更。
「フィオナさん、聞こえてますか! わたしです、ナオです!!」
前方、2つの機影はまだ近付いてくる気配が無い。
IFFを切ってからレーダーをオンにして、わざと2機をロックオンする。これで向こうのRWRが反応する筈だ。上手く行けば2人は回避行動に入って、距離も近付くだろう。
「ミーティア持ってるんですからね! これ以上逃げるなら撃っちゃいますから!!」
精一杯の嘘で脅しを掛けるが、その進路に全く変化は無い。
「絶っ対、わかってますよね!!」
自機が陸地を抜け、海上へと入る。これ以上進むとゲームエリア外へと出てしまうのだが、彼女から反応は何も返って来ない。
【Warning.You're approaching outside the combat area.】
ナオの目の前に、ホロウィンドウの警告メッセージが表示された。
システムによる機体の破壊。それがこの戦闘空域を脱した際の絶対的なルールだ。プレイヤーである限り、そのルールが適用されない者は居ない。
だが、そんな事を無視して彼女達は進んでいく。そして……。
ぐにゃり。
突然の出来事だった。
空気中の一部分だけに発生した蜃気楼。そんな言葉でしか表現出来ないようなエフェクトにより歪む空間。
そこに減速も無く突入した2機は、周囲に紫色の放電エフェクトを出しながらナオの眼前から姿を消したのだった。
領域ぎりぎりの所で機首を反転させたナオは、上空で待機する事も出来ずにスオキ島へと再び降りる事となった。僅か数分の出来事ではあったが、点火しっぱなしのアフターバーナーは燃料の大部分を消費し切ってしまっていたからだ。
再びエプロンの端まで機体を誘導したナオは、コクピットから降りて2人へと顛末を報告する。
「……だめでした」
「そっかぁ。何か一言ぐらいあってもいいのにね、全く!」
「その感じだと、余程何かを急いでいたように見えるのぅ」
「見失う前なんですけど、なんだか電気みたいなのがぶわって走って、そしたらぐにゃってなって2機共どっかに消えちゃったんです」
「なるほど、わからん」
「よくわからんの」
同じタイミングで、エイリと三郎は腕を組みながら頷いた。
「ただ、出て行ったって事はまた戻ってくるんじゃないかな?」
「そうじゃの。行ったっきり戻ってこないなんて、そんな神隠しみたいな事にはならんような気がするの」
「同じ場所に戻ってきますかね?」
「可能性として低くは無いと思うよ」
「なら、ちょいとここで網を張ってみるかの? 老人会の連中とグランツ君にも協力して貰えば、相当な広さを見張れると思うしの」
三郎の提案にナオとエイリは頷いて、3人は彼らに協力を仰ぐ事とした。
***
『なぁ、後ろに何か居たのわかったか?』
「ええ。私達と同じ灰色のデルタ翼機だったわ。WW2エリアの上空なのにね」
不明機からのレーダー照射にRWRが反応してすぐ、私達はLazward onlineの【ゲームとしてサービスが行われているエリア】から外れた。
ここからは文字通り、未知の領域だ。誰も来た事の無い、未踏の地。
『にしても、さっきのエフェクト凄かったな。雷雲に入ってもああはならないぜ』
「私達、タイムスリップしてたりしてね」
『だったら、どこかにゼロが飛んでるかも知れねーぜ』
「古いネタねぇ……」
『……それが通じるお前はどうなんだよ』
「トムキャット好きだったら、大体の人間は海賊旗を尾翼に書きたくなるもんじゃないの?」
『まぁ、めちゃくちゃカッコいいのは否定しないが』
突然周囲に走った放電エフェクトだったが、計器類には異常は見られない。NAVマップは引き続き地形を表示しているので、この分だとすぐにトルコと見られる陸地への進入となるだろう。
『ベルです、聞こえていますか?』
「こちらフィオナ、大丈夫よ」
『これからそちらのウェイポイントを更新します。その先に現在スクランブルミッションを行っているプレイヤー機が居ますので、予定通り撃墜して下さい』
『確認するが、そいつが戦っている相手は現実の機体なんだろ? こっちの攻撃がもし向こうへ行っちまったらどうなるんだ?』
『どうもなりません。我々の行動は1点を除いて、現実側へと影響を及ぼせる物ではありません。影響があるのは対象プレイヤー機が接続している無人機のみであり、我々の攻撃はプレイヤーと無人機間のリンクを断つ為の物です。リンクが切れれば現実側を飛ぶ無人機は自立飛行となり、基地へと自動的に帰投を始めます』
「そうしたら、後始末はリアル側の軍隊に任せておけば良いって寸法ね。向こうのプレイヤー機にこちらは認識されるの?」
『はい。攻撃してくるかどうかは、対象となるプレイヤー次第ですが。また現実側の機体もこちらには表示されますが、それは位置情報を反映しただけの物なので破壊は出来ません。IFF情報もありませんので、誤認して無駄弾を使わないようにして下さい』
ベルの言う事を総合すると、こちらは特に損害を気にする事無くチャールズの目論見を邪魔する事が出来るという事だ。
少し姑息なような気もするが、リアルでもっと姑息な事をしているアイツに言われる筋合いは無いだろう。
『IFFは使えないのか。なら、どうすりゃ目標を見分けられるんだ? ベル側でフィルタリングとか出来ないのか?』
『申し訳ありませんが、CPUパワーにもう余裕が無いもので』
こっちからは、撃墜対象のプレイヤー機も現実の機体も同じように見えてしまうのか。そうなると目視確認をした所で判断材料が無い事になってしまう。
ゲーム側に存在するのは、私達とプレイヤー機のみ。リアル側に存在するのは、プレイヤー機の動きを反映した無人機と現実側で狩りの対象となっている機体のみ。
そっか、それなら……
「仮想の存在同士、仲良くすればいいんじゃない? こっちの攻撃意志は、プレイヤー機にだけは伝わる訳だし」
『……つまりは【逃げる奴はベトコンだ】理論だな。乱暴だがそれしか無い、か』
「何それ、ベトナムにかけたギャグのつもり?」
『ランボーはフゥーハハァーとは言わねえよ』
『ウェイポイント消化。そろそろ交戦範囲に入ります』
「了解。ジャック、レーダーに注目してて。これから盛大に電波出すわよ!」
『オーケー、やってくれ! 一気に突っ込むぜ!!』
ジャックの言葉と同時に、グリペンのAESAが稼働を開始した。