「六日目」
第一章 凛
国道の歩道を、ひたすら歩く。
道は、詳しく知らない。西へ歩いていけば、いつか東京に着くはず。
巨人だか神の兵だか、なんだかわからないけど、そんな物が東京を焼け野原にしたなんて信じない。
私の家は、陸奥緋天流剣術の宗家だ。徳川の世、仙台藩では柳生新陰流に次ぐ門下生を抱え、実力では当家が上と言われていたらしい。
今でも宮城県で剣道を学ぶ者で、陸奥緋天流の名を知らない者はいない。
私は、小学5年生。小さな頃から竹刀を振ってきた。先月の宮城県剣道大会の女子小学生の部でも優勝した。
大会で良い成績を収めることが出来たら、ご褒美を下さると父様は、約束してくれていた。
だから あの夜、勇気を出して頼んだ『携帯電話が欲しいです』って。
父様は、少し驚き困ったような顔をして、『携帯電話は、まだ 凛には、早いな。もう少し待ちなさい』と言った。
どうしても携帯電話が欲しかったわけではない、もう少し待てと言われることもわかっていた。なのに、なぜか納得ができなかった。
翌日の早朝、東京の武道館で行われる剣道大会に出場するため、道場の駐車場に大型バスが停まっていた。
挨拶と共に、門下生の皆さんがバスに乗っていく。私も一緒に、応援にいくことになっていたけど、頭が痛いと仮病を使い家に残った。
母様は、心配して一緒に残ると言ってくれたが、一人で大丈夫と押し通した。
夕方、停電に気づいた。
部屋で本を読んでいて、暗くなったから電気をつけようとしたが、つかなかった。そのうち、停電も直ると軽く考え、冷蔵庫にある残り物を食べて、寝てしまった。
翌朝、異変に気づいた。
深夜に帰ってくるはずだった、父様と母様が帰っていない。
慌てて、母様に電話するがつながらない。停電も直っていない。
どうしたらいいのか、途方に暮れていると、玄関で声がした。
伯父様と伯母様だった。
「伯父様 伯母様」
「りっ 凛ちゃん。 東京には、行かなかったんだね。よっ 良かったよ」
一瞬、不思議そうにした後、伯父様と伯母様がいろいろ教えてくれた。
昨日、東京に巨人の群れが空から降りてきて、東京のほとんどを焼いたこと。
剣道大会が行われた武道館は、東京の真ん中にあること。
父様と母様、門下生の皆さんは、死んでしまっただろうってこと。
「嘘だ!」
ありえない話を聞かされ、受け入れることなど出来なかった。
伯父様と伯母様に、帰ってもらい。一人で父様と母様を待った。
何かの事故で、遅くなっているだけだ。この停電も、そのせいかもしれない。
深夜、不安で眠れずにいると、「ガタッ」蔵の方で物音がした。
父様と母様が帰ってきた。
うれしさで、こおどりしながら部屋を出た所で、頭の中で鐘がなった。
(どうして…蔵?)
蔵の入口が見える窓に行き、様子をうかがう。あたりは、真っ暗だが、わずかに蔵から明かりが漏れているように見える。
ここからじゃ、何もわからない。
道場から愛用の竹刀を取り、息を潜めて蔵に向かう。
入口近くで、気配を探る。一人、いや二人、大人数ではない。
そっと蔵の中を覗くと、人影が見える。やはり二人。
懐中電灯の明かりで、顔がよく見えない。
どうしよう…。
警察に行った方がいいのか?それとも、伯父様と伯母様の家に行った方がいいのか?
迷っていたら、偶然二人の明りが交差して、お互いの顔を照らした。
(えっ…)
二人の顔を見て、背筋が凍った。
頭がクラクラして、吐きそうになるのを必死で抑え、音を立てないように母屋へ戻り、蔵から一番遠いトイレで、声をおし殺して吐いた。何回 吐いても吐き気が治まらず、涙も止まらなかった。
蔵にいた二人の泥棒は、伯父様と伯母様だった。
翌日、夜明けを待って、家を出た。
リュックに、着替えと食糧。愛用の竹刀は、持ち歩きにくいので、母様の懐刀をリュックの底に入れる。
東京に行く。
父様と母様を探しに。
第二章 朝
朝日が昇る。
あたりまえの この光景に、俺は毎日 感謝するようになっていた。
(無事、昨日を生き延びることが出来た。また、新しい一日を迎えることが出来る。)
朝日を見るたびに、そう思う。
携帯コンロを使ってお湯を沸かし、コーヒーを入れる。
俺と真由美は、那須塩原の避難所の駐車場で、朝を迎えた。
「隆志さん おはよう」
「おはよう。よく眠れた?」
「うん 隆志さんのお父さんの車、すごいね。後のシートを たおすと本当にベッドみたい。おかげで、ぐっすり眠れました」
「良かった。顔、洗っておいで。朝食にしよう」
「はい」
真由美が避難所の洗面所に、いそいそと向かう。
朝食の準備をしようと立ち上がると、ジャージ姿の丸坊主の少年が自転車を走らせ近づいてきた。
「隆志さん はぁ はぁ。良かった、まだいてくれて…はぁ はぁ」
「輝くん おはよう。どうした?」
「おはようございます。昨日のこと、じいちゃんに話したら、これを持って行けって」
輝くんの自転車のかごの中には、ベーコンやハム、チーズ、バターが入っていた。
「いいのかい? これ大事な食料だろ。輝くんの家で困るんじゃないかい?」
「大丈夫です。うち、那須牛の食品加工をやっているんです。遠慮しないでもらって下さい。」
「ありがとう、いただくよ。輝くん 朝食、まだだろう。一緒に食べよう」
「えっ いいんですか。」
フランスパンを直火で軽くあぶり、バターをのせる。フライパンに、ベーコンを敷き詰め、卵を三つ割り入れて塩と胡椒。
父さんのキャンプ用品は、使い勝手の良い物ばかりで、とても重宝している。
「あっ 輝くん おはよう」
真由美が戻って来て、フライパンを見て、驚く。
「わっ 美味しそうなベーコン。どうしたの、これ」
「輝くんが持って来てくれたんだ。」
輝くんが恥ずかしそうに、頭を下げる。
昨日と別人のように、あどけなく純真な少年の顔をしていた。
第三章 燃える街
朝食後 輝くんと別れ、俺たちは、また北へ向かった。
「輝くん すっかり可愛らしくなっちゃったね」
「もともと彼は、素直だったんだよ。ただ人に甘えたり、頼ったりすることが上手く出来なくて、他人との距離がわからなくなってしまったんじゃないかな」
「隆志さんのこと、キラキラした目で見てたよ」
「そうかぁ? でも、まさに痛い思いをして、目が覚めたって感じかな」
「それって、私が、…投げちゃったことを言っている?」
「いやいや、いろいろ含めてだよ」
「ふ~ん」
真由美は、少し不満げな感じで口をとがらせた。
東北の道は、大きな都市を結ぶように、つながっている。大都市を迂回しようとすると、山脈が立ちはだかり迂回路を見つけられない。
昨日、那須塩原で見た掲示板の情報も、恐ろしい物だった。
高崎市と甲府市が焼かれたらしい。巨人は、すべての街を焼くつもりなのだろうか?
福島県を抜けながら、悩んでいた。青森へつながる国道は、山形市と仙台市の市内を通っている。どちらかを通らなければならないが、両方とも県庁所在地の大都市だ。しかも、もうすぐ午後2時になる。最初に、東京で巨人に襲われた時間…。
ふと、前を見ると女の子がリュックを背負って歩いている。
小学校の5~6年生ぐらいだろうか? なぜ、こんなところを?
この国道、3Kmぐらい先まで何もない。
すれ違って、やはり違和感を感じたのか、真由美が声をあげる。
「隆志さん 車停めて!」
「わかった」
車を停めると、真由美が飛び出し少女を追いかける。
「お嬢さん、ちょっと待って。この先は、何もないわよ」
「ちょすな!」
真由美が少女の肩に触れようとした瞬間、振り返り様に手を払い低く片膝をつくような姿勢で少女が叫んだ。
なんだ…? この威圧感。素早い身のこなし。するどい眼光。
何より…、腰に構えているのって、刀? まさか本物?
「離れろ! 真由美!」
割って入ろうとするが、真由美はひかない。
「ごめんね 驚かせてしまって。私たち東京から来たの。今、なんて言ったの?」
「『ちょすな』。さわるなって意味」
「そう。お嬢さん この先は、しばらく何もないわよ。どこに、行くつもりなの?」
「東京」
少女は、素っ気なく言い放ち、後にピョンと飛び距離をあけると、構えをといた。
「お姉さんたち、東京から来たって言いましたね。東京は、どうなっているんですか?」
「東京は…。焼かれてしまったの」
少し震えた声で、真由美が答えた。
「信じない」
少女は、言い終わると同時に、くるりと背を向け歩き始めた。
「待って!東京に行くのは、とても危険なのよ!」
『ドーン』
突然、大きな音と地面が揺れた。
(ああっ… この感じ… 巨人の襲来だ)
振り返ると、仙台市の方向で大きな雲が広がっているのが見える。
「真由美! 車に乗れ!君も!」
呆然として、我を失っている少女の手を引き、車に乗せる。
急いでUターンして、仙台市から遠ざかる。
確か、少し前に蔵王山から山形へ向かう道があったはず。
『ドーン』『ドドーン』地響きが続く。
少女は、リアシートで耳を手でふさぎ、震えている。真由美は、少女を抱きしめ、「大丈夫だから。大丈夫だから」と何度も少女に話しかけている。
2時間ほど山道を登り、奥羽山脈を山形へ抜ける峠の駐車場に車を停める。
そこにあった展望台からは、仙台市が一望できた。
まだ、日暮れには時間があるはずなのに、空が赤い。
街を焼く炎の色が、雲を赤く染めていた。
「わああああっ!あー!」
その光景を一目見ると、少女は膝から崩れ、大声で泣いた。
「燃えてる。私の家が…、友達の家が…、学校が…、みんな燃えてる。うわぁーん!」
真由美が少女に寄り添い、肩を抱く。
「何で? どうして燃えているの? あの中に人は、まだいるの?」
「…。」
俺は、少女の質問に答えられなかった。
「東京も…。仙台みたいに、焼かれたの?」
「そうよ。東京も焼かれてしまったの」
真由美が、歯を食いしばりこらえるように、言った。
少女は、その一言ですべてをさとったのか、また大声で泣いた。
「わああああっ! 父様ぁ! 母様ぁ」
ひとしきり少女が泣いた後、真由美が優しく言った。
「お嬢さん お姉さんたちと一緒に行こう。お名前は?」
真由美を見つめ、声を震わせて、少女は答えた。
「凛」
後の世で「火の七日間」と呼ばれる、六日目の話だ。(つづく)