「五日目」
第一章 北へ
空は、抜けるように青かった。
雲ひとつなく、美しい青のグラデーションが広がっている。
「きれいな空だね」
「そうだね」
真由美は、浮かない顔で答えた。心、ここにあらずって感じ。
無理ないかな。いろいろ話し合って決めた旅立ちだけど、残された母さんの事を気にしてるんだろう。
「真由美 昨日、俺を精一杯 支えたいって言ってくれて、とてもうれしかった。これからの旅は、今までと違う意味で大変な事も増えてくると思うんだ。どんな事が起こるかわからないし、俺が判断に悩んだり、間違える事もあるかもしれない。だから、どんな時も一緒に前を向いていて欲しい」
「…うん。ごめんね 何だか少し『いいのかな?』って考えちゃった」
「いいんだよ 考えたって。でも、一緒に考えようよ」
「うん ありがとう」
「隆志さん さっきの『今までと違う意味で大変な事』って、何?」
「さっき、通り過ぎた大きなスーパー見ただろ」
「うん 襲われて、荒らされたみたいだったね」
「巨人が現れて、五日目になる。開いている商店は、ほとんどないし、配給も十分じゃない。スーパーを襲った人も、襲わなければならない理由があったのかもしれない」
「そうかもしれないね」
「これからは、生きていくために罪を犯してしまう人が増えるかもしれないなって思ったんだ。悲しい事だけど、同じ人間にも用心しないといけない」
「…悲しいね」
北へのルートは、いろいろ悩んだが海沿いに北上し栃木県へと向かうことにした。水戸市や宇都宮市などの大きな都市は、迂回する。大きな都市は、巨人に襲われる可能性が高いような気がしたからだ。
道路を走る車は、ほとんどいない。信号機のある交差点を注意して徐行するだけで、驚くほど車は進んだ。
「道、空いてるね」
「都会から逃げる人も落ち着いたみたいだし、いざという時のために、燃料を節約してるんじゃないかな」
「いざという時って、いつか来るのかな?」
怯えたように、真由美が言った。
「巨人の正体も目的もわからないからね。現れるかもって、覚悟はしておかないといけないな」
「私、弱虫なのかな? やっぱり恐いよ」
「恐くない人なんて、誰もいないよ。俺も恐い」
車は順調に進み、お昼前に利根川を渡り茨木県にはいった。この調子で進めば、宇都宮の近辺まで行けるかもしれない。
第二章 輝
「なんでですか? どうして恵に会わせてくれないんですか?」
恵の家の前で、恵の親父さんに聞いた。
「この辺りにも、強盗が出るようになった。君も恵も、まだ高校一年生じゃないか。子供じみた恋愛ごっこで、娘を危険にさらすわけに いかない」
「危険って 俺が恵を護ります。信用してください」
恵の親父さんの目が険しくなった。
「信用…。もう、けっこうだ。帰りなさい」
「なんだよ。あんたも人を外見で判断するのかよ。俺は、金髪の長髪で、不良にしか見えねぇもんな」
「私は、外見だけで人を見るつもりはないがね。簡単に、逆ギレするような子供に、娘を会わすつもりはない。帰りなさい。
家の門の鉄柵が『ガチャン』と響き、閉じられた。
「恵…」
俺と恵は、栃木県那須塩原の高校の同級生だ。クラスで一人 浮いていた俺に恵は、何かにつけて親切にしてくれた。
始めは、恵が学級委員だからだと思ったが、妙に親し気で優しい。
『どうして、俺にかまうんだ?』と聞いたら、いかにも育ちの良さそうなおっとりとした話し方で『輝くん、いつも一人だから…。一人ぼっちって、さびしいでしょう』と言った。冷たくなっていた心に、暖かな陽が射したような気がした。
家に帰る気になれず、高校へ行った。この騒ぎで体育館は、避難所になっていて、市役所の情報掲示や伝言メモが貼られていた。
体育館の入口脇で、炊き出しのすいとんを食べたが、味がよくわからない。
頭の中は、恵の事でいっぱいだ。
「恵…」
見慣れないカップルが目についた。熱心に、情報掲示を見ている。
二十代前半、紳士的な彼氏に可愛らしい彼女、お似合いだ。
突然、心の中に黒い雲が渦巻いた。俺は、こんなに惨めなのに、恵にさえ会わせてもらえないのに、なんで あの人達は、あんなに幸せそうなんだ?
なぜだかわかないが、無性に腹が立つ。たぶん、妬みとひがみ、ガキの感情だ。
でも抑えられない。
ちょっと、おどかしてやろう。
可愛らしい彼女に、怯える彼氏を見せつけてやる。優等生っぽいし、すぐビビるに決まってる。
校舎裏の駐車場へ続く 薄暗くて人通道りが少ない通路の物影に隠れ、待ち伏せした。
しばらくすると、さっきの二人がやって来た。周りに、他の人の気配は無い。そっと後ろから男の人に近づき、思いっきり突き飛ばす。
「うっ」
男の人が転んで、地面に膝と手をつく。
「えっ 何、隆志さん!」
「動くな!」
腰のポケットから、不良の定番 バタフライナイフを取り出し、素早く片手で刃先を開く。
(決まった)さんざん練習した、このアクション。どうだ!
「君、中学生か?」
男の人がゆっくりと立ち上がりながら言った。怯えた様子が、まるで無い。
「高校生だ。いいか、近づくなよ」
「バカなマネは、やめろ! 真由美に、近づくんじゃない!」
(なんだ? 少しおどかして、彼氏の格好悪い所を見せつけて帰るつもりだったのに、これじゃ、引くに引けない。どうしよう…)
「うるせぇ! 可愛らしい彼女を連れて、楽しそうにしてよ。俺は、彼女にも会わせてもらえないのに、目ざわりなんだよ」
「それは、君の事情だ! 真由美から離れろ!」
男の人がゆっくりと近づこうとする。
思わず後ずさりしてしまい、お姉さんの方に一歩 近づいた、その瞬間。
「わっ!」
気がついたら、俺は宙にいた。
何が何だか、まるでわからない。
ナイフを持つ手に衝撃がはしり、体勢をくずしたタイミングで足を払われた。
強い力じゃなくて、軽く『トン』って感じだった。
『ドシーン』って音とともに、背中から地面に落ちた。呼吸が一瞬止まる。
「ごめんなさい。つい身体が動いちゃって…。大丈夫ですか?」
???俺は、お姉さんに投げられたのか?
「真由美は、合気道の有段者だよ。」
男の人は、ナイフを拾いながら言った。
「イテテッ 何だよ。警察でも何でも突き出せばいいだろう」
「いやっ そんな気は、無いよ。君、高校生って言ってたけど、まだ16歳ぐらいだろう。本気で襲う様にも見えなかったし、何が目的だったんだ」
「幸せそうな あんた達が、目ざわりだったんだよ。ちょっと、おどかしてやろうと思っただけだ。」
「…あまりに幼稚な発想だな、あきれるよ。たとえ本気じゃないとしても、刃物で人をおどかすなんて、許される事じゃない」
「隆志さん この人、そんなに悪い人では ないんじゃなんかな。さっき、避難所でお年寄りや小さな子供に炊き出しのすいとんを配って歩いてたよ」
(ちっ 変な所を見てやがる)
「理由ぐらい聞いてあげようよ。さっき『彼女にも会わせてもらえない』って言っていたけど どういう事なの?」
「どうもこうもねえよ 人を外見で判断する石頭の親父に、恵は家に閉じ込められてるのさ」
「人を外見でって、さっきの一幕は、どう考えても不良だろ」
「あんな事したのは、…初めてだよ。不良って見られんだから、本物の不良にっちまえって思って…」
「なるほどね」
「なんだよ」
「俺が君の彼女の親御さんでも、同じことを言うよ」
「なんでだよ!なんでなんだよ!」
「君は、もう生きることを諦めているんじゃないか? どうせ、もうすぐ死ぬだなんて考えてないか? だからヤケになって、不良まねごとをして、恐怖をごまかしてるんじゃないのか?」
「うっ… でも… だって」
とまどう俺の肩に、お姉さんが そっと手を置き、俺を覗き込むように顔を近づけてゆっくりと優しい口調で言った。
「みんな恐いんだよ。私も隆志さんも避難所の人たちも、あなたの彼女さんも彼女さんのお父さんも…。
でも、みんな恐怖と必死で戦っているんだよ。諦めてしまったら、生きていこことさえ、辛くなってしまうもの」
いつの間にか、俺は泣いていた。
お兄さんとお姉さんの言うことは、図星だった。はっきりと言われて、自分の気持ちに気づいた。
あちこちの街に巨人」が現れたと聞いて、恐くて恐くて仕方がなかった。恐さから逃げ、どうせ死ぬならとヤケになっていた。
恵に逢いたかったのは、なぐさめてほしかっただけなのかもしれない。ただ、恵に甘えたかっただけなのかもしれない。
「俺…、最低ですね。恵の気持ちも、恵の親父さんの気持ちも、全然 考えなくて…、自分の気持ちばっかで…最低だ」
ひとしきり泣いたら、不思議と弱くて どうしようもない自分を認められた。
第三章 恵
「お父さん! どうして? どうして輝くんに、あんなヒドイことを言ったの?
お父さんは、何もわかっていないんだよ! 輝くんは、本当はとても優しい人なのに、いっぱい寂しいことがあって、傷ついているのに…」
玄関に立っていた お父さんは、何もいわず悲しげな顔をした。いたたまれなくなって、自分の部屋へ逃げ込む。
輝くんは、早くに ご両親を亡くして、おじいさんと二人で暮らしている。そのせいなのか、どこか人と距離をおきたがる所がある。髪を染めたり、悪ぶったりするのは、人を遠ざけるためなんだと思う。
でも、私は知っている。輝くんが人一倍に寂しがりだって、人に愛されたいって、人を愛したいって強く思ってることを。
輝くんは、自分でもその気持ちを認めたがらないけど…。
『ピンポーン』
玄関のチャイムが鳴る。
(輝くん?)
慌てて玄関に向かうと、お父さんがスッと割って入り、軽く首を振る。
「ここで、待ちなさい」と言い玄関から出ていった。
玄関先で聞こえてくるのは、聞きなれない男性の声。
しばらくするとお父さんがドアを開けて、「10分だけだぞ」と言って、輝くんを入れてくれた。
「輝くん!」
「恵!」
「輝くん 髪 どうしたの?」
輝くんは、丸坊主になっていた。
「あはっ カッコ悪いだろ。でも気持ちをわかってもらうには、形も必要だって言ってくれる人がいて、避難所で切ってもらったんだ。
真由美のお父さんにも話をしてくれて。あっ」
輝くんは、玄関先で帰ろうとしていた若いカップルに向かって、頭を下げて言った。
「隆志さん 真由美さん。本当に、ありがとうございました。このご恩は、一生 忘れません。」
若いカップルは、素敵な笑顔で軽く手を上げ、行ってしまった。
「ありがとうございます」
いきさつは全然わからないけど、輝くんと逢わせてくれた。感謝の気持ちでいっぱいだった。
後の世で「火の七日間」と呼ばれる、五日目の話だ。(つづく)