「二日目」
第一章 夜明け
気がついたら…、朝だった。
永遠に終わらないかと思えるほど、長く恐ろしい夜がようやく明けた。
どこをどう逃げたか、まるで覚えていない。路上には、多くのガレキや車があふれ、橋が破壊されて 川を渡れず何度もUターンして道を探した。
背中から聞こえる大きな爆発音、視界に入る炎、何かが焦げる匂い。かろうじて気が狂わず、正気を保てたのは、真由美のおかげだ。
道が通れなくて、焦り、ヤケになりそうになる俺を真由美は「大丈夫、この次は通れるよ。何とかなるよ」と、震える声でずっと励ましてくれた。
怖くないはずはないのに、ガチガチと歯を鳴らしながら必死で俺を気づかってくれた。その姿に、声に、支えられ冷静さを失わずにいられた。
背中からの音や光や匂いは、かなり前から感じられなくなっていた。
朝の光が差し込んでくると、安心したのか真由美は気を失うように眠りについた。
「ここは、どの辺だろう? 俺も少し休まないと、もたないか」
目の前にあった公園に、車を止める。車の燃料は、ほとんど残っていない。
このあたりは巨人の被害は無かったようで、日常の風景が並んでいる。
ただ信号機が消えているから、電気は停まっているのだろう。
公園は、千葉公園と書かれていた。千葉駅の裏手にある大きな公園だ。
この公園なら、以前に来た事がある。災害救援用の自販機も置いてあったはずだ。
助手席のリクライニングをゆっくり倒し、上着を真由美にかけて、公園の自販機に向かった。
非常用電源のある自販機で、水を数本買った。真由美に温かい物を食べさせてやりたかったが、コーンスープやお汁粉は売り切れだった。
ベンチに座り、水を飲む。
「ふっー 水がこんなにうまい物だって気がつかなかった」
気がゆるんだせいか、身体がドッと重くなり、自分が予想以上に疲れているのを感じた。
「ワン ワン ワン ワン」
尻尾をはげしく横に振りながら、柴犬が足元で吠えた。なんだか、みょうに人なつっこい。
「こら こら タロウ。静かになさい」
優しそうなおばあさんが犬を散歩させていた。
「ごめんなさいね。この子、若い方が大好きで」
「いえ かまいません。可愛らしい犬ですね」
「ありがとう。あなた、東京からいらしたの?」
「はい…」
昨日の悪夢を思い出し、急に気分が悪くなる。
「ずっと停電でテレビも映らないから、よく分からないけど、大変だったみたいね。よほど大きな火事があったのかしら、東京の方は赤く明るかったもの」
「おばあさん 東京で、何があったか知らないんですか?」
「ええ」
「落ち着いて聞いて下さいね。東京は」
軽く手をあげ、おばあさんが話をさえぎる。
「よかったら、うちに来ませんか? おじいさんもその話を聞きたいでしょうし、あなた少し休んだ方がいいわよ」
「えっ」
「あなた、相当ひどい顔をしているわ。お連れの方はいるの?」
「はい 一人います」
「ふふっ 恋人さんかしら? 遠慮しないで連れていらっしゃい」
「はい ありがとうございます」
俺と真由美は、公園近くのおばあさんの家におじゃますることになった。
庶民的な普通の家だったが、庭木はきれいに刈りそろえられ、家の中は整理整頓され、すみずみまで丁寧に掃除がされていた。
厳しそうなおじいさんは、俺を見ると一瞬 おどろいたように見えたが、何も言わず家にいれてくれた。
「話は、あとじゃ。お客さんに食事を用意してあげなさい」
おじいさんが始めて言った言葉だった。
「すぐ支度しますから、少しだけ待っていてね」
しばらくすると、おばあさんがテーブルにお膳を持って来てくれた。
「たいした物はないけれど、た~んとめしあがれ」
グー ギュルルー!
目の前に出されたお膳に、胃袋が返事をした。
米粒がつやつやした炊き立てのご飯、湯気が立っているワカメのみそ汁、表面がパリッと焼けたアジの開き、卵焼き、きゅうりの浅漬け、海苔の佃煮、納豆。
本当に朝ごはんだ。もう こんな食事はできないと思っていた。
「さぁ 遠慮しなくていいのよ。めしあがれ」
「はい、ありがとうございます。いただきます」
ご飯を一口ほおばると、込みあげた涙をこらえることが出来なかった。
「おっ…美味しいです。とっても…美味しいです」
第二章 静夫と久子
「彼らは、寝たかね?」
「とても疲れていたみたいですね。すぐ休まれました」
「大変な事が起きたものだ。信じがたい話だが、彼らの言う事が嘘には思えない。あれは嘘を言う人の目ではない」
「おじいさん 健一に、似ているって思ったんでしょ」
クスッと笑いながら久子が言った。
「んっ なんじゃ久子もそう思ったか。隆志くんほど、顔は整ってはいなかったがね。目が似ている。威圧せず媚びず、相手のありのままを見ようとし、自分をかざらず、想いを伝えようとする目。健一もあんな目をしていた」
健一は、たった一人の孫だった。
一人息子が結婚し同居してくれ、健一が生まれ、孫の成長を見る幸せを知った。久子も毎日楽しそうに笑っていた。
2年前までは…。
交通事故で、健一と息子夫婦は逝ってしまった。
居眠り運転のトラックに追突され、即死だったいう。
あの日、わしと久子の中の時計は止まってしまった。
「隆志くんと真由美さん、本当にいい若者ですね」
久子が、わしの気落ちをそらすように、話題を変えた。
「そうだな。隆志くんは、誠実で芯のあるいい男だ」
「あら 真由美さんだって、思いやりのある優しいお嬢さんですわよ」
二人で顔を見合せて笑った。久子がこんなに楽しそうに笑うのを見るのは、2年ぶりだ。
「明日、彼らは行ってしまうんだな」
「そうですね。行ってしまうんですね」
何か、彼らの役に立ってやりたい。
「隆志くんの車、燃料が無いって言っていたな」
「ええ どこもお店が開いていなかったみたいですね」
「二丁目のスタンドは、茂の店だったな」
「そうですよ。去年、亡くなったお父さんの後を継いだって聞きました」
「ちょっと、茂の家に行って来る。あいつの親父は生前、わしがずいぶん面倒を見てやったんだ。文句は言わせない」
意気揚揚と茂の家に向かった。
「今、帰ったぞ」
「お帰りなさい」
茂に燃料の件を承諾させ家に戻ると、台所に肉と野菜がつまれていた。
「これ、どうしたんだ?」
「私も隆志さんと真由美さんに、精のつく物を食べてもらいたくて」
「でも、商店はどこも開いていないだろう?」
「あら お肉屋の和子さんと八百屋の幸枝さんは、書道教室の生徒さんですよ。お願いしたら分けてもらえました」
また、二人で顔を見合せて笑った。
第三章 順番
目が覚めたら、あたりは薄暗くなっていた。
隣で寝ていた真由美がいない。布団がきれいに、たたまれている。
ふすまを慌てて開けて、真由美を探す。
「真由美」
「あっ 隆志さん、おはよう」
軽やかな声で、真由美が言った。
エプロン姿で、久子さんの料理の手伝いをしている。
「夕食の仕度、もう少しかかりますからね。お風呂 はいってらっしゃいな」
奥から、久子さんの声がした。
「でも、こんなにお世話になってしまっては」
「隆志くん まあ座って聞きなさい」
テーブルで、お茶を飲んでいた静夫さんが言った
「はい」
「急ぎたい気持ちもわかるが、もう夜になる。それに、わしらの世話など、気にする事はない。かえって礼を言いたいくらいじゃ」
「隆志さん ちょっと」
真由美に、袖を引かれて席を立つ。真由美が小声で言った。
「静夫さんと久子さん、息子さん夫婦とお孫さんを交通事故で亡くされたそうなの。さっき、お二人にお許しをもらったから、一緒に お仏壇にお線香をあげよ」
驚いて、静夫さんと久子さんを見ると、二人は黙ってうなずいた。
遺影のお孫さんは、俺とあまり年が変わらないように見えた。線香をあげ、手を合わせる。
そばで、久子さんがハンカチで目をおさえ、静夫さんが言った。
「ありがとう 息子夫婦も健一も喜んでくれるだろう」
「なぁ隆志くん わしらは君らが来てくれて、うれしいのだよ。孫と暮らした日々を思い出す。ずっと居てほしいとは 言わん。だが今夜は泊まっていきなさい。二丁目にあるスタンドの店主に、話をしておいた。明日の朝になれば、燃料は入れられる。」
「隆志さん 今夜はお世話になりましょう。私、静夫さんと久子さんのお話が、もう少し聞きたいの」
真由美が俺の目を見つめて言った。
(かなわないな)
「わかりました。今晩、お世話になります。よろしくお願いします。」
ロウソクの明かりの中、四人での夕食は、とても楽しく会話がはずんだ。
夕食後、静夫さんの部屋に俺だけ呼ばれ、街で集めた情報を教えてくれた。
・昨日の巨人は、東京 横浜 埼玉の広範囲を焼け野原にして去って行った。
・巨人の数は、全部で12体だった。
・巨人は、日本だけではなく、ニューヨークや北京、モスクワなどの大都市に現れ街を焼いた。
・ある宗教団体が、巨人は神が世界の浄化のために使わした兵であると、
神兵であると言われ始めた。
どこまで本当か、どこまで嘘か、全部が嘘なのか、まるでわからない。それでも貴重な情報だった。
翌朝、久子さんは、お弁当まで用意してくれていた。
「本当に、お世話になりました。ありがとうございます」
「気をつけてな」
「気をつけてね」
「静夫さん久子さん、お身体大切にしてください」
真由美が大きく手を振って言った。
二人とも手を振って笑顔で送り出してくれた。
「行ってしまったな」
「行ってしまいましたね」
「大変な時代になっていくと思うが、彼らならきっと生きていってくれる。我々と違って彼らは、明日が、未来がある」
「そうですね。がんばって生きてほしいですね」
「なぁ久子 世の中には、順番があると思うんだ。我々はもう充分に生きた。
彼らは、どんなに世界が変わってしまっても、子を産み育てていかなければならない。そして順番に死んでゆくんだ。親が死に、その子が死ぬ。子が親より先に死ぬのは、順番が違う。ましてや孫が先に死ぬなんて順番違いもひど過ぎる」
「おじいさん 涙、こぼれてますよ」
「ふっ まったく年をとると涙の栓がゆるくなって困る」
「ふふっ 本当、涙ってなかなか枯れないものですね」
後の世で「火の七日間」と呼ばれる、二日目の話だ。(つづく)