とあるチェリストの父の場合
番外編ですが、オムニバスなので、主人公が楽器演奏者でないため番外としました。
短編:嫌なモンは嫌なの。に出てくる若瀬哲のその後ですが、そちらに目を通さなくても平気です。
「好きなの。」
だまれよ。
「俺のことを好きならどうしてすぐ他の男と寝るの。」
俺のほうを見てボロボロと涙を流す幸江は、
つけた睫毛が取れないように涙を拭く。
娘のような年齢の女。
「だって、寂しかったんだもん。
てっちゃん構ってくれないし!」
とんでもないビッチだ。
番外編:とあるチェリストの父の場合。
「友里、久しぶり。」
コーヒーを片手に喫茶店のドアを開けてやってきた娘に声をかけた。
「お父さん!?どうしたの?そのほっぺ!」
ウェイトレスにアイスティを注文して、
かばんを隣において、自分も座る。
「ああ、まぁ・・・・。」
「また女の人?」
27もなる娘は、私のそういった関係にウンザリといった感じに話す。
「別れたよ。」
ふふっと笑う。
「・・・・さみしいの?」
娘が覗き込んだように聞く。
「・・・・いや。
でも世間はまるで、恋をしないのを罪のように言うじゃないか。
クリスマスだの、バレンタインだの、七夕だの。」
この娘は、10年前に別れた妻との子どもだ。
月に一度、いまだにあって他愛もない話をする。
「七夕かぁ、そういえば七夕の夜に花火大会に行ってきた。」
「へぇ、例の彼氏と?」
「ううん、彼氏とは別れた。」
「君・・・、人のこと言えないじゃないか・・・・。」
ため息が出てしまう。
どうも、この娘は自分と似ている節がある。
もちろん、悪いところがだ。
「理人といってきたよ。」
「ああ、同じ楽団の。」
理人君という男は娘の話によく出てくる。
いっそ付き合ってしまえばどうだといったら、
そういうのではないから、長く続いているんだと、そう言われた。
「別れた女の人って、どういう人だった?」
「・・・・・お母さん見たいな人かな?」
冷たい視線が刺さる。
「どうして同じ轍を2回も3回も4回も踏むのかな。」
それは、自分でも聞きたい。
「まぁ、それはいいじゃん。
それより友里の別れた彼はどんな男だった?」
われながら、娘に対して悪趣味な質問だと思う。
「お父さんよりもやさしい男だったよ。」
そうか、といってぬるくなったコーヒーをすする。
友里が頼んだアイスティにミルクが混ざってマーブル模様になるのをじっと眺めた。
「お父さんはさ、甘えん坊なんだから包容力ある人にすればいいのに。」
俺のことを甘えたというのは幼馴染の綾と、上司で親友の宮田くらいだ。
「お父さん、そんなに友里に甘えてた?」
「は?無自覚?」
「いや、ちょっと自覚はしてた。」
はい、甘えすぎてましたね。
「だから甘えさせてくれる人好きになりなよ。」
「いやいや、52歳にもなって甘えさせてくれる人探すのは至難の業だよ・・・・。」
「う~ん、お父さんイケメンだからいいと思うけど。」
いつも、親族の女性には甘えてしまう。
幼馴染の綾はもともと遠縁だったし、まぁ宮田は大学のときからだけど。
娘にも、同居中はずいぶんと甘えさせてもらった。
それに・・・・・。
「お父さんはさ、人を好きになったことってある?」
ビクりとする。
心を、覗かれてしまったかと。
「あるよ、じゃなかったら結婚なんてしないし。友里のことだって大好きだし。」
「違う!」
娘の大きな声で、周りが少し、静かになる。
「あ、ごめん。そうじゃなくってさ。
恋を、したことある?って聞きたくって。」
恋、か。
「お母さんは・・・・」
「取り繕わなくっていいよ。
お父さん、お母さんのことは恋してなかったし、愛してもなかったでしょ。」
「うん。まぁ。」
娘に、こうはっきりと言われてしまうとは。
「私、たまに不安になる。
このまま恋をせずに終わってしまうんじゃないかって。」
「でも友里は高校のとき隆二君が好きだったじゃないか。」
「あんなの、瞬殺だったよ。一瞬で振られた。
それ以来、・・・・・駄目なんだよね。」
少し、肩を震わせている娘を見る。
27にもなって。こんな・・・・・。
いや、それは俺も同じか・・・・。
「友里、世の中には誰も好きにならない人だっている。
気にすることはないよ。」
コーヒーに口をつける。
ああ、冷め切っておいしくない。
「お父さんは・・・?」
いとしい娘に、目を向ける。
そんな、泣きそうな顔をしないでくれ。
「・・・・・・・・・いるよ。
たった一人だけれども。
愛して愛して、やまなかった人が。」
じっと、二つの眼がこちらを見ている。
「そう、なんだ。」
「うん。それ以降は友里と同じ。
ぜんぜん駄目だけれどもね。」
ふふっと笑って見せる。
そうしたら、同じ顔で娘も困った笑いを見せた。
どこまで似たもの親子なんだろうな。
「どんな、人だったの?」
純粋に、聞いてくる。
でも、こればっかりはさ。
「いえないよ。
でも、その人の一言で天国に上ったり地獄に落ちたりしたよ。」
「石田のおばさん?」
興味を持ったのか、聞いてくる。
「綾?綾は違うよ。
でも高校のときだから綾も知ってる。」
「そっか。おばさんに聞いても教えてくれないかな。」
「口止めしてるからね。」
にこりと笑う。
「さて、それ飲んだら買い物にでも行こうか。」
娘は聞き出すことをさっさと諦め、アイスティを飲んだ。
「若瀬、今日友里ちゃんと会う日じゃなかったのか?」
仕事場であるデザイン事務所の扉を開けると、
社長であり大学からの親友である宮田に声をかけられた。
「うん。お茶して買い物行って食事して送ってって・・・ってもう9時だけど。」
「げ、まじ?夕飯食ってねーや。」
コーヒーを入れようかなぁ。
湯沸かし器に水を入れる音が響く。
「お湯沸かすからカップめんでも食べれば?」
「え~。お前は若い子と飯行ってきて、俺はカップめんかよ。」
「おっさんがえ~とか言わない。」
デスクまできてパソコンの電源を入れる。
「っつーか買い物って、完璧“パパ”だな。」
彼はニヒルな笑顔を見せる。
「いや、楽譜やら本やら重いものを買わされてね。どっちかというとアッシー君。」
ハハっと乾いた声が響く。
イケメンとは宮田のような男のことを言うのだと思う。
「アッシー君って・・・お前もおっさんだなぁ。」
「煩いよ。」
棚のカップめんを漁る(大量の買い置きがあるのだ)宮田を横目に、
メールチェックに目を走らせた。
「あ、そういえばさ。」
宮田の声に、ふと顔を上げる。
「何?」
「午前中瀬戸フォトさんが来て、これ追いてったんだわ。」
紙切れを持って、こちらにやってきた。
「チケット?」
「そう。瀬戸さん主催で、5人位の写真家が展覧会開くらしいよ。」
“極彩色の中で”とタイトルが書かれたチケットを見る。
場所は近くの少し大きめのギャラアリーだ。
「へぇ、時間があったら行ってくるよ。」
「必ず行け。時間なんかなくたって作れ。」
「・・・そんなに“イイ”の?」
「“イイ”ってもんじゃないらしい。俺も行くけど、お前も行って自分の目で観ておけ。」
去年、友里との買い物で買った夏用ジャケットを着て、街を歩く。
52歳、バツ一、娘とは別居。
キスとセックスは上手いほう(まぁ年取ってるし)。
口も上手いほう。
逃げ足は速くて、
喧嘩は下手くそ。
両親は子どものころに亡くして、
育ててくれた姉は俺が高校卒業する前にボストンへ嫁いだ。
今は一人、大学の同級生が立ち上げた会社で働いている。
携帯には、仕事関係と、少しの友達と、
友里と姉と、幾人かの女のアドレス。
いつのころか、世界は灰色がかって観えて。
たまに友里や宮田と、綾やその子供が色を乗せていってくれる。
そんな、つまらない男のまま。
ギャラリーの扉が開く。
クーラーが丁度よく効いていて、夏の日差しにあたっていた身体には嬉しい。
チケットを渡し、入り口でパンフレットをもらい中を巡る。
これは、すごい。
若手と中堅の入り混じった写真展覧会。
どのフォトグラファーの作品も、一つ一つが個性的で、
何よりも人を惹き寄せる魅力を持っている。
「これは宮田も絶対行けと言う訳だなぁ・・・。」
風景であったり、人物であったり。
仕事でももちろんこんな作品の製作者と関係をもてたら嬉しいが、
次の依頼の仕事、この展覧会の影響が出てしまいそうで少し怖いくらいだ。
ふと、足が止まる。
その作品は、中東の、民間兵の男の写真。
深い、深い眼をした男。
ライフルを持って、静かにこちらを見ている。
まるで、何かを責めるような瞳。
悲しみと、混沌と・・・・・少しだけの優しさを燈した、
どこまでも深い眼。
『パシャッ』
静かな空間に響いたシャッター音に、
我に返って音がしたほうを見た。
「ふふっ、勝手に撮ってごめんなさい。」
そこには、女性が一人、カメラを持ってこちらを見ていた。
「あなたの横顔が、あまりにも綺麗だったから。
あ、年上の男の方に綺麗なんて、失礼だったかしら。」
40歳くらいだろうか、すらりとした身体つきで、
パンツスタイルの綺麗な格好をしている。
息が止まっていたことに気がついて、急いで返事をする。
「あ、いえ、大丈夫です。
あの・・・・・。」
窺い気味に言うと、何を言いたいのかわかったように彼女が話す。
「その写真、私が撮ったんです。
あ、宇都宮早紀と申します。パンフレットの・・・ココに。」
彼女は私の持っているパンフレットを見て、
自分のプロフィールを指す。
――38歳、ファッション誌のフォトなどもこなすが、
今回は紛争地帯の撮影作品に挑戦する。――
「あの、はじめまして、私宮田デザインの若瀬と申します。」
まるで勝手に動くように名刺を取り出す。
職業病に近い。
「あら、ご丁寧にありがとうございます。
宇都宮と申します。若瀬さんはデザインの関係で展覧会に?」
「あ、はい。瀬戸さんにチケットをいただきまして。」
それで・・・と、魅入ってしまった作品に眼を移す。
「気に入りましたか?」
ふと、微笑んで聞いてくる。
「・・・・・ええ。」
じっと、見つめる。
なんて、美しい・・・・・。
「あ、最終日の次の日に。
打ち上げもかねた交流会があるんです。
この展覧会の写真家や、いろいろな分野の人が集まって。
もしよかったらいらっしゃいませんか?」
彼女が、名刺とは別の小さな紙に書き込んで渡してきた。
「あ、時間が合えば是非。」
日時と場所の書かれたそれを見ながら答える。
「是非、またお話したいです。」
社交辞令か、仕事の話か。
そんなことを彼女が話す。
「はい、是非。」
そう答えると彼女は本当に。
本当に美しく微笑んだ。
自動ドアをくぐると、むあっとした夏の空気が肌にまとわりつく。
同時に、ものすごいスピードで心臓が動き出す。
ああ、あの時と同じ感覚。
高校以来の出来事だ。
震える手で、携帯電話をいじる。
『トゥルルルル、トゥルルルル、・・・こちらは留守番電話サービスです、
御用の方は、発信音の後にメッセージをお願いします。
ピ―――。』
「・・・友里、俺だよ。なぁ、あせらなくったっていい。52になっても恋ができるみたいだ。」
短編での哲を、いつかは回収しようと思っていました。
6年かかりましたけれどね。
彼が恋するのを、写真の彼にしようか、写真家の彼女にしようか最後まで悩んで、読者様のお好みのほうで、という形でふわっとしておきました。
普通に読んで彼女だと思った方も、考えて彼だと思った方も、楽しんでいただけたら幸いです。