二人の居場所
俺とオハナちゃんは、藤沢のそこそこな星空を見上げながら、ゆっくりゆっくりと、デュエットした。
歌っている間、失恋や家庭でのトラブル、その他過去のトラウマを色々と思い出して、思わず涙が溢れてきた。オハナちゃんに見られていないだろうか。
辛いことがあったとき、同じ坂本九の楽曲でも『上を向いて歩こう』ではなく『見上げてごらん夜の星を』を歌うのは、星空の下だからというのもあるけど、この曲の方が幸せな気分になれると思うからだ。
過去を回想していると、やがて終盤に差し掛かり、歌い終わった。
あ。
歌い終わってオハナちゃんの方を向くと、彼女も涙していた。
「よく考えたら、オハナちゃんのほうがつらいよな」
俺は両親の別居で引っ越すことになったが、オハナちゃんは既に両親を失ったうえで、尚且つ自分を育ててくれた烏帽子家から追放されようとしている。
アロハに相談したら、烏帽子家も御花ちゃんを追い出したい母親と、これからも一緒に暮らしたい父親の対立に油を注ぎ、家庭が崩壊しかねない。もしそうなった場合、アロハは父親に付いて母親は孤立、烏帽子家を出て行かざるを得なくなるが、それは誰も望まぬ結末だろう。
「私もつらいけど、広視くんもつらい。アロハちゃんが知ったら、もっとつらい」
ということは、この話はまだアロハには伝わっていないということだろうか。
「そっか。まぁ、そうだな。俺もつらい。家族が離れ離れになるのもだけど、実家を離れるのが実は一番つらい。家とか、育ってきた鵠沼っていう土地に執着してるんだよな」
「いいんだよ、それだって。大好きなお家から離れたくない、大好きなふるさとを離れたくない。そんなの当たり前。私もいまのお家が好きだし、静かで落ち着いた鵠沼も好き」
江ノ島の灯台が、ぐるりぐるりと二人を照らす。
眩しいけど、こんな些細なこともふるさとの味だったりする。
湘南台は同じ藤沢市内だが、家を出てすぐに江ノ島へは着かない。
逆に湘南台の人がこっちに引っ越して来たら、潮風がベタベタして気持ち悪い。湘南台に戻りたいと思うのかもしれない。
「そっか、家とか土地に執着しても、いいのか」
「うん、いいんだよ」
「ありがとう」
「どういたしまして」
人間よりも物質的なものに執着するなんて、俺は人間としておかしいのだろうと自身を訝しんでいた。
だからオハナちゃんのその言葉は、乾いて大きなヒビだらけになった地に清らかな水が注がれてゆくように、俺の心をみるみる潤していった。オアシスができたような感じだ。
「ねえ、広視くん」
「ん?」
「私たち、ときどきこうして、二人で会わない? なんだかね、広視くんといると、心がスーッと軽くなるの」
「もちろん。会おうぜ。悩みとか色々ぶっちゃけよう」
「ありがとう」
「俺のほうこそ」
「うん、でもいつか、幸せいっぱいのお話しができるようになったらいいな」
「そうだな。うん、間違いない」
身を寄せ合って、心を重ねて、空を見上げる。
言葉は交わさず、目を閉じる。
瞬く星たちの世界を、柄にもなく想像する。君の髪にくすぐられながら。
同情か、恋情か、その両方か。わからないが、いま俺たちは、心を寄せ合っている。それでいい。オハナちゃんは居場所のない俺の居場所で、俺は居場所のないオハナちゃんの居場所になっていれば、それでいい。
いまはこれが心地よいから、それでいいんだ。