ぴょこたん!
許さない許さない許さない許さなーいっ!! オハナちゃんに手を出すなんて、例えカエルでも許さないんだから!! 今日のディナーはカエル料理よ!!
アロハは白雪姫に出てくる魔女のように口角を上げた猟奇的な笑みを浮かべながら右手にカエルを握ってキッチンへ向かい、まな板の上にそれを乗せて刺身包丁を構えた。
「さぁカエル、覚悟なさい。オハナちゃんを襲ったこと、命をもって後悔するがいいわ」
「んむっ、んむっ…」
ウシガエルはアロハから逃れようと藻掻くが、握力が強くて逃れられず、呼吸もままならない。
「さぁ、言い遺すことはないかしら?」
私にカエル語は通じないけど、聞くだけ聞いてあげる。
「む、むぉ~っ、むぉ~っ!!」
なっ、何よ…。涙目で私を見つめたって無駄よ。
ウシガエルは恐怖で掠れそうな声を文字通り必死に絞り出し、悪魔の形相のアロハを見つめて、ごめんなさい! 助けて、助けてー! と命乞いをしている。同時に、広視に目で姉妹を襲うよう促され、悪ノリしたことを心から悔いている。
でもなぜ人間の女性を襲って愉快な気分になったのだろう? ウシガエル自身、それは不思議だった。
「むぉ~っ、むぉ~っ!!」
イ、イヤ。そんなにウルウルしながら見ないで! 悲しい声で鳴かないで!
包丁を握る手がカエルの真上でガクガク震える。
「むぉ~っ!!」
お願い!! もうイタズラしないから!! 許してとは言わない!! けど死にたくない!! 死にたくないよー!!
「ダメだ、こんなにちっちゃくてつぶらな瞳で…。殺せるわけないじゃない…。ごめんね、もう大丈夫よ。こっちへおいで」
ウシガエルの必死の命乞いに調理を断念したアロハは、ウシガエルに右手を差し延べた。アロハは警戒しながら身を縮め、恐る恐る手の平に乗っかったウシガエルを指で撫でながら、気絶したオハナと、彼女を介抱している広視の待つ廊下へ戻る。
もし広視がオハナちゃんを襲ったりしてたら問答無用で大事な巾着と玉を焼いてやるんだから。
◇◇◇
ウシガエルに襲われたショックで気絶したオハナちゃんを介抱していると、アロハがそのウシガエルを右手の平に乗せて戻ってきた。
「あれ? カエル料理食わしてくれるんじゃなかったのか?」
「ごめん、ダメだった。カエルがね、まな板の上で目をウルウルさせながら私を見るの。可哀相で包丁振り下ろせなかった。ごめんね、怖かったよね、ぴょこたぁん…。うぁぁぁん!!」
アロハは言いながら泣き出した。
「ぴょこたん!?」
「うん、カエルのぴょこたん。いま名前付けた」
なるほど。俺だったら『ウッシー』とか『モ~モ~』みたいな名前をつける。
グスングスンと啜り泣きしながら答えたアロハは、基本的には弱いものイジメができない優しい女の子だ。俺には容赦なく攻撃とか罵倒とかしてくるけど。
「そうか、良かったな、ぴょこたん」
「ぅも~ぉ」
ぴょこたんはカエルらしからぬマヌケな鳴き声で生きている喜びを表現した。
「ん…」
ぴょこたんの鳴き声でオハナちゃんの意識が戻ったようだ。白雪姫みたいにキスして起こそうとか頭の片隅で考えてたからちょっと残念。
「広視、ちょっとぴょこたんお願い」
「おう」
アロハはぴょこたんを俺に預けた。目覚めたばかりのオハナちゃんに失神の元凶を見せない配慮だ。俺はすかさずぴょこたんを乗せた手を後ろに組んでオハナちゃんに見えないようにした。
「オハナちゃん、おはよう!」
「オハナちゃん!! 大丈夫!?」
俺、アロハの順。
「おはよう。うん、大丈夫」
「良かった! さて、一件落着したし、シャワー浴び直してディナーにしましょう。広視は私たちがシャワー浴びてる時にパイプの取り付けをお願い」
「シャワー浴びてる時にやっていいのか?」
「覗いたりしなければね。あと、広視も私たちの後にシャワー浴びたら一緒にディナーしよう?」
「それこそいいのか? 何か悪いな」
「いいのいいの。ほんのお礼」
「うん。広視くん、今日はわざわざ来てくれてありがとう」
「ホント、わざわざありがとね。それと、ゴメン。なんか色々、その、あんな所、蹴っちゃったり…」
「あぁ、いいよいいよ。俺もその、なんというか…」
「気にしないで。あれは事故よ」
俺とアロハは、互いに顔を赤らめながら、なんともいえない空気を味わっていた。
◇◇◇
ピピピピッ!
数分後、アロハとオハナちゃんが浴室に入ったことを報せるブザーが鳴った。ブザーはお湯の温度調整等に使う装置の機能で、本来は緊急呼び出し用。
合図を受けた俺は、床に頃がっているウシガエルが詰まっていたS字型のパイプを持って洗面所に入った。ちなみにそのウシガエルは俺の左肩に乗っている。
浴室の扉一枚向こうから、湯気に混じったほんわかした香りが漂い、シャワーの音やアロハとオハナちゃんの話し声が聞こえて、ちょっと緊張する。
さて、パイプ取り付けちゃいますか。
さすがセレブ宅。洗面台が二つもあるじゃないか。点検のためもう一つの洗面台に水を流してみた。うん、こっちは故障してないみたいだな。
ったく、二人ともキザな女だぜ…。
アロハから借りたバルカンテープとスパナを使ってネジを締めてパイプを取り付ける。バルカンテープとは、ネジ山に巻き付けてネジをより強く締めるための薄い膜状のテープのこと。スパナはネジに噛ませて、それを緩めたり締めたりする道具。最後にホワイトマーカーを使って上下のパイプと、それらを繋ぐネジを貫くように一本の線を縦に引く。こうしておけば、もしネジが緩んでも線がズレて一目で判別可能となり、水漏れを未然に防げる。この線のことを『合いマーク』と呼ぶ。後でアロハとオハナちゃんにも説明しておこう。
「広視~、そこに居る?」
作業を終えて洗面所を出ようとしたところで、突然アロハが俺を呼んだ。
「ああ、居るよ」
「洗面台の上の棚に詰め替え用のトリートメントが入ってるんだけど、取ってくれる?」
「おう、ちょっと待ってろ」
俺は言われた通り、棚からトリートメントを取り出した。なんか高そうなトリートメントだな。
「取ったぞ~」
「ありがと~」
ガラガラ。
「アロハちゃん!」
オハナちゃんが慌ててアロハに警告。しかし遅かった。
浴室の扉が開いた。
あぁ、バカだなコイツ。トリートメントを受け取ることしか考えてなかったんだな。覗くなとか言って自分からハダカ見せてるよ。女の子のハダカを見るのは小学四年生の頃の体育の着替え以来、約七年ぶりだ。
やべぇ、膝蹴りされて弱ってた息子が元気になってきた。
「あ…」
一秒くらい間を置いて、アロハはようやく失態に気付いたようだ。
「あらどうも」
生まれたままの姿のアロハに、とりあえず出合い頭の挨拶をしてみた。
「きゃあああっ!!」
スパーン!!
「いてっ!!」
案の定、アロハに電光石火で頬をビンタされた。理不尽だ。ビンタの衝撃が頭に響いてぼーっとしてきた。あぁ、オハナちゃんのも見たかったなチクショー。
その後、風呂上がりのアロハとオハナちゃんにパイプの『合いマーク』について説明したが、アロハは恥ずかしそうにそわそわして、俺の話をまともに聞いていなかったように見えた。なんか悪かったな。
◇◇◇
二人の入浴が済んだ後、俺もシャワーを使わせてもらった。
シャワーを浴び終え、リビングからキッチンを覗くと、アロハとオハナちゃんは仲良くディナーの仕度中。会話の内容は聞こえないが、二人が仲良く会話している様子を見ると、とても和やかな気分になる。
「アイツ、私のハダカ見て「あらどうも」だって。何があらどうもよ。顔紅くして「わぁっ、ごめんなさい!」とか焦ったリアクションできないわけ?」
「きっとビックリしてリアクションどころじゃなかったんだよ」
「それにしたって、性欲の塊みたいなヤツにハダカ見られて薄いリアクションされるってことは、私に女としての魅力がないってこと!? ホンット失礼しちゃう」
「そんな事ないよぉ。広視くんだって内心ドキドキしてたと思うよ。それに、そんな失礼なこと言わなくても…」
どんな話をしてるんだろうな。二人だけの秘密の話とか? 正直、この仲良し姉妹が羨ましい。俺には三歳下の弟が居るが、兄弟仲は酷く悪い。家に居ても滅多に口を利かないし、たまに口を利けば喧嘩になる。いつからああなっちゃったんだろうな。小さい頃は近所の公園で遊んだり、福島のばぁちゃん家に行った時は浸地や、すぅ君たちと四人で遊んだこともあった。
「広視く~ん、お土産のリンゴジュース開けてもいいかな?」
オハナちゃんがキッチンから俺に問い掛けた。
「どうぞどうぞ!」
それから俺たち三人とぴょこたんは、レストランが開けそうなくらい美味しいサラダや素麺とシーチキンのチャンプルーを楽しくいただいた。
アロハは少し挙動不審だったが、怒ってなくて良かった。
今回のお話で広視のプライベートな部分が少し見えてきました。アロハ、オハナ姉妹の事情についても今後触れてゆきます。