ビーズについて
昨日の別れ際、浸地から投げ渡されたビーズ。浸地はどういう意図があって俺にビーズをくれたのだろう? 気になるので、朝起きたらすぐ浸地に電話をかけてみたのだが、話を濁されて、結局理由は教えてくれなかったが、付属品のテグスに必ず一日一粒ずつビーズを通して、何でも良いから形になるものをつくるようにという事と、お守り代わりに持ち歩くと良いともいわれた。
「いい? 必ず一日一粒だよ。か・な・ら・ずっ!」
これだけは何度も念を押された。同じ日に二粒以上テグスに通すと、薬品みたいに副作用が生じるのだろうか? それとも、健康食品みたいに過剰な使用は無意味で、何の効力も発揮しないとか?
◇◇◇
午後、都内へ買い物に出掛けた帰り、駅のホームを歩いていると、乗務員用の黒い鞄を持った縁の細いメガネをかけた若い男性の車掌が、慌てて俺に駆け寄ってきた。
「お客さま! これ落とされましたよ!」
「あっ、すんません、ありがとうございます」
うわ、やべっ、いつの間にビーズ落としちまってたのか。男がビーズを拾ってもらうってなんか恥ずかしいな。
すると車掌は、俺に手渡したビーズをまじまじと見ながら言った。
「お客さま、失礼ですがこのビーズ、どなたさまかからの戴きものでしょうか」
「はい、友達から貰いました」
ん? どうしてそんな事を訊くんだ?
「でしたら、お客さまは、そのお友達の方からとても大切に想われています。ですのでお客さまも、どうかそのお友達の方を大切になさってください」
もしかしてこの人、このビーズがどういうものなのか知ってるのか?
「あ、はい」
「それでは僕は乗務がございますので、これにて失礼致します」
穏やかな笑みを浮かべて俺に告げた車掌はホーム後方へ向かい、ゆっくり滑り込んできた電車に、折り返し運転のため乗務交代する運転士と挨拶を交わして乗り込んだ。
車掌の言葉に呆気に取られたのと、電車が入って来て、俺の事情で電車を遅らす訳にはいかないと思い、このビーズの持つ意味を訊きそびれてしまった。やっぱり何か意味あるんだ、このビーズ。
車掌によれば、浸地は俺を大切に想っているとのことだが、それってもしかして、浸地は俺のことが好きなのか? 実は昨日から、俺の初恋が再起動してドキドキしっぱなしなんだよな。もし浸地と付き合えたら、俺としてはとても嬉しい。
待てよ、浸地が俺を好きだとしたら、あのビーズ、もしかして恋愛成就のお守りなのか? うん、そうだ、そうに違いない! なら、家に帰ったら早速ビーズをテグスに通すとしよう!
でもなんで、テグスに通すビーズは一日一粒ずつなんだろう?
◇◇◇
家に帰った俺は、シャワーを浴びて自室に篭った。そして思いっきりベッドにダイブ!!
「あぁ、やべぇやべぇ!! 浸地って俺のこと好きなのか!!? 好きなんだなぁ~。あぁ、恋っていいねぇ~。いや~こりゃもう愛なんじゃね!?」
俺はニヤニヤしながら枕に抱き着いてベッドの上をゴロゴロ転げ回っている。いや~、ヤバイねこれ。心臓発作起こしそうだわ。頭ん中が浸地でいっぱいだ。
少し大人っぽくて清楚な外見だけど、無邪気にイタズラしてくるところとか、でも俺のこと心配してくらたり、優しくてくれたり、俺の内面をちゃんと理解してくれてるとことか、すごくイイ。
小さい頃は世話になりっぱなしで、昨日も世話になっちゃったけど、今度は俺が浸地を幸せにしたい。胸の中は、そんな想いでいっぱいだ。
◇◇◇
しばらくの間キュンキュンゴロゴロしていたら、浸地と話したい衝動を抑えられなくなってきた。ビーズのことも気になるし、電力需要のピークを過ぎたことだし、ちょうど良いので、ベッドで寝転がったままケータイで電話をかけてみる。そういや浸地はスマートフォンだったな。
『プップップップッ、お呼び出し中です。プルルルルルルル!』
ケータイって、普通の電話みたいにすぐ繋がらないのは何故なのかと時々思う。
「もしもし広視~?」
「どうもこんにちは。度々悪いんだけど、どうにかあのビーズがどんなものなのか、それと、なんで一日一粒ずつなのか、教えてくんない?」
「そう言われてもなぁ、私自身よくわかんないんだ」
「いやいやそんな筈ないだろ。昼に駅でビーズのこと知ってるっぽい車掌さんが良さげなこと言ってたぞ?」
「あぁ、車掌さんって、すぅ君かオタちゃんか」
「へぇ、すぅ君車掌になったのか」
「『へぇ』って、あんまり驚かないんだね。もしかして、すぅ君とは大きくなってからも会ってるの?」
「うん。中学の時の職場体験で駅の仕事を体験させてもらったんだけど、そこの駅員さんの一人がすぅ君でビックリした」
すぅ君というのは、本名を宮下優成といい、俺や浸地と同じく福島県に祖父母宅がある幼なじみで、歳は浸地と同じ22歳。小さい頃は俺と二人で浸地から虫や野菜について教えてもらったり、ウシガエルで顔面パンチされたりして、男二人でよく泣き喚いたものだ。
ウシガエルでの顔面パンチは、なんというか、命の危機すら感じる。食われる、俺、カエルに食われる!! みたいな。
「そうだったんだ。私、中学と高校がすぅ君と一緒で、今でも時々飲みに行ったりするけど、広視の話は聞かなかったなぁ。アイツ、大事なことを言わないからな。あれでよく駅員なんてサービス業やってると思ったよ」
「あぁ、あの人シャイだよな」
って、話が脱線してないか? いや、友達についての話を無理矢理切り上げてビーズの話に戻る気は起きなかったけど、それが狙いか? そこで俺は少し時間をかけて、話題を徐々に謎のビーズへ戻した。
「ビーズの意味とか効力を訊かれても、広視に渡したのは改良タイプだから、私も正確には把握してないの」
「おいおいっ! そんな得体の知れないものを寄越したのか!」
まぁウシガエルより恐ろしくはないだろうけど。
「うん」
「『うん』って、ちょっとどういう事かしらお嬢さん!」
裏声を使って言ってみた。
「キモッ」
グサッ!! そうですわね、キモいですわね…。
「広視は相変わらずイタイ子だね。じゃあそんな広視にメッセージを授けよう」
「どんな?」
「広視には、私がついてるから、ビーズを見たら私を思い出してくれると嬉しいな。もし何かあったら、例え夜中でも、私に電話したり、呼び出してくれていいんだよ。だからビーズは私の心が篭ったお守りってことで、とりあえず納得しといてくれる?」
「あぁ、うん。わかった。ありがとう」
こんな風に言われてしまったら、嬉しくて思うように言葉が出ないじゃないか。
結局、ビーズにどんな意味や効能があるのか、なぜ一日一粒なのか、明確な答えは聞き出せなかったが、どうやら俺が使っているビーズは改良タイプらしい。従来品もあるということだな。
浸地との電話は胸が高鳴り、楽しい時間を過ごせた。通話を終えた今も、とても気分が良い。ビーズについての答えを知るより、浸地と少しでも長く話していたいと思う自分がいた。近いうちに直接会って話したいな。節電にもなるし。
たぶんきっと、ビーズの効能は『恋愛成就』だ。ビーズは俺と浸地が会話する機会を設けてくれた。こうして会話を重ねてゆくうちに親密度がアップして、やがて恋愛成就へと導かれるのだろう。
俺は忘れないうちにビーズをテグスに一粒通した。今日はクリアレッドのビーズだ。
◇◇◇
ブルルルル!
陽が陰ってきた18時ころ、ケータイのバイブが鳴った。貧乳アロハから着信だ。
「はい?」
「もしもし広視? 洗面所の配管がなんかおかしいんだけど、ちょっと家に来て直してくんない?」
俺はパイプおじさんか!
「アロハ、そういうのはな、パイプおじさんとかクラシアンみたいな所に電話するんだぞ?」
まったく何を考えてるんだ。
「もしもし広視くん?」
電話の声が変わった。アロハでは俺と口論になって埒が明かないと思って代わったのだろうか。
「その声はオハナちゃんだね」
「うん。ごめんね、変な事で電話しちゃって。いまお家に両親が居ないから、パイプ屋さんに払えるお金が無くて、もしかしたら広視くんならなんとかしてくれるかもと思って電話したんだけど…。もし良かったら、来て見てくれるだけでもいいから、お願いできないかな?」
「かしこまりました。すぐそちらへ向かいますので、しばしお待ちくださいませ」
「本当? ありがとう!」
電話越しに聞こえるオハナちゃんの嬉しそうな声。可愛いなぁ。さすが学園アイドル。
「ちょっと! なんで私が話した時は迷惑そうにしてたのに、オハナちゃんならあっさり承諾したわけ!?」
げっ、貧乳のヤツ、盗み聞きしてやがった!
「あんなに謙虚にお願いされたら断れないだろ? 今そっち行くから。また後でな」
口論するのは面倒なので、俺は強引に電話を切り、俺の家から徒歩5分ほど離れた烏帽子家へ向かう。
そうだ、この前青森を旅行した時に買ったお土産の瓶入りリンゴジュースを持って行こう。
あれ、濃厚で美味いんだよな。
この後、トラウマになるほど恐ろしい悲劇が俺たちに訪れることなど、全く予想していなかった。