相違点
「それで先生、どこから調べるんですか」
冨田彩香、緒川達彦、そして谷村清登。
三人それぞれの証言を要点だけ抜き出し、立花はホワイトボードに書き出していた。夢の内容、発生時期、死者との関係性、睡眠状態。項目ごとに整理し、最後にマジックペンのキャップを閉める。
榊は椅子に深く腰掛けたまま、ボードを眺めていた。腕を組み、すぐには答えない。
「……まず、“共通点”を探すのは後回しだ」
「後回し、ですか」
「ああ。今やると、無理に揃えにいくことになる」
榊はそう言って、ボードの端を指差した。
「冨田さんは職業的ストレスと二次的な死の接触。緒川医師は長年続く悲嘆と記念日効果。谷村君は……」
一瞬、言葉を切る。
「夢をほとんど見ない人間に、初めて割り込んできた“異物”だ」
立花は無意識に頷いていた。三人とも同じ現象を語っているはずなのに、背景はあまりにも違う。
「じゃあ、何から?」
「個別にだ」
榊は即答した。
「一つずつ、崩せる仮説を立てて、潰す。まずは一番“説明しやすい”ところから行く」
「……緒川先生、ですか」
「そう」
榊は立ち上がり、ホワイトボードに近づく。
「命日が近づくと眠りが浅くなる。これはもう、心理学的にも生理学的にも説明がつく。問題は――」
緒川達彦の名前の横に、小さく丸を付けた。
「“例年と違う”と本人が自覚していない点だ」
「自覚がない?」
「人は、自分の睡眠の質を正確には把握できない。特に、長年続いている変化ほどな。記憶は上書きされる」
榊はマジックペンを置く。
「つまり、本人が気づいていないだけで、今年は何かが違った可能性はある」
「環境ですか」
「それも含めてだ」
榊は今度は冨田彩香の名前を見る。
「次に、彼女。これは――感染に近い」
「感染……」
「恐怖やイメージは伝播する。特に医療現場では、死が日常に近い分、境界が薄くなる」
立花は、看護師が憔悴していたという内科医の言葉を思い出していた。
「最後に、谷村君」
榊はそこで少しだけ、言葉を選ぶように間を置いた。
「ここが、一番厄介だ」
「父親の夢を見たのが、初めてだからですか」
「それもあるが……」
榊は視線を立花に向ける。
「“理由が見当たらない”という点でな」
部屋に沈黙が落ちる。
ホワイトボードには、三人の名前と、まだ線で結ばれていない項目だけが残っている。
「共通点がない、というのは」
立花が言葉を継ぐ。
「裏を返せば、別のところに共通の要因がある可能性がある、ってことですよね」
榊は、ゆっくりと頷いた。
「そうだ。個人の内側ではなく――外側に」
榊は窓の方へ一瞬だけ視線を向ける。
「だから、次に調べるのは“彼らが置かれていた環境”だ。場所、時期、生活リズム、情報への接触……」
そして、静かに付け加えた。
「それと同時に、君自身も気をつけた方がいい」
「え?」
「ここまで話を聞いて、何も影響を受けない方が不自然だ」
立花は、思わず苦笑する。
「夢、見たら報告しますよ」
「笑い事じゃない」
榊はそう言いながらも、どこか冗談とも本気とも取れない表情をしていた。
ホワイトボードに残された三つの名前は、まだ線で結ばれていない。
だが、確実に――同じ方向を指し始めていた。
ホワイトボードの前で、立花は腕を組んだまま、しばらく黙り込んでいた。
冨田、緒川、谷村。
三人分の名前と、簡単な状況が書き並べられている。
「……先生」
「何だ」
「これ、夢そのものが原因なんじゃないですか」
榊はすぐには反応しなかった。
立花が続きを言うのを、待つ。
「ほら、夢って、記憶を整理する過程で見るものですよね。特に、感情が強く残っている記憶とか――後悔とか、喪失感とか」
立花はボードの冨田の名前を指した。
「看護師さんも、亡くなった患者さんを日常的に見ていた。緒川先生は、奥さんの命日が近づいて眠りが浅くなる。谷村君だって……幼い頃に亡くしたお父さんの記憶が、どこかに残っていてもおかしくない」
一息ついて、立花は言った。
「条件が揃ったときに、脳が“死んだ人”の像を再構成して、それを夢として見せている――
そういう理屈なら、説明がつくんじゃないですか」
言い終えた瞬間、立花の中で何かが小さく跳ねた。
――これだ。
初めて、一本の線が引けた気がした。
「つまり……」
思わず声が強くなる。
「それぞれの夢は、全部“本人の中にあったもの”なんですよね?外から何かが来たわけじゃない。幽霊でも、未名の何かでもなくて――」
榊は、ようやくゆっくりと頷いた。
「理論としては、十分に筋が通っている」
立花は、ほっとしたように息を吐く。
「じゃあ……」
「だが」
榊の声は、そこで静かに割り込んだ。
立花は言葉を止める。
「それだと、最後の一件が説明できない」
「……谷村君、ですか」
「ああ」
榊はホワイトボードに近づき、谷村清登の名前の横を指で叩いた。
「彼は、父親を亡くしてから長い年月が経っている。
しかも、これまで一度も“父親の夢”を見たことがないと言っている」
「でも、それって……」
「可能性がゼロとは言わん。人間の記憶は、本人が思っているほど素直じゃない」
榊はそう前置きしてから、言葉を選ぶように続けた。
「だがな。強い感情が引き金になるなら、
なぜ“今”なんだ?」
立花は答えられなかった。
「命日でもない。
環境の変化があったわけでもない。
睡眠障害の兆候も、顕著ではない」
榊は一歩下がり、全体を見渡す。
「君の言った夢を“個人の内部処理”として見る説明では、三件中二件までは、確かに収まる」
指を一本、立てる。
「だが、一件がはみ出る」
立花は、背中に冷たいものを感じた。
「……じゃあ、何が足りないんですか」
榊はすぐには答えなかった。
代わりに、視線を宙に泳がせる。
「まだ分からん」
正直な声だった。
「だが、“個人の脳の中だけで完結していない”要素が、
どこかにあるはずだ」
榊は、ゆっくりと立花を見る。
「それが何かは、まだ掴めていない。
だが――」
一拍、間を置いて。
「このままでは終わらない気がする」
立花は、無意識に拳を握っていた。
答えが見えたと思った瞬間に、
また一歩、闇の方へ踏み出した気がした。
――未名現象は、まだ入口に過ぎない。
そんな手応えだけが、二人の間に残っていた。
*
その夜、立花は夢を見た。
彰──
彰──
名を呼ばれている、という認識だけが先にあった。
声の輪郭や方向は分からない。ただ、呼ばれているという事実だけが、意識の底から浮かび上がってくる。
深い眠りの途中で、立花はゆっくりと上体を起こした。
目を開けているのか、閉じているのか、その区別すら曖昧だった。
そこに、祖母がいた。
和歌山に住んでいた、母方の祖母。
五年前に亡くなり、立花も幼い頃に「和歌山のおばあちゃん」の葬式に出ている。
――いる。
そう認識した瞬間、立花の中で同時に別の思考が走る。
これは夢だ。そういう状態に近い。
理解はしている。
だが、理解と納得は一致しない。
祖母は部屋の中央に立っていた。
顔は見えない。はっきりした輪郭もない。
実際には、そこにあるのは人の形をした暗いシルエットだけだった。
それなのに、なぜか分かる。
微笑んでいる。
――いや、微笑んでいる「ように思える」。
視覚情報ではない。
そう感じている、という事実だけがある。
立花は強い動揺を覚えた。
あのポルターガイスト現象の時とは、質が違う。
理屈や偶然で片付けられる余地が、ほとんどない。
祖母は動かない。
ただ、そこにある。
そして、和歌山弁で、短く告げた。
「気ぃつけなあかんよ」
それ以上の言葉はなかった。
意味を補足する説明も、理由もない。
次の瞬間、立花の意識は切り替わった。
目覚ましも鳴らず、何かに驚いた感覚もないまま、朝が来ていた。
目を覚ました部屋には、当然ながら何もいない。
だが、夢だった、と断定するには、あまりにも状態が整理されすぎていた。
立花は天井を見つめながら、ゆっくりと息を吐いた。
胸の奥に残っているのは恐怖ではない。
説明のつかない「現象を体験した」という感覚だけだった。
(続く)




