表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/8

相違点

「それで先生、どこから調べるんですか」


 冨田彩香、緒川達彦、そして谷村清登。

 三人それぞれの証言を要点だけ抜き出し、立花はホワイトボードに書き出していた。夢の内容、発生時期、死者との関係性、睡眠状態。項目ごとに整理し、最後にマジックペンのキャップを閉める。


 榊は椅子に深く腰掛けたまま、ボードを眺めていた。腕を組み、すぐには答えない。


「……まず、“共通点”を探すのは後回しだ」


「後回し、ですか」


「ああ。今やると、無理に揃えにいくことになる」


 榊はそう言って、ボードの端を指差した。


「冨田さんは職業的ストレスと二次的な死の接触。緒川医師は長年続く悲嘆と記念日効果。谷村君は……」


 一瞬、言葉を切る。


「夢をほとんど見ない人間に、初めて割り込んできた“異物”だ」


 立花は無意識に頷いていた。三人とも同じ現象を語っているはずなのに、背景はあまりにも違う。


「じゃあ、何から?」


「個別にだ」


 榊は即答した。


「一つずつ、崩せる仮説を立てて、潰す。まずは一番“説明しやすい”ところから行く」


「……緒川先生、ですか」


「そう」


 榊は立ち上がり、ホワイトボードに近づく。


「命日が近づくと眠りが浅くなる。これはもう、心理学的にも生理学的にも説明がつく。問題は――」


 緒川達彦の名前の横に、小さく丸を付けた。


「“例年と違う”と本人が自覚していない点だ」


「自覚がない?」


「人は、自分の睡眠の質を正確には把握できない。特に、長年続いている変化ほどな。記憶は上書きされる」


 榊はマジックペンを置く。


「つまり、本人が気づいていないだけで、今年は何かが違った可能性はある」


「環境ですか」


「それも含めてだ」


 榊は今度は冨田彩香の名前を見る。


「次に、彼女。これは――感染に近い」


「感染……」


「恐怖やイメージは伝播する。特に医療現場では、死が日常に近い分、境界が薄くなる」


 立花は、看護師が憔悴していたという内科医の言葉を思い出していた。


「最後に、谷村君」


 榊はそこで少しだけ、言葉を選ぶように間を置いた。


「ここが、一番厄介だ」


「父親の夢を見たのが、初めてだからですか」


「それもあるが……」


 榊は視線を立花に向ける。


「“理由が見当たらない”という点でな」


 部屋に沈黙が落ちる。

 ホワイトボードには、三人の名前と、まだ線で結ばれていない項目だけが残っている。


「共通点がない、というのは」


 立花が言葉を継ぐ。


「裏を返せば、別のところに共通の要因がある可能性がある、ってことですよね」


 榊は、ゆっくりと頷いた。


「そうだ。個人の内側ではなく――外側に」


 榊は窓の方へ一瞬だけ視線を向ける。


「だから、次に調べるのは“彼らが置かれていた環境”だ。場所、時期、生活リズム、情報への接触……」


 そして、静かに付け加えた。


「それと同時に、君自身も気をつけた方がいい」


「え?」


「ここまで話を聞いて、何も影響を受けない方が不自然だ」


 立花は、思わず苦笑する。


「夢、見たら報告しますよ」


「笑い事じゃない」


 榊はそう言いながらも、どこか冗談とも本気とも取れない表情をしていた。


 ホワイトボードに残された三つの名前は、まだ線で結ばれていない。

 だが、確実に――同じ方向を指し始めていた。


ホワイトボードの前で、立花は腕を組んだまま、しばらく黙り込んでいた。

 冨田、緒川、谷村。

 三人分の名前と、簡単な状況が書き並べられている。


「……先生」


「何だ」


「これ、夢そのものが原因なんじゃないですか」


 榊はすぐには反応しなかった。

 立花が続きを言うのを、待つ。


「ほら、夢って、記憶を整理する過程で見るものですよね。特に、感情が強く残っている記憶とか――後悔とか、喪失感とか」


 立花はボードの冨田の名前を指した。


「看護師さんも、亡くなった患者さんを日常的に見ていた。緒川先生は、奥さんの命日が近づいて眠りが浅くなる。谷村君だって……幼い頃に亡くしたお父さんの記憶が、どこかに残っていてもおかしくない」


 一息ついて、立花は言った。


「条件が揃ったときに、脳が“死んだ人”の像を再構成して、それを夢として見せている――

 そういう理屈なら、説明がつくんじゃないですか」


 言い終えた瞬間、立花の中で何かが小さく跳ねた。

 ――これだ。

 初めて、一本の線が引けた気がした。


「つまり……」


 思わず声が強くなる。


「それぞれの夢は、全部“本人の中にあったもの”なんですよね?外から何かが来たわけじゃない。幽霊でも、未名の何かでもなくて――」


 榊は、ようやくゆっくりと頷いた。


「理論としては、十分に筋が通っている」


 立花は、ほっとしたように息を吐く。


「じゃあ……」


「だが」


 榊の声は、そこで静かに割り込んだ。


 立花は言葉を止める。


「それだと、最後の一件が説明できない」


「……谷村君、ですか」


「ああ」


 榊はホワイトボードに近づき、谷村清登の名前の横を指で叩いた。


「彼は、父親を亡くしてから長い年月が経っている。

 しかも、これまで一度も“父親の夢”を見たことがないと言っている」


「でも、それって……」


「可能性がゼロとは言わん。人間の記憶は、本人が思っているほど素直じゃない」


 榊はそう前置きしてから、言葉を選ぶように続けた。


「だがな。強い感情が引き金になるなら、

 なぜ“今”なんだ?」


 立花は答えられなかった。


「命日でもない。

 環境の変化があったわけでもない。

 睡眠障害の兆候も、顕著ではない」


 榊は一歩下がり、全体を見渡す。


「君の言った夢を“個人の内部処理”として見る説明では、三件中二件までは、確かに収まる」


 指を一本、立てる。


「だが、一件がはみ出る」


 立花は、背中に冷たいものを感じた。


「……じゃあ、何が足りないんですか」


 榊はすぐには答えなかった。

 代わりに、視線を宙に泳がせる。


「まだ分からん」


 正直な声だった。


「だが、“個人の脳の中だけで完結していない”要素が、

 どこかにあるはずだ」


 榊は、ゆっくりと立花を見る。


「それが何かは、まだ掴めていない。

 だが――」


 一拍、間を置いて。


「このままでは終わらない気がする」


 立花は、無意識に拳を握っていた。


 答えが見えたと思った瞬間に、

 また一歩、闇の方へ踏み出した気がした。


 ――未名現象は、まだ入口に過ぎない。


 そんな手応えだけが、二人の間に残っていた。


            *


 その夜、立花は夢を見た。


 彰──

 彰──


 名を呼ばれている、という認識だけが先にあった。

 声の輪郭や方向は分からない。ただ、呼ばれているという事実だけが、意識の底から浮かび上がってくる。


 深い眠りの途中で、立花はゆっくりと上体を起こした。

 目を開けているのか、閉じているのか、その区別すら曖昧だった。


 そこに、祖母がいた。


 和歌山に住んでいた、母方の祖母。

 五年前に亡くなり、立花も幼い頃に「和歌山のおばあちゃん」の葬式に出ている。


 ――いる。


 そう認識した瞬間、立花の中で同時に別の思考が走る。

 これは夢だ。そういう状態に近い。


 理解はしている。

 だが、理解と納得は一致しない。


 祖母は部屋の中央に立っていた。

 顔は見えない。はっきりした輪郭もない。

 実際には、そこにあるのは人の形をした暗いシルエットだけだった。


 それなのに、なぜか分かる。

 微笑んでいる。

 ――いや、微笑んでいる「ように思える」。


 視覚情報ではない。

 そう感じている、という事実だけがある。


 立花は強い動揺を覚えた。

 あのポルターガイスト現象の時とは、質が違う。

 理屈や偶然で片付けられる余地が、ほとんどない。


 祖母は動かない。

 ただ、そこにある。


 そして、和歌山弁で、短く告げた。


「気ぃつけなあかんよ」


 それ以上の言葉はなかった。

 意味を補足する説明も、理由もない。


 次の瞬間、立花の意識は切り替わった。

 目覚ましも鳴らず、何かに驚いた感覚もないまま、朝が来ていた。


 目を覚ました部屋には、当然ながら何もいない。

 だが、夢だった、と断定するには、あまりにも状態が整理されすぎていた。


 立花は天井を見つめながら、ゆっくりと息を吐いた。

 胸の奥に残っているのは恐怖ではない。


 説明のつかない「現象を体験した」という感覚だけだった。


(続く)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ