共通項
通話が終了すると、画面は静かな待機状態に戻った。
スピーカー越しに聞こえていた医師の声も、もうない。
榊はしばらくのあいだ、パソコンの画面を見つめたまま動かなかった。
メモを取るでもなく、考え込む素振りとも違う。ただ、沈黙している。
その空気に耐えきれなくなったのか、立花が口を開いた。
「……今の話、どう思います?」
榊はすぐには答えなかった。
椅子に深く腰掛け直し、天井を一瞬だけ見上げてから、ようやく言う。
「正直に言えば──厄介だな」
「やっぱり、ですか」
「ああ。典型的な“霊が出た”話でもないし、かといって単なる思い込みで片付けるには、条件が揃いすぎている」
榊は机の上に散らばったメモ用紙を、指先で軽く揃えた。
「命日が近い。睡眠が浅い。精神的な負荷も大きい。ここまでは説明がつく」
「でも……」
立花が言葉を継ぐ。
「夢の内容が、妙に具体的でしたよね。部屋の様子とか、立ち位置とか」
「そうだ」
榊は頷いた。
「夢というのは普通、輪郭が曖昧になる。場面が飛び、時間も歪む。だが、彼の話には“配置”があった」
榊は、指で空中に四角を描く。
「どこに立っていたか。どちらを向いていたか。何を言われたか──あれは、夢としては出来すぎている」
立花は、思わず背筋を正した。
「……じゃあ、やっぱり何か、普通じゃない?」
「“普通じゃない”と言うより」
榊は言葉を選びながら続ける。
「脳が、夢と現実の境界を誤って処理している可能性がある。だが、問題はそこじゃない」
「そこじゃない?」
「同じような体験者が、他にもいるという点だ」
榊はパソコンの画面を軽く叩いた。
「場所も、生活環境も、人間関係も違う。それなのに、似た時期に、似た内容の“夢”を見る」
立花は喉を鳴らした。
「……でも、それぞれ事情は違いますよね。
命日が近い人もいれば、そうじゃない人もいる。共通点が薄い気がします」
榊はすぐに否定しなかった。
指先でメモの端を押さえ、ゆっくりと口を開く。
「確かに、表面上はバラバラだ。
年齢も職業も、生活のリズムも違う」
そこで一拍、間を置く。
「だが、“同じ種類の話として集まってきている”時点で、無視できなくなる」
立花は眉を寄せた。
「集まってきている……?」
「そうだ。本来なら、互いに交わらないはずの話が、同じ箱に放り込まれている。それ自体が、もう一つの条件なんだよ」
榊はそう言って、初めて立花の方を見た。
「だがな、立花君。現時点で言えるのは、ここまでだ」
「ここまで、というと?」
「これはまだ、“現象”ですらない。
ただの報告の集合体だ」
榊は、椅子の背にもたれながら、静かに続ける。
「だが──この手の話はな。ある時点を境に、一気に形を持ち始める」
立花は、無意識に息を止めていた。
「その“ある時点”って……」
「まだ分からん」
榊はあっさりと言った。
「だからこそ、調べる価値がある」
そう言って、榊は再び画面に視線を戻した。
*
画面が切り替わる。
今度は自室らしい空間だった。背後に本棚があり、壁は白い。生活感はあるが、どこか整理され過ぎている。
「……あの、うまく話せるか分かりませんが」
榊の生徒、谷村清登はそう前置きしてから、一度だけ喉を鳴らした。緊張というより、言葉を選んでいる様子だった。
「父は、僕が小学生の頃に亡くなっています。事故でした。もう……十年以上前です」
榊は頷き、遮らずに聞いている。立花もメモを取りながら、視線だけを画面に向けていた。
「それまで、父の夢を見たことは一度もありませんでした。正直に言うと……夢そのものを、あまり覚えていない人間で」
「夢を見ない、と?」
榊が確認するように尋ねる。
「はい。見ていたとしても、起きたら何も残っていない。昔からそうでした」
谷村は一度、視線を落とした。
「だから、最初は――夢だと気づかなかったんです」
立花が顔を上げる。
「気づかなかった?」
「はい。目が覚めた時、父が“いた”という感覚だけが残っていて……夢だった、と思い至るまでに少し時間がかかりました」
榊はペンを止めた。
「どんな状況でしたか」
「場所は、自分の部屋です。今いる、この部屋とほとんど同じで……父は、立っていました。何かを言うわけでもなく、ただ、そこに」
「怖さは?」
少し間を置いてからの質問だった。
「……怖い、というよりは」
谷村は言葉を探すように、ゆっくりと続ける。
「現実が、ずれていく感じがしました。起きているのか、まだ夢の続きなのか、分からなくなる。父がいること自体より、その感覚の方が……」
画面越しに、榊は小さく息を吸った。
「それは、いつ頃のことですか」
「最近です。父の命日とは、全く関係ありません」
はっきりとした否定だった。
「命日が近いとか、特別な出来事があったとかも?」
「ありません。季節も、時期も。強いて言うなら……」
谷村はそこで一瞬、言葉を切った。
「最近、眠りが浅いとは思っていました。でも、それが原因だとは――」
「思えない?」
「はい。今までだって、眠りが浅い時はありましたから」
沈黙が落ちる。
画面の向こうで、谷村は背筋を伸ばしたまま、どこか居心地の悪そうな表情をしている。
「それ以降、同じ夢を?」
「いえ。一度きりです。ただ……」
「ただ?」
「夢だった、と整理できるまでに、時間がかかった。それが、一番おかしいと思っています」
榊はメモに何かを書き込み、最後にこう言った。
「話してくれて、ありがとう。今日はここまでで大丈夫です」
画面が暗転する。
通話が切れた後、部屋に残った沈黙は、先ほどまでよりも重かった。
立花は、メモから顔を上げる。
「……先生」
「うん」
「三人とも、条件が揃っていないですよね」
榊は否定も肯定もせず、しばらく黙ってから答えた。
「揃っていない。だからこそ――同じ現象が起きているのが厄介なんだ」
机の上には、事例ごとのメモが並んでいる。
死別の時期も、関係性も、心理状態も一致しない。
それでも、“死んだ人間が、現実と見分けのつかない形で夢に現れる”。
榊は、その共通点だけを見つめていた。
(続く)




