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ヒアリング

画面の向こう側で、内科医の玉川昌幸たまがわ まさゆきは白衣のまま背筋を伸ばしていた。

背景には、見慣れた診察室の壁ではなく、簡易的なブラインドと、消し忘れたデスクライトの光が映り込んでいる。


診察室ではない。

だが、モニター越しであっても、医師としての姿勢だけが、その場の空気を支えていた。


時折、音声にわずかな遅れが生じる。

榊が頷くよりも半拍遅れて、医師の表情が追従するのが分かる。


「今日はお時間をいただき、ありがとうございます」


榊は画面に向かって軽く頭を下げた。


「こちらこそ。無理を言ってしまって、すみません」


医師はそう言ってから、一瞬だけ視線を横に逸らした。

画面の端、椅子に座る人物――看護師の冨田彩香とみた あやかの存在を気遣っているのが、すぐに分かる。


「こちらは……」


榊が言葉を継ぐ前に、玉川が促すように視線を向けた。


「私の助手です。立花君」


榊はごく自然にそう言った。


「助手?」


一瞬だけ、立花の中でその言葉が引っかかった。

――ゼミを受けているだけだ。研究を手伝っている覚えもない。


だが、その違和感を表に出すことはしなかった。


「立花彰です。よろしくお願いします」


丁寧に頭を下げる。

画面越しでも分かるほど、冨田の顔色は悪かった。


目の下に濃い影。

肩が、わずかに内側へすぼんでいる。


「今日は……ご本人に無理をさせない形で」


榊は、最初にそう釘を刺した。


「話せる範囲で構いません。途中で辛くなったら、すぐに止めましょう」


冨田は、ゆっくりと頷いた。


「……はい」


声は小さいが、逃げる響きではない。

むしろ、何かを“言わなければならない”という切迫感があった。


「夢、だったんです」


冨田は、医師の方を一度だけ見てから、画面に視線を戻した。


「亡くなった患者さんが……出てきて」


榊は、頷きもしなかった。

ただ、相槌も打たず、続きを待つ。


「何かを……言われた気がするんです。でも……」


冨田は、両手を膝の上で強く握った。


「それが“本当に夢だったのか”が、分からなくなって……」


冨田の声は、そこで小さく震えた。


榊は、すぐには言葉を返さなかった。

メモに何かを書き足すでもなく、ただ視線を冨田に向けたまま、待つ。


「目が覚めた時、自分はベッドにいました。時計も、部屋も、いつも通りで……」


冨田は、必死に順序立てようとするように話を続ける。


「でも、起きた瞬間に思ったんです。

 ――“今、誰かと話していた”って」


「姿は?」


榊が、短く尋ねた。


冨田は首を横に振る。


「……分かりません。人影だったのかどうかも、正直、はっきりしないんです」


「声は」


「声、というより……意味、でしょうか」


冨田は自分の言葉に戸惑い、眉を寄せる。


「音として聞こえた記憶は曖昧なのに、

 “何かを言われた”という感覚だけが、強く残っているんです」


立花は、無意識のうちに前のめりになっていた。


「内容は?」


冨田は、一瞬だけ目を伏せる。


「……それも、はっきりとは。

 大切なことだった気はするんです。

 でも、言葉として思い出そうとすると、するっと抜け落ちてしまう」


榊は、そこで初めて小さく息を吐いた。


「なるほど」


それは同意でも、否定でもなかった。


「冨田さん」


榊は、声の調子を変えずに続ける。


「あなたは、“誰かを見た”とは言っていない。

 だが、“誰かと接触した”感覚だけは残っている」


冨田は、ゆっくりと頷いた。


「はい……そうです」


「そして、その結果として――」


榊は言葉を切る。


「夢と現実の境目が、分からなくなった」


冨田の指先が、わずかに震えた。


「……はい」


沈黙が落ちる。


榊は、その沈黙を急いで埋めようとはしなかった。

代わりに、メモの端に何かを書き込む。


立花は、その様子を見ながら、ある違和感に気づき始めていた。


冨田は、

誰を見たとも言っていない。

誰の顔も、声も、思い出せていない。


それなのに――

「亡くなった患者」だと、最初から分かっている。


立花は、思わず口を開きかけて、しかし言葉を飲み込んだ。


榊は、視線を上げずに、ぽつりと言う。


「冨田さんの場合、“像”はほとんど立ち上がっていない。だが、“状況の意味”だけが、先に確定している」


ペン先が止まる。


「亡くなった患者。

 語りかけられた。

 そして、現実感の揺らぎ」


榊は、まだ結論を出さない。


だがその沈黙自体が、

この証言が、他のどれとも違う位置にあることを示していた。


立花は、その空気の中で確信する。


――彼女の夢は、

「見えなかった」のではない。

最初から、見る必要がなかったのだ。


玉川が、静かに口を挟んだ。


「ここまでにしましょう」


冨田は、ほっとしたように、深く息を吐いた。


榊は、それ以上、何も聞かなかった。



通信が切れた後、研究室には静寂が戻った。


榊は椅子に深く腰を下ろし、机の上に広げた数枚のペーパーに目を落とす。

そこには、簡潔な箇条書きが並んでいた。

•対象者:看護師(30代)

•夢の内容:亡くなった患者が出現

•会話の有無:あり(詳細は語れず)

•覚醒後の状態:強い不安、現実感の低下

•睡眠時間:平均的

•投薬歴:特記事項なし


榊は、ペンを持ったまま、しばらく動かなかった。


「……典型的じゃない」


ぽつりと、独り言のように呟く。


立花は、少し距離を取って立っていた。

先ほどの“助手”という呼び名が、まだ頭のどこかに残っている。


「先生」


「何だ」


「夢を見るだけなら……よくある話ですよね」


「ああ。人は毎晩、夢を見ている」


榊は、ペーパーから視線を外さずに続ける。


「問題はな、立花君。夢を見た“後”の反応だ」


ペン先が、紙の上を軽く叩いた。


「現実感が壊れている。

 これは、単なる悪夢の後じゃない」


榊は、もう一枚、別のペーパーを重ねた。


そこには、似た項目が、別の筆跡で並んでいる。


「……これが、二件目。

 そして三件目、四件目……」


立花は、思わず息を呑んだ。


「全部……違う人ですよね」


「違う。場所も、年齢も、職業も」


榊は、初めて立花の方を見た。


「だが、“揃い過ぎている”」


研究室の空気が、わずかに重くなる。


「だから私は、ここで立ち止まっている」


榊はそう言って、ペーパーを見下ろした。


「これは、怪談として片付けるには雑すぎる。

 だが、科学として説明するには――まだ、何かが足りない」


その“何か”が何なのか。

立花には、まだ分からなかった。


だが、少なくとも一つだけ、はっきりしている。


――また、始まってしまった。


未名現象に、足を踏み入れる準備が、静かに整いつつあることを。


            *


「妻の命日が、あと数日で来ます。その一ヶ月前くらいから、どうしても眠りが浅くなる。これはもう、何年も前から分かっていることです」


この証言の主は、榊たちが次にヒアリングを行った人物だった。

先の内科医の事例とは直接の関係はない、もう一人の体験者。小児科医の緒川達彦。《おがわ・たつひこ》。


榊は事前に本人の了承を取り、研究目的での情報収集であることを明確にした上で、このリモート面談に臨んでいる。


画面越しに映る緒川は、白衣こそ着ていなかったが、背筋の伸びた姿勢や言葉の選び方には、医師としての習慣がそのまま残っていた。


「最初は、夢だと分かっていました。亡くなった人が夢に出てくるなんて、珍しくもない。医者ですから、そういう相談も受けますしね」


苦笑ともつかない、短い息。


「ですが、今年は少し違いました」


榊が何も言わずに聞いているのを確認してから、緒川は続ける。


「夢の中で、妻は“こちらを見て話す”んです。以前は、ただそこにいるだけだった。声も、言葉も、曖昧だった。ところが今年は──具体的なんです」


「具体的、というと?」


榊の問いに、緒川は即答しなかった。

その沈黙の間、画面の向こうで照明の自動調整が入り、彼の顔が一瞬だけ白く浮いた。


「配置です。部屋の構造。妻が立っている位置。僕との距離。それから……言葉の順番」


立花は思わず背筋を伸ばした。


「言葉の、順番?」


「はい。意味のある文章というより、“こういう順で、こういう内容を言う”という型が、毎回ほぼ同じなんです」


緒川はそこで一度、深く息を吸った。


「目が覚めた後も、異様に記憶が鮮明でした。夢にありがちな歪みが少ない。起きてから、現実の寝室を見回して──夢の中で見た配置と、ほとんど変わらないことに気づいた」


そこで初めて、彼はカメラの方を正面から見た。


「……それで、怖くなった」


短く、しかしはっきりとした言葉だった。


立花は、少しだけ間を置いてから口を開いた。


「その──“怖くなった”と仰るのは……」

画面越しの緒川の表情を確かめるように、慎重に言葉を選ぶ。


「夢なのか、現実なのかが、分からなくなってきた、という意味ですか」


緒川は一瞬、視線を落とした。

それから、ゆっくりと頷く。


「はい。まさに、その通りです」


少し苦笑するように、だが笑いきれないまま、続けた。


「目が覚めているはずなのに……自分の部屋に、妻の霊か何かが現れたような気になるんです」


立花は息を潜める。


「もちろん、妻の霊なら、怖くはありません」

緒川は、そう前置きしてから、言葉を選ぶように続けた。


「ですが──自分の正気が、少しずつ失われていくのではないかと考えると……それが、怖くて」


「緒川さん──」


 榊は椅子に座り直し、手元のメモに目を落としながら尋ねた。


「毎年、奥様の命日が近づくと眠りが浅くなる、と仰いましたね」


「はい」


「今年は特に眠りが浅かった、ということはありましたか」


 緒川は少しのあいだ考え込んだ。


「どうでしょう。ちょっとした音でも目が覚めてしまうのは、毎年のことです。ただ、今年が特別に眠りが浅かったかどうかは……」


 緒川は言葉を切り、首を横に振った。


「正直、自分でも判断がつきません」


(続く)

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