第5話 ずっとずっと
ドロテは、ベッドで眠るレティシアの寝顔を眺めていた。
ベッドまではエタンが運んでくれたのだが、手から離れるときにきゅっと彼の服を掴んでいた。
その様子を見て、ドロテはなぜか胸を締め付けられる思いがあった。
『パパ……どこにもいかないで……』
父親の分まで自分が幸せにするつもりだったのに、ドロテ一人の力だけでは足りなかったみたいだ。
(レティには、父親が必要なのね)
エタンは首都には帰れないから、ここにいさせてくれと言っていた。
レティシアが望むのなら、ドロテもその気持ちを尊重したいのだけれど――。
娘の寝顔をひとしきり眺めると、ドロテはリビングに移動した。
机の上には、エタンがいれてくれたのであろうホットミルクが置いてある。
「疲れたときに、よく飲んでいたよな」
「ありがとう」
椅子に座り、カップに口をつける。
温かい飲み物にほっとしていると、おもむろにエタンが口を開いた。
「ドロテ。さっきの話の続きなんだけど、聞いてくれるか?」
「……うん」
エタンの瞳は何かを覚悟しているかのように鋭い。
ドロテは、きゅっと唇を引き結んだ。
「あの夜、俺は薬のせいでおかしくなっていた」
「そうね」
「だから、俺はずっとドロテに謝りたいと思っていたんだ」
エタンは立ち上がると、勢いよく頭を下げた。
「ドロテ、ごめん」
「――え?」
「薬の影響とはいえ、俺は取り返しのつかないことをしてしまった」
「ち、違うわ。謝らなければいけないのは私のほうよ」
あの夜の過ちがあったのは、ドロテの作った惚れ薬のせいだった。
あれがなければ、エタンはドロテのことなんて気にすることなく、騎士の務めを全うできたはずだ。
ドロテが彼の気持ちを変えてしまった。一夜とはいえ、エタンは責任を感じているのだろう。だから、王都に帰らないと言っていたのだ。
「ドロテは何も悪くない。悪いのは俺だ」
「何を言っているの? 私の作った惚れ薬のせいなのよ。あなたは何も悪くないわ」
あの夜のことは、拒否しようと思えばいくらでもできたはずだ。
だけど、ドロテはエタンへの淡い思いを隠すことができずに、彼の熱に乗せられてしまった。
薬の影響でドロテのことを好きだと誤解しているエタンの気持ちを利用したのだ。
「いいや、悪いのは俺なんだ。だって、本当は嫌だったんだろ?」
「い、嫌じゃなかったわ!」
「じゃあ、なんで俺の前からいなくなったんだよ」
「それは……惚れ薬のせいよ。あなたはあの時、薬のせいで誤解していたのに、私はそれを利用したから」
「利用ってなんだ。俺のことが好きだと言ったことか? それを言われて、俺はほんっとうに嬉しかったんだぞ。だからっ」
「それは薬の影響よ」
「なんだよ、薬薬薬って! 俺の気持ちはガン無視かよ。愛してるって言っただろ」
「だから、それは薬の影響で」
「埒が明かない。いいか、ドロテ。俺は幼いころからずっとおまえのことが好きだったんだ!」
一瞬言葉に詰まる。
でも、ドロテも負けてられなかった。
「好きだったて何よ。なら、なんで村から出て行ったのよ」
騎士になってからはほとんど村に帰ってこなかったのだ。そのうえ王女の護衛騎士になったらほとんど帰ってこられないと言っていた。
本当にドロテのことが好きだったら、そばにいたいと思うはずなのに。
「なっ。……まさかおまえ、約束を忘れてるのか?」
「約束って、村に帰ってくること?」
「それじゃなくて、もっと昔の約束だよ。十歳ぐらいのときに、約束しただろ」
ドロテは困惑した。
「えっと、なんの約束?」
「十歳のころ、ドロテが調薬に失敗して落ち込んでいたことがあっただろ?」
子供のころはよく失敗ばかりだったので、いつのことだったかはわからない。
でもエタンが言うには、その時のドロテの落ち込みようはいつも以上だったようだ。
「なんか大事な薬だと言っていたな。傷を治す薬だって」
「傷薬……」
そういえば、子供のころによく作っていた気がする。
母が作った薬はあったけれど、どうしても自分で作って渡したい人がいたのだ。
その相手は、目の前にいるエタンだ。
剣の稽古(と言っても木の棒を振り回していただけだけど)で、よく体中に傷を作っていたから、彼の役に立つものが欲しかった。
「失敗して、自分に才能はない、もうだめだ。こんなんじゃ嫁の貰い手もない。とかそんなことぶつぶつ言っていただろ」
「十歳なのに?」
「ああ、十歳なのにな」
ははっと、エタンが思い出し笑いをこぼす。
「だから俺、言ったんだよ。嫁の貰い手がいないのなら、将来俺が有名な騎士になったらおまえを嫁にもらってやるって。ドロテはなに馬鹿なこと言ってるのって不審そうだったけどな」
「……そう、だったわね」
いまになって思い出した。
あの時のドロテはまだ十歳で、エタンも同じだった。
ドロテは約束を真に受けることなく忘れてしまっていたけれど、エタンはずっとその約束を覚えていたようだ。
「俺は覚えているのに、ドロテは忘れていたんだな」
「……ごめんなさい」
「いや、いい。俺もずっと自分の気持ちを伝えていなかった。あの夜は惚れ薬で正気じゃなかったのは事実だし、信じられなくても無理はない」
「……じゃあ、本当に私のことが……」
「ああ、好きだよ。おまえが俺の傷の手当てをしてくれたときから、ずっとずっとドロテが好きだったんだ」
「……っ」
「ドロテはどうなんだよ。あの時、おまえは薬を飲んでいなかっただろ?」
あの夜、ドロテは何を言ったのか。
思い出すと、全身が熱くなる。顔まで真っ赤になっているかもしれない。
「あの時のおまえの言葉は、本当なんだよな」
「そ、それは……」
つい目を逸らしてしまうが、それを見逃すエタンではなかった。
エタンが近づいてくる。逃げようとして慌てて立ち上がると、椅子が倒れて音を立てる。
あ、と思った時には、エタンの顔がすぐ目の前にあった。
「なあ、ドロテ。おまえも、俺と同じ気持ちで――」
キィとリビングの扉が音を立てた。
二人は同時に動きを止めて、音の出所に目をやる。
「ママ? 使い魔……また、ママをいじめているの?」
若草色の双眸が二人を見ていた。
レティシアがギュッと持っている枕を握る。
「いじめてなんかないぞ。俺たちは仲良しだからな」
「……本当?」
疑う瞳が二人の間を行き来する。
「本当よ。私たち、とても仲良しだわ」
ドロテはエタンの手を掴むと、上に振り上げた。
「ほら、手を繋いでいるでしょ?」
じーと、若草色の瞳はまだ、疑うような視線を向けてくる。
信じていないようだ。
せっかくレティシアとエタンの距離が縮まったと思ったのに。
「ドロテ」
「エタン?」
「ここはもっと仲良しな姿を見せる必要があるだろ」
「え、ええ、そうね?」
どうするつもりと訊く前に、背後からドロテの体を一回り大きな体が包み込んだ。
「俺たちは本当に仲良しなんだぞ」
背後から突然抱きつかれて困惑するドロテをよそに、レティシアの顔に笑顔が広がっていく。
「ママ嬉しそう。……本当に仲良しなんだ」
どうやら娘の誤解は解けたようだ。ドロテの羞恥心を犠牲にして。
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