第3話 私の言うことを聞きなさい
五年前。
エタンとの一夜の後、ドロテは謝罪の手紙だけ残して一人で村を抜け出した。
彼はドロテの作った惚れ薬のせいで理性を失ってしまっただけで、本意ではなかったはずだ。
彼が正気に戻ったら、ドロテを責めるに違いない。
それにドロテ自身も、冷静に戻ってから羞恥心がどっと押し寄せてきて、とてもじゃないけれどエタンと顔を会わせるのが耐えられなかった。
だからドロテは自分勝手に、エタンのそばから離れたのだ。
あの後エタンがどうなったのかはわからないが、ドロテのことなんて忘れて騎士の務めを全うしているだろうと、そう思っていたのだけれど……。
「ドロテ、会いたかった!」
そんな声と共に、ドロテはエタンの腕の中にいた。
抱きしめられているということはわかる。だがどうしてこんな状況になっているのかわからない。
確認しようにも、抱擁によりドロテの体は固まってしまっていた。
「どうして村から出て行ったんだ? さんざん探したんだぞ。それなのに見つからないし……」
ドロテは魔女だ。自分の気配を消したり、痕跡を消したりするぐらいならいくらでもできるから、村を出てから各地を転々としていた時はそうしていた。
レティシアを産んでからはずっとこの町にいるけれど、誰かが自分を探しているかもなんて考えていなかった。
まさかエタンがドロテのことを探していたなんて。
「こうして再会できるなんて運命みたいだ。――それにしても、ここはどこだ? さっきまで王城にいて、王女の命令に逆らって手首を切り落とされそうになっていたんだが……」
「え、エタン。まずは離れて。ちゃんと話をしましょう」
王女に手首を切り落とされそうになっていた云々はよくわからないけれど、この状況はマズすぎる。
ただでさえ密着しているのに、耳元で囁かれると心臓が持たない。
「嫌だ。また俺から逃げようとするだろう。もう、離れたくないんだ」
エタンの腕の力が強くなる。
この距離だと、ついあの夜のことを思い出してしまう。
一度だけしか経験していないのに、どうしても脳裏に焼きついて忘れられない。
だから思い出としてだけ取っておくつもりだったのに――。
「ドロテ、俺、ずっとおまえに……」
「使い魔! ママから離れて!!」
「……使い魔?」
ドロテを抱きしめる腕の力が弱くなった。
呼びかけられたエタンが、不思議そうに周囲を見渡す。
「あなたの主は私なのよ! 使い魔、私の言うことを聞きなさい! ママをいじめないで!」
「……もしかして、使い魔って俺のことか?」
緩んだエタンの腕から、ドロテは何とか這い出る。深呼吸をする。
すぅはぁと息をしたら、少しは落ち着いてきたような……気がする。
「使い魔、これは命令よ! ママを離しなさい!」
ポカポカと、レティシアがエタンの体を叩いていた。
不思議そうに振り返ったエタンが、レティシアの姿をまじまじと見て、若草色の瞳を見開いた。
「ドロテが小さくなってる? ……いや、ドロテは目の前にいるし、そんなわけがない。……もしかして、娘なのか?」
レティシアの姿はドロテによく似ている。母親譲りの黒髪に、顔立ちもドロテをそのまま幼くしたようだ。ただひとつ、父親から受け継いだ若草色の瞳を除いて。
「ど、ドロテ」
レティシアにまだポカポカ叩かれているエタンが、助けを求めるように見てくる。
「使い魔の馬鹿!」
「す、すまない。いじめてはいないんだ。あの、落ち着いてくれ。あと、俺は使い魔じゃなくて」
「私が召喚したんだから、あなたは使い魔よ!」
レティシアが若草色の瞳をきっと尖らせる。
「その瞳の色、もしかして俺の……」
「レティ、それぐらいにしなさい。私は無事よ」
「ママぁ」
レティシアがドロテの腕の中に飛び込んでくる。
かわいい頭をなでてあやしていると、エタンがそーっとレティシアに手を伸ばそうとしていた。
「お、俺の……娘……?」
いち早く気づいたレティシアが、その手を払い落としてフンっと鼻を鳴らす。
きっとにらまれたエタンが、呆然と自分の手のひらを見つめていた。
◇
レティシアは召喚に魔力を使いすぎて疲れたようで、ドロテの腕の中で眠ってしまった。
娘をベッドに寝かせてから寝室を出ると、リビングでエタンがうろうろと歩き回っていた。
椅子に座るように言っておいたのに、気が気ではないようだ。
「ね、寝たのか?」
「ええ」
お茶を準備してからエタンのところに戻る。
「なあ、ドロテ。あの子って、もしかして俺の……」
「とりあえず、座って話しましょう」
椅子に座っても、エタンはまだそわそわしている。
一夜を共にした女と五年経って再会したら、自分の瞳とそっくりな子供がいたのだ。驚くのも無理はない。
「あの子は、俺の子供だよな?」
ドロテがどう返事をするか迷っていると、エタンが激しく狼狽えた。
「ま、まさか他の男との子供なのかっ」
「違うわよ」
「そ、そうだよな。あの瞳は明らかに俺と同じだ。つまり、あの一夜で……」
肯定するために、ドロテはゆっくりとうなずく。
エタンの顔が輝いた。
「ああ、まさかこんな嬉しいことはない。名前はなんて言うんだ?」
「レティシアよ」
「レティシアか。いい名前だな。……俺に娘がいたなんて」
知らないうちにエタンとの子供を産んでしまったから怒られるかもしれないと身構えていたのに、思ったよりも喜んでいる彼の姿を見てドロテは拍子抜けした。
(喜んでくれてよかったわ。……でも)
「エタン。あなたは騎士の仕事が忙しいでしょう。この子は私一人で育てるから、あなたはもう首都に戻ってもいいわ」
エタンに負担をかけたくない。
レティシアを産んだ時に、そう決めたのだ。
「……そうだよな。子供を産んで育てるのは大変だと聞いたことがある。それなのに、俺はずっとドロテに負担をかけてしまっていたよな」
「そういうんじゃないわ。それに、あの夜のことは……ただの事故よ」
「事故?」
「あの日にあなたが飲んだのは、私が作った惚れ薬なの」
惚れ薬の効果は錯覚みたいなものだ。
気分を高揚させることにより、目の前にいる相手を好きだと誤解させる。
その効果は一度飲んだら一日で消えるし、本当に相手のことを好きになるわけでもない。
(あの時の依頼人は、自分の力で好きな人の気持ちを手に入れることができたらしいわ。でも、エタンは違う)
あの時のエタンは、あくまでも熱に浮かされて、ドロテのことを好きだと誤解していたのだ。
惚れ薬には媚薬の効果も含まれているし、あの一夜は薬の効果による事故でしかない。
「あなたは薬のせいで私のことが好きだと誤解していたのよ」
「……俺のこの気持ちが誤解だと、ドロテはそう思っているんだな」
「ええ。だからあなたに責任はないわ。レティシアも私が一人で育てるし、あなたはこのまま首都に戻っても――」
「帰らない」
「え?」
うまく聞き取れなかったので聞き返すと、エタンは唇を尖らせていた。
その姿が、レティシアにそっくりだった。
「俺はまだ帰らないぞ」
「でも、王女様の護衛は?」
「あのわがまま王女の護衛は首になった。俺が王女の命令に背いたからな」
そういえば、さっき手首を切り落とされそうになったと言っていたっけ。
「つ、つまり?」
「首都に俺の帰るところはない。だから、これからはずっと、ここにいさせてくれ」
エタンの真剣な瞳は、やはりレティシアに似ている気がする。父親だから、当然なのだけれど。
ドロテは悩んだ末に、レティシアが許可をしたらという言葉を付け足した。
そして翌日、目を覚ましたレティシアに、エタンが自分は父親であることを告げたのだが――。
「あなたが私のパパ? 何を言っているの? 使い魔は使い魔よ。パパなんかじゃないもん」
レティシアはエタンのことを認めなかった。




