第2話 使い魔の召喚
「はい。重いから気を付けてね。それと、いつもありがとうね、魔女さん」
「こちらこそ、いつもおいしいお野菜をありがとうございます」
気さくな青果店の店主から受け取った野菜入りの袋を抱えると、ドロテは空いた手で近くにあるはずの小さな手を探した。
「あれ、レティ?」
さっと血の気が引く。
さっきまであったはずの小さな体を探すと、青果店から少し離れたところでぼんやりとどこかを見ているようだった。
「レティ!」
再び声をかけると、反応があった。
「レティ、どうしたの?」
「……ママ。なんでもないよ。お買いもの終わったの? はやく帰ろー」
表情を一転、無邪気な笑顔を浮かべると、五歳の娘――レティシアはすぐに駆け寄ってきた。
野菜の袋を抱え直して手を差し出すと、待っていましたとばかりに握ってくる。
その様子にホッとしながらも、ドロテは娘が見ていたところに視線をやった。そこには、両親に手を繋がれて嬉しそうにはしゃぐ子供の姿があった。
(……やっぱり、寂しいのかしら)
先日、五歳になったばかりのレティシアから、どうして自分には父親がいないのかと聞かれたばかりだ。
一人で娘を産んでから一度も聞かれたことがなかった問いだったから、ドロテはうまく答えられなくて戸惑ってしまった。
その姿を見たレティシアは、すぐに無邪気な顔になると「パパがいなくても、ママが一緒なら幸せだよ」と嬉しいことを言ってくれた。
でも、娘もまだ五歳。
内心、父親を恋しく思っていてもおかしくはない。
(……ううん、一人で産んだときに決めたじゃない。私が、あの人の分までレティを幸せにするって!)
しんみりしてばかりもいられない。
ドロテは改めて決意をすると、レティシアの手を握り返した。
家に帰ると、ドロテはまず机の上で丸くなって寝ている黒猫に声をかけた。
「ただいま、クロ」
「ママ、はやくはやく!」
クロがしっぽをふらっと振って挨拶を返してくれるが、それよりも早くレティシアに掴まった。
「今日は、約束の日でしょ?」
「約束?」
少しとぼけてみる。
レティシアの頬がぷくぅとかわいらしく膨らんだ。
「忘れたの?」
「ううん。覚えてるわよ。だから、早く夕飯にしちゃいましょう」
ドロテはさっそく夕飯の準備に取り掛かった。
今日は簡単に野菜スープを作る予定だ。
村にいたときに、母から家事や料理、薬草の調合までいろいろと仕込まれている。
村を飛び出して五年ほど経っているけれど、その時の経験がいまの生活に活かされていた。
「ごちそうさま! ママ、はやくはやく」
あっという間にスープを平らげたレティシアが、さらにドロテを急かしてくる。
ドロテは慌てながらも最後の一滴を飲み干すと、お皿を片付けた。
それからまだ急かしてくるレティシアに引っ張られるようにして、家の地下に降りて行く。そのことに気づいたクロが後ろからトコトコとついてくる。
現在、ドロテが暮らしているのは、首都から離れたところにある町だった。
その町はずれの森の近くに、ドロテは家を借りている。
本当は村を出てからは各地を転々とする予定だったのだが、途中で妊娠していることに気づいたのだ。
村に戻ることも考えたけれど、子供の事情を話そうとしても両親は旅に出たまま帰ってきていない。おそらくもう数年は帰ってこないだろう。
村人たちにも本当のことは話せないし、何よりも後ろめたい思いがあった。
だから、妊娠が判明した時にたまたま訪れていたこの町で、暮らすことにしたのだ。
この家を選んだのは、地下があったからだ。
採った薬草や薬を保管しておくのにも最適だし、何よりも魔術を使う際に周囲に気を配らなくてもいいのが好都合だ。
ドロテは魔女だ。
母が魔女で、ドロテもその血を引いている。
大昔、魔女は迫害されていた歴史があった。その頃の魔女は、人間にばれないように人里離れたところで身を隠しながら暮らしていた。
魔女には不思議な力があって、ちょっとした魔術を使うことはもちろん、薬草などにも精通している。魔女の作った薬は万能薬にもなるという触れ込みは少々大げさだけれど、それらの力を大昔の人は恐れたのだ。
だが、その悪い歴史も淘汰されてから数百年が経っている。
いまでは、すっかり人間と魔女は共存するのが当たり前になっているけれど、多くの魔女は人気のないところを好んだ。
魔術を使うのには集中力がいる。
ドロテの母は父と結婚してからは村の中で生活していたけれど、それは魔女の中でも珍しいことだった。
地下に降りると、魔術書を開いたレティシアが、よいしょよいしょと言いながら床に魔法陣を書きはじめた。
まだ書き慣れていないのがまるわかりで、ドロテは昔の自分を思い出して初々しさを感じていた。
何事も慣れだ。
少しずつの積み重ねが、自分の糧になる。
「ママ、書けたよ!」
「どれどれ?」
クロと一緒に魔法陣を確認するが、特におかしなところはなかった。
「どう?」
「すごいわ、レティ」
「これで、今日は召喚してもいいよね?」
「もちろんよ」
これからレティシアが行おうとしているのは、使い魔の召喚だ。
使い魔は、魔術のサポートをしてくれる存在で、特に幼いころは魔術の事故などを防ぐためにも必要になる。
ドロテの使い魔は黒猫のクロだ。
ほとんどの魔女は魔法生物を使い魔にすることが多い。中には悪魔とか天使とかそのほかの存在もいるらしいけれど、それらは制御するのが困難だと言われている。
ドロテの使い魔クロは、魔法陣にはもう興味をなくしたのか、隣で毛づくろいを始めてしまった。
「レティ、使い魔はもう決めた?」
「うん。ママと同じ、黒猫がいいの」
猫は使い魔の定番で、特に魔女にはなぜか黒猫が人気だった。
「そう。じゃあ、よく念じるのよ。使い魔の召喚は、自分が強く望むものが召喚されるのだから」
「うん。……くろねこくろねこ……」
「ふふ、声には出さなくてもいいのよ」
レティシアはギュッと目を閉じると、小さな口で呪文を唱えていく。
それを、ドロテはクロと共に魔法陣の外で見守った。
使い魔の召喚は初歩の魔術だけれど、稀に失敗することもある。
魔法陣を書き間違えていたりだとか、本人の想像力が追いついていなかったりだとか。
(でも、レティなら大丈夫だわ)
自分の娘だからというわけではない。
魔女のドロテから見ても、レティシアの能力はずば抜けている。
そんな才能に満ちあふれた娘が、使い魔の召喚を失敗するとは思えなかった。
魔法陣が輝きを放ち始める。
ひときわ輝きが強くなったかと思うと、隣でクロが威嚇するような唸り声を上げた。
普段は暇さえあれば退屈そうにどこでも寝ているクロが、ここまであからさまに警戒心を露わにするのは珍しい。
「ママ、使い魔を召喚できたよ――ッ、て、使い魔どこに行くの!? ママ!」
クロの様子を見ていたドロテは、反応が遅れてしまった。
娘の叫び声に慌てて視線を戻したときには、目の前に壁のようなものが迫っていた。
(何が起こってるの――!)
ドロテの体を大きなものが包み込んだ。
少し遅れて、何かに抱擁されていることに気づいた。
「ああ、ドロテ、会いたかった!」
耳になじむ温かい声。
まさかそんなはずがないと思いながらも、ドロテは震える口を開く。
「……え、エタン?」
「ああ、俺だよ、ドロテ。まさか再会できるなんて、夢のようだ!」




