第1話 一夜限りの夢なのであれば
王都の外れにある小さな村に、慶事が舞い降りたのは春先のことだった。
お祝いに村は活気づき、夜深くまで飲めや歌えやのお祭り騒ぎになった。
その宴の中心に、彼――エタンがいた。
輝くような金髪に春先に芽吹く若々しい葉のような瞳の、まだ若い青年だ。
大人になったエタンが口を開くと、耳に残る温かい音が感じられる。
それが心地よくて、魔女のドロテはよくエタンとの会話を楽しんでいた。
幼いころは口喧嘩ばかりしていたけれど、お互いに成長してからはカッとなったりしないで、向かい合って話せるようになった。
でも、今日はとてもじゃないけれど、エタンと顔を合わせる気にはなれなかった。
「……約束が違うじゃない」
エタンは確かに、絶対に村に帰ってくると言っていた。
実際に、剣術学校に通っていた時も、騎士になってから数年間も、月に一度や二度は村に帰ってきた。
帰ってくるたびにドロテのところに来ては、お土産やら王都での話やらを聞かせてくれて、それが楽しかったのに。
エタンが持ち帰ってきた慶事は、ドロテの心を躍らせるどころか、ちくりとした痛みを残すだけだった。
甘い酒を一口飲むと、ドロテはグラスを置いて騒ぎの外に出た。
村人たちが騒ぐ中心にいるエタンと視線が合ったような気がしたけれど、きっと気のせいだ。
ドロテの気なんて知らないで、馬鹿みたいにはしゃいでいるはずだ。
「俺、王女様の護衛騎士に選ばれたんだ」
一か月ぶりに村に帰ってきたエタンの口からそんなことを告げられたのは、いまから数刻前。
エタンはその喜びを、真っ先にドロテに伝えに来てくれたらしいが、その言葉を聞いたドロテの胸はなぜか痛んだ。
「おめでとう」
息苦しさを感じながらも、お祝いの言葉を伝える。
エタンは、ありがとうと嬉しそうに笑った。
「これからは、あまり村には帰ってこられないかもしれない。――でも、約束は守るからな」
剣術学校を卒業して騎士になったエタンは、「必ず村に帰ってくる」と約束した。村に帰ってきたらやりたいことがあるからと。
きっとそのことを言っているのだろうが、これから会う回数が少なくなるのがドロテは不満だった。
でも子供の頃みたいに素直な表情は見せない。
ドロテは、エタンが剣を振っている姿が好きだった。
エタンが騎士という夢を追いかけているのなら、それを応援してあげたい。
相反する思いを抱えながらも、ドロテはエタンを祝うために村中に彼の慶事を広めた。
そして開かれた宴だったのに。
「――はぁああぁ」
自宅に帰ったドロテは机に伏せると、盛大なため息を吐いた。
(王女様の護衛かぁ)
王族の護衛に就くのは、平民の騎士にとってまたとない出世だ。
剣術の腕が認められた誉れでもある。
――でも、よりにもよってあの王女だなんて。
王女は平民の間でも話題になるほど、絶世の美女だと聞いたことがある。
王女のそばにいたら、エタンはきっと彼女に夢中になるはずだ。
そうしたら村のことなんて忘れて、一生戻ってこないかもしれない。
「帰ってくるとは言っていたけどさぁ」
ぼやく声は静かな室内に吸い込まれるようにして消えていく。
伏せっていた顔を少し持ち上げる。カランという音がした。
机の上にあった瓶が倒れた音だ。
片手で包み込めるほど小さい瓶の中には、紫色の液体が入っている。
これは数日前に村の娘から依頼された薬なのだが、今朝になってやっぱりいらないと返されたのだ。
新しく材料を集めて作った薬だったから代金はもらったけれど、病や傷に効く薬ではないから使い道に困っていたところだ。使用期限も一週間ほどで切れてしまうし。
(こんな薬、だれも欲しがらないよねぇ)
手持ち無沙汰に、指先で瓶を左右にゆらゆら揺らす。
中の液体がゆったりとした波を作るのを眺めていると、自宅兼店の入り口でリリンと来客を告げる鈴が鳴った。
「今日はもう閉店ですよー。夜だし、宴だし。そもそも閉店のプレート見えないんですかー?」
入り口を見ないで声をかけると、「ドロテ」と耳馴染んだ声が聞こえた。
大慌てで体を起こす。
「エタン。あなたが抜けだしたら駄目じゃない」
今日の祝宴の主役は、ドロテと視線が合うとなぜか盛大にため息を吐いた。
「宴会を唆した張本人が何を言ってるんだか」
「私は十分祝ったから、今日はもう休憩しようかと思って」
嘘だ。本当は、自分で宴会を開くように村人たちに掛け合ったくせに、疎外感を感じていただけ。
お祝いムードのなか、ドロテだけはそんな気分になれなかった。
「なら、俺も休憩だ」
エタンがドロテの前の席に腰かける。
ドロテの自宅兼店は、村の中にある一見するとなんの変哲もない木造の建物だ。もともと両親と一緒に暮らしていたのだが、ドロテが成人すると二人はこれ幸いと旅に出てしまったのだ。
一階部分は店になっていて、そこに椅子や机が一組並べられている。
入ってきた客と取引や対話をするためのスペースでもある。
その机に、ドロテは伏せっていた。
「なあ、なんでそんなに不満そうなんだ」
「そんなんじゃないわよ」
「怒ってるよな。俺が帰ってきてから」
言葉に詰まる。
室内が静かになったかと思うと、おもむろにエタンが口を開いた。
「なあ、昔の約束を覚えているか?」
「……うん」
「たとえ俺が王女の護衛騎士になったとしても、それだけは絶対に守るからな」
「わかってるわよー」
村に帰ってくるという約束に、どうしてそこまで執着するのか。
エタンの真剣な若草色の瞳と見つめ合っていると、なぜかむずがゆくなってきて視線を逸らす。
「ところでそれは何だ」
ドロテの前にあった小瓶にエタンは興味を示した。
「これは……疲れを取る薬よ」
本当のことは言えないので、適当にごまかす。
「そうか。ドロテの瞳と同じ色で、綺麗だな」
「うっ……」
エタンはたまに真面目な顔でくさいセリフを言う。
そんなことを言われると、勘違いしてしまうというのに。
エタンは誰もが一瞬は目が奪われるほどの美丈夫だ。
金色の髪は汗に濡れてもべたつくことなくさらさらとしていて、若草色の瞳は優しげに見える。唇を開けば憎まれ口ばかりだったりするのに。
昔はもっと細くて頼りない感じだったけれど、いまでは逞しい筋肉のついた均整のとれた体格をしている。
対してドロテは地味だ。
長い黒髪に、基本的に薬草取り以外で外に出ないから肌も亡霊のように白い。子供のころは部屋にこもって魔術書を読んだり調薬の練習をしたりしていたから、エタン以外の子供たちからは気味悪がられていた。
大人になってさらに魅力が増したエタンは、村の女性からも人気だ。首都でもよく女性から声をかけられるのがめんどくさいのだと、話していたこともある。
そんなエタンが、ドロテみたいな地味な女に本気になるわけがない。
「喉乾いたな」
「もう、仕方ないわね。水でいいわよね」
「いや、俺はこれでいいや」
立ち上がるドロテと、瓶に手を伸ばすエタンの動作は同じだった。
あっと気づいた時には、エタンは瓶の中身を飲み干していた。
「あ、あ、ああ~~!!」
ドロテはこれでもかと叫ぶ。
「飲んだわね。いますぐ吐くのよ!」
「なんだよ。疲れを取る薬なんだろ? 別にいいじゃないか」
「駄目よ、それだけはっ」
「勝手に飲んだのは悪かったよ。代金も払うし」
「違うのよ、その薬だけは駄目なの!」
「だって、おまえの瞳に似ていて、なぜか妙に惹かれて……。あれ、そういえばどうして俺は、突然飲みたいと思ったんだ?」
飲んだ本人ですら混乱している。瓶の栓が緩んでいたのかもしれない。
エタンはきっと薬の香りにあてられたのだ。
「……なあ、なんだか妙に体が熱くなってくるんだけど。これ、疲れを取る薬だよな?」
「……い、いま解毒剤を用意するわ」
「え、俺、毒を飲んだの?」
薬のせいで体温が上がっているのか、エタンがシャツの上のボタンをはずした。第二ボタン、第三ボタンと外し始めると、胸の筋肉が露わになり、ドロテは気合で視線を逸らす。
なるべくエタンとは距離を取るようにして、ドロテはカウンターの中に入り薬の材料が並んでいる棚を見渡した。
あの薬は強力なものだ。
一度飲んでしまえば、一日は効果が続く。
でも、どんな薬にも、効果を打ち消すものが存在する。
依頼人にはいらないと言われたのと、特殊な薬なのでどうせ必要ないと思って用意していなかった過去の自分を呪いたい。
背伸びをして一番上の棚にある瓶を取ろうとしたとき、背後に気配があった。
薄暗い室内にあるランプが、ドロテよりも一回り大きい影を作り出す。
瓶を取ろうとしていたドロテの腕を掴むと、心地いい声が耳のそばで聞こえた。
「なあ、ドロテ。どうして俺から逃げようとしたんだ」
「――わ、私がいつ逃げたというのよ。ずっと村にいるのに」
「さっき俺と目が合った瞬間に、逃げただろ?」
あの時、視線が合ったと思ったのは勘違いではなかったようだ。
なぜか首元に温かい吐息を感じる。
エタンに掴まれていた腕からはもうすでに力が抜けていて、ドロテは突然の抱擁と温もりに動揺していた。
「ドロテ、どうして俺のことが嫌いなんだ」
「嫌いじゃないわよ、むしろ……」
薬にうなされているのはエタンのはずなのに、雰囲気に飲まれてドロテは素直な気持ちを口にしていた。
「……ずっと好きだったんだから」
囁くような声だ。エタンに届いたのかはわからない。
でも、彼の抱擁は緩むことなく、ドロテを包み込んでいる。
「俺も、好きだ。ドロテ。ずっとずっと、好きだったんだ。愛している」
薬を作ったのはドロテだ。その効果は自分が一番よく知っている。
これはあくまでもエタンが熱にうなされているだけ。
高揚を、恋だとか愛だとかと勘違いしているだけ。
あの薬は、強制的に目の前にいる人に惹かれる『惚れ薬』なのだから。
だけど、もしこれが一夜限りの夢なのであれば。
薬を飲んでいないはずのドロテ自身も熱に浮かされてしまったように、そっと彼に身を委ねてしまったのだった。




