表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【完結】魔素の聖女と観測者  作者: 遠野 周
第6章 祈りの果て

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

50/56

第4節 城壁の外

中央国家への道は、険しかった。


いつもなら、二週間もあれば辿り着く距離だ。

だが——今回は違った。


首都に近づくにつれ、魔獣の痕跡が増えていった。

焼け落ちた家屋。

踏み荒らされた畑。

乾いた血の匂い。


駅馬車は、もう首都へは向かわない。


それでも途中までは、

商隊の馬車に、医者の端くれとして同乗させてもらえた。


首都まで、あと三日ほどという地点で、

商人の家族たちが合流した。


そこで、同行は終わりだと言われた。


「首都は、もう終わりだ」


吐き捨てるような声だった。


「魔獣が街に入り込んでる。

教会も、王宮も——

もう、機能してない」


別の者が、低く頷く。


「兵もいるにはいるが、

追い払うだけで精一杯だ。

……それも、いつまで保つか」


「教皇様も、消えた」


その言葉だけは、

誰も続けなかった。


セーレンは、黙って聞いていた。


「ここから先は、行かない」


商隊の長が言った。


「あんた、本当に行くのか?」


「ええ」


短く答える。


商隊の長は、荷の底から短槍を一本取り出した。


「魔獣相手に、役に立つかは分からん」


そう言いながら、柄を差し出す。


刃は欠けている。


何度も研ぎ直された痕があった。


「それでも、素手よりはマシだ」


セーレンは受け取った。


重みを確かめる。


(生き延びろ、ということか)


長は、少しだけ目を伏せた。


「……気をつけろ」


それだけ言って、

商隊は向きを変えた。


逃げる馬車はあっても、

向かう馬車は、もうなかった。


セーレンは、徒歩で進むことにした。


---


やがて、城壁が見えた。


高く、灰色の石で築かれた壁。

その向こうに、かつて何度も訪れた街がある。


四年間、暮らした街。

研究に没頭した街。


セーレンは、足を止めた。


(……着いた)


だが——


城門は、固く閉ざされていた。


門番もいない。

声もない。


重厚な木の扉が、

世界そのものを遮断するように、

沈黙している。


叩く。


鈍い音が、虚しく返るだけだった。


応答は、ない。


セーレンは、城壁沿いに歩き始めた。


小さな門でも、

崩れた箇所でも——

どこかに、入口があるはずだ。


何時間か歩いた。

誰一人とも出会わない。


中に入るまでも時間がかかりそうだ。


セーレンは、途中で見かけた石造りの小屋を利用することにした。


荷物を置き、

灰色の外套を脱ぐ。

生成の服はこの旅で草臥れていた。

少し汗が滲む。

しばらくは、外套は要らないだろう。


周囲にはまだ人の手が入らない土地が残っていた。


初夏の草。


痩せてはいるが、食べられるものも多い。


セーレンは膝をつき、葉を摘む。


——中央国家で覚えた知識。

——ヒンメルランドで身についた感覚。


両方が、今は役に立っていた。


小動物用の簡単な罠を仕掛けた。


派手な狩りではない。


ただ、夜を越えるための手段だ。


翌朝、罠にかかっていたのは、小さな兎だった。


「……すまない」


呟いてから、きちんと処理をする。


命を無駄にしない。

それが、医者の家に生まれた者の癖だった。


次の日も、その次の日も、

セーレンは城壁の周りを歩き回った。


上下水道から入れないかとも考えたが、

飛び散った血と手の中の槍を見比べ

考え直した。


夜になると、遠くで吠え声が聞こえた。

一晩ごとに、近づいてくる。

城壁の外に、人がいない理由が、

少しずつ、理解できてきた。


城門を叩く気も起きなくなっていた。

応えない扉に、意味はない。

(……中は、もう)

考えないようにして、

セーレンは火を起こした。


そのときだった。


丘の上から、

魔獣の臭いが流れてきた。


そして——咆哮。


セーレンは、息を詰める。


丘の上に、影が見えた。


小さな影。


その周囲を、

魔獣が取り囲んでいる。


(……子供?)


走り出した。


---


丘の上に辿り着いた瞬間、

セーレンは、立ち尽くした。


少女が、そこにいた。


金茶の髪。

小さな体。


魔獣は——

襲っていない。


触れようともせず、

ただ、避けるように通り過ぎていく。


まるで、

そこに「触れてはいけない境界」があるかのように。


魔獣の定義が、

頭の中で、音を立てて崩れていく。


(……ありえない)


魔獣は、人を襲う。

それが、この世界の常識だ。


なのに——


少女は、怯えていなかった。


困ったように、

少しだけ眉を下げて、

魔獣を眺めている。


セーレンが一歩踏み出すと、

魔獣がこちらを向いた。


槍を握りしめる。

火を灯す祈りの言葉を口にする。


魔獣とセーレンの間の枯れ草が

勢いよく燃え始めた。


赤い目。

剥き出しの敵意。


だが——


少女が、軽く手を上げた。


それだけで、

魔獣は動きを止めた。


そして、

二人を避けるように、去っていった。


(……聖女?)


その言葉が、

意識の底から浮かび上がる。


「……もしかして」


声が、わずかに震えた。


「聖女様、ですか?」


少女は、即座に首を振った。


「ちがうよ」


あっさりと。


「聖女じゃない。

今は——ただの人間!」


その言い方が、

なぜか引っかかった。


「あなたは?」


少女が、屈託なく覗き込んでくる。


「……科学者です」


答えながら、

セーレン自身が、その言葉の輪郭を確かめていた。


「科学者! すごいね!」


子供らしい反応。


「ねえ」


少女が城壁のほうを指す。


「おじちゃんも、あそこに行きたいの?」


頷く。


「私も。

道は見つけたんだけど——

扉が閉まってて」


今度は、城壁から少し離れた小屋を指した。

セーレンが寝泊まりしているのとは、また別の小屋。


「たぶん、

科学者のおじちゃんなら、開けられると思って」


「……え?」


根拠は、ない。

だが、疑いもない。


「はい、決まり!」


少女は、楽しそうに歩き出した。


セーレンは、頭を抱えた。


(……何が、起きている)


振り返った少女が言う。


「来ないの?」


その声は、

あまりにも無邪気だった。


セーレンは、息を吐いた。


「……行きます」


重い足取りで、

その後を追う。


草を踏む音は軽く、

彼の足音だけが、やけに重かった。


わからないことが溢れている。

でも輪郭が掴めない。

何を聞けばよいのか。


この子に「君は何者なんだ」と聞いても、

困った顔をされるだけだろう。


僕だって、

自分が何者なのかと問われたら、

答えに詰まる。


残るのは、名乗りだけだ。


その名乗りすら、

2人しかいないこの場所じゃ何の意味も持たない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ