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魔素の聖女と観測者  作者: 遠野 周
第3章 白衣の楽園

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第7節 異端者の谷

 春の陽はまだ低く、風の端に冬の名残が残っていた。

 聖都から馬車で三刻ほど揺られ、セーレンたち第七局は帝国軍が制圧した区画へ向かっていた。


 目的地は「異端者の谷」。

 かつて白衣会の“信仰派”が潜伏し、帝国にとって最も危険な思想とされた男たちが住んでいた場所だ。


 だが今回の任務は、討伐ではない。


 兵の後始末の“最終確認”。

 研究器具が残っていないか

 魔素汚染が起きていないか

 観測値の乱れや異常反応がないか


「“科学者だけが気づけること”があるから、最後に回ってきたわけだな」


 トーマは御者席で伸びをしながら、春の空を見上げた。


 道の傍らには、巡礼者の列が続いていた。

 白い外套に祈祷札。老人、若夫婦、幼い子まで、口々に祈りの文句を唱えている。


 丘の上の聖堂には、まだ小さく燈が揺れていた。


「おい、あれ見ろよ」


 トーマが指差した先——。


 道端で、子どもたちが石を並べていた。


「旅人さん、幸運の石だよ!

 聖女様の涙が落ちた石なんだ!」


 少し手前の河原で子どもたちが拾っていた石だ。


 だが、巡礼者たちは微笑み、数枚の硬貨を置いていく。


(……祈りって、こういうところにも宿るのか)


 父が祈った背中。

 レイナが聖堂で祈った姿。

 白衣会の研究の片隅で見た、礼拝する人々。

 それらがいっせいに胸に蘇る。


 五十年前、最後の聖女が死んだ。

 奇跡はずっと沈黙したままだ。


 それでも——

 人は祈り続ける。


(どうして、こんなに真剣に祈れるんだろう)


 その呟きは、馬車の揺れにまぎれて消えた。


「よく考えろよセーレン。

 祈りってのは、“起きるから祈る”んじゃなくて、“祈りたいから祈る”んだ」


 トーマは靴先で馬車の縁を軽く蹴りながら言った。


「祈りたいから?」


「そう。“祈ってる自分”を信じてんだよ、あいつらは。

 神の姿は見えなくても、祈る行為だけは裏切らないからな。」


 セーレンは静かに頷いた。


「でも僕は……神を疑ってはいないよ。」


 トーマは少し驚いた顔をする。


「へえ、意外。おまえはもっと科学寄りかと思った」


「疑えないというか……神は“いる”と思ってる。

 ただ、祈りの形が分からないだけだ」


「形なんて国ごとに変わるぞ。

 帝国が異端と言う研究でも、中央国家じゃ普通にやってる」


「……矛盾してる」


「宗教国家なんてそんなもんだよ。

 “神の意志”って一言で、ほんとなんでも正統にも異端にもできる。」


 セーレンは馬車の窓辺から外を見た。

 巡礼者の列が遠ざかるにつれ、胸に小さなざわめきが残る。


(境界ひとつで、研究が異端にも正統にも変わる……

 科学者はどこまで自由なんだろう)


 谷が近づくにつれ、風は冷たく荒れた。


 かつて住民がいた村は、今では荒野だった。

 焼け焦げた家屋。落ちた屋根。砕けた窓。

 風が通るたび、炭の匂いが舞い上がる。


「……なんか、寒気すんな」


 トーマがつぶやく。


「ここでは、白衣会信仰派が“奇跡の再現”を試みていたらしいです」

 アデルが低い声で言う。


「それで帝国に見つかって、殲滅されたわけか」


「信仰と科学の境界を越えた、とされたんです」


 アデルの目は、どこか哀しげにも見えた。


 マルクは装置の残骸から金属片を拾い上げる。


「……初期型の魔素浄化機か。

 でも破壊のされ方がひどいな。軍が徹底的に壊したんだ」


「まあ当然だな」


 トーマが吐き捨てるように言う。


「“神の意志を奪う研究”なんて噂まであった場所だ。

 兵はこんな装置の意味なんて考えもしない。

 壊すのが仕事で、理解するのが俺たち科学者だ」


 セーレンは焼け跡の灰を踏みしめながら、ふと足を止めた。


 土の中に、小さく光る金属片が埋もれている。


(……これは)


 それは白衣会の“印章”。

 特定の魔素で開封する機密文書の鍵。


 魔素脈の繋ぎ方——

 細工の規則性——


(師匠……この方式、懐かしい)


 胸の奥がざわつく。

 手が勝手に、その印を握りしめた。


「どうした、セーレン?」


「……ただの金属片。大したものじゃないよ」


 そう言いながら、離さなかった。


 日が暮れ始めた頃、一行は山宿へ着いた。


 食堂で簡単な夕食を済ませ、

 マルクは装置の記録をまとめ、

 アデルは宿の管理人に資料の扱いを聞きに行き、

 トーマは浴場に姿を消した。


 部屋へ戻り、セーレンは静かにランプを灯す。


 鞄の奥から、さきほど拾った印章を取り出す。

 掌に乗ったそれは、機械ではなく、生き物のように冷たかった。


(提出すべきだ。でも……)


 開け方を知っているのは自分だけ。


 白衣会に伝わる“魔素脈の鍵”。

 師——ヨアヒムが、かつて教えてくれた技法。


 セーレンは指先に魔素を集め、ゆっくりと溝へ流し込む。


 かすかに光が走り、金属が静かに解錠した。


 折り畳まれていた紙の束が、ぱたりと広がる。


 紙の縁は焼け焦げ、墨はまだらに滲んでいた。


(記録書類……?)


 読み始めた瞬間、目が止まる。


 〈液体魔素試薬:ヨアヒム・エルンストの試製案に基づく〉


「……ッ」


 胸が強く締め付けられた。


(使われたんだ……師の理論が。

 あの人が破棄したはずの、未完成の理論が)


 ページをめくる指が震える。


 資料は960年、六年前の日付を指していた。

 ヨアヒムが失踪した翌年だ。


 〈聖女候補への投与手順〉

 〈結果:適合値上昇後——死亡〉

 〈成功例:なし〉


 紙面に踊る言葉は、祈りでも理論でもなかった。

 あるのは、狂気に近い執念だけ。


(これは……僕の知らない白衣会だ)


 心臓が速く打つ。

 呼吸が浅くなる。


 炎が揺れ、影が壁で歪む。


(師匠は、これを望んでいない……絶対に)


 だが、文字は無慈悲にその名を刻んでいた。


 〈ヨアヒムの試製案より抽出〉

 〈液体魔素の安定化処理——欠損部分は推定補完〉


「……補完?」


 セーレンの目が細くなる。


(欠損部分。つまり、師が“抜いた”部分……

 それを勝手に埋めた? 誰が? どうやって?)


 紙は、何も答えなかった。


 ただ——

 静かに、自分の罪を並べるだけだ。


 セーレンは資料を胸元に抱え、深く息を吸い込んだ。


(知らなきゃいけない。

 ここに何があったのか。

 師の“どこまで”が利用されたのか。

 ——僕が、知るしかない)


 震えながらも、瞳は静かだった。


 ランプの炎が小さく揺れ、

 風が窓を叩く。


 そして、セーレンは——

 “禁忌の文書”の最初の頁を、ゆっくりと開いた。


 運命の歯車が、静かに廻り始めたのを、

 まだ誰も知らなかった。


 文字そのものは淡々としている。


 心臓がどくりと脈打つ。

 紙を押さえる指先が白くなる。


 彼は、自分が書いた聖女候補たちの感受性に関する報告書を思い出していた。


 反応速度の計測。

 発動予兆の誤差。


 あの研究の一部で、レイナが“特異点”と扱われた。

 優れた感受性を持つとされ、注目された少女。


(まさか……彼女が?)


 胸が冷たくなる。

 今、目の前にある文書にレイナの名はまだない。

 それでも、記録に残らなかった“別の誰か”の影が、ぼんやりと揺れて見える。


 ページをまためくる。


 〈魔素保持時間の延長試験〉

 〈補完:感受性の高い個体における成功率上昇の仮説〉


(補完……?)


 セーレンは眉を寄せた。


(僕の理論……そんな仮説、書いてない。

 僕の研究は“観測”であって、強化ではない)


 紙面には“完成したはずのない理論”が整然と並んでいた。


 ――いや、これは理論ではない。

 理論の“形をしているだけの祈り”だ。


 感情の熱が混ざり、目的のために数値が都合よく並べ直されている。

 その歪みは、セーレンの目には“音の狂った計器”に見えた。


(これは……科学じゃない)


 無意識に声が漏れた。


(誰がやった?

 白衣会の信仰派?

 帝国の外に逃げた“正統”とされた連中?

 “ヨアヒムの名”を利用するために補完した?)


 理由はどれでもよかった。

 どれであっても、絶望的に“間違っている”。


 そのとき——


 宿の廊下で足音がした。

 トーマが戻ってきたらしい。


 セーレンは反射的にランプの明かりを手で遮った。

 紙を胸元に引き寄せ、布の袋に滑り込ませる。


 ドアが軽く叩かれた。


「セーレン? 起きてんのか?」


 トーマの声。

 その声は、こんな夜気の中でもやけに体温が高い。


「……起きてるよ」


「入っていいか?」


「ちょっと待って」


 セーレンは袋を鞄の底へ押し込み、鍵を閉じた。

 深呼吸して、顔を整える。


「どうぞ」


 扉がゆっくり開き、トーマが肩にタオルをかけて入ってきた。


「おまえ、部屋暗くねぇ? もう寝るのかと思ったわ」


「……少し考え事をしてた」


「またか。おまえの“考え事”は危険だぞ。

 一晩で世界三つくらい作り替えられそうだし」


 冗談めかして笑うトーマ。

 その調子が、逆に胸に刺さった。


 セーレンは視線を落とし、手元のペンを指でいじった。


「……トーマ」


「ん?」


「もし……もしだよ」


「おう」


「人が、“理”を装って祈ったら、どうなると思う?」


 トーマは一瞬だけ目を瞬いた。

 だがすぐに笑って、壁にもたれかかる。


「なんかわかんねぇけど……

 たぶん、祈りは祈りだよ」


「理じゃないのに?」


「逆に言えば、“理を使って祈る”やつだっているさ。

 形がどうとかは関係ない。

 祈りってのは、方向の問題だ」


「方向……」


「“誰かを救いたいか”“何かを願いたいか”ってことだよ」


 その言葉に、胸がひりついた。


(救いたい。

 けれど、その願いが……

 こんなものを生むこともあるんだ)


 白衣会の文書にあった“祈り”は、確かに願いだった。

 だが、それは“救うための願い”ではなく——

 “手段を問わない願い”だった。


 セーレンは、喉が乾くのを感じた。


「……そっか」


 それしか言えなかった。


 トーマは大きく欠伸をし、背を伸ばした。


「まあ、あんま溜め込むなよ。

 おまえは、考えすぎると頭の中で別の宇宙作り始めるからな。

 特に夜は危険だ。眠れなくなる」


 セーレンは苦笑する。


(ほんとうは……溜め込むしかないんだ)


 袋の底に押し込んだ羊皮紙が、そこにあるだけで胸を重くする。


(この文書に、触れさせるわけにはいかない。

 トーマにも、マルクにも、アデルにも)


 彼らを巻き込めば、道を踏み外す。


 だから——

 自分ひとりで抱えるしかない。


 トーマは部屋を出る直前、振り返った。


「なあセーレン。

 明日は気を張るなよ。

 何かあったら、俺に言え」


 セーレンは、ほんの一瞬だけ迷って——


「……ああ」


 とだけ答えた。


 扉が閉まる。


 静かな宿の部屋。

 ランプの小さな灯だけが揺れている。


 セーレンは鞄に手を伸ばし、袋を再び抱えた。


(六年前に何があったのか。

 知らなきゃいけない……

 でも、知りたくない)


 胸の奥で、ふたつの想いがせめぎ合う。


 ランプの炎が揺れるたび、

 紙の影が壁に波のように広がった。


(——明日、続きを読む)


 決意とも、諦めともつかない声が、

 静かな部屋に吸い込まれていった。


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