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魔素の聖女と観測者  作者: 遠野 周
第3章 白衣の楽園

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第4節 日常の光

 朝の研究棟は、冬の名残を残したまま柔らかく光っていた。

 窓の外では小雨がやみ、濡れた石畳に魔素灯の青が反射している。

 トーマの笑い声が響くたび、空気がゆるんだ。

 アデルが眉をひそめ、マルクが慌てて計器を持ち直す。

 その騒がしさを、セーレンは穏やかに見ていた。


 ——一年が過ぎた。

 気づけばこの輪の中に、自分も当たり前のように立っている。

 以前の自分なら、想像もできなかった。

 人と冗談を交わすことが、こんなにも“温度”を持つものだとは。


 「おいセーレン、今の聞いてたか? アデルが主任の真似して——」

 「してない!」

 アデルが眉を吊り上げる。

 「“静かに!実験は神聖な時間だ!”って顔してただろ」

 「そのセリフ、そっくりそのまま返すわ」

 笑いが起こる。マルクが吹き出して器具を落とし、セーレンが拾う。


 自然に笑えた。

 けれど心のどこかで、冷静な声が囁く。

 ——彼らは、トーマのように振る舞う僕が“居やすい”と思っているんだ。

 “僕自身”が好ましいわけじゃない。

 それでも、胸の奥が少し温かい。

 矛盾しているのに、不快ではなかった。


 昼休み。

 食堂では、科学班特有の金属臭とスープの匂いが混じっていた。

 トーマがパンをちぎりながら話を振る。

 「なあ、あの中央国家の発表、見たか? 魔素伝導管の新理論」

 「見た。けど誤差が大きい。試験環境が違いすぎる」

 セーレンが言うと、マルクが感心したように目を丸くした。

 「セーレンさん、どうしてそんなすぐ気づくんです?」

 「構造を見てるだけです」

 「またそれ! 理屈の人間!」

 トーマがからかう。

 「でも、その理屈の人間がいなきゃ俺たち全員爆発してるぞ」

 アデルが笑った。

 「理屈の中に、ちょっとだけ情がある。だから彼の式は“動く”のよ」


 セーレンは一瞬、息を止めた。

 “理の中の情”。——それは、かつて誰かが言った言葉に似ていた。

 アデルは軽く笑ってスープをかき混ぜる。

 その目の奥に、わずかに“見抜く光”があった。

 (この人は……気づいてるのかもしれない)


 午後、装置調整中。

 ふと背後で声がした。

 「おい、エルンスト。お前、あの“白衣会のヨアヒム”の甥だろ?」

 主任より上の年配研究員。

 その声には、探るよりも侮蔑の色があった。

 「まさかあの血筋の奴が、帝国に戻ってくるとはな。

  ……理屈だけで生きてると、ああなるんだぞ。」


 空気がぴたりと止まる。

 トーマがいたら、きっと軽口で流しただろう。

 (そうだ、あの人なら——)

 脳裏に、トーマの明るい声が再生される。


 “できると言っても、していいとは限らねぇ。でも、

  してもいないのに責めるのは、もっとダサい。”


 セーレンは静かに振り向いた。

 「僕が理屈だけで生きているかは、まだ検証中です。

  でも、もし結果が出たら、ぜひ論文にして一緒に批評してくれますか?」


 相手は言葉を失った。

 周囲から、かすかな笑い。

 アデルが横目で小さく頷いた。

 トーマならもっと冗談めかしてやっただろう——

 けれど今の自分には、これが精一杯の“軽やかさ”だった。


 夕方、窓の外に薄い虹がかかった。

 マルクが写真を撮りながら言う。

 「やっぱり、ここで働けてよかったな。

  この班、なんか……あったかいです。」

 トーマが笑う。

 「そりゃあおまえ、セーレンがちゃんと喋るようになったからだよ」

 「そんなことありません」

 「あるって。最初、氷像みたいだったぞ」

 「氷像?」

 「いや、氷像のほうがもう少し愛想あるかもな」


 笑いが重なる。

 セーレンは小さく息をついた。

 ——こんなふうに笑うのは、いつぶりだろう。

 それでも、自分が誰かの真似をしている感覚は消えなかった。

 けれど、その“演技”の中にも確かに自分の声が混じっている気がした。


 夜。

 寮の灯が落ちたあと、机の上のノートを開く。

 今日の実験結果と、トーマの言葉を記す。

 「してもいないのに責めるのは、もっとダサい」

 文字にしてみると、少しだけ笑えてくる。

 トーマの言葉には、理屈じゃない重さがある。


 ノックの音。

 ドアを開けると、アデルが立っていた。

 「忘れ物よ。さっきの測定データ。」

 「ありがとうございます。」

 受け取ろうとしたとき、彼女がふと言った。

 「さっきの対応、見てたわ。

  ……あなた、ああいう時、ちゃんと“あなたらしく”返すのね。」


 「僕らしく?」

 「ええ。誰かの言葉を借りても、選んだのはあなた自身でしょ。」

 アデルは軽く笑って去っていった。


 残されたセーレンは、扉の向こうを見つめた。

 “らしい”って、どんな自分のことを言ってるんだろう。

 ——考えてもわからない。

 それでも、少しだけ息がしやすかった。


 魔素灯が静かに明滅する。

 この世界のどこかに、確かに“日常の光”がある。

 その光の中で、セーレンはそっとペンを置いた。

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