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魔素の聖女と観測者  作者: 遠野 周
第2章 灰と祈りの間で

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第4節 信仰という構造

 夜、セーレンは研究所の一角にある居室へ戻った。

 夕食の皿を片づけ、机の上に観察記録を並べる。

 昼間の授業の光景がまだ脳裏に残っていた。

 火がつく前に避けた子どもたち。

 恐怖ではなく、何かを“察していた”ような動き。


 ——偶然かもしれない。

 だが、それを“神の徴”と呼ぶ教会の論理にも、一理ある気がした。

 彼らの言葉は単なる比喩ではない。

 社会を保つための、もう一つの理屈だった。


 セーレンは書棚から一冊の古い文献を取り出した。

 再建期初期の教会記録。羊皮紙の表紙には、擦れて読めない印章が残っている。

 ページをめくると、当時の聖職者の筆跡でこう記されていた。


 「我らは恐怖を秩序に変えるため、神の名を呼んだ」


 彼はその一文を見つめ、息を止めた。


 (やはり……)


 彼はさらにページをめくった。

 そこには、こうも記されていた。


 「アルケイア教は開設当初より、衛生を第一の戒律とした。

  傲慢の時代が滅んだのは、病によるものであったためである。

  神の沈黙のもとに、まず人を清めよ。」


 セーレンは目を細めた。

 (つまり、信仰は祈りのためだけでなく——

  生き延びるための理でもあったのか)

 科学だけでなく、医学も信仰の中に含まれていた。

 それなら、村の教会があれほど手洗いや清めを説いていたのも当然だ。

 あれは単なる儀式ではなく、

 病を防ぐための“教え”だったのだ。


 人は恐怖の中で、理を見出そうとする。

 祈りもまた、秩序の一部——

 彼はそう思いながら、再び文献に目を落とした。


 再建期二年、最初の聖女が現れた。

 そして翌年にはアルケイア教が成立。

 十二年後には、聖教国が建国されている。

 奇跡から国家まで、たった十年。

 その早さは異常だった。


 ——なぜ彼らは、そんなに急いだのか。


 セーレンは筆記用具を手に取り、紙の上に短く書いた。

 「知識層は恐怖を言語に変えた」


 傲慢の時代に人々は理性の頂にいた。

 神を信じず、自然を支配し、技術を極めた。

 だが、その文明は滅びた。

 生き残った者たちは、再び“信じること”を必要とした。

 理性では説明できない恐怖の中で、人は意味を求めたのだ。


 (恐怖に名前を与えること、それが祈りの始まりだったのかもしれない)


 ページをめくる。

 そこには、最初期の教会が制定した“魔素適合値”の記録があった。

 「成人の平均、二百ミリリットル。子どもはその半量。訓練により上昇を確認」

 セーレンは思わず笑った。

 ——まるで科学報告だ。


 魔素適合値という概念は、今や一般的な生活指標として定着している。

 だが、それを最初に作ったのは教会だ。

 つまり、信仰と科学は敵ではなく、最初から一つの体系だった。

 祈りも数値も、人間が秩序を保つための“言葉”なのだ。


 彼はペンを止め、手帳に書き込む。

 「信仰は、恐怖を数値化した理性の延長」


 自分で書きながら、少し可笑しくなる。

 「父さんが聞いたら、眉をひそめそうだ」


 ちょうどそのとき、部屋の扉が軽く叩かれた。

 「……起きているか?」

 ヨアヒムの声だった。

 「はい。どうぞ」


 扉が開き、ヨアヒムが入ってきた。

 手に温かいカップを二つ持っている。

 「お前が寝ないのはわかってたよ」

 「昼の記録をまとめていました」

 「まじめだな。どうだ、観察の感想は」


 セーレンは少し考え、言葉を選んだ。

 「祈りは、人間のための仕組みだと思いました。

  神のためではなく、人のために存在している気がします」

 「ほう」

 ヨアヒムは椅子を引き、向かいに腰を下ろした。

 「どういう意味だ。」

 「祈りが人を整える。

  感情を鎮め、魔素を安定させ、事故を防ぐ。

  つまり、信仰は生存の構造そのものです。

  再建期の人々は、それを理性で設計したのではないかと」

 「……それで仕組みか」

 ヨアヒムは苦く笑った。

 「理解するのは理だが、作ったのは情だ。

  理が過ぎれば、情は邪魔になる。

  だが、情を失えば理は枯れる——いつも同じところで迷う。」

 その声音には、どこか遠い疲れが混じっていた。

 セーレンは言葉を返せず、ただ師の横顔を見つめた。


 ヨアヒムは静かにカップを置いた。

 「……まったく、お前の頭はどこまでも回るな」

 「間違っていますか?」

 「いいや。筋は通っている。だが、それだけじゃない」


 ヨアヒムの視線が少し柔らかくなる。

 「人はな、仕組みだけでは生きられない。

  希望がなければ、秩序も長くは続かん。

  恐怖を秩序に変える——それは確かに知恵だ。

  だが、希望を作るのは祈りなんだ。」


 セーレンはその言葉を噛みしめた。

 「希望……」


 ヨアヒムは小さく笑い、カップの縁を指で叩いた。

 「おまえは無秩序が怖いんだな、セーレン。」

 「……え?」

 「何事も筋を通さずにはいられない。

  秩序を壊すものを見ると、すぐに理由を探そうとする。

  それは理性の強さでもあり、同時に弱さでもある。」

 セーレンは返す言葉を失い、静かに視線を落とした。

 ヨアヒムは続けた。

 「無秩序を恐れるのは、悪いことじゃない。

  ただ、世界は秩序だけではできていない。

  神も、感情も、予兆も——時に、理屈を越えて動く。」


 セーレンはペン先を見つめながら、静かに言った。

 「叔父さんは、信じていますか?」

 ヨアヒムはわずかに笑い、肩をすくめた。

 「昔ほどは、な。

  液体魔素の再現も進まん。

  神は沈黙したままだ。

  それでも——」

 彼は少し間を置いた。

 「それでも、人が祈る姿は嫌いじゃない。

  あれは理屈じゃない。美しいと思う」


 二人の間に、静かな沈黙が流れた。

 夜の外気が窓の隙間から入り、蝋燭の炎を揺らす。


 セーレンはゆっくりと手帳を閉じた。

 「……恐怖に意味を与えること、それが祈りなんですね」

 「どういう意味だ?」

 「人は、意味を失うと壊れてしまう。

  だから、恐怖に名前を与え、祈りの形にした。

  それが最初の信仰だったのでは」

 「……おまえは、情の中に理を見ようとする。

  だが私は、理の中に情を探してばかりだ。

  たぶん、それが間違いなんだろうな。」

 ヨアヒムの声は低く、微かな笑みを帯びていたが、

 その笑いの奥には、言葉にできない疲れが滲んでいた。


 セーレンは師の横顔を伺いながら、

 その言葉の意味を掴みかねて、静かに続きを待った。


 「……面白い。だが、それを言葉にできるのは“観察者”の特権だな」

 「観察者?」

 「世界の仕組みを見ようとする者のことだ。

  お前はもう、その道に足を踏み入れている」


 セーレンは微笑んだ。

 「……褒め言葉として受け取っておきます」

 「そうしておけ」

 ヨアヒムも笑い、立ち上がった。

 「もう遅い。寝ろ」

 「はい」


 扉が閉まったあとも、セーレンはしばらく机に向かっていた。

 蝋燭の火が静かに燃える。

 光が本のページを照らし、古い文字を浮かび上がらせる。


 「人は神を造り、神は人を統べる。

  両者の区別は、祈りの有無によってのみ成る」


 セーレンはその文を読んで、小さく息を吐いた。

 (……理性の果てに祈りがあるのか。

  それとも、祈りの果てに理性があるのか)


 窓の外では、聖堂の鐘が静かに鳴っていた。

 低く、長く、夜の底に響く。

 セーレンは目を閉じ、音を数値ではなく意味として聴いた。

 恐怖も、秩序も、祈りも、すべては人が生きるための形なのだ。

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