沈黙の神の下で
かつての世界は、神を捨てた。
“理”を信じ、奇跡を数式に変え、
そして滅びた。
名も知らぬ病が広がり、"十人にひとり"しか生き残れなかった。
人々は神々の名を忘れ、祈りをやめ、
かわりに“再建”という言葉を掲げた。
それでも、人は火を求め、水を求めた。
そうして気づいたのだ――
世界の底に流れる見えざる粒、"魔素"の存在に。
"魔素は、新たな神の恩寵"と言われた。
祈りの言葉を口にすれば、
石は燃え、掌は水を湛え、風は頬を撫でる。
それは誰にでもできる、小さな奇跡。
けれど――大いなる奇跡はもう起きない。
病を癒やし、土地を豊かにした聖女の祈りは、
三十五年前を最後に、世界から消えた。
帝国は、なお信じている。
「神は沈黙しているだけだ」と。
祈りを絶やさぬ限り、いつか聖女は再び現れると。
一方、中央国家では祈りは薄れ、
奇跡よりも計算を、神よりも人の理を信ずる声が強くなっていった。
知識は溢れても、技術は追いつかない。
古代の設計図は読めても、誰も再現することができない。
同じ沈黙の下で、二つの国は違う道を歩んでいる。
――そして、聖女が去って三十五年。
北の果て、ヒンメルランドで、今ひとりの少年が怯えていた。
彼はまだ、祈りと理の意味を知らない。
これは、沈黙の神をめぐる物語。
人が人を赦し、世界が再び息づくまでの、静かな道行きである。




