壊試合
まあ少し聞いてくれよ。
仕事帰りに疲れた僕は行きつけの店に立ち寄った。そこのカウンターで僕は隣に座っていた親父と同じぐらいの年の酔っぱらいに話しかけられた。
「なあ、無視しないでくれよ。ちょいとばかし昔話を聞いて貰いたいだけなんだ」
「分かりました。聞いていますのでお話ください」
「おお、聞いてくれるか。よし話してやろう。若い頃にしたゲーム、始まりはちょうどこの場所だった……」
俺の手から氷だけになったグラスが滑り落ちた。グラスは自由落下をしてパズルになった。
「おいおい、フライングか?」
隣の席で話を持ちかけてきた“奴”がニヤニヤしながら店員を呼んでいた。
「待て、俺はまだやるとは言ってないぞ」
奴は肴の入ったままの皿を落として来た店員の顔を唖然とさせた。
「これでおあいこだな」
店員が不手際がどうとか、至らぬ点がどうとか、店長がどうなどと慌てふためいているのを無視して奴は続けた。
「だからな……」
奴が言うには、交互にいろんな物を壊していこうというのだ。ルールはただ一つ。前の物よりすごい物を壊す、ただそれだけである。すごいかどうかは個人の主観で決定される。つまり、自分が壊した物はすごい物になるというわけだ。
なぜそんな事をするのかと尋ねると、
「物を壊してストレスを発散する。ただ壊すよりゲームの方が楽しいじゃん」
俺が手を滑らして落としたグラスが皮切りとなり、俺の意志とは関係なくゲームは始まってしまった。
ゲームが始まり一週間。そろそろ限界が近くなってきた。食器から始まり、つくえ、扇風機、テレビ、パソコン……etc。とにかく色んなものを壊してきた、誰の物でも気にせずに。
初めの頃は、壊すのに躊躇いや罪悪感などを感じていたが、いつの間にか物が奏でる断末魔に陶酔するほどになった。
そんな折だった、奴が電話をかけてきたのは。
「今から壊しに行こう」
奴の口調は食事に誘うそれと、全く変わらないものだった。
「実は今近くまで来てる。もう着くから準備してくれ」
奴の電話を切ってすぐに、登山用のリュックを取り出した。粉砕するのに必要なものを詰めるためだ。最近は壊し方にもこだわるようになってきた。扇風機を壊すのに工具を使った俺に対し、奴は最新型のテレビを会社のビルの屋上から落とした。その時の奴の顔はとても爽やかだった。
奴は出来たばかりの大型ショッピングモールに連れてきた。ここならいろんな物が壊せるとの事だ。俺は乗ってきた車を降りて奴の方を振り向いた。
「次はお前の番だろ。何を壊すつもりなんだ?」
「少し離れてくれ」
俺は奴に言われたとおりに距離を取った。奴は俺が離れたのを確認してから車を発進させ、スピードを上げて、駐車してあった車に激突した。駐車されていた車は側面が潰れ、もう乗ることは出来ないだろう。どうりで何も持ってこないわけだ。
俺は持ってきたバールでショーウィンドウを粉々にすることしか出来なかった。これほど悔しかった事は一度もない。
次の夜、飲んでいると奴から再び電話が掛かってきた。
「たった今、お前の家族と喋れないようにした」
奴はそれだけ言って電話を切った。奴が妻を、娘を、殺した? 一気に酔いが覚めた。俺は慌てて家に電話をかけた。しかし留守電だった。続いて妻と娘の携帯に電話をかけたが、聞こえてきたのは電源が入っていない旨を伝える声。
俺は頭の中が真っ白になった。そして身体の奥底から沸々と湧き上がる何かを感じた。それは壊す時に現れるのと同じ感覚。抑えきれない衝動。
俺は何も持たずに走り出した。頭の中が一色で埋め尽くされ、何も考えることが出来ない。気が付くと奴の家の前にいた。どこをどう走ったのかも記憶にない。俺は喉に焼けるような感覚を覚えた。唾液を飲み込もうとしても上手く飲み込めない。身体が訳の分からない震えを起こしたまま、インターホンを押した。
中から幼い奴の息子が現れた。奴の子供だけあって憎らしい。
次いで、誰が来たか確かめるために奴の奥さんが顔を見せた。
「いきなりどうしたんですか? 主人はまだ帰ってきていませんが」
「では、少し待たせてもらえますか?」
少し早口だったが気にされずに、中へと入ることに成功した。
「粗茶ですが……」
出されたお茶は渇きを癒すには少なすぎた。彼女は台所に引っ込み、代わりにガキがおもちゃを持ってやって来た。見たところ特撮物のおもちゃのようだ。ガキからそれを渡された。ガキが必殺技の名前らしき奇声を発しながら、同じ物で俺を叩いてきた。それは俺の中の何かを外すには十分すぎる衝撃だった。
俺は棒を振り上げ、ガキの頭目掛けて振り下ろした。何度も何度も。不快な鳴き声を上げ、女がやって来ようとも関係なく、ただただ殴り続けた。
奴が家に帰ってきた時には、物言わぬ骸が二体俺の前に置いてあった。
奴はそれに近づき揺さぶった。反応がないのを確認すると、左右のこめかみを右手で押さえ、肩を震わせた。
しばらくして奴が立ち上がると、外からサイレンの音が聞こえてきた。
「警察!?」
「まずは、ありがとう」
奴は立ち上がり、俺の顔を見て、ニヤリ、と笑った。
「おかげで俺は結婚できる」
俺は奴の胸ぐらに掴み掛かった。
「嵌めやがって……」
俺は歯軋りした。
「子供ができちゃったから仕方なく、ね。やっぱり自分の子供育てたいじゃん。それより逃げなくていいのかい?」
嫁の連れ子だったか。
「お前だって殺人犯だろ?」
「俺はさっきまで君の家族と映画を見に行ってただけ、アリバイ作りも兼ねてね。やっぱ友達家族とは仲良くしないとね?
残念だ、君には二回目の結婚式にも出て欲しかったんだけど」
仕方なしに手を離し、窓から夜の闇へと逃げ込んだ。俺達のコワシアイはゲームオーバーになった、奴の勝利で。奴の最後の下卑た笑いは今でも俺の耳に残っている。
俺は話し終わり隣を見た。彼は最初のどうでも良さそうな態度とは一変し、真面目に聞いていた。
「通報しようとは思うな。壊すのには慣れている」
「通報なんかするわけないじゃないですか。あなたのおかげで僕はここにいることが出来るのですから」
彼は俺の伝票も持って、夜の町に消えていった。
彼の別れ際の笑顔に何故か苛ついた。
こわしあいをお読みいただきありがとうございました。
初心者故に拙い作品ではありますが、これでも出せるレベルと判断した物です。