第1話
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キーーンコーーーーーンカーーーンコーーンーー
キーーーーンコーーーーーーーンカーーーーンコーーーーン
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懐かしいチャイムの音が聴こえた気がして目を覚ました。
このチャイムはなんの音だっけ。授業の終わり。それか村長からの知らせがある合図だったような気もする。
僕は薄暗い真っ白な部屋でベッドに寝かされている。
周囲には鍵のかかる大きな扉と、半個室のトイレと洗面所しかない。
そもそもなぜ僕はこんな目に遭っている?誘拐されたのか?それともここは精神科病院?
目覚める前のことを思い出そうとすると、記憶にモヤがかかったような感じでハッキリと思い出せない。
確か仕事へ向かって…先輩からパワハラを受けて上司から嫌味を言われながら、いつものように心を無にして働いて…それからどうなった?そもそも今は何月何日だ?
だんだんと目が部屋の暗さに対して暗順応してきた。
ベッドから起き上がろうとしても、なぜか身体が言うことを聞かず立ち上がることができない。
とりあえず助けを呼ぶべきだろうか?いや…僕をここへ閉じ込めた人間が悪意の人物であった場合、下手に声を出すのは危険かもしれない。
カチャリ……………………
僕が思考を巡らせていると、鍵の開く音がした。僕は息を潜めて唾液を飲み込む。
扉は仰々しい音を立てて開く。扉の外は僕の角度からは覗くことができなかった。
扉から現れたのは白衣を身に纏った小柄で髪の長い少女だった。逆光で顔はよく見えないが、背丈や細い骨格からして12〜15歳くらいだろうかと思った。
僕はなんとなくまだ目覚めていないフリをした。
「…私の転生者さん」
少女が僕の横たわるベッドのすぐ脇までやってきて、僕の顔を覗き込むようにして言う。
少女の甘い香りのする黒髪が僕の頬に触れ、少しくすぐったい。
それはそうと…“テンセイシャさん“と言ったか?それはどういう意味だ?
「あなた…本当は目覚めているのでしょう?」
少女がそう言ったので僕は驚いて目を開いてしまった。すると彼女は「やっぱり寝たふり」と言った。
どうやら少女が一枚上手だったようだ。してやられた。
少女の顔をよく見ると、人間離れした神々しいほどの美しさであった。
真っ白な肌、すっと通った鼻筋、艶やかで色気のある口元。目元にある病的なクマでさえ彼女の魅力のように感じた。
そして何より特筆すべきは……少しだけ尖った耳。
「まだこの耳を見慣れないの?クオーターエルフ…つまり4分の1エルフの血が入っていると説明したでしょう?」
エルフ?エルフってあの英国文学や幻想創作作品に頻繁に登場するあの架空の種族の?
僕は他に情報が無いかと少女の全身を見る。上半身は白衣に包まれているためよく分からないが、下半身はかなり短めなプリーツスカートを履いているため太ももが露出している。見たところ、耳以外に人間と違いはない。
「なに?あなた子供の足に発情するの?」
少女はそう言いながら白衣で足を隠した。
「ご、ごめんなさい…そういうつもりじゃ」
「ようやく声を聞かせてくれたわね」
「え」
どうやら僕はまた少女に上手くやられてしまったようだ。
少女は白衣のポケットから羊皮紙のようなザラっとした紙を取り出し、羽ペンで何かをメモした。
そして少女はベッドの上に腰を掛けた。僕は無意識にベッドの端へ移動して彼女からほんの少しでも距離を取ろうと努力した。
「あ、あの…あなたは誰ですか?」
「ノーラディア村で発狂したあなたをここへ連れてくる際に名前も教えたはずだけれど…どうやら記憶が曖昧なようね」
「ノーラディア村…?」
まるで聞き覚えが無い地名であった。
少女の耳、クオーターエルフ、ノーラディア村…もしかしてここは僕の知る世界ではない…?または夢を見ている…?
「私の名前はアリーシャ・ファルルガイナよ。アリーシャでいいわ。ここ、ラスティア帝立病院で医師そして研究者をしている。クオーターエルフだからそれなりの年齢なんだと邪推しているかもしれないけれど、14歳よ」
「こ、ここはその、病院の中…?僕は入院させられている…?」
アリーシャと名乗った少女は「ええ」と頷いた。
気がつくと、少女はゆっくりと僕ににじり寄ってきている。僕の身体は麻酔にかかったかのように、以上彼女から離れることができない。
「先ほど、僕のことを“テンセイシャ“と呼びましたよね…あ、あれはどういった意味でしょう…」
「混乱するのも無理は無いけれど…そんなに質問責めしないでくれるかしら?」
少女は僕のことを冷たい眼差しで見つめた。その視線は冷気を放っているのでは無いかと疑うほどに美しく冷たい。そのためか背筋がゾクゾクと震えてしまう。
「ご、ごめんなさーーんッ」
僕が謝罪しかけた時、アリーシャが僕のシャツの胸元を掴み、強引にキスをした。
そのキスはすぐには終わらず、アリーシャは密着するように僕を上から抱きしめ、貪るように舌を入れてくる。
甘い空気。血の匂い。恐怖。快楽。混乱……そして足りない酸素。
アリーシャがキスを終えた時に僕はすでに朦朧としていて、荒い呼吸でベッド上で苦しんだ。
「うぅぅぅ…ぐぅ…くはッ…ヒュ…ど、どうシて、こん…」
「……怯えるあなたが可愛いから悪いのよ」
無茶苦茶な理論を唱えるアリーシャ。
そして僕の耳元で言う。
「いつか必ず犯すから」
「ーーーーーーーッ!!」
先ほどのキスの余韻を上回る、さらなる衝撃的な宣告が鼓膜を突き刺す。
怯える僕を見て口角を上げるアリーシャ。彼女のことを生粋のサディストだと思った。
「びっくりしてしまったの?私の転生者さん」
アリーシャは僕の頬を艶かしく撫でる。そして14歳とは思えない色気をまとった話し方で語る。
「あなたはラスティア帝国内の辺境の村、ノーラディアで「僕は日本という異世界から転生してきた」と主張して騒いでいたの。あなたが精神疾患に罹患したと判断した村の民から通報を受けて、“異性界転生病“の権威であるこの私が駆けつけたのよ」
本当なのか…?僕は本当に異世界転生してしまったのか?
しかしそれはなぜ?電車に跳ねられた記憶も無いし、仕事や私生活には確かに辟易としていたが、自殺をした記憶も無い。
いや待て……そもそも異世界転生なんて非科学的なこと、この恐ろしい少女アリーシャの法螺話かもしれない。
「その懐疑的な目はなに?また襲われたいの?それに…疑っているのはこちらも同じよ。そもそもあなたの言う“日本“という世界が実在するのかも怪しい。あなたの嘘か、精神疾患患者特有の妄想かもしれないわ」
「な、なにを言って……い、いや、なんでも、無いです……」
僕は直ちに反論しようかと思った。しかしやめた。またアリーシャに理不尽な目に遭わされるのを恐れたからだ。
「ふふ…もう私に服従する喜びを覚えたの?賢いわね」
アリーシャは僕の頭を愛おしげに撫でながら、満足げに言った。
アリーシャはまだ頭を撫でる。撫でる。まだ撫でる。撫で回す。僕はきつい目眩に襲われて、意識を保っていられなくなる。
僕が意識を手放す瞬間に、アリーシャが囁くのを聞いた。
「おやすみ、私の転生者さん。あなたはもう……しなくても…いいのよ」
聞き取ることのできた声は途切れ途切れで、正確に全ての言葉を聞き取ることはできなかった。