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第四話 次の日からは

 八日目。本来は王都を出なければならないその日。

 ナイールは未だ、王都の中にいた。それも王都のさらに中心。王城の謁見の間に。

「ゲンガオン家次期当主。グノン・ガンゲオンが告げる。ここに大魔王陛下の正式な死去を。各人。よろしいかな?」

 多くの貴族達が立ち並ぶ中、謁見の間に置かれた大魔王の棺を前に、グノン・ガンゲオンが周囲の貴族達を見渡して話をしている。

 ガンゲオン家は大魔王の死に寄って続いた政争の最終的な勝利者になった。

 今、この場においてはそれが事実であった。

 ゲンガオン家の私兵と、王城側が用意した兵士達の戦いは、戦端が開かれた際にほぼ同勢力となっており、王城側が始まりのタイミングで、どうしてか致命的にその陣形の統一性を崩してしまった結果、最後までその差を埋められず、ゲンガオン家が勝利する結果へと繋がったのである。

「陛下の死という事実を前にして、我々は互いに争い合った。それは罪だ。罪は償う必要があるだろうが、皆が皆、その罪を抱えたというのであれば、許し合う事も必要だと私は考えている」

 目先の戦いに勝利したグノン・ガンゲオンは今、勝者の余裕を見せつけていた。

 積極的に誰かの罪を攻め立てない。それは良い言葉にも聞こえるだろうが、その実、今後は自分に積極的に従えとの裏の意味もあった。

 誰もが罪を抱えているというのなら、許すかどうかを決めるグノンが他より勝るという事なのだから。

(別に、それはそれで良いんだ。ここで大魔王陛下の死は漸く認められた。公然の秘密が、漸く秘密じゃなくなった。混乱の最大の理由だったものが今、漸く無くなったんだから)

 今後、グノンが主体となって、次期大魔王となる者の選抜が始まるだろう。恐らくはグノンにとって都合の良い者。なんだったらグノン自身がそこに収まる可能性だって無くは無い。

 ただ、政治に長けているガンゲオン家の者だ。自分達の勝利が決まった以上、穏便に事を納めようとするに違いない。

 だから、ここに立つナイールにとって重要なのは一つだけ。

「ナイール・カーメイン。居るかな? 出て来て欲しい」

 立ち並ぶ貴族達の目線が、ナイールに向かう。

 さっきまでナイールと同じ様に並んでいた連中が、どうしてかナイールから一歩下がった様に見えるのは、気のせいだけではあるまい。

 ナイールの側も、ずっと動かないままでは居られないので、グノン・ガンゲオンに向かって一歩だけ前へ出て、そこで跪いた

「はい。グノン・ガンゲオン様。ハイラング地方領主代理、ナイール・カーメインはここに」

「うむ。ハイラング地方領主代理にして、王族、ドロミア・レスティス様の護衛の任にも付いているそなたに話がある」

 ドロミアの名前が出て来たので、周囲がざわつく。

 本来であれば、魔界の中枢と言える貴族達が集まるこの場において、参加する事も許されない程度の規模の貴族のナイールが立ち、さらにはわざわざ王族の護衛役などという箔まで付けて呼ばれたのには理由があった。

「そなたは昨日の戦いの際、戦場の趨勢を決定付ける勇猛さを見せつけた事を、私は確認している。それはまさに魔界の未来に貢献する活躍であった事もな」

 まあ、こういう理由であり、ナイールにとっての直近の問題だ。

 ナイールはどうやら、昨日のガンゲオン家と王城の戦いに際して、その勝敗を決定付けた存在として認知されてしまったらしい。

 戦場での活躍というのも中々に厄介だ。その行動を多くの者が直接見る事になるため、良い具合に調整するという事が出来ないのだから。

 結果、グノン・ガンゲオンにとっての戦勝会とも言えるこの場において、ナイールもわざわざ呼ばれ、さらには注目の的にまでなってしまっていた。

「やるべき事をしたまでです。グノン様こそ、私に兵を貸していただいた事、感謝しています。私に貢献があるとすれば、その結果はグノン様に帰するものかと」

 お互いに讃え合うという状況は、あまりにもわざとらしくて笑いだしそうになるが、それをぐっと我慢する。

 体面というのは、繕う事でしか生まれない。

「かもしれぬな。しかし、行動と結果に対して、然るべき物を与えなくては、私の沽券に関わってくるのだ。何か、欲しい物を申すと良い」

 すっかり自分が統治者気分である。そんなグノンの様子に、今後の不安をやや覚えつつも、ナイールは言葉を返す事にする。

 駆け続けた戦いが終わり、その後に待っていた次の課題。それをさっさと解消するために。

「では、失礼ながら申し上げさせていただきます。私、ナイール・カーメインが望むものは―――




 本来、王都に滞在する日程から、予定は大幅に長引いてしまった。

 現大魔王の死去が公の物となり、一時の混乱の後、魔界は安定に向けて動き出そうとしている。

 今の時点で主体になって動いているのはガンゲオン家。彼らは権力闘争が始まる前から大きな力を持っていた勢力であり、王城側の貴族と対決し、勝利したという功績をもって、より一層、自分達の権勢のために働き続けるだろう。

 その後に、再び魔界に平穏が訪れるかは分からない。ガンゲオン家が何か致命的な失敗をすれば、より大きな混乱が引き起るだろうし、一方で順当に進めば、新たな安定した政体が魔界に生まれる事だろう。もしかしたらその政体に反抗する勢力も一緒に。

 神ならぬナイールにはさっぱり分からない、それらは未来の出来事である。

 ただ、今はなんとか一時の落ち着きを見せていた。次の混乱まではまだ時間がある。そんな落ち着きの中で、ナイールは決断していた。

「しかし、ここでハイラングへと帰りますか。ご家族も連れて」

 王城内の一室。王都の賭場の管理なんぞをしていたヌギル・ガンゲオンが、今やその部屋を与えられて、今後の王城内政の重鎮の一人となりつつある事を証明している場所。

 そんな部屋にて、ナイールは彼と話をしていた。

 今回の騒動は決着が付いたので、ナイールは王都を去る事にした。という内容の話を。

「正直なところ、今後も王城内での権力闘争は継続しますからね。多少は落ち着くでしょうが、それだけだ。また何か起こらないとも限らない。いや、絶対にまた厄介な問題が飛び出してくる。なら、地方貴族でしかないカーメイン一族はさっさと退散しようって、そういう選択は悪いものじゃあないでしょう?」

 ナイールはヌギルにそう返す。王都に滞在して八日目。王城の謁見の間にて、グノン・ガンゲオンからその許可を得たのだ。

 一つは今回の騒動が一定の落ち着きを見せたのなら、故郷ハイラングへ帰還する許可、その際、王城に勤めている姉ミスルエ・カーメインも共に帰る許可。そうして―――

「グノン様に頼んだのは、兄上。ロブ・カーメインの死に関して、調査をし、それを公開する様に。との事もありましたよね。実行者を断罪するという確約を抜きにして。あれはどういう事ですか?」

「調査して、それでガンゲオン家に味方したカーメイン一族の次期当主を殺した相手となれば、結局ガンゲオン家が処分する事になるでしょう? これから王城で起こる事はそういう事だ」

 広く大きな心をもって王城へと入ったグノン・ガンゲオンは、自分にとっての敵をより排除する方向へ舵を取るだろう。

 王城内でのみ力を持ち、兄、ロブ・カーメインも仕えていたと聞くホーン・ドーン親衛隊長なんぞは、元来外部勢力であったガンゲオン家にとっては、いかなる理由を付けても排除したい存在だ。その力と理由があれば、自然と結果に辿り着く。

(僕がわざわざそれを見届ける理由は無い。兄上を切り捨てる選択をしたであろうホーン・ドーン親衛隊長に関しても、僕は顔すら知らないんだ。そういえばあの謁見の間に並んでいた貴族達の中に、その人も居たんだろうか……)

 国というのは多くの人が集まる場所だ。その国を運営するのは、多くの人を左右するという事。

 個人個人の顔はまるでベールの向こうに移動したかの様にあやふやになり、肩書きやら立場やらだけがはっきり見えてくる様になる。

 実際には、面と向かって話した事も無い相手の事なぞ、大して知らない事に変わりないというのに。

「あなたなら、今後、この王城内で引き続く権力闘争の波を、上手く乗り切れると私なんかは思いますけどね。いえ、むしろより高くへ進める」

「相変わらず高く買ってくれるところ恐縮ですけど、僕は一抜けました。今後も混乱が続くのなら、今のうちに身辺整理をして、一族の故郷に引きこもる事にしたんですよ」

「ふむ。今の魔界の情勢を考えるなら、それもまた、賢い選択なのかもしれませんね。なら、引き留める事はしませんよ。何より、それをしたって、あなたなら私を出し抜いてくるでしょうから」

「だから高く買い過ぎですって。じゃあ……そろそろ時間なので、これで」

 ナイールは一礼をしてから席を立つ。

 今日、この日が、王都を出る日であったからだ。

 部屋から出るために扉に手を掛けたその瞬間、ヌギルが背中から声を掛けて来る。

「あなたが王都から出る事を告げた時から、一つ、考えていた事があります。今後、王都の混乱がまだ続き、それを我々ガンゲオン家が上手く治められなければ?」

 ナイールは一旦立ち止まり、黙ったまま、ヌギルの話を聞き続ける。

「混乱はそれこそ、王都だけではなく、王都を中心とした魔界の中央部にまで広がっていく事でしょう。その場合、有利になってくるのはその混乱を避ける事が出来る地方の領主だ。北の辺境。ハイラング。今後、力を蓄えるにはぴったりの土地だ。そうは思いませんか?」

「さて。僕には分かりませんね。さっぱりだ」

 そう言い残して、ナイールは部屋を出る。ヌギルはやはり、どこまでも、ナイールの値打ちを上げてくるつもりらしかった。

 そんなナイールとヌギルの関係は将来どうなっていくのか。ナイール自身、そんな事は分からないままである。




 王都の正門。外で戦いが起こっていた時は開いていたその赤黒く巨大な門が今は閉じていた。

 そんな門に、最初、ナイールは対面し、途中、開いていたその門を外から見て、今は閉じた門に背中を向けている。

 王都を去るというのは、この門とも別れを告げるという事だ。そこに未練を覚える程、デザインを凝らせた物では無いものの。

「ったく、遅いですぜ旦那。このまま日が暮れるまで王都の外で待つ事になるのかと思っちまった」

 ナイールがそこへやってきた時、既にナイールの配下達はそれぞれ馬に乗って待機していた。全員揃い、欠ける事が無いままだ。

 その内の一人、口の減らないガンマが、さっそく話し掛けて来たので、ナイールは言葉を返し始める。

「日が落ちるまでまだ数時間はあるだろう? そんな長話なんてするつもりは無かったよ。最後の義理立てついでに話しただけで……この王都でやるべき事はすべて終わった」

 ナイールはたった一度だけ振り返る。

 門が閉じ、外壁のみを見せて来るその街は、ナイールにとっては面倒な事が多かった街であった気がする。ただ、契機となる街でもあった。この王都に居た短い期間の中で、ナイールの中にある多くの物が変わった。

(いや、変わったんじゃなく気付かされた……かな? どちらにしても、この街での出来事は記憶から消えそうにない)

 そんな街に、今、別れを告げる。未練なぞ無い以上、ただ、黒馬に乗って進みだすだけ。

「さぁみんな。忘れ物は無い? 楽しむだけ楽しんだかな? 帰るまでが王都への旅だ。ちゃんとやり残しの無い様に努めて欲しい」

 そう配下に告げるナイールに対して、くすくすと笑う声が聞こえて来た。

「まあナイール。あなた、彼らには何時もそんな態度で接しているの?」

「姉上。もうお加減はよろしいのですか? その……ここであった事は、姉上にとっても大変な日々だった」

 来た時には居なかった姉、ミスルエ・カーメインも帰りの旅には同行する。王都の今の状況で、一族の一人でも残す事は危険だというナイールの判断に寄るものだったが、ミスルエはそれに同意してくれた。

「お兄様が居なくなった以上……私もここに残る必要は無いもの。そう。ここは辛い事が多かった場所。馬に乗るのは久しぶりで、長旅に耐えられるか不安ですけれど、離れる事に、私からは依存は無いわ」

 ミスルエはそう言ってナイールに微笑む。彼女の内心には、まだロブ・カーメインが死した事への傷跡が残っているのだろうが、それを抑える気丈さを彼女は取り戻していた。

 ならばナイールに言う事は無い。彼女の心の傷を癒すには、彼女にとっても故郷であるハイラングに戻る方が良いと思えるから。

「けれどナイール。あなた、良く馬車なんて用意できたわね?」

 と、これまた来た時には無かった馬車をミスルエは見つめる。見た目はそれなりに頑丈で高価な馬車であり、王都滞在の手土産と言った風貌はあった。

「私ガ王城内ヲ駆ケ回リ見ツケマシタ。誰ニモ使ワレテ居ナクテ、勝手ニ使用シテモ気付ク事ガ無サソウナ物ヲト指示ヲ受ケテ」

 と、じと目でナイールを睨んできたのはレイフォだった。彼女にはその件で苦労を掛けたと思っているので許して欲しい。

 わざわざ購入したりする余裕も無かったので、どうにか王城内で余っている馬車を調達する必要があったのだ。

「まあナイール! つまりこれは……盗んできたの……?」

「いや、ほら、姉上。あれですよ。これでも僕も頑張ったんですし、それなりの対価みたいな物を貰うのは、そんなに悪いものじゃないんじゃないかなって。使われて居ない馬車を利用するのも、物を無駄にしないみたいな、そういう考えもですね」

「まったく。本当に、無茶な事をする人に育ったのね、あなた。頼もしくもあるけど、不安にはなってくるわ」

「そこは同感でーすミスルエ様。もっと旦那には言ってやってください。俺達がどんだけここで危ない目に遭ったか。なあ、姐さん?」

「マッタクダ」

 ガンマやレイフォからも追加で文句がやってくる。

 どうにもこの場においてナイールの味方は居ないらしい。頭を掻き、漸くまともに吐ける様になった溜め息を吐いてから、ナイールは呟く。

「こんな風に言われるんだもんだぁ。苦労した甲斐ってのは本当に無いよ。さっさと故郷に帰ってふて寝するに限る」

 ナイールの言葉に周囲が笑い出す。とりあえず、王都での物語はここで終わりだ。

 いろいろあったが、最後には笑って終わる事が出来た。そう思う事も出来る。兄、ロブ・カーメインを失った事への後悔はまだあるが、それでもナイールは、この瞬間を笑う事にしたのだ。




 王都の物語が終わっても、ナイールにとっての物語は続く。

 王都でやるべき事が終わっても、その外ではまだまだしなければならない事が多くあるのだ。

 とりあえずその一つを片付けるために、ハイラングへの帰途において、王都から持ってきた馬車へと入る。

 その中にずっと居た、一人の少女と顔を合わせるために。

「お待たせしましたドロミア様。もう王都からも離れたので、じっとしていなくても大丈夫ですよ」

 わざわざハイラングへと帰る際に馬車を用意した理由。それが彼女、ドロミア・レスティスだった。

「わたくしが王都を出ていく事に、ここまで準備をしていただく必要はありませんでしたのに」

 ドロミアはそう言うが、彼女の下に付いているという名目のナイールが妙に立場が良くなってしまった以上、彼女とて重要人物だ。

 こっちはグノン含むゲンガオン家にも話を通していない、ナイールとドロミア二人での判断なので、余計な手出しが出来ない状況で彼女を王都から脱出させる必要があったのだ。

「あのまま、ドロミア様を王都に置いておくというのも、看過出来ないものでしたからね。カーメイン一族が尻尾を巻いて王都から脱出する以上、ドロミア様もそうしていただくのが一番でした。無理を言って申し訳ありません」

「そうですね。話をお持ちになって来られた時は、突然の事でしたので、わたくし、少々驚いてしまいました。ですけれど……」

 ドロミアはナイールに微笑んでくる。

「どうしたものかと尋ねられたのは、嬉しく思いました。わたくしの考えもまた、ナイールの中で重要な物の様ですので」

 そう返されるとやや照れてしまう。もっとも、今後だって彼女の協力が必要不可欠なのだから、彼女の意思を無視する選択というのも無かった。

「ははは。僕ら、カーメイン一族は、あなたの護衛役であると王都で多くの貴族が知る事になりましたから。今後も、ドロミア様には申し訳ありませんが、その関係は続きます。あなたの意思や好き嫌いだって、僕らの今後の安定のためには大事になってくる。そういう話です」

「まあ。その話を聞いて、わたくし、ナイールの事が少し分かり始めた気がしますわ」

「それは?」

 あなたと自分の関係だって、所詮はお互いの立場を気にした上での関係性。そういう事務的な事だけを伝えたのであるが。

「そうやって、照れてしまいそうな事を言う時は、実利的な事を通して誤魔化す方なのでしょう?」

「……」

 急に正面から言われて、ナイールの思考が停止する。こういう感覚も久しぶりだった。

「あなたを今後も守らせていただきたいと、そう仰っていただけるのでしたら、わたくしの方に異論はありません。はい。ナイール。今後とも、わたくしをよろしくお願いします」

 そう言って頭を下げてくるドロミアの姿を見れば、ナイールの心の中から素直な言葉も飛び出してくる。

「なんだか、勝てる気がしませんね。ドロミア様には」

「そうでしょうか。見ている視点の違いかもしれませんけれど……少なくとも、わたくしの目にナイールは、頼もしい方に映っています」

「その部分だけは勘違いかもしれませんよ。何せ今も、故郷の母にどの様な連絡を送ったものか悩んでいる」

 こちらは馬車を連れての帰り旅。故郷ハイラングでナイール達を待っているであろう母、イラース・カーメインへの報告は、口で直接より早く、早馬に手紙を持たせて行う必要があるだろう。

 その内容については、あまりに語るべき事が多い。言葉の方が足りず、何を伝えるべきかに悩むばかりだ。

 何にせよ、次に泊まる宿場あたりで、手紙は必ず出すつもりなのであるが。

「わたくし、ナイール様のお母上の事は知りませんが、ありのままを伝えれば、それで人は安心するものですよ。それがどの様な物であれ、領主を務めていらっしゃる方でしたら」

「そうですか? そうかもしれません。けど、ありのままか。大した量の手紙になりそうだな……」

 まあ、その手紙を書く時間はありそうだ。王都に居た時よりも、時間はゆったりと流れ始めているから。

「ああ、ハイラングに着く前に、ドロミア様の服もどこかで買えれば良いですね。北はかなり寒いですよ。姉上も王都から大分服を持ってきているはずです」

「それでしたら、わたくしもミスルエから用意する様に言われていますので、安心してくださいな。それに、ナイールが考える事はきっと、わたくしの服の事より、別の事がよろしいかと」

「別の?」

 他に考える事などあっただろうかと首を傾げ、幾らでもあると自分に返される。ならばドロミアが言う別の事とは、幾らでもある内の何を言っているのか。

「魔王……という地位をご存知ですか?」

「ええ、勿論。今の大魔王が魔界を統治するより前、幾つもの国に分かれて争い合っていた時代の、それぞれの国の王が名乗った物だ」

 遡ればそれぞれの種族の代表者であったと聞く。そんな立場の名をドロミアは話題に上げて来た。

「この魔界には様々な種族や立場の者達が居て、彼らを強い力でまとめ上げたのが大魔王だとしたら……今はそれが崩れつつある。そうは思いませんか?」

「ですが、それはゲンガオン家が再び纏め上げる事になるはずだ」

「一度、音を立てて崩れ始めた機構を、そのまま立て直せる者は、相応に英雄なのだとわたくしは思います。その様な英雄が、ゲンガオン家の方々にはいらっしゃったでしょうか? わたくしの不見識であればそれで良いのですが……」

 ドロミアに言われて、ナイールも考える。

 ゲンガオン家の代表者たるグノン・ガンゲオンは優秀な男に見えた。だが、足りない部分もある男であるとも思った。

 思っただけだ。しっかりと観察出来たわけでも無いが……英雄かと問われれば、至らない部分があったのではと思えて来る。

「ゲンガオン家が上手くやれないとすると、魔界はさらに混乱する事になる。混乱はもしかしたら王都とその周辺のみならず、魔界全体にも広がっていくかもしれない。そういう予想なら僕も出来ます」

「ええ。もし、中央の政治が、その様に地方を統制出来なくなった場合のために、実はわたくし達王族はとある制度を温存しています。今、この瞬間にも」

 ドロミアの目線はずっとナイールを見つめたままだ。その目線に対して、ナイールは目を外す事が出来ないで居た。

「それが……魔王?」

「はい。中央が地方に何も出来ない場合、その土地を直接治める事が出来る人材を、魔王として任命する。かつての戦乱時代を再現させる様な、そんな制度ですけれど……今もまだ、残っています。王族は何故王族か。それは、その任命権を与えられているからなのですよ。御存知でしたか?」

 それは知らなかった。恐らくは王城の王族には、そういう内密の取り決め等を多く抱えているのだろう。

 それが彼らにとっての権威や権力に繋がっている。傍流も傍流なドロミアでさえ、彼女が王族として認められている以上、ナイールも知らない力を持っているのだと思う。

「けれどその……参ったな。その話の展開の先を、まだ僕は聞く覚悟が出来ていない」

「そうですね。わたくしもそう見えます。ですから話はここまでにして置きましょう。何時か、また、お互いに向き合う事になった時まで」

 そんな事態には、ならない方が良い。ナイールはそう思う。

 そうして、馬車の出入り口から見える空を見た。今日は晴れて、広く見える空。魔界も、その空程では無いが、どこまでも続いて居そうな大地が広がっている。

 もし、その大地に再び、かつての戦乱の時代がやってきた時、ナイールはどうするのか。

 分からない。今はまだ分からないままにしている。だが、近い内に考える必要が出て来るかもしれない。

 そんなナイールに対して、ドロミアは一つの可能性を提示してきたのだ。それをナイールは笑えない。目を逸らす事も出来ない。今はただ、はぐらかす事しか出来ない我が身だった。

「……ああでも。今日聞いた話は忘れませんよ。ずっと、その時が来るまでは考え続けます。それだけは、約束します」

「わたくしも同じく。また、何かの契約でも交わした様な気分ですね。ナイール」

「そうですね。けれど、うーん。どうにもあなたに敵わないって思う」

 本当にそう思う。

 ドロミアのその言葉で、消えない言葉が頭の中に残り続ける事になってしまったから。




 王都での日々は駆け足だった。たかが数日だと言うのに、色んな変化をナイールにもたらしたと思う。

 これまで知らなかった人々との出会い、良く知った者との別れ。そうして流れる様な立場の変化。

 そんな不安定の中で、ナイール自身はいったい何者なのかすら見失っていた。実を言えばまだ、そこに答えは見出せていない。

 けれど、ドロミアから送られた新たなナイールの可能性。それをナイールは忘れる事が出来ない。心の中で抱え続ける。

【魔王ナイール・カーメイン】

 そんな冗談みたいな字面を、それでも自分にとって重要な物として抱えながら、ナイールはハイラングへと帰るのだ。

 また、次の厄介事と向き合いながら。


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