表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/4

第二話 ナイール・カーメインの王都での七日間(前編)

 王都への旅については、人数を厳選しただけあって問題の無い旅路であった。

 途中、泊まった宿で見知らぬ種族の連中が来たと喧嘩腰で迎えられ、かなり剣呑な雰囲気と、少し、ほんの少しだけ手が出た事もあったが、概ね、順風満帆であったと言えるだろう。

(王都に近づくにつれ、一般人の危機感が強くなってるって事でもある。母上の危惧は当たってるって事だろうね)

 と、ナイールが考えているのは、魔界における中心。大魔王が住まい、統治を続ける最大の都市。

 王都レイジンノックスの門での事だった。

「しっかし、一度行けば威圧されない者はいないってのは本当だね、こりゃあ」

 ナイールが待機している正門前の小屋の中。ナイールは小屋の中にある椅子に座っているが、ガンマは小屋の窓から顔を出して、王都の門を見つめていた。

 人の身長の何倍はあるだろうか。横にも縦にもひたすら広く、門を開け閉めするだけでも数十人掛かりでの作業が必要であろう赤黒く塗られた鉄の門。

 そんな威圧感たっぷりの門で王都へとやってきた者達を出迎えるのがこの都市の流儀だ。

 外からやってきたナイール達もそこに漏れず、門の手前で立ち止まり、入都の許可を得ている最中である。

 ここで幾らかの手続を行い、滞在許可証を発行して貰う事で、まずは数日間から数週間での滞在が許可される。

 王都内で何らかの職に就いたり商売したりする場合は、また別途、面倒な手続きが必要になってくるが、そちらに関しては後でも出来る。

(長居するつもりも、今のところは無いしねぇ)

 王都の状況と兄と姉の近況を探る。とりあえずはそれだけで良い。順調に行くなら滞在許可の期間中で十分すぎる程に可能だ。

(順調には行かないんだろうけどさ……)

 と、小屋に誰かが入ってくる。小屋の中にはナイール達一行しか居ないので、ナイール達目当てである事は確実だ。

 実際、入都を取り仕切る係官というのであれば、ナイール達に用がなくては困るというものであるが。

「いやぁ、お待たせしてしまって申し訳ない。何分、ここ最近は王都への出入りが妙に多いせいで、私なんかはてんてこ舞いですよ」

 と、特段武装した風でも無い、地味な服装をした、小太りの男が小屋へ入り、ナイールへ話しかけてきた。

 地味な服装は王都の下級官吏の服装でもあったから、話し掛けられた事への戸惑いも無かった。

 漸くナイール達の滞在許可が下りるらしい。

「よっこらせっと。ええっと、ナイール・カーメインさん。で、よろしいですかな? 遥々北のハイラングから良くぞ御出でになられて」

 小太りの男は小屋の中心に置かれた机に向かい、その横にある椅子へと座る。丁度、ナイールはそこに対面する事になる。

「いえいえ。魔界の住民なら、一目は王都を見たいと思うのは当然の事でして。これまでの旅も、今、目の前にその街があるのなら苦労なんて些細な事と言いますか」

「ふむ。一目ですか? 失礼ながらカーメインさん。あなたは……」

「ええ。ハイラング領主イラース・カーメインの子弟です。実を言えば、王都に来たのもこれが初めてじゃない。つまり、用があるからここに来ました」

 と、世間話を早々に終わらせる事にした。やる事は素早く、大胆に。こういうちょっとした事務作業に関しても、それを忘れない事が肝心だ。

「なるほど、なるほど。ええ、こちらも実の話をするのなら、まさにそれこそが最近多い事でしてね」

 と、小太りの男の目は鋭くなる。

 ナイールが貴族であると知りながら、平静を装えるという事は、対応にはそれなりの経験があるという事。

 猪じみた顔の輪郭を見るに種族はオークだろうか。どの地方のかは分からないが、王都で仕事をしている以上は、能力を買われての事だと思われる。もしくは、場末の仕事を任せられた、コネだけで仕事に就いている貴族の関係者かであるが……。

「いったい、その用は何であるか。それをお聞かせいただかない限りは、すぐに許可を出せんのですよ。失礼ながらね」

 小屋にはナイールの配下達もいる。それに囲まれて、一人、堂々と言ってのけるのだから、コネで仕事をしているわけでも無いのだろう。

 半端な隠し事などするべき相手ではない。そんな評価は少なくとも出来る。

「王都には兄と姉が居ます。外からは中々簡単に入れない状況らしいですが、内側からもそうなんですか?」

「なるほど。確かに。それは心配になられて当たり前だ。失礼しました。では、すぐに滞在の許可を」

 と、男は立ち上がる。その事に、ナイールは内心で驚く。

(案外、簡単に許可が出たな。もう二言くらいは言葉を交わすと思っていたけど)

 現在の王都は、身分が確かな者で、さらに理由が確かなものしか出入り出来ない状況なのではないか?

 そんな風に現状を認識していたナイールであるが、もう少し事態は変わって来ているらしい。

「許可を得る前に悪いのですが、滞在中に注意する事はありますか? お互い、混乱は是非に避けたい状況ですし」

 立ち上がり、去りかけた男を呼び止め、ナイールは尋ねる。

 向こうにとって、こう聞かれる事が意外だったか想定通りだったかは分からない。だが、男の口から出た言葉は、持って回った言い方であった。

「あなたがご貴族様であるのなら、早々に誰かのツテを頼る事ですなぁ。今、この王都では味方と言える者が何よりも必要となっていますから」

 そんなのはどんな時でもそうではないか? 言い返したくなる衝動に耐えながら、ナイールは頷いた。

 なるほど。どういう連中かは知らないが、敵と味方が睨み合っている状況らしい。今の王都は。




 王都レイジンノックスの始まりは、そこに築かれた砦にあるらしい。

 四方が平野部として、中心に川が存在するその都は、発展には適した立地であり、肥沃な土地も相まって、むしろ戦乱の中心となる事が多かった。

 その歴史を辿れば辿る程に、まとまった街が出来るなど考えられぬ程の血が流されてきた事をナイールは知っている。

 しかし、あえてそこに砦を立てた者こそ、大魔王の称号を初めて得た魔族であった。

 誰しもが手に入れたいと奪い合う土地にこそ、誰しもに上回れる力の源泉がある。彼はそう考えたのかもしれない。

 砦は最初、魔界に乱立していた各国の均衡により、その存在を辛うじて許される状況だったらしい。

 しかし政治に寄るものか戦略に寄るものか、砦は潰されぬまま徐々に力を蓄え、そこを攻め滅ぼすには一軍が必要となるまでに拡大した時、大魔王にまだ至っていなかった彼は周囲の国に迅速に、苛烈に侵攻を開始したと伝えられている。

 実際はどうか分かったものでは無いが、幾つかの国を平らげ、レイジンノックスを中心とした大国が出来上がるまでには、そう時間は掛からなかったであろう事は歴史的な事実である。

(それをまさに初代大魔王陛下の腕力的な力量と取るか、高度なバランス感覚が成せる業だったのかは、今も議論の的らしいけど……うん。ここに街を作ったのは間違いなく正解だったんだろう)

 ナイールの目の前には、王都の中心街道が続いている。世界の果てまで続きそうなその道であるが、実際は王都の外壁に包まれているはずだ。しかし、一見すれば果てが無さそうと思えるくらいに規模はある。

 今なお、王都の外壁は一部が立て直され、その度に王都となる範囲が拡張されているという話であり、未来に向かっての話であれば、道はまだ果てに辿り着いてさえないと言える。

 街道は王都を一直線に貫く川と接しており、そこを手漕ぎボートが行きかっているのを見るに、ボートが主な交通手段にもなっているのだろう。

 規模だけで無く物流に関しても、その他多くの街より機能的になっていると見るべきだ。

 王都を貫く川はそのまま街の動脈となり、周囲の平野部は都市拡張の妨げとならないまま、まだまだその空白範囲を維持している。

 街そのものは大通りに面している部分は見る限り清潔であり、歴史ある都市にありがちな退廃からは未だ免れているという様子。

「いやー、ハイラングの街もかなり賑わっている方だが、こことは比べ物になりませんな、旦那ァ」

 眩しそうに王都を見つめるガンマに対して、ナイールは苦笑で返した。

 そもそも比べるものではない。ハイラングは魔界に数ある地方都市の一つでしか無いのだから。

「前に来た時も思ったけど、都市開発の計画を立ててる側が随分と有能らしい。この賑わいはあれだよ、未だ発展途上である事から来るものだ。人を招き入れる余裕がこの街にはまだあるんだ。この規模でさ」

 国の中心都市としては、頼もしい限りと言える。この都市はそのまま、魔界の状況を現わしているのだから。

「アチラカラ腐臭ガスル」

 と、やや興奮していたナイールに冷や水を浴びせる様に、レイフォが呟き、街のある方向を指さした。

 実際、その言葉を聞いてナイールは冷静になった。

「向こうは開発されたのが随分と昔の地区のはずだ。金持ちや権力者の住居が立ち並んでる地区とはまた別だから……多分、スラムが出来ていると思う。非合法な賭場なんかもあったりしてね」

 どれほどの賑わいを見せていたとしても、歴史と規模のある街には、汚い部分が必ずある。街も国も、人ですら、時間と共にやってくる老いからは逃げられない。そんな風に思う時もある。

 この王都においても、それは変わらない。そんな気も。

「アマリ、近寄ラナイ方ガ良イカ?」

「興味あるかい? レイフォ」

「少シ」

 ブラックハウンドは、どちらかと言えば群れるのが好きな種族であった。レイフォにしても、喋るのが不得手でありながら、他人との関係性を積極的に図りたがる性質を持っている。

 スラムという言葉に、むしろ興味を持ったのかもしれない。そこでは、いったいどんな人同士の繋がりがあるのかと。

「とりあえずの滞在許可は一週間。それまで、主だった活動は僕自身がやる事になるから、君らの手は空く事になる。宿を決めたら、一日に二回、集まって情報交換をする時間を決めて、後は自由行動って事にしよう。その時の活動は、まさに言葉通り自由って事で」

「おいおい。わざわざ連れて来ておいて、何の指示も無しって事かよ?」

 意外そうに言うガンマ。結構、今回の仕事を楽しんでいる彼であるが、一方で仕事である事は忘れていない様子だ。

 そうでなくてはいけない。

「今日と明日に限っては、何もしない。滞在費についても気にしないで欲しいし、活動費用もそれぞれに渡す。それを遊興に使っても特に咎めない。大盤振る舞いってわけだけど、理由は分かるかな?」

 連れてきた配下全員に尋ねる。彼らはそれぞれに目配せし合うが、真っ先に口を開いたのはガンマであった。

「街に積極的に馴染めって、そういう事かい?」

「そういう事。情報っていうのはね、身の軽い奴に集まるもんさ。僕の方は嫌でも貴族って地位が邪魔をする。だから君らには、今の王都の姿ってのを、どんな形でも良いから掴んで欲しい。遊びと平行して、それが出来る連中だと思うから、君らを連れてきた」

 配下達はすぐに理解してくれたらしい。頭の回る連中だ。少なくともナイールは彼らをそう評価する。

「つまり……旦那は俺らとは違う事をするつもりなわけだ」

「勿論、僕には僕にしか出来ない事をするつもりだよ」

 王都においての一週間。それを無駄に使うつもりは一切無かった。




 一週間の初日は適当な大きさの宿で旅と疲れを取る事に費やし、ナイールが行動を始めるのは二日目だった。

 向かう先は王都の中心にある王城と呼ばれる施設。王都はその王城より始まったとも呼ばれる、砦としての機能がまだ維持された施設であり、一方で未だ古臭く不便とも表現される、そんな場所でもあるのだが、そこに大魔王陛下も住んでいるのだから、表立っての非難は誰も出来ない。そんな場所でもあった。

(外観は元々木造だったそうだけど、五十年程前に石造りのそれに改築された。また、その際に官庁施設としての機能を増強した結果、歪なレベルでその範囲が広がったって聞くけど……なるほど。これはこれで威圧感があるな)

 幾つかの見張り台としても使える尖塔に、各種施設が入っている四角い石造建築。大魔王とそれに近しい者が住む邸宅も含めて、それを分厚い外壁で囲む。

 一見したところでは城という表現に相応しいものであったが、その配置がどうにもチグハグに見え、見る者へ居心地の悪さを感じさせる。

 力に寄る魔界の統治を実現させた大魔王の居城という表現には、皮肉な事に相応しくなっている様な、そんな風にも思えてしまう。

「で、さらにそこへ入るには門番に許可を貰う必要があるわけだけど、なんで付いて来てるのさ」

「なんでも何も無いぜ旦那。昨日と今日に限っては好きに過ごせって言ったのは旦那の方だろう」

 配下達が王都へと繰り出す中、何故かガンマだけはナイールに付き添って来たのである。

「好き好んで休日を警護に費やすほど奇特だったっけ、ガンマ」

「休日じゃあねぇんでしょう? 遊ぶのも仕事の内って日でさぁ今日は。となると、俺も考える。他と一緒に遊んだところで、他と一緒の答えしか返せないだろうって」

「だから今日は僕に付き添う事にしたのかい? 言っとくけど面白い事なんて待ってないよ」

 むしろ、今から気が重い。そんな事がこの王城では待ち受けている予定だった。

「旦那にとってはそーでしょうが、今日の俺はその旦那を観察する側なんですから、まー楽しいかもしれませんぜ」

「いや確かに、それはちょっと楽しそうだけども……まあ良いか。君が何しようと、何かあっての事だろうし」

「ま、下流からみた上流ってのも見ておいた方が良い物事じゃないですかい?」

 考え無しな様でいて、直感的に利となる事が出来るのがガンマ・クイドという男である。だから無下には扱わない。むしろ着いて来るならそれはそれで働かせようと思う。

「とりあえず、王城に入ってからは、僕の傍からは離れない事。他は好きにしても良いけど、謁見の際だけは黙って僕の右後ろに配置して、僕がお辞儀をしたらお辞儀をし、跪いたら跪いて、立ったら立つ事。とりあえず僕の真似をして欲しい」

「簡単な命令ではありますが……謁見?」

「そう。謁見。そんなに意外かな?

「いえ、まあ挨拶は大事でしょうが……こっそりするって話じゃありませんでしたか? 今回」

「だから、こっそりするんだったら、貴族がわざわざ王都に来て、大魔王陛下にお目通りを願わないなんて事はあっちゃいけないだろう」

 ナイールが王都にやってきた事は、既に門番に顔を通しているのだから、誰かしらに把握されているはずだ。

 そのまま、ただ王都内部で遊んでいるなんて思われれば、それこそ他人の目を惹いてしまう。

「分かる様な、分からない様な話ですねぇ。けど、大魔王陛下に謁見なんて、旦那も大概目上だ」

「そうでも無い。一応、昨日の内でここへ訪れる旨の手紙は出しておいたけれど……あ、来た来た」

 武装した、と言ってもその表現の中ではまだ軽装な男がやって来た。

 鉄の兜に短めの槍。革の鎧は見た目と動きやすさ重視なその姿を見れば、王城内での一般的な兵士である事が分かる。

「ハイラング地方領主代理ナイール・カーメイン様ですね。大魔王陛下への謁見許可が出ました。このまま付いて来て下さい」

 兵士は辞儀をした後にそう告げると、ナイールとその護衛役に見えなくも無いガンマに付いて来るよう促してくる。

「なんだ。やっぱり大魔王陛下との謁見じゃないですか。いやぁ、俺、緊張しちゃうなぁ」

 前を歩く兵士への内緒話か、ひそひそ声で話しかけてくるガンマであるが、別に聞こえても良いのか、大して声量は抑えていない。

「だから、そんな事にはならないよ。多分」

 すべての説明をするつもりは無い。先ほど言った事を守ってくれるのならそれで良いのだ。ガンマの場合、そういうところは必ず守るから心配も注意もしないが。

「ありゃ。そう言えば俺、懐に短剣持ったままなんだけど、それは良いんですかね?」

 と、王城へと入り、幾らか廊下を進んだタイミングでラングが呟く。

 今度は前の兵士にしっかり聞こえる声で。

「入城を許可された方々からは、武装を預かる様な真似はしておりません」

 と、兵士は淡々と答えて来る。こちらに振り向きもしない。

 どういう事? とばかりに目線で尋ねて来るガンマに対して、ナイールは仕方なく口を開いた。

「基本的にね、我らが大魔王陛下は魔界でもっとも強い方だから、他人が武装して居ようが構わないのさ」

「はぁ……はぁ?」

「そりゃあ武装した連中に何十人とか囲まれたら誰だって危険だけど、そういう事になってるんだよ」

 魔界はもっとも強いものが総べる場所。

 古臭いを通り越してかび臭いに行きつくレベルのそんな考え方が、今なお、この魔界にはあるのだ。

 誰しもがもうそんな時代では無いだろう。各部族が小国を作り、争い合っていた時代からの忘れるべき遺産。

 そんな風に理性の方で考えていたとしても、感覚の方で、大魔王は一番強くあって欲しいという思いが残っており、王城での武装許可に繋がっている。

(おかげで、大魔王陛下になられる方の性格に寄っては、近侍の兵がある程度の発言権もったりするんだよな、馬鹿らしい話だ)

 だが、馬鹿にしても無下にはしない。そういう馬鹿さ加減が、国なんてものを作り上げているのが世の中だ。

 それを理解しなければならない立場にナイールは居る。

「おー、本当だわ。すれ違う方々から高貴な臭いがするってのに、長物をみんな持ってらっしゃる」

「鞘の内側がどうなってるか分かったもんじゃないけど、表側は豪華だよね。僕もちょっとは良いもの持って来るべきだったか」

 と、ナイールも腰から下げた鉄杖に手を触れる。武器というにはあまりにも武骨だ。本当に、ただの杖に見えなくも無いが、先端の鋭さは、辛うじてそれにいざという時の護身用としての意味を持たせていた。

「そりゃあ、大魔王陛下に頭を下げる以上は、着飾った方が良かったんじゃないですかい?」

「ガンマ。ここからが例の喋るのが禁止の場所だ。言う通りにして、驚かない様に」

「……」

 すっと黙るガンマであったが、目には疑問の色が見えた。

 そりゃあそうだろう。案内された部屋は、確かに整えられたものであったが、それにしたって豪奢さはそれ程でも無かった。

 広さにおいても、ハイラングにある領主用の謁見の間の方が余程大きい。

 幾つか壁に大魔王を象徴する紋様付きの飾り布が垂れ下がり、端に何人かの侍従が付き従っていたとしても、それは大魔王の威厳にそぐわないものだった。

 開かれた扉の奥。そのまま真っすぐ進んだ場所に座るその人物の若さも、認識を強めてくる。

「ハイラング領主代理ナイール・カーメイン。良くぞ参った。大魔王ヴォㇽ・アーンゴールが代理。ドロミア・レスティスが、その旅の苦労を労りましょう」

 彼女は若かった。この比較的狭い謁見の間において、唯一の椅子に座り、床にぎりぎり足を付ける彼女は、さっきの言葉が良くすらすら言えたものだと感心したくなる程に、ひたすらに若かった。

(年齢は十代前半ってところかな? 代理出来る程度には大魔王陛下の縁者なんだろうけど、姓が違うって事は、そこまで血筋が近いわけでも無い。まあ、その程度の存在だと見られているわけだ。ハイラング領主代理なんて立場はさ)

 謁見の間を前に進みながら、ナイールは考える。

 大魔王は、貴族であれば誰しもが会えるというものでは無い。日々、大魔王にせめて憶えて貰おうと面会を頼む者は後を絶たない。そのすべてに会うなどというのは幾ら時間があっても足らず、結果として、会う対象に見合った立場の者が代理となるのだ。

 貴族や王族の行動というのは、そんな代理同士の付き合いになりがちでもある。

(僕自身が代理。向こうも代理。だったら形あるものなんてここには生まれるのか? なんて思うところもあるけれど……)

 それでも、ナイールは跪き、後方のガンマも動きを合わせる事を確認する。

「大魔王陛下代理、ドロミア様もご機嫌麗しゅう。この度はお目通りいただき、このナイール・カーメイン、感謝の限りです」

 語るのは自分でもこそばゆくなる感謝の言葉。そこに表向きは感情を込めるが、裏向きはどうだろうか。

(いや、裏にしたって今回は良かった。誰にか知らないけど感謝したいところだ)

 存外、ナイールは悪い気分では無かったのだ。言葉そのものは嘘なのに、感情は嘘ではないというのは奇妙な気分であったが。

「良い、ナイール。面を上げよ。この王都には暫く滞在するのか?」

「はい、一週間程の予定です。既に滞在許可を大魔王陛下より迅速にいただき、こちらに関しても感謝しております」

 顔を上げて、まだ幼さの見えるその大魔王代理のドロミアを見つめる。

 彼女にだってそこに座る事情があるのだろうが、やはりその事情にもナイールは感謝していた。

「ならばその一週間。良く良く王都を楽しむと良い。大魔王陛下が作り上げるこの都市は、魔界の住人すべてを楽しませるものなのだから」

 ドロミアが伝えて来るそれは、ある種の定型句だった。アレンジの効かない、大した意味も持たない、礼儀だけの言葉。

(こちらの事情を深くは聞いて来ない。というより、こんな定型句を吐き出すだけでも必死な年頃なんだろう。好都合だ。今後もあまり目立たず動けるって事だし)

 これで十分に経験を積んだ相手であれば、必ずこういう文句を付けてくるのだ。

 して、いったい王都へやってきた目的は何かと。

 そこで本当の事を話すにしても、嘘を語るにしても、何某かの言質が取られ、行動を抑制してくる。

 今回はナイールの評価がそれほどでも無かったため、逆に都合の良い相手が謁見相手になってくれたと言えた。

(それに……うん。これは幸運かな。幸運な事だろう。そう思いたいところだ)

 ナイールはドロミアから視線を外さず、視界の端にドロミアの脇に並ぶ侍従達を納めていた。

 その侍従の一人が、驚いた表情を見せていたのを、ナイールは幸運であると思う事にしたのである。




 謁見はそれから十分程度で終わった。

 その十分が、ひたすら形式的な事ばかりだったので酷く疲れた気分にさせられたが、それでも一息が吐けない。それが面倒だなとナイールは感じていた。

「こんな廊下に突っ立って、疲れた顔も何も無いと思いますがねぇ」

 と、隣に立っているガンマが口を開いていた。

 先ほどの謁見の間から少し離れた廊下で、ナイールとガンマは立ち尽くしている。

 謁見の間まで案内してくれた兵士に関しては、どこへ行ったのやら、今はその姿を見せていなかった。

「突っ立ってる以外に、今はする事が無いしね。案内役も居なくなった」

「その案内役に、小銭握らせてどこかへやった側が言うセリフじゃねえでしょうが」

「ま、今、こうやってるのは、僕がそうする事を選んだからだけども」

 別に、ずっと放置されているわけでは無いのだ。王城の人間だって、部外者に何時までもうろうろされたくは無いだろう。

 ただ、今いる場所は王城の出入口近く。重要な施設からは離れているため、ちょっと賄賂の一つでも渡せば、見張りもどこかへ立ち去らせる事が出来た。

「俺が聞きたいのは、何が目的なのかって事ですぜ、旦那。こういう事を無意味にする性質でも無いでしょう?」

「さっきの謁見の間での事が思えば、確かに無意味じゃない」

「俺はそっちの方こそ、無意味に思えましたがねぇ。まだ小さい女の子を大魔王陛下の代理と思えって、なんとも無理難題だった」

「護衛にまでそう思われる必要も無いだろうさ。それに、ああいうのにも意味ならあるんだ。他人からは詰まらなくても、当事者にとっては重要なさ」

 ただ、それ以上はナイールにも言えない。正直、詰まらないところはあったとナイールも思う側だったからだ。

 だが、確かに得るものはあったのだ。

「で、さっきの謁見の間では、いったい何がどういう意味を持ってたんで?」

「ちょっと待った。それ本気で聞いてる? 冗談でも無く? 驚いた。君、もしかしなくても緊張してたな?」

「は? なんでそんな話になっちまうんでさぁ。そりゃあね? 雰囲気は物々しくて、どうにも居心地が悪くって、きょろきょろしてましたがね」

 だからだろう。普段の彼ならすぐに気が付いたはずの事に気が付けていない。

 それを教えてやろうとナイールが口を開くが……。

「ナイール! ナイールったら! 良かった。まだ居たのね」

 廊下の奥から、若い女性の声が聞こえてきた。その声を聞いて、びくりと反応したのはガンマの方だった。

 アウルの方は、その声には驚かない。そろそろ聞こえてくるだろう声だったから。

「やあ姉上。お久しぶりです。ええ、ナイール・カーメイン。今、王城に参上したところですよ」

 廊下の奥から、こちらの名を呼ぶ女性。

 ナイールと同じ黒髪を艶やかに伸ばし、白磁の様に白い肌とほっそりとした体。

 煌びやかとは言わぬが、それでも飾られたドレスを纏う、ナイールよりやや年上の彼女の名前はミスルエ・カーメイン。

 間違う事無く、ナイールと血を分けた姉であったのだ。

「はい? えっ、み、ミスルエ様で!?」

 ガンマの方は彼にしては珍しく、動揺を続けていた。そんな動揺は、彼がもっと周囲を見ていたら抑えられたものであろう。

 何せ、さきほどの謁見の間に居た侍従の一人に、このミスルエの姿があったのだから。

「ガンマ。あなたもこの子に同行してくれているのね。それは安心だけれど……ナイール。いったいどうしたの? 突然、王都になんて」

 そんな風に話しながら、こちらへ近寄ってくる姉のミスルエ。

 だが、そんな姉の反応にナイールの方が意外に思う。

「突然にって、そりゃあ母上に頼まれたからですよ。心当たりあるでしょう?」

「心当たり……?」

「え?」

 本当に、姉は首を傾げていた。ミスルエは鈍い女性では無い。だからナイールが何故王都にやってきたかの理由について、すぐに察せない人でも無いのだ。

「ちょっと待ってください姉上。その、近況報告の手紙は出していただいてますよね?」

「勿論よ。私とあなたと私のお兄様。二人分は定期的に……待って」

 姉もすぐに気が付いたらしい。お互いの持っている情報に齟齬がある。

「姉上。どこか、このガンマも含めて話せる場所はありませんか。身内で話したい事がある」

「ちょ、ちょっと。俺までその身内の話に入るんですかい!?」

「当たり前だ。この後に及んで無関係ってわけでも無いだろう」

 少なくとも、ガンマは必ず味方として確保しておく。だからこそ、重要な話にも入って貰わなくては困るのだ。

「分かったわ。私が寝泊まりしてる部屋がある。そこまで案内するから付いて来て」

 王城においては、ナイールもガンマも素人同然の立場だった。

 ここでは案内役が何時だって必要だ。それが姉のミスルエであれば頼もしいのだが、状況はどうにもきな臭くなり続けていた。




 窓のある部屋。外に見えるのは青々とした草むらと、程度良く整えられた花畑。

 少し開いた隙間からは心地よい風が入って来ていて、部屋の調度品は質素かつやや手狭ながら、良い部屋であるとナイールは感じていた

 そんな部屋が、王城内に用意された姉、ミスルエ・カーメインの部屋である事は好ましい事と言えたが、そこでする話の内容はまったく好ましいとは言えなかった。

「お母様の体調、そんなにお悪いの?」

「はい。それも手紙のやり取りが出来てたらもっと早く伝えられたんですけど……手元には届いてません? 心当たりは?」

 部屋に配置された小さな丸机を挟み、二人椅子に座りながらナイールとミスルエは話を続ける。

 ガンマの椅子も用意されているのだが、謁見の間でミスルエに気付けなかった事をまだ根に持っているのか、彼は立ったまま、部屋の外に誰か居ないかを警戒している。

「手紙が届いてない心当たりについては、ここ最近はありすぎてむしろどれか絞り込めない」

 美しい顔を頭痛でもあるかの様に顰めるミスルエ。

 ナイールにとっても驚きな状況であるが、彼女にしてみればもっとだろう。何も問題が無い状況から、いきなり多くの問題が降り注いで来たのだから。

(いや、この様子じゃ、何も問題が無かったとも言えないのか)

 姉の心労は、言葉を少し交わしただけでも深刻に思えた。さっきのやり取りだけで刻まれるものではあるまい。

「ここ最近って言いましたけど、王都の方でも何かあったんですか?」

「直接来てくれた以上、伝えない選択肢は無いから伝えるわね。これ、もし外部の者に漏らしたら厳罰だから、注意して欲しいの」

「分かってます。僕も、勿論ガンマの方も、口が軽い方じゃありませんから」

「ちょっとちょっと、俺もですかい?」

 と、漸くガンマの方も反応してくれた。暫く沈黙していた彼であるが、多弁な彼が黙っているというのも気持ちが悪いので、ちゃんと話に入ってくれるのが好ましい。

「話し上手程、話をする内容の事を考えてるもんだよ。これがレイフォくらい口数が少ないと、何を言い出すかってハラハラする。ああ、姉上。レイフォ・ギジンス。彼女も王都に来てます」

「そう……あの娘も。あなたは十分に準備をしてから来ているという事ね? なら話しても構わないわね。大魔王ヴォㇽ・アーンゴール陛下が亡くなられたの。それも数週間前に」

「へ?」

 その内容に、聞くべきじゃなかったと顔を驚かせたのはガンマの方。ナイールに関しては、嫌な予想の一つが当たってしまったと言ったところだ。

「数週間前って……先日とかじゃねえんですかい? 俺達がハイラングからこっちに向かってる間とかでも無く、もっと前から?」

 ガンマの驚きは当然だろう。大魔王の死という重大な事件は、予兆の段階ですら魔界中に知れ渡るに、一週間も掛かるまい。

 確かもう大分の年齢だったと思うが、それでもその生死に関心を持たない者はいないだろう。

「王城内で緘口令が敷かれてる。戸口なんて立てられるものじゃあないから、王都の中でも知っている人は知っているけど、そこからさらに外に出るには、もう少し時間が掛かると思う。それくらい厳重なのよ」

「そいつはその……確かに厳重どころの騒ぎじゃないですよ。本当に、口ってのには戸口は立たねえんですぜ?」

 良く喋るガンマだからこそ分かるのだろう。人の噂の足の軽さを。

 数週間という時間は、その足があちこちに動きまわるに十分な時間なのに、王都内で完結している異様さを。

 だからナイールも考える。その意味を。

「各方面が、積極的に隠さなければいけない事情が出来てる? 陛下の死に?」

「そうよ、ナイール。今の王都では、それが一番の関心事項。そうして一番の問題にもなってる。陛下はね、正当な後継者を指名せずにお亡くなりになったの」

 姉の返答で、ナイールも頭を抱えたくなった。

 悪い予想の中の、さらに悪いものが当たってしまった。むしろ最悪よりちょっとマシ程度の事態だ。

「後継者争いが発生してるのか……この王都で。そりゃあ隠す。隠すけどさぁ」

「誰が大魔王陛下になるって、そりゃあご子息の中から……誰になるんでしょうね?」

 首を傾げるガンマ。大魔王の後継者はごく自然に決まっている。そんな常識の中で、先ほどまで生きていたのだろう。ナイールにしてもそうなのだ。

「陛下は子も多い。ご兄弟もまだ何人かご存命で、その子息となればもっとだ。後継者指名をされたお子様は居なかったんですか? 本当に?」

 少しばかり信じられない事態に、ナイールはしつこく姉に尋ねるが……。

「その多さが問題だったのでしょうね。誰かに決めた時点で、少なくとも争いが起こる。王城内で暗殺暗闘の嵐にも成りかねない。成りかねないのだけれど……」

「それでも決めておくべきだった。こういう事態が一番悪いから……言っても仕方ないけど、僕らにとっても仕方なくなくってしまった……」

「仕方なくないって……どういう」

 珍しく不安げなガンマ。それはそうだろう。事は彼にとっても無関係では無いのだから。

 少なくとも、カーメイン一族と関係者揃っての問題になってしまっている。

「手紙が検閲されてるんだよ。姉上と、あと兄上の分もそうだ。それってつまり、カーメイン一族も後継者を巡る争いに巻き込まれてるって事さ。カーメイン一族の発言や言動に意味が生まれてしまってる。でなければ検閲なんてするもんか」

 そこが一番の問題だったのだ。

 恐らく、後継者が指名されないまま大魔王陛下が亡くなり、誰が次代の大魔王になるかの争いが発生している。いや、その準備段階だと言える。

 大魔王にはもっとも強い力を持った者が成る。そんな時代は遥か昔であるが、今はそれを再演出来てしまう事態なのだ。

 武力、政治力、権力、正当性。あらゆるものを総動員して、他の後継者候補を上回る。何せもっとも事態を統制できる大魔王はもう居ないのだから。

 だからこそ、今は大魔王の死を隠そう。準備を大々的にしては他者から狙われる隙になる。

(上の方々の考えはそんなところか。下については……誰か確定する前に、誰かの下に付きたくないみたいな理由が多いだろう。誰かが大魔王になった時点で、下手をすれば粛清に巻き込まれる)

 だから誰もが外にこの話を漏らさない。それをする事が損になる時期だからだ。

 もっとも、その均衡ももうすぐ崩れるだろうが……。

「陛下の死が隠されてるって事は、王都の政治が硬直してるってことで、僕たちみたいに、不審に思った輩が王都にやってくるのが今のタイミングだ。そろそろ王都だけに収まる話じゃなくなって来るって事で、必ずそこで事件が起こる」

「その事件に私たちが関わらない事が、カーメイン一族にとって一番大切な事なのだけれど、手紙が検閲されるくらいに、私たちの動きが注視されてる。恐らく、お兄様が何かに関わってしまった」

「二人して怖い話を聞かせないでくれやせんか!? 俺はその手の話に限っては、あんまりお喋りになりたか無い性質なんですよ」

 うんざりしているガンマの表情を見て、幾分か気持ちが立ち直るナイール。

 そうだ。落ち込んだりしている余裕だって今は無い。出来る手段はすべて取らないと。

「姉上は、ここ最近になって兄上と会ってその手の話をする事がありましたか?」

「それがまったく。向こうも慎重になっているのかもしれないけれど……どうにもね」

 姉のその話を聞いて、やはり深刻な状況になってきていると再確認するナイール。

「だったら、王城内で兄上の様子を知る事に姉上は注力してください。元々姉上は兄上の補佐として王都に来ている以上、積極的な接触があっても不信感は生まれない」

「分かったわ。あなたはどうするの? ナイール」

「王城内については兄上と姉上に任せます。僕はその外。王都の動向について掴もうかなと。今のところ、僕は自由に動ける身だ」

「危険がまったく無いとは言えませんがね」

 無論、ガンマの言葉も承知の上だ。身の安全ばかり気にして、貴族なぞ出来るものか。

「分かった。あなたはお母様に頼られたんですもの。私も頼る事にする。他に、何か聞いておく事は無い?」

 ミスルエからは心配されるが、それ以上に信頼はされた。そう思う事にするナイール。そっちの方が、気分が良さそうだ。

「姉上が従者をしているあのドロミア・レスティス様ですけど、彼女は今回の件に絡んでますか?」

「そっちは安心して。あの方は王族ではあれ、今回の後継者争いには一切関わる事が出来ないの。聞いた事は無い? レスティスの姓については」

 言われて、頭を働かせる。どこかで聞いた事のある姓ではあったのだ。

「確か……ああそうだ。前代の大魔王陛下の関係者にそんな姓があったような」

「子息の一族よ。正当な後継者から臣籍に降下された際に賜った姓。ドロミア様はそこからさらに三代下の方なの。王族の中でも、格としてはかなり下になる」

 むしろ王族と呼べない立場とすら表現できる。そんな相手が謁見相手であったり、従者をしていたりするのを思えば、カーメイン一族の貴族としての立場が分かってくるというものだ。

(ま、今回に限っては親切だったと思おう。姉上と謁見の際に出会えたのも、そういう心配りがあったんだろうし)

 この広く人も多い王城で、姉とすぐ再出来た事は偶然ではあるまい。誰かしらが、師弟を合わせようと考えた結果だ。それがどの様な意図であれ、こちらの動きは幾らか把握されていると思われる。

「それと、後継者争いをしてそうな方々と、既にどこかの勢力が出来ているのならそれも教えてください。あとは……」

「ナイール、あなた……」

 と、ナイールの言葉にミスルエが口を挟んでくる。

「どうしました? 姉上」

「いえ、随分とまあ、頼もしくなったのねぇ」

 感心した様なそのミスルエの言葉に、ガンマが吹き出していた。

 そりゃあ多少は性根が頑丈にもなる。どこもかしこも、厄介ごとだらけなのだから。




 夕暮れの時間帯。王城で姉から聞くべき事を聞いたナイールは、定例の会議をすると指定した時間でもあったので、宿へと帰って来た。

 比較的大きな宿であり、自分と配下達に個室で部屋を取ったうえで、大部屋を一つ借り受けている。

 宿の主人は上客の登場に随分と喜んでいたので、さらに追加でチップを払い、細かい配慮を願っていた。特に、大部屋での話におかしな聞き耳を立てる輩がいれば報告して欲しいと言った形での配慮だ。

「さすがに、今の段階で警戒されては居ないだろうけど、それも時間の問題だろうと僕は考えている」

 宿の大部屋。と言っても、全員で六人集まれば、やや狭く感じる部屋にて、ナイールは椅子に座りながら、他の面々へ顔を向ける。

 会議用の机は置いていない。部屋の各所に椅子を配置したり壁にもたれ掛かったりしながら、お互いの目線を合わせる様な、雑な会議。

 だが、内容はカーメイン一族とその関係者に大きく関わる、重要極まりないものであった。

「大魔王陛下の後継者争い。それに巻き込まれているわけですか。我々は」

 ガンマの配下の一人。名前は確かグージ・ゴッドムという半魚人が手を挙げて発言する。表情にはガンマと違って緊張の色が見えた。

「恐らく。僕たちが王都へやってきたのは不運でもあり幸運でもある。僕らは王との問題に直接関わる事になったわけだけど、直接干渉出来る様にもなったからね」

「それって、どっちが不運でどっち幸運なんです?」

 と、手も上げずに発言するガンマ。王城に居た時は驚いていた風であったが、今は平静を取り戻しているし、むしろ雰囲気に軽さすらあった。

 そんな彼の胆力こそ、彼を誰かを配下に出来る立場に押し上げているのだろう。

「どっちもどっちだよ。ベストの話をすると、無関係でありつつ、それでも盤上を動かす黒幕にでもなりたいわけだけど、そんなのが出来てれば今、頭を悩ましてない」

 ただし、まだ最悪な状況でもない。それだけは良かったと胸を撫で下ろして安心しておく。明日になればどうなるか分かったものでは無いが。

「今、必要なのは、僕らがどうしたいかだ。後継者争いの問題から何とか離れるっていうのを第一目標に上げたいところだけど……」

「若ハソウ言ウ事ガ、無理ダト考エテイル?」

「その通りだよレイフォ。無理な目標は目指せない。全部が無駄骨に終わる。なんで無理かについてなんだけど……多分、姉上は王城で兄上には会えない」

「……」

 部屋がざわつきはしなかったが、誰もが動揺している空気は、皆が黙り込んだ方が良く出るものだなと思う。

 そんな沈黙が続くのは時間が無駄になるため、ナイールは言葉を続ける事にした。

「現状、もっとも動ける立場にあったのが兄上だ。状況も把握し、立場だって母上の後継者である以上、ハイラングの領主という顔でも動ける。けど、それが見えてこない。全然ね。つまり頭を押さえられてる状況ってわけで―――

「ミスルエ様が接触しようとしたところで妨害されるって事でしょう? で、その場合、ミスルエ様に何か害は向かうんで?」

 空気を変えるためだろうか、普段の多弁を発揮してくるガンマ。どうにも姉を心配する気持ちが強い気がするのは、流しておくべきだろう。

「裏にあった危険が表向きになる事はあるだろうけど……姉上の場合は、そっちの方が自分を守れる人だ。昼間に姉上にも言った事だけど、王城内の事は姉上に任せる。王都で動くのが僕らだ」

「ソノ話ナラ、我々カラ報告ガ有ㇽ」

 と、手を挙げるレイフォ。彼女の配下二人はまったく発言しない。黒犬の一族は上下関係が厳格だ。この場においての発言については、レイフォに一任されているのだろう。

「昼ノ間、不法デアロウ賭ケ事ヲスル店ヲ見ツケテ、三人デ寄ッタ」

「へぇ。そりゃなかなかに良さげな話になりそうだ」

 皮肉でもなんでもなく、そういう場所では街の情報が良く集まるのだ。

 場所の空気すら、王都全体の空気が反映されていたりする。

「三人デ王都二来テ浮カレタ空気ハ出セテ居タハズダ。ソコデ、賭ケニ負ケテミタ」

 なかなかにこれで演技派らしい三人。元々口数が少ないから、身振りで雰囲気を出すのに慣れているのだろう。

「誰かしら接触してきたかな?」

「アア、金ガ無イナラ良イ仕事ガ有ルゾトナ」

「詳細は聞いたかい?」

 首を横に振るレイフォ。深入りはするタイミングじゃない。そう判断したのだろう。お上りの田舎者を演じるなら、確かにそこは警戒するべき場面だろう。

 もし、詳しく話を聞くのなら、明日にでも困り顔でその店へ向かったタイミングか。

「まだ断言出来ないけど、街に来たばかりの輩にまでその手の裏がありそうな仕事を紹介してくるのは、どこかの層が焦っていると見るべきだ。後継者争いとも無関係とは思えない」

 幾つか候補を頭の中に浮かべておく。他の者にはそれを直接は伝えない。行動に余計な先入観を与える事になるから。

「店の名前と、仕事を紹介してきた奴の人相を後で教えて欲しい。あと、明日も三人のうち一人はその店に顔を出しておいてくれよ」

 頷くレイフォ。それを見て、ナイールはガンマの部下たちにも目を向けた。

「そっちの方は、収穫はあったかい?」

「ガンマさんがナイール様に付き添っていたので、我々は街を練り歩いていろと指示されていました。何件か酒場なり土産店を回っていたのですがその……」

 複雑そうな表情を浮かべているガンマの部下、グージがもう一人と顔を合わせながら、言っても良い話かと考えている様子だ。

「良いよ。話して。今は兎に角些細な話でも聞きたい」

「では……目ですかね。常に見られている感じがあらゆる場所でありました」

「うん? 監視されてるって事?」

「いえ、見てる側は分かるのですよ。一般の人です。同一人物ではなく、どこに居てもどこにも居る様な。そんな普通の人から、かなりの頻度で妙な目で見られるというか……」

「ああ、そりゃあ後継者争いとは別の王都の状況が原因だな。昨日今日始まった事じゃあないから、噂で聞いた事あるよ。王都において、俺達は珍しくなっちまったらしい」

 ガンマの言葉に、ナイールも納得する。

 彼が言っているのは、王都内の人口を占める構成種族についてだ。

 ナイールの様な魔族が多数派であり、比較的その魔族に近い外見の種族が次に多く、ガンマやレイフォの様な半ば人型から離れている種族はかなり少ないらしい。

 この傾向は王都に近い程に強くなり、地方へ行く程に少なくなる。

 ナイール達の故郷、ハイラングではガンマ達の様な種族は自然と受け入れられるので、王都に来た時の違和感を強く覚えてしまうのだろう。

「噂話が事実であった事が確認できただけでも、今は上等だよ。明日以降も、同じ様にするつもり?」

「別に指示があれば、無論従います。何かありますか?」

「そうだね。明日も引き続き似た行動をお願いしようかな。別の取っ掛かりがあれば見つけてくれると有難い。ガンマ。明日は君もそれをする事」

「何時までも旦那に付き添っていると嫌がられますからね。了解でさぁ」

 と、一通り確認と指示を終えたところで、今回の会議の結論を出す事にする。要するに、今後は何を目標にするかだ。

「僕たちがするべき事。それは後継者争いをしている連中と、その派閥を把握する事だ。逃げ出せないなら、積極的に踏み入ってみるのも手だろう。けど、足場の方はちゃんと選ぶ必要があるってわけさ」

 だから今、ここに居る彼らには、さらに王都の状況に深入りして貰う事にする。人と人との繋がりが、よりややこしく結びついている状況を、見つけるために。




 王都に来て二日目の夜。会議も終わり、明日への休息を取る時間帯。

 ナイールは自らのための個室にある窓を開き、そこから王都の夜を眺めていた。

(当たり前だけど、ハイラングとは見える景色が違うか……)

 宿自体、それほど高い場所に位置していない。部屋は二階部分にあるため、他の建築物の影が景色を遮っている。

 昼間は広く、大きく、発展して見えた王都は今、何故かナイールに狭苦しさを感じさせていた。

(こういうの、夜が深いって言うんだろうか。案外、こんな夜に動いてる連中を調べるなんてやり方が正しかったりして)

 なんとなしの思い付きだが、今後の行動に詰まった時は、案の一つにしようと頭の中で保留しておく。

 そうしているとふと、気が付く。

(ああ、狭いと感じた理由は風か。ここの風は、緩やかで、どこか温かさがある。ハイラングとはやっぱり違う)

 突き刺すような冷たさと鋭さ、そして海の潮の香りを持つあの風が、ナイールにとっての世界を感じさせるものであるのだ。

 王都の風は、どうにも入り組んだ路地を通って来た様な、そんな心地の悪さを感じてしまうのである。

(これは僕の方が変かな。大概の人にとって、この風こそ居心地が良いと感じるだろうし、ハイラングは冷たい。ひたすらに)

 新参者があの土地に長居すれば、周囲との関係性がどれほど良くても土地に嫌気がさすだろう。

 それでも、だとしても、ナイールにとってはあのハイラングが故郷であり、落ち着く場所であるのだ。

(北の土地は人の心を凍てつかす。だっけ? そんなわけも無いんだけど……違う様にはなるんだろう)

 同じ大魔王に統治された魔界という土地。一括りにされているが、その土地に寄って考え方も文化も違っている。ナイールはそう思う。

 ナイールにとって、その違いは見ていて面白いと感じるものなのだが、今はそうも言っていられないだろう。

(魔界という土地は、大魔王という存在がそれをベール一枚で包み込む様にして漸く統一されている。それが今、破けたまま放置されている。こんな状況が長く続けば、それこそ―――

 思考が中断する。王都の夜の闇の向こうで、何かが動いた気がしたのだ。

 目を凝らす。

 人影が二つ、宿に面した道を走る。そうしてさらに続いて複数の人影。

「追われてる……?」

 ナイールはその言葉を発したすぐ後に走りながら部屋を出る。こちらのドタバタとした音を聞いたのだろうナイールの個室の両脇に部屋を取っているガンマとレイフォが顔を出していた。

 丁度良い。

「レイフォ、ガンマ。武器を持って宿を出る。事情は移動しながら説明する」

「了解」

「あいよ!」

 すぐさまに返事が来るのはさすがに長い付き合いだけあると思う。

 部屋からそれぞれの武器を持って再び出て来る二人を確認し、ナイールは宿を出た。

 自身も黒い鉄の杖を持った状態でだ。

「暴漢に襲われてそうな輩を助けるってなぁ、なかなかに人が良く無いですかい、旦那?」

「だろうね。ただの強盗とかだったりすれば感謝だけされて、その後は無駄骨だ」

 宿を出てからは影が進んだ方へと走る。こちらはナイール含めて三人。向こうの影の数はそれより多かったから、急げばこちらが追いつくだろうと思う。

 問題としては、追いついたからどうなるかという事。

「向コウガ手練レナラ、私達ハ不利ダ」

「もっともだ。そこも見極めて行動しよう。けど、その時間はあんまり無さそうだよ」

 宿の前を走った人影に追いつく。

 予想より早い。というより、追っていた側が既に追われていた側を追い詰めている。

 本当に時間が無かった。追っていた側の影の数は六人。こちらの倍だ。それぞれが剣や棒で武装しているが、軽装であるのはこちらと一緒でそこは幸運。

 不運な部分としては、その影のうち何人かが、こちらに気が付こうとしているところか。

 故に判断は今。

「レイフォ! 追い詰められてる二人を守れ! ガンマは僕と連中を相手にするぞ!」

 二人の返事は無い。ナイールの発言に反したわけでも、勿論無い。ここに来て、ナイールの指示に逆らう者では無いというだけだ。そうして、いざ戦いとなれば、いちいちの迷いが不利を招く事を知っている。

 ナイールもまた一切止まらず、追ってきた勢いのままに、六人の影へと接近し、まず一人を杖の届く範囲に収めた。

「なんだて―――

 会話も不要だった。とりあえず手に持った杖で、その影。全員が男であった武装した連中の一人を、杖で叩く。

「ぐぇっ!?」

 いったい何が起こっているのか。それすら分からなかっただろうその男は、ナイールの杖で顔面を殴られて気を失った。

 まずは一人。いや、ガンマも同じくの様子だったので二人仕留めた。残りは四人。

 そのうち三人は構えた武器を襲い掛かってくるナイール達に向ける。もう一人については追っていた二人に武器を向けたままだ。

(動きに迷いが無い。向こうも戦闘訓練を受けているか経験がある……が)

「なぁ!?」

 また一人、男が悲鳴を上げた。レイフォがナイールの指示に従い、他の暴漢を掻い潜って、その奥の、襲われている二人に武器を向けている男を背中から叩いたのだ。

 威力も速度も十分なそれは、さらに一人の暴漢を倒すに至った。残り三人。数的有利は向こうに無くなる。そうして―――

(こいつらは兵士と呼べるかもしれないが、僕らよりは練度が低い)

 だからすぐに、四人目の悲鳴が聞こえてきた。ガンマが得手とする三又の槍(王都に持ち込む用に刃の無い木造りのものだ)を使って、さらにもう一人を打ち倒したのである。

 そこで漸くナイールが口を開く。

「残りの二人。今日あった事は見ないフリをする。そこに転がった四人についても同じくだ。僕らは放置する。だから追っていたそこの人達からは手を引け。一旦は全部振り出しだ。言っている意味が分かるか?」

 残り二人の暴漢はナイールの発言を聞いて呆気に取られていたが、次にはお互い目を合わせた後……暫く考えてナイールに対して頷いた。

睨み合ったままの状態が続き、レイフォが暴漢に襲われていた二人をナイールの背後まで連れて来る。

 ここに至っても、レイフォとガンマはこの様な荒事に連れ出したナイールに文句は無かった。

 それは当たり前だろう。

「ナイール……良かった。聞いた通り、あの宿に居たのね」

 追われていた二人のうち一人は、昼に会ったばかりの姉、ミスルエ・カーメインだったのだから。

「姉上。話は後だ。これから、あの宿に一斉で走る。良いね?」

 ミスルエが頷くのを見て、ナイールは走り出す。暴漢は放置した。放置せざるを得ない。むしろ全滅させずに無事に返す事が重要だった。

 事態がさらにややこしくなったのだ。これ以上、状況を複雑にするのは極力避けたかったのである。

 何せ襲われていたのはミスルエともう一人、こちらも今日出会ったばかりの相手、王族、ドロミア・レスティスであったのだから。




「分からない。分からないのよ。あなたと話をした後、私なりにお兄様に接触しようと準備はしていたけれど、出来たのはそこまでよ? まだお兄様に会えもしないタイミングで、あの暴漢達に襲われた。それも王城での話なの」

 襲われていた二人、姉のミスルエと王族のドロミアを宿へと保護したナイール達は、彼女らから事情を聞いていた。

 と言っても、状況の全容はなかなか掴めない。

 事が起こったのは今より少し前。王城にて、ミスルエがドロミアの部屋にて彼女の世話をしていた時間帯だったらしい。

 何故か、監視が厳重なはずの王城内において、先ほどの暴漢六人が現れたそうだ。

「部屋は囲まれていなかったわ。ただ、ドロミア様の部屋は一階側にあって、窓から侵入しようとしてきた。だからそのまま、部屋から扉で出る形で逃げ出して……」

 王城内の衛兵に助けて貰おうとしたらしいが、何故か居なかったとの事。

「そんな事って有り得るんですか姉上。さすがに衛兵が誰も居ないなんて……」

「ドロミア様はその……ほら、血統的には重要視されていないから、王城内では……」

 かなり言い出し辛い事なのだろうか。ミスルエはちらちらとベッドに座っているドロミアの方へ目を向けていた。

 ドロミアの方についても、ミスルエの言葉に反応して、少し震えている。

「……例えば王城の端。衛兵の監視も手薄な場所に部屋が用意されてるってわけか。じゃあ、内部の者が鼻薬を効かせて、衛兵の監視を無くす事も不可能じゃあないかな」

「王城内は安全じゃないと思って、二人であなたが居る宿へと向かったのだけれど、あの暴漢達も何事も無いみたいにそのまま追って来て……ナイール……けど、そんな事がある……?」

「動きは早いですよね。ただ、この王都内で起こっている事を考えれば、突拍子もないやり方でも無い」

 大魔王の後継者争いというのは、それだけ規模が大きく根が深い話という事だ。様々な権力者が関わっている以上、荒っぽい行動が出来るか出来ないかなどというのは問題では無い。

「僕らにとって重要なのは、あなた達二人が襲われたという事実です。僕ら側の事情は昼に話をしましたから、今、知らなければならないのはドロミア様」

「っ……!」

 びくりと、ドロミアの肩がまた震える。そんな様子を見て、ナイールは彼女への対応を決めた。

 彼女に一歩近づき、その後に膝を突いたのだ。小柄な彼女と目線を合わせ、決して上から見ない様に。

「よろしければ、ドロミア様についての話を続けたいと考えているのですが、いかがですかね?」

 出来るだけ威圧しない様に、優しい言葉に努める。

 何かをしてくれとも言わない。ただ、ナイールの目的だけを彼女に伝えた。

「あ……あう……あ、あなたは……わたくしの、敵ではありません……?」

 昼に会った時より威厳が八割程減じた、か細い、見た目通りの少女の声が返ってくる。

 美しい金の長い髪は彼女の弱さを象徴する様に儚く見え、端正かつまだ幼い顔立ちは、今にも割れそうだった。

 少なくとも、ナイールにとっての敵には見えなかった。

「あなたにとって、我が姉。ミスルエ・カーメインは敵でしょうか?」

「ち、違います。ミスルエには、とても良くしてもらって……他の従者からは軽く扱われるわたくしなのに、ミスルエだけは……」

「なら、僕も敵ではありません。カーメイン一族は、あなたの味方です。ですから、とりあえず息を深く吸って、そう、それから吐いてください」

 優しく笑いながら、ナイールの言う通りに息を吸って吐いて、心を落ち着けているドロミアを見つめていた。

 確かに彼女は敵では無い。むしろ見る限りにおいては被害者側だ。今、王都で起こっている権力闘争の中において。

「姉上、ドロミア様の立場は、確か昼に伺った通りの?」

 再び立ち上がり、ドロミアから離れてから姉に尋ねる。

 王族の中においては、後継者争いに関わるはずも無い遠縁どころか、今の大魔王からは縁すら無い程度の血筋。

 そこについては疑いが無いらしく、ミスルエは頷きで返して来た。

「つまり、一気に事が動き出したって思ったのに、実際のところは厄介な状況がさらに厄介になったって事で? うへぇ、こりゃあまた大変だ」

「ま、良い事なんてね、あんまり無いよ。世の中ってそういうものさ」

 ガンマの軽口は空気を変える。少なくとも部屋にあった重苦しい雰囲気は、少しは緩和しただろう。ガンマもそれが出来る瞬間を伺っていたのかもしれない。

「若……デハドウスル?」

 レイフォが決断を促してくる。彼女も分かっているのだ。この状況は先送りには出来ない。ややこしくなっただけであったとしても、何かしらの答えを出す必要があると。

「事は起こったんだ。本当に何も変化が無いってわけでも無い。とりあえず、状況を整理しようか」

 今日、ナイールがミスルエに出会った日に、ミスルエは襲われた。これは偶然ではあるまい。何らかの因果関係があるはずだ。

 本来権力闘争から遠い立場にいる者のそんな動きに、何故か迅速に対応してきたのだ。二人襲った暴漢達は。恐らく、何者かの指示に寄って。

「……姉上。兄上と会うための準備をしたそうですけど、それはどういう?」

「準備は、本当に準備だけよ? お兄様は王城でも大魔王陛下の側近の一人、ホーン・ドーン親衛隊長の派閥に属していて、王城内における事務作業の幾つかを任されているのは知っているわよね? 会うにしても王城の陛下の王座に近い位置に執務室があるから、そこへの通行許可を取ろうとしていたの。普通なら一日で下りる程度の話」

「じゃあ、許可を貰うために衛兵へ申請はしたんですよね?」

「そう。けれど、そんなのは誰だってしているのよ? 逆にそれ以外なんて出来る時間は無かったし……」

 姉の、なんでも無さそうな発言を聞いて、ナイールは逆に、内心に冷や汗が流れるのを感じた。

 それが実際に外へ出ようとするのを必死に抑えながら、ナイールは考える。

(不味い。不味い不味い不味い。姉上とドロミア様。この二人には……失態がまったく無い! 今、この状況においては王城内で暴漢に襲われる理由なんてまったく無いんだ。となると……これは僕らの立場そのものを狙った事じゃあないか!)

 ハイラング領主の一族と、先代大魔王の血族。ただそれを持っていただけで襲われた状況だ。

 これが意味する事を考えて、ナイールの焦りは留まってくれない。

(最悪の状況の、これはさらに上だ……どうなってるんだ今の王都は。どうしてみんなして平穏無事みたいなフリが出来ている?)

 手を考えなければならない。賭けになるかもしれないが、それでも何某かの手を考える必要があった。

「ドロミア様……再びよろしいでしょうか」

「なんでしょう。その……」

 おずおずと言った様子のドロミアを見て、ナイールは焦る心を隠しながら、それでも微笑み掛ける。

「ナイール、ナイール・カーメインです。姉のついでで大丈夫ですので、お見知りおきを。ただ、一つだけ。王城は今、危険です。ですので、明日中はこちらで保護させていただいても大丈夫でしょうか?」

「明日だけで、良いのですか?」

 そう尋ねるドロミアに対して、ナイールはただ頷くしか出来ない。

「はい。明日だけで十分です。それだけで、無事、王城へお返し出来ると考えています」

 お前は大嘘を吐いているな、ナイール。

 自分の中の自分が蔑んでくる。

 ああ、その通り、これは大嘘だ。明日一日あれば無事になるのではない。

 明日一日で安全を確保出来なければ、ナイール達の無事は保障出来ない。それが実際のところなのだ。

「レイフォ。明日、君の配下二人に頼んでいた調査は僕と君で行う。代わった二人はここで姉上とドロミア様の護衛役だ。分かったかい?」

「了解。スグニ伝エテ来ル」

 そのまま部屋を出ていくレイフォ。そうだ。今はやるべき事をやっていくだけだ。賭けにしかならない行動であるが、それでも、何もしないよりはマシになるのが現実というものの世知辛さだろう。

「俺達はどうします? また、変わった指示でもありますかい?」

「ガンマ。君たちがやる事は変わらない。ただ、身の安全だけはしっかり確保しといて欲しい。命優先だ。意味は分かるね?」

「……了解」

 もう一言二言を付け足して来ない事を思えば、ガンマもこちらの意図を理解してくれたのだろう。

 彼らには命を優先して貰う。ナイールの命よりもだ。

 もし、明日、ナイールの身に危険が及ぶ事があれば、彼らにはナイールを見捨て、ハイラングへ帰還して貰う必要がある。ナイールが失敗した後は、病床の母、イラース・カーメインがそれでも動かなければならないのだから。

「さて、今日の話についてはこれくらいかな……夜も更けて来た事だし、何をしようとしたって何もできやしない。ドロミア様、姉上。どうか今日と明日はここでお休みを。護衛二人では心許ないかもしれませんが、必ず、明日中に何らかの決着を付けてきます」

「分かったわ、ナイール。頼んでばかりだけれど、よろしくね」

 姉の言葉に頷き、ドロミアの方も確認するが、彼女はまだ、こちらに対して不安そうな視線を向けていた。

(そういう目で見ないでくれよ。相手がどういう存在か、分かってないのはお互い様なんだからさ)

 と、心の中で不遜な事を考えつつ、ナイールもまた休息を取る事にした。恐らく、その休息の後に、暫くは働き続ける事になるだろうから。




 昨日、レイフォが配下を連れてやってきたという王都の内のスラム街にある不法賭博場。

 場所と道具さえあれば、どこでだって行える賭博というのは、法に反していたとしても取り締まる事が難しい。

 王都への観光客すらもそういう場所で遊べる機会があるというのは、なかなかの根深さもあるのだろうとナイールは考えている。

 その賭博場へと入ったすぐの場所で。

「活気があるね。大手を振って出来る事でも無いのにさ」

 外観はただの民家に見えたその場所であるが、中に入れば地下への階段が用意され、その奥にはさらに大きな空間があった。

 その空間こそが賭博場だ。絨毯が敷かれ、賽やカードが従業員と客の間に飛び交っている。

 従業員の身なりはかなり良いものであり、人気のあるコーナーでは魔法を使える者が、各種魔法を使ったアトラクションに近い賭け事をしている。

「あれ、なんだろう。人気があるゲームなのかな?」

 と、試しにレイフォに尋ねてみる。ナイールが指さす先には、従業員の一人が両手に杖を持ち、片方の杖の先端から緑の光がふわふわと浮かびながら、もう片方の杖へと向かい、消えていく。そんな光景があった。

 複数人の客がその光の動きに一喜一憂をしている以上、何らかの賭けが行われていると思うのであるが……。

「アノ緑ノ光ハ魔法ノ光ダ。杖ノ間ニ光ノ玉ヲ移動サセテ、ソノ間ニ玉ガ幾ツニ分カレルカヲ当テル」

「ああ、魔力光かあれ。確か基本的な魔法だから魔法を学べば誰でも出来る様になるそうだし、その光の拡散度合いはランダム性があるみたいな話を聞いた事があるな。なるほど。光の数を賭ける」

 魔法は頭でっかちな学者が使うもの。そんな認識がある我らが魔界であるが、それを娯楽に転用する者もこの賭博場を見れば少なくはないらしい。

 複雑な魔法を使えなくても、派手な賭けは出来るのだろう。見れば魔法を使う従業員は、光が出る側の杖から緑の光を放ちながら、一旦、もう一方へ向かわせるのを止めている。

 その間、緑の光の片方の杖の先端で強くなったり弱くなったりを繰り返していた。

(このタイミングで、光の強さを見ながら、客は光が幾つに分かれるかを予想するってわけだ。観察眼があれば見分けられるはず……なんて思う客がいればカモなんだろうな)

 と、そこまで考えたナイールは、さっそくそこへ向かった。そうして大きな声で言い放つ。

「三つに分かれる。賭ける金はこれ全部だ」

 と、金貨の入った小袋を従業員の前にある机に置く。他の客がそんなナイールの様子にどよめく中、従業員が微笑んだ上で口を開いてきた。

「おや、見ない顔ですね。王都の外からいらっしゃったお客様ですか? なるほど、さっそく派手な事をしようとやってきたわけ―――

「もう一つ。これも全部賭ける」

 一度目の小袋と同じものをさらに懐から取り出し、やはり机に並べる。どよめきはさらに大きく、そうして従業員の言葉は一旦遮られる。

「お客様。よろしいですか? この賭けには確かに上限を定めていませんが、助言をすると、それほど当たる確率は多くない。光の数は凡そ一つから四つに分かれるもので、さらにそれぞれの数に偏りが」

「三つ目。一応確認だけどこれって客同士だけでチップのやり取りをするわけじゃあないよね? 親役は常に賭場側って考えてるんだけど、間違いじゃない?」

「それは……その通りですが……お分かりですか? 賭けというものは―――

「ならさらに一つ。おっけー。そっちが勝てば大儲けだ。大チャンスだよ君。僕は四つのうちから一つが当たらなきゃ大損になる。なかなかに楽しい賭けになってきた。だよね、レイフォ?」

 と、何時の間にかナイールの斜め後ろに立っているレイフォに話しかける。

 彼女は言葉を発せずに頷くのみだ。いつも通りの鋭い目つきで、ただ周囲に仏頂面の圧を掛け続けている。

 勿論、賭場の従業員にもだ。

「ははは。これはこれは。随分とその……大丈夫ですか?」

「大丈夫かどうかなら、君の方にこそ聞きたいんだけど。この賭場って空調は万全じゃない? 汗をかいてる様子だ」

 それは恐らく冷や汗とか脂汗の類だろう。ちなみに特段、賭場内が暑いという事は無い。ナイールの方は汗一つかいてはいなかった。

「よろしい。よろしいですとも、掛け金は十分。さっそく始めて―――

「ああ、始めても良いけど一つだけ」

「な、何か?」

「不正なんて無いと思うけど、不手際だけは勘弁してよ。額が額だ。勝つにしても負けるにしても、こっちは恥をかく事だけは避けたいんだ。絶対に。意味、分かるよね?」

「……」

 従業員の手が、ここに来て止まる。事が賭け事だけに収まるのであれば、彼とて表情を変える事なく仕事を続けられたのだろうが、最後のナイールの言葉で、手が震えてしまっていた。

(まあ、そりゃあそうだろう。賭けの種類的に、ちょっとした遊び程度のものだ。大きな勝ちも大きな負けも無い種類の業務で、これだけプレッシャーを掛けられればね)

 彼はナイールをどう見ているだろうか。厄介な客。口うるさい金持ち。そうして、金では無く兎角プライドの方に価値を見出す、失態を絶対に許さないタイプ。

 そんなのを相手にするだけの、客商売の経験が今、試されている。

「失礼。よろしいですかなお客様」

 そう言って話しかけてきたのは、冷や汗を流している方では無く、賭場を歩き回っていた従業員の一人だった。

 丁度、賭場全体を見張る様に動き回っていたので、恐らくは賭場の管理者も兼ねた職の者だろう。

「何かな? えっと、この賭けが終わってからの話にはならない?」

「申し訳ありません。そちらに関しては完全にこちらの不手際でございます。お客様の賭け額に対応したものでは無いのですよ、これは」

「え? そうなの?」

 と、冷や汗を掻いたままの従業員に尋ねてみるも、彼はこちらに、すごくすごく硬い笑みを返すのみだ。

「よろしければ、わたくしの方がお客様にとって適切なゲームを紹介させていただきますが」

「うーん……そりゃあ、してくれれば有難いけど。けどそんなのあるかな」

「重ね重ね失礼します。本日ご用意していただいた予算を多少、教えていただければ、勿論、相応しい席へ案内できますとも」

 と、その言葉を聞いたナイールは、漸く満足したという風に笑った。そうして従業員に告げる。

「賭け事に大負けした連中の命」

「は?」

 今度はこっちの従業員も言葉が詰まってしまったらしい。良く聞こえなかっただろうか。掛け金となるチップの話をしていたと思うのだが。

「だから、賭けに負けた連中をさらにチップにする様な事が、ここで行われているんじゃないかって、そう聞いている」

 今度はしっかり聞こえる様に、相手の耳元に口を近づけ、他に聞こえぬ小声で話す。

「……あなたは、何者ですかな?」

「敵じゃあない。けど、そっちはそうだと判断出来ないだろうから、とりあえずこっちの事情なりを明かしたいんだけど……どこでするのが適切かな?」

「はて? わたくしどもにはさっぱりで……」

「そこの机の上に乗せた掛け金はすべて渡す。とりあえず、それが面通し代って事でどうだろう?」

「……お客様。本気で言っていらっしゃると考えてよろしいので?」

「冗談気分なら良いんだけどね。けど、本気だ」

「分かりました。ではこちらへ」

 話は通ったのか通ってないのか。それは分からないが、状況は進展する。案内されるのは賭場の奥。客の立ち入りが禁止されている通路の先。

(けど、引き続き、僕にとっては賭場ではあるんだろうさ。この先に何が待っているのか。それは賭けでしか無いんだから)

 賭けるチップはナイールの命と、カーメイン一族の名誉あたりか。何にせよ、賭けから下りればそのチップよりもっと大きな物が没収されるというのだから、止めるわけには行かなかった。

(問題はさ。賭けから下りれないなんて事がバレない様にする事だよ。違う?)

 と、内心で思いながら、横に付き添うレイフォを見た。レイフォから返って来た視線は、また、何か厄介な事を始めるつもりなのかという冷ややかな……いや、かなり焦りの入った目線。

 何時も冷静な彼女にしたところで、ナイールのやっている事は訳の分からぬ事に映るらしい。

(分かってる。全力は尽くす。それしか今の僕には出来ない)

 言葉に出さないそれは、レイフォに伝えたというより自分に言い聞かせるものでもあった。




 賭場の奥と表現できるだろうか。従業員用らしき廊下の奥にあるとある部屋へと案内されたナイールを待ち受けていたのは、二人の男だった。

 痩身で眼鏡を掛けた男が立ち、その隣では豪奢な椅子に座った身体の太い禿頭の男がこちらを睨む。

 二人ともナイールとは大きな机を挟んでの対面であり、扉の傍に立つナイールとはそれだけ距離のある相手だと、物質的にも教えて来ている。

(二人とも顰め面なのはどうかと思うけど。暫く部屋の前で立たされてたんだから、こっちの様子を聞く時間はあっただろう?)

 謎のボンボンが賭けで妙な事を言い出した。話を聞いてくれと従業員から頼まれた賭場全体の管理者は、渋々に対面する事になる。そんな状況が今のはず。

(あ、なるほど。じゃあ顰め面も浮かべるか)

 と、ナイールはまず自分が置かれている状況に自分で納得した。

「で、なんなんだい? あんた達は。俺の手を煩わせない様にといちいち言い聞かせている部下がわざわざここへ案内するなんざ、それなりの様じゃなけりゃ、あんた達を案内した部下の首を飛ばす必要があるわけだがね」

 と、椅子に座ったままの禿頭の男が話をする。痩身の男は腰に手を置いて黙ったままなので、賭場の管理者は禿頭の男の方なのだろう。

「お初にお目にかかります。私の名前はナイール・カーメイン。隣の者は私の従者です。本日は私の名前をあなた方に知っていただきたく、少々無理をした事をまず、謝罪させていただきます」

 と、一度頭を下げてから持ち上げる。

 禿頭の男は隣に立つ痩身の男に目配せすると、痩身の男は首を横に振る。

 その仕草を見て、禿頭の男は溜め息を吐いた。

「ま、礼儀に関しては知ってるみたいだが、無理をしたって自覚があるのはいただけねぇ。つまり、こちらに対して舐めた真似をしたくってしたって事だからな。面通し代だったか? ま、あれは受け取っておくが……それだけだ」

 あとは二、三の言葉で終わりにするぞ。見ず知らずのナイール・カーメイン。そんな意味が込められていそうな返事を聞き、ナイールはその二、三の言葉を続ける事にした。

「では、ここで民間から兵を集めてるという話は、他所でしろと?」

「……なんだそりゃ?」

「賭けに負けて払えるのは自分の身体だけみたいな相手に、そういう商売を紹介している最中なんでしょう? 惚けるのなら、この横に居る相手に仕事の話を持ち掛けるべきじゃあなかった。例え、仄めかす程度でも」

「……」

 まあ、この程度が続ける言葉だ。完全にブラフでしか無い言葉であるが、禿頭の男が再び立っている痩身の男と目を合わせ、その男が頷くのを見て目付きを変えた。

「おい、小僧。ナイールとか言ったな。舐めた真似程度なら恫喝だけで済むが、もうその程度じゃ収まらなくなったぞ。分かってんのか?」

 怒りというよりは脅迫の念を込めて来る禿頭の男。ただの小僧なら震えだして、ひたすらに土下座でもしてしまいかねない圧があった。

 が、まあ、その程度だ。

「その程度で収まりたくないから話を持ってきました。うちの領が関わる話なんだ。冗談で済ますものか」

「領?」

「既に名乗りましたよ。僕はナイール・カーメイン。ハイラング領の領主イラース・カーメインの代理としてここに来ている。その意味があなたに分かりますか?」

「領主だとぉ?」

 禿頭の男は目を見開くや、こちらへの観察を始める。

 足の先から頭の天辺までぎろりと目を移動させ、そうして言葉を発する……前に、ナイールの方が先に口を開いた。

「とりあえず話を続けるなら、この場で一番の上役に対してにしたいんですけど、そちらの許可をまず貰えませんか?」

「ああん?」

 その言葉の意味が分からないと言った風の禿頭の男。だが、ナイールはそちらの男には目を合わせず、隣に立つ痩身の男に視線を向けた。

「重要な事はいちいち目配せの後となると面倒でしょう。話が倍、長くなる。違いますか?」

「……ま、それはその通り。ただこちらの男は、確かにこの賭場の管理者ですよ。ここでの私の名代と言ったところです」

「ボス!」

 痩身の男が口を開いた事に驚いたのは、禿頭の男だった。

 交渉の場において、あからさまに偉い雰囲気を出している者が、実はそうではない者のより下であるなどというのは良くある話だ。

 相手の様子を探る時は、第三者で居た方が良く事が見える。ただ、交渉をする双方ともにその第三者がもっとも重要人物である事を分かっていれば、ただの茶番だろう。

「今度はこちらが失礼を謝罪する番だ。私の名前はヌギル・ゲンガオン。今はこの賭場の運営者と名乗るべきですかな?」

 言いながら、ヌギル・ゲンガオンを名乗る男は机の向こうからこちら側へと移動する。

 少しの移動であったが、多少は距離が近くなったかもしれない。

 いや、少しどころではあるまい。

「その名前……名乗ってもよろしいのですか?」

「なるほど。それが言えるくらいには情勢が分かっているらしい」

 ヌギルは眼鏡の奥にある目を若干歪ませる。それが感心か喜びか、それとも値踏みかは分からないが、彼の名前についてはナイールにも分かる。

 ヌギル・ゲンガオン。魔界の東方に位置する広大で豊かな領地の運営を任された一家。ゲンガオン家の一人だ。

 現在の王都を作り上げ、魔界を統一した数代前の大魔王の功臣の一人からその血筋が始まり、統一後の粛清を生き延び、今もその権勢を王城内にも轟かせているという、そういう一家の名前を、ナイールは今、こんな場所で聞いたのである。

(立場的には領主一族同士ってところではあるんだけど、ハイラングなんかとは比べ物にならないくらいに広いし一族も大勢と来てる。普通ならこうやって話すにしても準備が何段階も必要になってくる)

 そのはずなのに、今、ナイールがこの様に出来ているのは、まず幸運だろう。

 賭けには勝っている。まだこの段階では。

 だからまず、手っ取り早く差し出せるものは差し出しておく事にした。

 この場で跪いたのだ。

「本来であれば貴殿にお会いするのも憚られる状況ですが、この様な手段であろうともお会いしていただき、感謝の言葉もありません」

「いえ。あくまで非公式の場である以上、顔を上げていただきたい。私の方も、ゲンガオン家当主の名を預かる者の一人でしか無いのですから。そちら呼び方はナイールさんでよろしいですかな? そもそも、私がここに居るであろうとあたりを付けたのはどうしてと尋ねたいところですが……」

 と、ヌギル・ゲンガオンは話を続けるより先に、部屋の隅にあるソファーに目を向ける。

 対面にそれぞれ置かれた二脚を示されるという事は、客人としては認められたらしい。真っ先に跪き、立場はナイールが下である事を明確に示した甲斐があったものだ。

 お互い移動し、ソファーに座る。それぞれ一つずつしか無いため、レイフォと賭場の管理者ではあるらしい禿頭の男は、それぞれの主の背後に立ったままである。

 深く沈み込み、すぐさまに立つことが困難になるソファーはある種の罠だなと思いつつ、ナイールは話を再開する。

「あなた方の様な、多くの権益を持つ貴族というのは、手広く商売もしている事は知っていました。今の王都の情勢を考え、そういう商売も絡めながら、普段とは違う事をしているという事も」

「なるほど。賭場において身持ちを崩した者に、積極的に仕事を紹介するというのは、普段とは違うと思われたわけですか」

 ヌギルの言う通りである。賭場が金を持った客からそれをむしり取るのは普段の光景だろうが、そんな相手に積極的に仕事を紹介するというのは、あまり無い話であった。

 無論、弱みを握り、非合法な事をさせる場合もあるだろうが、必ず相手を選ぶ段階が存在している。

 その日に来たばかりの客にまで声を掛けるのは異常だ。

 故に紹介される仕事とは、緊急にでも人手が欲しく、さらには比較的合法に見える仕事という事。

「今、王都は不穏な状況にある。その原因が何であるかくらいは私にも分かっています。今、ここで言うのは……」

「憚られる話題。それだけ伝えてくれれば結構。なるほど。我々のゲンガオン家が有事において行動出来る私兵をどうしても集めたがっていると、気が付く事は出来るわけですか」

 顎に手をやって、感心した様に頷くヌギル。それがどれだけ本心から来るものか分かったものではあるまい。

 未だ彼は、こちらを値踏みしている最中だ。

「しかし、実際に私の様なものに出会える可能性はあまり無いでしょう。この賭場とて我々ゲンガオン家が所有する施設の一つでしかない。王城にいる方々に目を付けられれば、すぐに閉鎖して無いものにする程度の」

「それでもここに来た理由は二つあります。一つはやはり有事だという事。直接仕事を持ち掛けて来る賭場となれば、今や相応の立場の者が定期的に監督している可能性が大きい。良く働けている家なら特に」

「なるほど。可能性としては上等なものかもしれませんね。では、もう一つは?」

 ヌギルによる質問が繰り返される。それに答えないなどという選択肢はナイールには無かった。

 向こうがこちらにどれだけの価値を見出すか。今、肝心なのはそこであるからだ。

「ここは賭場でしょう?」

「うん?」

「賭場なら、後は賭けです。一応、私はそれに勝った形になる」

 そっくりそのままを伝える。

 あなたに会いたくてここまで来たが、最後には自身の運に賭けたと。

 存外、こういう部分を評価する者は多い。実際に、その運に任せた行動で結果が出たとなれば特に。

「……良いですね。良い胆力をしていると評価しておきましょうか。失敗したら、あなたの立場が無かったと考えれば特に面白い。カーメイン一族……そうか失礼ながら今、思い出しました。大陸北方、ハイラング領を統治する武闘派の一族でしたね」

「そんな表現をされてるんですか? うちは」

「ええ。知らなければ知っておくべきですよ。侮れないという評価の一種でしょうから、利用する価値がある」

 否定はしない。この王都より離れれば離れる程に、魔界における大魔王の権威は薄れ、直接的な武力が物を言う世界になるのだから。

「ですが、私があなた方を思い出した事は、あなたにとって不運かもしれない。カーメイン一族は今、王都においてどういう立場にあるかも思い出しましたから」

「はい。私達一族は王家親衛隊長派閥にあります。あなた方ゲンガオン家にとって、大魔王陛下直下という名目で力を持つ派閥は対立関係にある事も十分に理解しているところです」

 王城内の派閥にも色々あるが、大きく分かれるのはそんな二者である。

 大魔王とその直属の部下。大魔王が持つ権威や権力こそがこの魔界における最上のものであり、その威光の下で力振るう派閥。

 そうして、ゲンガオン家の様な、王都外に領地を持ち、そこに権力の主体を置く派閥。

 内と外とも表現できるだろうか。本来、ハイラング領主のカーメイン家も外であるのだが、領地そのものが狭く、大魔王の威光が無ければ十分にその立場を保持出来ない、吹けば飛ぶ程度の一族は、王城にとっての内として動く方が利も大きいのだ。

 だからこそ、カーメイン家の長男、ロブ・カーメインは領地を離れて王城で働いている。あなた方の身内ですよとアピールするために。

「ならば、あなた方の家と我々の家は敵対とすら表現できますが……そんな相手に賭けに出てまで会いに来た理由とは何ですかな?」

 漸く本題に辿り着く。貴族通しの会話とはどうしたってこんなにも長くなりがちだ。

 ナイールはそこまで苦手で無いが、好きでも無い。だから率直に言う。賭けにまで出て、ここに来た理由。

「我々、カーメイン一族をあなた方ゲンガオン家の庇護下に置いて欲しい」

「……!」

 驚いたのはヌギルでは無く、お互いの配下。特にレイフォからは空気の動きで伝わって来た。

 こうやってナイールを護衛している時はひたすらじっとしている彼女なのに、今、ナイールの言葉を聞いた瞬間、ほんの少しではあれ身体を動かしたのだ。

 それくらいの話題ではある。貴族にとって、付く派閥を変えたいなどという話は。

「……どこまで本気の話と考えればよろしいですかな?」

「私、ナイール・カーメインは、ハイラング領主ナイール・カーメインの代理としてここに来ています。そのまま、ナイール・カーメインの言葉として取ってください」

「と言っても、次代の領主はあなたではない。確か王城内においてカーメイン一族の顔となっているのは―――

「兄、ロブ・カーメインです」

「そう。彼だ。彼の直接の言葉でなければ、本気とは受け取れませんね、こちらとしては」

「しかし、それは無理な話でしょう」

 兄には会えない。そんな時間は無い。それを目の前の男は知っているのか。知らないで言っているのか。

 何にせよ、言っておかなければならない事があった。

「ロブ・カーメインから言葉をいただけないとなれば、ここでの話は一旦―――

「兄、ロブ・カーメインは死んでいます。死者の言葉は渡せるものじゃあありません。違いますか?」

「若!?」

 身じろぎどころでは無く、レイフォは声まで発して来た。

 確かに、ナイールの発言は誰だって驚きのものだろう。ナイール自身、認めたくないものだ。

 昨日の夜、ドロミア・レスティスが姉のミスルエと共に王城で暴漢に襲われ、逃げ出して来なければ、あくまで最悪であった場合の可能性でしかなかった。

 だが、その最悪があったのだと、あの二人の様子から見て察してしまった。それがナイールという者の洞察でもある。

「少しばかり、驚愕の内容だったが……本気で言っているのですかね?」

 ヌギルにとっても、予想外の言葉だったのだろうか。王城内の権力闘争。それをすべて把握出来る貴族というのもなかなか居ないだろうから、そうなるかもしれない。

「本気です。こちらには根拠がある。それをここで話しても構いませんが、やはり、あなた方がカーメイン一族を庇護するという約束が欲しい」

「事情を対価に守ってくれというのは、交渉にはならないと分かっていますか? ナイールさん」

「その事情があなた方にも関わっているとすれば、まったく対価にならないというわけでも無いでしょう? それに……差し出せるものはそれだけじゃあない。ヌギルさん。あなたが思い出してくれたカーメイン一族というのがどういう一族か、あなたが自身で言ってくれた」

「確かに、今、兵力の助けが欲しい状況ではあります……ね」

 カーメイン一族は武闘派である。

 それは単に喧嘩早いという評価ではない。一定の武力を所持して、運用もしているという証なのだ。実際、領地の規模に対して、カーメイン一族が動員できる兵力はそれなりだとナイールも思う。

 地方に根差しながら領地を運営する一族は、その地方の他の集団からも評価されるものだ。

 ナイールの側近として存在するレイフォやガンマもまた、カーメイン一族を好意的に考える小集団のトップでもあり、いざという時は彼らの配下の力を借りられる。この王都に共に来ている事からして、そういう理屈の元で行われている。

「あなた方の事情について、どこまで分かっているかとは言えませんが、それなりに、こちらも情勢は見えています。だからこそ言える。カーメイン一族側の事情は、あなた方ゲンガオン家にとっても無視できないものがあると」

「……分かりました。断言は出来ませんし、紙面で契約を交わす事も出来ませんが、上には掛け合ってみます。それだけは早急に。よろしいですかな?」

「それで構いません。何かを頼むにしても、現状、こちらがあまりにも下側だ。あまり望みが多くても、それはそれで問題が多いと思いますし」

 そんな空手形で大丈夫かと問われるかもしれないが、その部分はお互い様なのだ。少なくとも互いの家の者が、言葉を交わし、比較的友好的に話が進んだ。その事実こそが暫くの間は大事になってくる。そちらに関してもお互い様だろう。

「では、さっそく、カーメイン一族側の事情というものをお話いただけますかな? どの様に、我々に関わってくるのかを」

「それを話す前に齟齬があってはいけませんから尋ねますが、今、この王都においては、大魔王陛下の後継をどうするかで、陛下側近の勢力とそれ以外が睨み合っていて、何らかの争いに発展する可能性がある状況……それに間違いはありませんか?」

「ふむ? 何故、ナイールさんの方はその様に把握しましたか?」

 断言はしてくれない。口約束はしたが、ナイールの値踏みについては続行中という事らしい。

「陛下がお亡くなりになった際に明確な後継者指名が無かった事はこちらも話を掴んでいます。そうなると、まず王城内での権力闘争が発生するのは間違いありませんし、今言った二者が対立するのは良くあって欲しくは無いですけれど、良くある構造だ」

「だが、あくまでそれだと弱い予想でしょう」

「勿論。ですので根拠になっているのは、王都とその近郊の様子……ですかね」

 まだまだ数少ない情報という手札を吟味する中で、一つ、有用そうな物をナイールは手に入れていた。それが王都とその周辺地域の情報だ。

「ほう? あなたはどう見ましたか?」

「魔界の各種族の内、主流と傍流が分かれ始めてる。魔族は数が多いから仕方ないとして、それ以外の種族の内でも、王都に多く、地方に少ない。そんな種族が主流になりつつあると、そう見ました」

 レイフォのブラックハウンド族やガンマのエスマー族などは珍しいものを見る様な目を向けられたと聞いている。ハイラングでは一般的な彼らだというのに。

 それくらい、地域に寄って各種族への認識に隔たりが生まれているという事だろう。

「中央と地方の対立が、根深く顕在化しているのを見て、王城内でもその縮図が出来上がっている。そうして、大魔王陛下の死に寄って、それが顕在化しているのではないかと、そう考えています」

「まだ顕在化はしていませんよ。ナイールさん。ただし、近いうちにはそうなります。そうなってもっとも悪い状況は、多くの兵力を投入しての内乱だ。そんな話が冗談で済まなくなってきている。今はそう表現できるでしょうね」

 とりあえずヌギルは、お互いの情報を共有しておくだけの価値を、ナイールに見出してくれたらしい。

 ならばここからが重要だ。

「ロブ・カーメイン。私の兄の死については、その権力闘争に巻き込まれる形だったと考えています」

「となると、我々、あなたの表現を借りるならば地方側が彼を暗殺したと考えている?」

「いいえ。違います。今はそんな段階じゃあない。だからあなたも驚いた。違いますか? 兄の死は、暗殺ではなく、身辺整理だ。兄とカーメイン一族の立場は中央寄りだった。しかし、本来は地方に力を持つ一族。その矛盾が、兄を殺した」

「……」

 黙ったままのヌギル。話を促されているのか、それともナイールに一息吐く間を与えてくれているのか。

 だが、覚悟なら既に決まっているのだ。他の者は兎も角、昨日の内に、ナイールは兄の死を受け入れた。

「兄が所属していたホーン・ドーン親衛隊長の派閥だって一枚岩じゃないでしょう。けれど、今の状況では一つになる必要がある。派閥として思想を統一する状況にあって、兄の立ち位置はなんとも不安定だ」

「不安定だから消す。そういう選択もあるでしょうが、実際に選んだかどうかは分からない」

「ええ、だから、やはり根拠があります。王族ドロミア・レスティスの身柄を、今、カーメイン一族は保護している」

「……」

 今度も黙ったヌギルであったが、彼の今の感情なら分かった。

 漸く、驚きらしい驚きを見せてくれたのだ。表情を変えず、ただの沈黙ではあれ、ナイールはそれを見透かした。

 何をどう判断するべきか? 目の前の男は、今、全力で頭を働かせている。だからこその無表情なのだとナイールは判断する。

 故にどうするべきか? 簡単だ。考える間を与えない。

「昨夜、ドロミア様と共に、我々の一族の一人、ミスルエ・カーメインも襲われました。しかも王城内で。動きがあまりにも早い。だからこそ分かる。これは敵では無く味方に襲われているのだと。しかし動きが必死すぎた。拙速なのも考えものですね。窮地を脱した相手に、必要以上の情報を与えてしまう」

 今、その情報だけがナイールの武器であった。昨夜にあったばかりの事件。この情報は、当事者で無い限り、他は絶対に知らない。

 目の前の男も同様だ。

「彼らはどうしてそこまで焦り、過激に、拙く動く必要があったか? それはつまり、カーメイン一族は彼らにとって敵というのもあるでしょうが……それに加えて、ドロミア様に近しいというのもあったと僕は考えています」

 ヌギルの混乱を助長するため、情報追加していくついでに一人称も変えてみる。少しだけ、こちらの立ち位置が上になる様な、そんな細やかな抵抗だ。

 そうして、その踏み込みに対してヌギルは違和感を覚えていない様子。

「ドロミア・レスティス様は、先代大魔王陛下の一族の血が流れています。今代では無い。それは……」

「ええ。地方側のあなた方にとっては好都合な駒の一つ。でしょう? 今代の大魔王陛下の権力を源泉に集っている中央側に対する新たな御旗とできる可能性がある。今はまだ可能性ですけど……今後はどうなるか分からない。大切にすべき存在」

 この話こそ、ナイールがゲンガオン家に与えられる対価の一つ。

 あなた方の利益になる存在が、あなた方の敵に奪われようとしているぞという話だ。

「中央側の勢力は、既に切り捨ててしまったカーメイン一族が、中央側には成り得ない王族と近しいという状況に危機感を抱いて、実行に出た。もうこれは直接的な暗殺ですよ。さっき、権力闘争が顕在化していないと言っていましたね。いいえ、もう始まりました。中央側はもはや止まらないでしょう。次にどんな手に出るか分かったものじゃあない」

 引き金は、ナイールが王都にやってきて、姉のミスルエと接触した事か。それともミスルエがロブに会おうとした行動に寄るものか。

 はたまた、ロブが処刑された事から、既に事は始まっていたのか。

 ナイールにも分からない。けれど、ここで分かるのは、目の前の男が属するゲンガオン家はその行動に一歩遅れている事。

 だから、カーメイン一族の身柄を売りつけるタイミングでもある。

「実は、さっき約束した内容を変えても良いんです。あなた方、ゲンガオン家は王族、ドロミア・レスティス様を保護していただきたい。それだけで良い」

「その約束で、カーメイン一族にどんな利益が?」

「カーメイン一族はドロミア様に忠誠を誓います」

「……そう来たか」

 ここに来て、感心した声をヌギルから得る。

 そうだ。別にカーメイン一族の値を無理に釣り上げる必要はないのだ。

 吹けば飛ぶ様な地方領主一族の価値より、主流から外れていると言っても、王族の価値の方が余程高いのだから。

「どんな因果か、カーメイン一族とドロミア様は手を組んでると思われてしまったらしい。今、僕らの脅威はそこにあります。だからこそ、その脅威を事実のものとします」

「そうして、その関係性の保証をこそ我々ゲンガオン家がすると。なるほど面白くなってきた。なんとまあ、事態を多少なりとも動かせる一手に変わったわけだ」

 奥の手に成り得る程の大それた状況ではない。だが、王族ドロミアと地方領主カーメイン一族の繋がりは、事態が動き、混乱し始めた現在、ゲンガオン家にとっては使える手段の一つになったわけである。

 中央の連中の攻撃で、すぐさま失われるには惜しいと思われる程度の。

「今回も口約束だが、ええ、通してみせますよ。ドロミア・レスティス様の身柄の保護を、あなた方から我々が引き継げばよろしいのですね?」

「出来れば、一度王城内に戻していただけると助かります。まだ、権力闘争はあそこの内側で続いている。なら、ドロミア様も暫くは元の場所に」

「了解ですよ。ナイールさん。ところでこの構造は、あなたが考えたものですか?」

「他人に意見を聞く暇がまったく無かったもので」

「ほう。事が我々ゲンガオン家と王族ドロミア様の話になったわけですが……私個人としては、あなたの事を憶えておきますよ。ナイール・カーメインさん。明日にでも、ドロミア様は王城内での平穏を得る事が出来るでしょう」

 随分と、ナイールの価値を高く見積もってくれたらしいヌギル。

 お互いの裏側の考えは兎も角として、ヌギル・ゲンガオンという男との出会いは、今後、良いものになるかもしれないとナイールは考えていた。

「ところで、これは参考までの話として、あなたの方の価値はあなた自身が示してくれたわけですが、我々をあなたが選んだのはどうしてです?」

「縋れる相手が少なかったというのは事実としてありますけれど……ゲンガオン家はゴーレムの家系ですよね。この王都では主流から外れた種族だ。だからこそ、立場として信用できる。そう考えたんです」

「なるほど……まあ、実際種族としての苦労はありますよ。この王都ではね」

 そう言って、ヌギルは自らの肌を撫でた。

 輪郭こそ魔族に見えるそれであるが、肌の質感は、どうしたって硬質な、そんな自らの肌を。




 ヌギルの賭場から離れて暫く、宿へと帰る間にある人気の無い公園に寄ったナイールはそこにある木のベンチに座って、深く溜め息を吐いた。

「とりあえず……賭けには勝った……かな」

 ぎりぎりだった。十中八九、上手く行かないと覚悟していたが、なんとか乗り切れた。そう思う。あとはヌギル・ゲンガオンがどれだけ上手くやってくれるかに賭けるしか無いが、ナイールの方は全力でやるべき事が出来た。そう思う。

 思うのであるが……。

「若。少シ良イカ」

 護衛をずっと努めてくれたレイフォ・ギジンスに対しては、まだやるべき事があるらしい。

(だよね。事情を説明するのは、彼女らに対してもだ)

 配下だからでは無く、身内として、ガンマやミスルエ、それに母イラースにも伝える必要がある。

 言葉を尽くして、ロブ・カーメインの死を。

「良いよ。横、空いてるから座って。長い話にもなる」

「……ソウカ」

 レイフォはごく自然にナイールの隣に座る。この気安さがずっとある相手だからこそ、愚痴だって溢せる。

「兄上に関しては……さっき言った通りだ。今生の別れになった。多分、死体に会う事すら出来ない」

「ハッタリ……デハ無イノカ」

「親族の生き死にを詐称して交渉材料にする度胸なんて僕には無いよ。昨日の状況で、そこまで読めてしまっただけで……不運だよこれは」

 日々をぼんやりと過ごし、何時か突然に日常を奪われる。そういう人生の方が幸福なのか。そう問いかけられれば御免だと答えるが、それでも、どうして日常を奪われたのかの理由が分かる事も幸運だとは言えない。

「殺された理由についても、どうして察したのかもさっき話した通り。姉上やガンマ達には、そこからも説明しなきゃならないから……気が滅入る。けれど、やらないわけにも行かない」

「何モカモガ変ワル。変ワッテシマウゾ、若」

「なんだろうね。その変わるかどうかを自分で選べれば幸運だと言えるんだろうけど……兄上が死んだ事は、僕たちにはどうしようも無かった。けど、僕たちはその死に対して動かなければいけない。それがなんとも、歯がゆいな」

 頬を掻く。掻きむしりたい衝動もあったが、一度だけで止めておく。この痒さは暫く、消える事は無いだろう。もしかしたら一生。

「……馬鹿ナ事ヲ聞クゾ」

「どうぞ」

「悲シクハ、無イノカ?」

「……」

 隣の彼女の胸に顔でもうずめて、泣き叫べば多少、心がマシにでもなるか。

 そんな想像こそ馬鹿な事だろう。

 ナイールは泣いていない。溜め息ならいくらでも吐けるが、泣けてはいない。

「……いろいろ複雑な感情はあるんだ。たくさんさ。その中に、きっと悲しいって感情もあるんだろうけど、今、それを引っ張り出す事が出来ないでいる」

「若ハ色々、ヤヤコシイ事ヲ考エルカラナ」

「そうだね。ややこしい事ばっかり考えてる。気楽に生きられる立場じゃなかったからだけど、生来のものかもしれない。だから……」

 だから、今の気分も、自分が抱えるべき業だろうか。

 今はそれで納得しよう。仮にでも納得さえ出来れば、まだ前に進める。

「行こう、レイフォ。何時までもこんな場所で話してもいられない」

「コンナ場所ニ来タノハ若ノ方ダガ、コンナ場所ニ何時マデモ居ルベキデハ無イノハ同意ダ」

「そう言うなって。頭の中を整理する時間は大切だよ。それに、お姫様を元の家に戻してあげられる算段が付いたのは、上等だって思わない?」

 気分は囚われの姫様と英雄的な騎士とかが現れる物語の登場人物としてあろう。

 もっとも、その姫様の安全がどれだけ続くか分かったものでは無いし、誰も彼もが姫様をどうにかしようとしている。英雄になる騎士もまた……まだ現れていない。




 王都に来てから三日目は、そんな一か八の賭けにのみ終始したと言える。

 ナイールにとって関係者への状況説明はなかなかに難易度が高く、非常に疲れるものであったが、他人から見ればそれは後処理程度でまとめて捨て置かれる話かもしれない。

(姉上にとっても、ちょっと大変な話だったかもしれないね)

 鳥の鳴き声が聞こえる朝。王都に来てから四日目の晴れの日。晴れた事は幸いだが、姉の心には雨が未だ降っているらしく、宿の部屋から出てこない。

 という事は、つまり、姉が世話をしている王族、ドロミア・レスティスという少女に対しても、ナイールがいろいろと話をしなければならないという事。

「さきほど、連絡が来ました。ドロミア様。王城内のお部屋に帰っても暴徒に襲われる事は無いという確約です」

 彼女の部屋に朝食を持って来るついでの形になったが、ナイールは一人、ドロミアと目を合わせている。

 部屋の扉の向こうにはナイールが指示した配下が見張りをしているが、今のところは必要無いだろうと思う。

 早朝、ヌギル・ガンゲオンから手紙が届いたのだ。王城内において、ドロミアを巻き込む権力闘争は睨み合いの状況に落ち着いたとの話だ。

 まったくもって安心出来る内容では無かったが、当面、実力行使は行われないという意味の内容である。

「あの……本当にわたくしは帰れるのですか? あそこに?」

 不安さは消せていないドロミア。テーブルの上に置かれたスープとパンにも手を付けていない。

 ここに姉のミスルエが居れば、もっと安心させられるのだろうが、ナイールにはそれは出来ない。

 だからじっとドロミアを見つめて、ただ伝える。

「帰れる帰れないという話でしたら、僕らにすらそんな権利をあなたから奪えません。危険な場所に行くなと注意は出来ますが……王城のあなた様の部屋へ帰る事に、そんな注意も必要ありませんから」

「もう……あの様な暴漢が入ってくる事は無いと、そうおっしゃるのですね、ナイール様は」

 縋る様なそんな言葉。王族から様付けで呼ばれるくすぐったさを感じながら、ナイールはどう返答したかを迷う。

 姉が居れば、本当に、もっと安心させられるのだ。ナイールだってミスルエの前では言葉を選ぶ。

 つまり、姉がここに居ない今、言葉を選べないかもしれない。

「何もかもの保証は出来ません。僕は地方領主の、その代理でしか無い立場です。どこまでも手を伸ばせない。ですので多分、僕なんかも信用しない方が良い」

 まったく。いったい自分は何を言っているのか。ここは嘘でも、あなたは完璧に安全ですよ、お姫様。と言ってやるべきタイミングだろうに。ここに姉が居れば、厚顔にそれくらいは言えた自信があった。だが、今はそうでは無い。

 だからドロミアだって不安な表情を浮かべて……いや、意外な事に、彼女はまっすぐナイールを見つめ返してくる。

「王城では、もはや引き返せない何かが起こっている。わたくし、そう考えています。それは事実でしょうか?」

 彼女は、昨日までの不安だけしかないか弱い雰囲気から少し変わっていた。これが彼女の素顔なのか。では昨日までの姿は何だったのか。ナイールにはそれが分からなかった。

 だから、今もナイールらしく話すしか無くなる。

「失礼ながら、ドロミア様。現在、王城がどの様な状況になっているかはどれほど把握されていますか?」

「無知で何も知らぬ女でしかないわたくしですが……陛下がお亡くなりになり、後継者が指名されていない状況がどの様なものかは理解出来ています。わたくしは所詮、何時までも立場の無いままふらふらと……そう思っていました。そう思えば、少なくともわたくし自身はどうにでもなるのだろうと、そう考えて……」

 それが裏切られた。彼女の今はそういう事だ。

 直系どころか傍系ですらない王族すらも価値を見出そうとする権力闘争の中で、一度火種に火が付けば、どれだけ水を掛けたところで燻りは残り続ける。

 だからナイールには、彼女はどこまでも安全であるとは言えなかった。

 驚きなのは、ドロミアとてそれを理解している風だった事か。

「あなたは……安全ではありません。ですが危険を察して逃げる事が出来る隙だけを昨日、一日を使って作りだせた。あなたの身は、あなた自身が守るしかない。不甲斐ない話ですが……」

「ナイール様は、守ってはくれませんか?」

 ただの弱小貴族の子弟が? そんな事が出来るはずが無い。そうきっぱりとは言い返せなかった。

 ドロミアに気を使ったからか。いや、違う。違う気がする。歯に衣を着せられぬと不安に思って居る側だ。今のナイールは。

 自分の中に生まれた、妙な思いについて。それに確信を持つために、ナイールは話を続ける。

「僕、いえ、カーメイン一族はあなたを守ります。姉、ミスルエ・カーメインは元々、あなたの従者ですから。そういう関係にある」

「ミスルエだけですか? あなたはどうなのですか? ナイール様」

「……」

 その返答で、分かった気がする。気だけしか無いが、ドロミアの様子を見て、ナイールは彼女について判断する。

 彼女は、さっきまでナイールが想像していたよりも、ずっと聡い。

「この首とて捧げる覚悟で申し上げます。我々、カーメイン一族はあなたの元で働きます。働かせていただけませんか? でなければ、首を捧げるよりさらに酷い顛末が我々には待っている」

 跪き、ドロミアを見上げる。謁見の間で仰々しくとは行かないが、それでも、これは貴族と王族の間に交わす正式な約定。それを示す。

「あなた方も……わたくしと同じ様に、振り回される側なのですね」

「それを言えるあなただからこそ、我々はあなたを頼ります。ですから、幾らでも頼ってください。もし、王城に帰る事に不安があるのでしたら、私の方も付き添います」

 今の一時しのぎな状況下で、より選べる道を探る。それは王城内でも行える事だろう。そこで喧々諤々とするのも悪くは無い。立場は不安定なままであろうが……。

「わかりました。では……あなたはここであなたにとって得になる様に動いていただけませんか? 王城には、わたくしだけで戻ります。きっと、その方が振り回されるにしても、生き残れる可能性がある……そう考えているのでしょう?」

「失礼ながら、何故そこまでを考えられて?」

「分かりません」

「?」

 首を傾げる。

 ドロミアが言っている事は正当だ。ナイールも同意見である。王都内での滞在日数は今日を入れてあと四日。これを伸ばす事も可能だろうが、相応に権力を使う事になるので、ナイールへの周囲の目は厳しい物になるだろう。こいつは何を狙っている? そういう注意が向き始めるタイムリミットがそこなのだ。

 この残り四日でナイールはどれだけの事が出来るか。そこが肝心だとしたら、王城内だけで無く、王都内でも動き回れる今の状況を維持するべきだとは思う。

 そうして、それは理屈だ。ナイールが考えている理屈であり、ドロミアの方にもその様な理屈があるのだと思ったのだが。

「わたくしは、王族ではあれ、権力や政治からは遠ざけられていました。なのでその様な機微が分からないのです。分かる事はと言えば、あなた」

 じっと、ナイールを見つめるドロミア。その目は不安げで、昨日と些かも変わらないものであったが、それでも、臆病とはまた違うものが混じっている様に見えた。

「ナイール様。あなたは昨日、わたくしのために動いていただいた。それだけを知っています。あなたの考えや立場、わたくしのためだけではない裏もあるのでしょう。ですがそれでも、わたくしのために動いてくれるのは今、あなただけ。それだけを知っているのです」

「……」

 考える。ドロミアに対して、自分はどういう目で見るのが適切なのか。

 彼女は弱い。それは確かだ。王族の中においても、もっとも立場が無い人物かもしれない。人生における経験値も少ないだろう。王城という狭い世界で生きて来て、伏魔殿である政治にも関係して来なかった。

 だが、人を見る目はある。

 少なくとも、語ってくるナイールへの評価は間違いなく正しい。一昨日に出会ったばかりの相手を、そう評価出来る目は、確かなのだこの人は。

「私の事は、ナイールで結構です」

「でしたら、畏まった言動は止めてください。今、あなたがわたくしを頼ろうとしている様に、わたくしもあなたを頼りたい。ここでするべき事は、その確認ではありませんか?」

 信頼関係とは……結局のところ、こういう関係から生まれるのかもしれない。

 ドロミアの言葉を聞いて、ナイールはそう思い、立ち上がる。比較的小柄なナイールであるが、それでもドロミアの目線よりは高く、不敬と呼ばれても仕方の無い状況で、やはり目を合わす。

「様を付けるの事だけは勘弁してくださいドロミア様。王族の敬称を省いて呼ぶのはやっぱり、座りが悪いんで。ですけど、はい。僕個人でも誓わせて貰います。あなたを守ります。僕の命を守るために」

「はい。それで結構ですよ、ナイール。わたくしも、そう言っていただけるのであれば、安心できますから」

 ここで、漸くドロミアが笑った。自然なものか、それともとても上手い作り笑いなのかは知らないが、誓うだけの価値ならあったなと思うそんな彼女の笑い顔。

 それを見て、ナイールは思うのだ。全力を出せる立場にはなれたなと。とりあえずはまず、彼女と姉を王城まで送り届ける事から初めてみようか。




 清々しい気分にはそう長く浸れない。というより問題は山積みである。

 ドロミアとミスルエを王城に送り届けるだけでも、四日目の昼は過ぎ始めていたし、別れの際も姉は落ち込み、ナイールが何かを頼める様子では無かった。実態をまだ受け止め切れていない。そんな風にすら見える。

 あと数日は、ミスルエは頼れる相手では無くなっているだろう。

 結果として、気苦労を抱えたまま宿へ戻り、他の配下達に重い心持ちのままで、指示を始める事に繋がる。

「三日目に起こった事の整理はこれで終わりかな。昨日はばたばたしていて悪かった。正直、今も頭の中でばたばたとしている」

「そりゃあお互い様でさぁ旦那。ばたばた具合なら、こっちの方がもっとだ。姐さんもそうだろう?」

 会議室として使わせて貰っている大部屋に、ガンマの大袈裟な声が響く。が、気分的には落ち込むとは正反対の効用があるため、この場において悪いものでは無かった。

「我々ハ、タダ若ニ従ウダケダ」

「へいへい。そりゃあ分かってますよ。今の状況を乗り切れるのは旦那だけでしょうしね。けど……領主様に手紙は出さなくても? その、ロブ様が亡くなられたって話は」

 レイフォと軽口を叩きつつも、話しておかなければならない事は口に出してくる。多弁であるガンマはそれでこそで無ければならない。

 だからナイールも陰鬱な会議を続けられるのだ。

「カーメイン一族の手紙は検閲されている事は前にも言っただろう? 僕が王都から出してもそれは同じさ。連絡を取るなら、一人、ハイラングへ返す必要があるけど……」

 椅子に深く座り、顎に手を当てる。それも一つの手だ。母の心労がどれだけ増そうとも、母に渡せる情報は渡してしまいたい。事がカーメイン一族に関わるなら猶更である。

 が……。

「今は兵力が……一人でも欲しいタイミングなんだ。一度ハイラングで人を送ったら、また戻ってくる頃にはすべてが終わってしまっている可能性もある」

「兵力ト、言ッタカ?」

 まあレイフォは反応するだろう。ナイール達の中でも、もっとも兵士らしい兵士は彼女だ。普段はナイールの側近であるが、彼女の本領は戦闘者としてのそれである。

「おいおい。昨日でとりあえず安全は確保出来たって話じゃなかったか?」

「あくまでドロミア様の安全だ。ついでにその下に僕らが付く事で、僕らの安全もなんとか出来たけど、それ以外については保障なんてできやしない。この王都そのものが火種なんだよ。そうして、そろそろ火が点きそうだ」

「それは具体的に、どういう事で?」

「賭場に負けた輩までアテにして、ゲンガオン家は兵を集めている。他の王都外に権力の源泉を持つ貴族達も同様のだとして……そろそろ王都内の貴族との差がひっくり返る」

 あくまでその兵力は自分達の身を守る兵力であったとして、対立する者達にはどう映るか。

 分かり切った事だ。その兵力は自分達の敗北に繋がる。ならばその前にという話である。

「臆病さってのは時々、勇敢より派手な事をし始めるもんですがね、そこまで行きますか」

「行くよ。大魔王の後継者争いが今なお続いているのはその証拠だ。早急に、人死にも少なくって選択肢は既に逃してしまってるんだ。後は時間が経てば経つ程に、事が大きくなるだけ」

 遠からず。というか数日中に、王都内で兵士同士がぶつかり合う事だろう。王都と言っても広いから、それがどこで、どういうタイミングかではまだ分からないが、それは必ず起きる。というより、その予兆こそがドロミアが暴漢に襲われた事実だろう。

「これからの行動は、それが起こる可能性を探っていく事になるだろうけど、僕はもうちょっと考えを先に伸ばしてる。で、悩んでる」

 ひらひらと手を振って、会議室に集まる配下達に目を向ける。

 重要な配下達で、大切な仲間で、有能な連中である彼ら。彼らだからこそ、話をしたい内容を、今、話しておく必要があるだろう。

 そのために会議を開いている。ナイールだけでは下せない決断があるから。

「若ガ悩ム時ハ、聞イテ置カナケレバ後ガ酷イ」

「違いねぇ。前は何だったか。食堂から菓子を盗んで来て、それを俺達に伝えずに食わした時の事だったか?」

「アア。アレハ酷カッタ」

「それってもう随分前だろ。お互い年齢が十にも満たなかった頃だし、忘れろよ」

 ちなみに、その時に悩んで居た事は、盗んだ際に母が気に入っている食器を壊してしまった事で、レイフォとガンマが相談に乗ってくれなかった結果、菓子を食べた全員が母から直接お叱りを受ける事になった。

 相談に乗ってさえくれれば、上手く隠せていたと思うのだが……。

「で、何を悩んでるんだい。旦那」

「……ここまでは、上手く僕たちに害が向かない様にだけ努めていた。とりあえずの安全だ。それはまあ、確保出来たんだろう」

「ダガ……」

「そうだ。兄上が殺された。権力闘争の結果だから仕方ないという見方だって出来るけど……納得はしてない」

 家族だった。兄、ロブ・カーメインは間違いなく家族だった。彼の死に思う事は多くあれど、今、もっとも強いのは、このままで良いのか? という思い。

「意趣返しをしようってのかい? 旦那」

「いいや。そんな上等な立場じゃない。下手な介入をしたら、こっちが食われるのがオチだ。権力闘争なんてのはね、復讐相手を考えたって仕方ないのさ。兄上だってそこに入って、ただ賭けに負けただけとも言える。けど……」

 もはやゲームの盤面に立ってしまった。王族であるドロミアと手を組み、自分達はこの様な立場だと宣言してしまった。

 同じゲームの駒になっている他者を傷つける理由は立ってしまったのだ。

「難しい言い方をしても仕方ないから、率直に言うけどさ。武力が物を言うタイミングで、僕たちは数が少ないがそれを持っている。この混乱の中を生き残ろうとするなら、ただ縮こまるより、戦いたくなってきた。それが僕の悩み」

 王都というゲームの盤上で、命のチップを自分に預けてくれないか。

 ナイールはそう言った。そっちの方が儲けられるからと。ただそれだけの理由で。

 ああ、これが貴族という輩の愚かさだろう。自分だけでなく、他人の命すら実感を持たずに動かそうとする。

 そんな存在にお前はなるのか? ナイールは自らを罵倒する自分を心の中で笑う。だから、目の前の彼らに尋ねているのだ。

 どうしようかなと。

「フンッ……漸ク、ラシイ状況ニ成ッタワケダ」

「まーあ? これからはお互い、肩を合わせて戦いましょって、そういうことでしょう? 悪くないね。旦那も鬱憤溜まって来た頃合いってわけだ」

 レイフォとガンマがそう言って、さらに彼らの部下達も頷いて来る。いい加減、振り回されるだけの立場もうんざりだ。ただ状況を把握するだけの現状だって、さっさと次の段階へ進ませたい。

 今、この部屋に集まっている連中はそういう我慢の効かない連中であった事を思い出す。ナイールも含めて。

「聞くところに寄ると、僕らは武闘派らしい。なら、らしく振舞ってやるとしようか。指示を出す。命の賭け時が始まったぞ、みんな」

 ナイールはそう言って笑った。今朝方、ドロミアが見せて来た笑顔とはまた違う、牙を剥く笑顔で。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ