第一話 故郷での日々
「話は変わるけれど……僕は君をどうしたら良いと思う?」
一人の、黒いローブの様なものを羽織った少年は、森の中にある石に座りながら、眼前にいる相手と目を合わせようとする。
ただ、その行動は少年にとって難しかった。こちらが岩に座っている状態とは言え、向こうは膝を折り、地面に直接土下座する様な形で座っているのだから、なかなかその目は合わないのだ。
一方、その恰好は土下座みたいではあっても土下座では無いと少年は感じる。何せ、漸く、向こうがこちらに目を合わせて来た段階で、その目に反抗の意思が宿っている事が知れたのだから。
「愚かな。愚かな侵略者が! 一方的に我らの森へやってきたと思えば、何をするかすら我々に決めろと言うか!」
叫ぶ相手……その全身の表皮が木の皮に覆われた様に薄い土色をした、それでも人型をする相手に対して、少年は溜め息を吐いた。しっかりと相手に聞こえる様に。
「この森さ。一週間程前はただの平原だった気がする。二週間前はもうちょっと向こう側も森の範囲じゃなかった。我らが森ってのが昔からそこにあったってのなら、文句を言われる筋合いもあるけど、昨日今日生えてきた木に言われたくは無いかな」
「植物は常に世界を覆っている。天を掴まんと伸びようとする! その営みを否定する事なぞ、お前如きに―――
その木みたいな相手の言葉が止まる。いや、少年が止めた。
具体的には、少年は手に持っていた鉄で出来た杖の先端で、地面に付いた相手の手を貫いたのだ。
「があああああ!」
木みたいな相手……種族を一般的にウッドレースと呼ぶそんな彼らの一人が、木のうろみたいな口から悲鳴を上げる。
そんなウッドレースの(恐らくは)男に対して、少年はゆっくり顔を近づけた。
「僕は出来る。ここは魔界の中枢、王都よりこの魔界すべてを支配する大魔王陛下より統治の委任を受けた、我が母、イラース・カーメインの管理領土だ。僕、ナイール・カーメインはその代行として、その領土に不法に根を伸ばす君らに対して尋ねているんだよ。一体、どういう、了見だってね」
「がっ、ぐううう、ああああ!」
言葉の度に、少年、ナイール・カーメインは杖を強く地面へと押す。
ウッドレースの男はナイールの動きに合わせる様にして叫び続けていた。手を貫くその杖が動くその痛みに寄って。
幾らかそれを続けても良いが、それだと会話も出来ないので、一旦は杖に触れる手を離す事にする。
ただ、ウッドレースの男とは目は合わせたままだ。
「良いか。良く聞いておくと良い。頭を下げて、頼みます。住む場所が無いので土地の一部に住まわせてくれませんかと言ってくるなら、考慮する。だが、無断で、一方的に押し寄せてくるのなら……こっちだって容赦をする理由が無くなる。それくらい分かるな? この森の主を気取るのなら特に」
次にナイールはウッドレースの男から目を離し、その後ろに広がる景色を見た。
男以外の、また別のウッドレース達がそこには並んでいた。
数はざっと数十人程度。そのすべてがナイールに一方的に押さえつけられている……わけでは無い。
「貴様が、貴様が偉ぶれる事ではあるまい! 所詮は使い走りの小僧でしか無いだろうが!」
「そうか。その通りだな。けどさっきの話を聞いていなかったか? その使い走りは、誰の使い走りなのか、もう一度周囲を見て確認してみろ」
そう言って、ナイールはウッドレースの男に周囲を見る様に促す。
彼の後ろには数十人のウッドレース達。そうしてその周囲を、さらに多くの数の者達が囲んでいる。
ウッドレースとは違い、犬の様な体毛を身体から生やした者。魚の様な鱗を全身から生やす者。それらがウッドレース達を囲み、さらには今、杖に手を貫かれた男の身体を、土下座の形になる様に抑えつけていた。
「ここに居るウッドレース達にも告げる! 話があるならイラース・カーメインが治める街、ハイラングまでやって来い! 話だけで済まないってのなら……誰に弓を引いたのか、何度だって教えにやってくるぞ! 分かったな!」
そう宣言しながら、ナイールはウッドレースの男の手から杖を引き抜く。
そうして、今度は相手にも分からぬ内心だけで溜め息を吐いた。
(これで、今日の仕事は終わりかな? だと良いんだけど)
ウッドレースの森(今月中に木々を撤去しなければ再度、侵略とやらをしてやるぞと脅した場所)から、本拠と言えるハイラングの街へと帰る道中。
ナイール・カーメインは黒馬に乗りながら隣に同じく馬に乗る男に話しかけられた。
「よう、旦那。随分と今回は派手にやったみたいだが……言うに事欠いて、俺たちが大魔王陛下より借り受けた兵だって?」
と、男は鱗に覆われた肌と青みがかった皮肉げな顔で話しかけてくる。
男の名前はガンマ・クイド。この領内におけるナイールの側近という立場の半魚人だ。普段は河口に近い海に住まう種族の一人であるが、ナイールの配下となってからは、彼と彼の直属の配下達は、それほど多くは無いにせよ、ナイールに従ってくれている。
今もまた、森から街へと続く道を進む列を構成しているのが彼らだ。
「実際の話、母上が我らが魔界の貴族であり、それは大魔王陛下に担保されたものである以上、その指示で動いてる僕らは大魔王陛下の兵さ。そういう名目で動ける。それが今回は重要だよ」
だが、名目は名目である。
今のナイール達の立場を正確に説明するなら、まずはナイール達が住む土地について説明する必要すらあった。
魔界。大陸の西方。その大半を占める領域において、今は大魔王と呼ばれる存在が統一国家を打ち立てている。
その大魔王にしても、既に数代も代替わりが行われる中で、大魔王個人では無く、彼への功労者達が特権と、一部土地の統治権を与えられ、魔界を統治する形で国は落ち着いた。
いまや魔界と言えば国家そのものを意味する言葉となり、魔界は安定期に入った……などと言うのは学者の出まかせである。
「大魔王陛下にしたって、最近は王都に籠りっきりで、兵なんて頼んだって派遣してくれんでしょうが。だから旦那がわざわざ自分で兵を率いて、大陸の端でやんちゃする連中を叩いてるってんですから……名前くらいはまあ借りますか」
自分で言っておいて、ガンマは納得したらしい。彼は頭が良いから、疑問なんてものを持ったとしても、自分で解決してしまえるのだ。
だから彼と話すときのナイールは、ただ話を進めてやれば良い。どうせ今の会話にしたって世間話以上の意味は無いのだから。
「けど、そうだね。最近は心配だ。母上は考える必要は無いなんて言うけど、大魔王陛下の動きが目立たなくなって来てる。何かある前触れか、それとも―――
「若」
と、ガンマとは逆のナイールの隣側を歩く女の声が聞こえた。
黒い獣毛を生やした、顔立ちと身体の輪郭はナイールの種族にも近い、そんな獣人の女。
名前をレイフォ・ギジンスという。年齢はナイールと同じ程度。彼女もまたナイールの側近という事になるだろうが、ガンマ程には口数が多く無い。そんな彼女が口を開く。
「迂闊ダ」
言葉についても魔界統一言語がやや不得手らしく、それがより一層、彼女を無口にさせるのであるが、それでも口を開く時は、彼女にとって重要な事を言っていると解釈できる。
「確かに。大魔王様が将来どうこうなんてのは口にするべきじゃないか……ありがとうレイフォ」
不敬であるというのもそうだが、どこで誰が見聞きしているとも限らない。
この魔界における絶対者が大魔王なのであり、それに比べればナイールは吹けば飛ぶ様な存在なのだ。
「ま、自分の器にあった事をしてる限りは、旦那は上手くやれるんだ。そこんとこ、頼りにしてますし、頼みもしますぜ」
「分かってる。分かってる。領分は弁えてるさ。これから、今回の件で母上と口裏合わせをするのだって、しっかり自分の立場が分かってるからさ。違うかい?」
ガンマの軽口に、ナイールもそれで返す。この二人とは何時だって気易かった。
別に相手の言葉を真剣に受け止めないというのでは無く、重要な話だって出来る相手だという信頼だ。裏切られたって納得できる、そんな信頼でもある。
「若、疲レタ顔ヲシテイルナ」
「えっ……そんな顔してた? 今?」
「ハイラングの街とその周辺の土地。それだけの土地を平穏無事にしておくってだけでも、疲れますかい? やっぱり」
レイフォとガンマに視線を向けられて、ナイールは思う。そりゃあ疲れもする。
何せそこを統治する立場の母が、今や寿命が近いのだから。
ナイールとその母親、イラースは魔界においてもっとも数が多い魔族という種族である。
寿命、生命力に関して言えば、目立った特徴を持たず、魔界における普通は基本的にこの魔族の価値観に寄って決められているとすら言って良い。
そんな魔族の寿命は、別に子がまだ色々と不安を抱えている年齢で親が亡くなるという程に短いものでは無かった。
しかし、病気に係らない種族というのも珍しく、一般的な魔族であればこそ、平等に病魔は襲い来るものだ。
「医者からは、あまり芳しくないとの報告を受けています。私は……そう長くは無いのでしょう」
広い……とは言えないが、個人が利用する部屋としてはむしろ十分と言える広さの部屋。豪奢では無いが、荘厳さは感じられる調度品に囲まれたそんな部屋に、声が鳴る。
響くのでは無く鳴っている。今、部屋の中央にあるベッドで横になっている女には、もはや部屋を響かせるだけの体力が無いのだと知る。
それを十分にナイール・カーメインは理解していた。
「母上。ウッドレース達に関しては、それほど大事にはならずに済みそうです。領地の中に厄介な事は、これで一つ考えずに置けますから……」
「心労が無くなり、まだ少しだけ寿命を延ばせる。そういう事かしらね」
母、イラース・カーメインが横になっているベッド。その隣に、椅子一つを持ってきて座るナイール。
最近は、親子での話も領主とその配下という形でも話も、この母の寝室で行う事が多くなっていた。
母は若いころから病弱だったそうだ。どうにも内蔵を悪くしてしまっているらしく、何時かの時点で致命に至る病となった。
本来のハイラングの領主であるはずの父が、ナイールを産んだ頃に失ったのも大きな理由にはなると思う。
領主としての仕事は、確実にこの母の少ない寿命をより削る物だったのだ。
「ナイール。確かにあなたのおかげで、まだもう少しだけ生き長らえそう。けれど、やはり長く無いわ。私は」
「……」
母の言葉と共に、その顔を見る。ナイールと同じ深い黒の髪は、病床にあっても艶やかであったが、それに反して、顔色の青さは文字通り病的だった。
「あなたに十分な事をしてあげられず、この世を去るのは、私の生涯の数多い心残りの一つ。けれど……後悔をする時間も無い。それを許してちょうだい」
「許す許さないなんて……それこそそんな事を母上が考える必要はありませんよ」
ウッドレースの森を平定した事を、母に報告するこの場であったが、ここ最近、イラースとの話は母と子の語り合いばかりになっている気がする。
もしかしたらイラースは領主として何かを残す事を諦め、ナイールに母親としての自分を残したいのか。そんな風にも思えていた。
実際、彼女は愛情深い母親だった。少なくともナイールの印象はずっとそうだった。
「そうねぇ。だからこそ、考える事は選ばなければならないわね、ナイール。あなた、王都に行きなさい」
「王都に?」
王都、魔界における中心都市。大魔王が直接統治をする権威と勢力を兼ね揃えた、政治と軍事力の中枢。そんな場所へ、イラースは向かえという。余命幾ばくも無い自身を置いて。
「王都には長らく、あなたの兄上と姉上が暮らしています」
「そんな事は分かってます」
「ええ。母がこの様に、碌にここから動けぬ状況においても、未だ帰ってくる様子も無し。薄情な二人と言うべきかしら?」
「そんな事は無いでしょう。思っても無い事なんて、やっぱり身体に毒ですよ」
「そう。その通り。母の死に対して、便りの一つも送って来ない情無しに育てた憶えは私にも無いわ。なら、実際にそれはどういう意味になるのかしら?」
まるでなぞなぞの様に問い掛けて来るイラース。答えについてはすぐに出せた。
「王都で何か、それこそ手紙一つ出せない状況に陥っている……?」
ナイールの兄と姉。特に兄はイラースが死した後は、このハイラングの領地を受け継ぐ次期当主でもある。情の有る無しに関わらず、母の死に関心が無いはずも無いし、関わる行動すら無いのは、むしろ異常事態とすら言えた。
「貴族の子弟の多くは王都で、大魔王陛下が行う魔界の統治に助けとなるべく従う。それが貴族の慣例であるし、先の栄達にも繋がると、そう信じてロブと、その補佐となる様にミスルエを送り出したけれど……折を見て呼び戻さなかったのは失敗だったかもしれない」
ロブ・カーメイン。ミスルエ・カーメイン。その二人こそナイールの兄と姉。ナイールとの仲も悪くは無く、実感として、ナイールは二人を大切な家族として考えている。
そう、薄情な二人では無く、またナイールの評価の中では有能な二人でもあった。
多くの魔界の政治に関わる存在が集まる王都にあっても、飲み込まれずに済む二人であると、そんな風にも思っていた。
「だからあなたを王都に送る。これは賭けになるけれど」
「なるべく、中央の政治には関わらない場所で様子を探る。出来るならそうでありつつ、兄上と姉上に接触もする。そういう事ですね」
「ふふふ。そう。その通り。良かった。あなたは相変わらず聡いまま」
「そんな風に認められても、今はあんまり嬉しくないですよ」
だって、その聡さを母が認めているからこそ、ナイールはその母の元を、一時とは言え離れなければならないのだ。
この、命の灯が消えかけている母一人を残して。
「僕は……」
「良いのよ、ナイール。それ以上の事を言葉にする必要はない。自分の思いすべてを言葉にするのなんて、美徳とは言えないわ。私、思うのだけれど、どれだけ格好つけられたかが、人生に彩りを与えてくれるのだと思う」
「母上は……どうですか?」
「そうね。今のところは、あなたには出来ている。そう思いたいわね」
そんな力の無い母の言葉を聞いて、ナイールは感慨に浸りたい気分を振り払うのに必死だった。
こんな母に答えられる事と言えば、ひたすらに、聡いらしい頭を働かせ、今後についてを考え続ける事くらいだったから。
深いため息を飲み込んで、ナイールはイラースの部屋を後にする。
そのまま向かうのはイラースの館の最上部。丁度テラスになっている場所であり、そこからはイラースが治める街、ハイラングを一望出来た。
「潮風がさ、ここからだときつくて、なんでこんな場所に館なんて建てたんだろうって、昔は思ったもんだよ」
海に面した崖と、そこから広がる平野部。そうして海岸線沿いは一部浜になったそんな街。
イラースの館があるのはさらに内陸側で、すこし山がちになっている場所であった。
平野部には潮風に耐えられる黒っぽい岩を切り出して作り出された岩づくりの街並みが広がり、黒ずんだ街という印象を抱かせる。
その黒ずみは浜の方に向かうに従い色が薄れ、港として使える施設が並ぶ事になる。魔界の主流となる交易路からは外れているが、それでもこの港のおかげで、ハイラングは比較的、栄えている街と言える規模を誇っている。
そんな街の潮風が、ナイールの頬に突き刺さってくるのだ。北海の冷たい潮風だ。だが、それを身体に受けてもナイールは顔を顰めない。むしろ今は微笑んでいた。
「俺なんかは風ってのが気分の良いものだってのはあんまりわかんない感覚でね。姐さんはどうなんだ?」
「草原ヲ駆ケル時ハ、気分ガ良イ」
独り言みたいなナイールの呟きに対して、母の部屋を出てからずっと付き添ってくれているガンマとレイフォが言葉を返してくれた。
このテラスに来たのも、ずっと待機してくれた彼らを休ませる目的もあるのだ。
「あー、今、僕の方が感じているのは、そういう気分の良さとも違うというかさ……なんだろう。この風があるところは、僕の故郷なんだって、そんな風に思える様になったんだよ。何時の間にかさ」
「お、それなら俺にも分かるぜ、旦那。俺もさ、故郷の海ってのは他とは違うもんだよ。半分魚の連中は川や海ならどこでも入っておけば十分だろなんて言う連中もいるが、やっぱり違うんだなぁ。なんなら、下手な場所よりも陸の方が安心できる時すらあるっていうかよ」
ガンマは何時も多弁だった。聞いても居ない事をどんどん喋りがちだが、基本的にナイールはそれを止めない。
彼のこういう話し方だって、ナイールには故郷の一部であったからだ。
同時に、レイフォの寡黙さもそうである。
「……」
彼女はテラスから、ナイールと同じくハイラングの街を眺めている。
睨みつけているとも表現できる目付きの鋭さであるが、あれでなかなか、この街を気に入ってくれているのだ。彼女だってガンマだって、もうこの街で長らくを過ごしている。
「街を離れる事になった。王都に向かう。母上からその指示を受けたよ」
もったいぶる必要も無いかと、すぐにナイールはその言葉を彼らに聞かせた。
「王都にって、俺たちに聞かせるって事は……俺たちもですか?」
「あまり多くは連れていけない。誰かを同行させるなら人を厳選する必要がある。だから君らを連れて行く事に決めた」
「厳選って言葉をもうちょっとそれらしく使ってくれませんかねぇ」
ガンマにとっては中々に衝撃的な話であったらしい。まあ、ナイールにとってもある程度は予想していたとはいえ、驚きの内容であった事は事実だ。文句は言うまい。
一方のレイフォはと言えば。
「ガンマ……少シ女々シイゾ」
「姐さんにそう言われちゃ世話ねぇですけどねぇ!」
どうやら、彼女はナイールに同行する事に対して、しないという選択肢を持っていない様子。
「悪いけど拒否は無し。君らは絶対に連れて行く。でなければ僕は王都で何も出来なくなるだろうから」
「そんなにヤバい状況なんですかい? 王都の方は」
ガンマの語調が下がる。彼にとってもこの話題は深刻なものとなった様だ。
そんな彼に対して、ナイールは頷いた。
「実際に自分の目で見ない限りは何も断言は出来ないけどさ。今の状況で兄上と姉上。両方が便りも寄越してないってのは異常事態さ。僕らの方はその事態に巻き込まれない様にしながら、状況を知る必要があるってわけ」
「ハイラングに戻るまでが遠足ですよって、そういう話で?」
「良いよね。順調に戻れたらさ」
そう上手くは行くまい。そういう確信だけがナイールの心の中にあった。だからこそ、今、ハイラングの街を見下ろしている。
今生の別れにはならない。そんな事も断言出来なかったから。
「若、ドコマデヤルツモリダ?」
「出来る事までさ。とりあえず出発は、うーん、二日後って事にしておこうか。それまでに君らも連れて行く配下を選ぶ様に。それぞれ二人ずつがせいぜいかな。それ以上は特段の理由が無い限り駄目」
レイフォにそう返しつつ、ここでの仕事の話は終わらせておく事にする。今日は疲れているだろう。明日は準備に忙しくなりそうだ。だから出発は二日後になる。
昨日、イラースから王都行きを命じられたナイールは、護衛も付けずにハイラングの街を歩いていた。
(ま、自分のところの領地で護衛が必要っていうのなら、そりゃあ統治に失敗してるって事さ。特に領主の次男なんて立場の人間なら、重要度もそう高く無いし)
そんな風に言い訳をしながら、護衛を付けない理由とする。
それくらいに、今のナイールは一人でハイラングの街を見て回りたかったのだ。
「あら。ナイール様じゃないか。どうしたんだい? 市場に来るのなんて久しぶりだろう?」
と、壮年の女性に声を掛けられる。
場所は港から入った文物が販売される市場の中。丁度、民家が立ち並ぶ地区と港の境界線にあるそこは、ハイラングにおいてもっとも賑わう場所と言える。
露店に近い布と木造の店が並び、それぞれが取り扱っている商品を売り買いする声があちこちで響く中、声を掛けてきた女性もまた、そういう商人の一人として露店からナイールへ声を掛けてきたのだ。
「やあ、マファルン。久しぶり。いや、ちょっと街を出る用事がまた出来てね。とりあえずそれの買い出し。個人的なものだから部下にも頼めない」
と、露店へと近づくナイール。
マファルンと呼んだ女性は、頷きながら笑顔で店へと受け入れてくれる。
別にハイラングの街に住む者すべての名前を記憶しているわけではないが、ナイールに積極的に話しかけてくれる住人なら、容姿と名前を間違える事は無いのだ。
「ははぁ。帰って来たと思ったらまた出て行って。あんたも大変だねぇ」
「大変も大変さ。ほら、今は家がさ」
「分かってる分かってる。イラース様のご様子はみーんな分かっているさ。けど、すぐってわけじゃあないんだろう?」
マファルンは気軽にナイールに話しかけ、それほど深刻では無さそうにイラースの寿命についての話題を始めてきた。
これは不敬だろうか? 見る者が見ればそうなるのだろうが、ナイールにとってはそうでは無かった。
この気軽さこそが、領主一族と住民を繋ぐ生命線だったからだ。
彼らはこちらを信頼している。その証明にこんな話題をナイールにしてきている。場所が変われば、一方的に首を刎ねられても仕方ない会話を交わす事で、お互い、そんな関係にはならない事を理解し合う。そういう関係性がカーメイン一族とハイラングの住民の間では出来ていると言えた。
「そうだね準備をする期間ならあるけど……長くは無い。それは理解しといて欲しい。母上はここ最近も働き詰めだ」
「そうだねぇ。あたしもね? 知り合いにはちゃんと言ってるんだよ。領主様に何があったとしても、ハイラングの住民同士、力を合わせて行こうって」
と、マファルンが言う程には、イラースの寿命の問題については周知の事実となっている。
隠してどうにかなる期間は過ぎているからだ。それならばむしろ、住民達に自覚し、準備して貰う方が幾らかマシなのだ。
だからナイールもこの話題を許している。例え、実の母の命に関する話であったとしても。
「けど、けどねぇ……次の領主様が誰になるか。あたしはそれが心配だよ。ナイール様は良くやってくれた分だけねぇ……ナイール様。あんたが領主になってくれるってんなら、あたしらも安心なんだけど」
「マファルン。その話題に対しては、僕は怒るしか無くなる。それは分かるね?」
「あ……ああ。分かってる。分かってるよ。ロブ様だって、あの方は良い方さ。ちょっぴり街には顔を出してくれないけどね。それはね、仕方ないよねぇ」
マファルンの顔色が変わるのを感じる。仕方ない。今のは彼女の失言だったのだ。
イラースの死後、この街を治めるのは絶対にロブで無ければならないのだ。そうでなければ、必ず混乱が起こる。それをナイールが務めるなど、言葉にするだけでその混乱を助長する様なものだ。
領主の一族として、ナイールはそれを看過する事は出来ない。だから話題を止めた。
「ま、みんなが心配してる事にはならないさ。僕だってそれなりに頑張ってるんだ。母上や兄上なんかはそれ以上だろう。だからさ、ここの商品、ちょっと安くならない?」
「あーダメダメ。領主様方がきっちりとした値段で売り買いしてくれなくて、いったいこの市場の誰が商品の値段を決められるってんだい」
と、最後には軽い話題を続ける事にする。だいたい、ハイラングの住民とナイールの関係性はこんなものであった。
そんなハイラングの街を、ナイールは後にする日がやってきた。
黒馬に乗り、総勢で六人程度の配下を連れて、大陸の中心、王都へと旅立つ日がすぐにやってきたのだ。
「道程は急いでも二週間は掛かる。間で宿も取るつもりだけど、食料はその分を携帯する必要はあるだろう。準備は出来てるかい?」
ハイラングの街の正門。そこを出た場所で、他の配下達に確認する。
いちいち確認しなければならない程、抜けた人物は居ないだろうが、上役としてはこういう風に逐一不安に思われる事を全体で確認する事で、全体の士気を保つのである。
逆にこういう事以外は気を幾らか抜いても良い。総勢で百数名程度の兵を率いた経験くらいはあるナイールの知恵であった。
「じゃあさっそく出発だ。最初はそこまで急がずに行こう。急ぎたいのは山々だけど、王都に着いたらそれで終わりって仕事じゃないしね」
と、さっそく気を抜くような会話をしつつ、黒馬を進めていく。
そうして、ナイールを含めて七人の速度が一定になり、それが暫く続くだろうと言ったタイミングで、多弁なガンマがさっそく話しかけてきた。
「だいたいこの六人が問題を起こさずにつつがなく行動できる限界ってところですかい? 旦那」
明け透けな話をする彼であるが、それに文句を言う者もいない。そうであるはずの六人をわざわざ選んだのだから。
「王都においては礼儀なんかも必要になってくる。ああ、レイフォ。そこは緊張しないで。君とその配下にはそこを求めず、もっと別の事を頼む予定だから」
「ソウデアッテ欲シイ」
さすがに彼女とその配下二名もまた、今は馬に乗っているが、それでも動きがぎこちない。
彼女ら獣人に取って、馬に乗っての行動はあまり得手では無いのではあるが、動きのぎこちなさはその他にも原因があるだろう。
「ブラックハウンドの一族はその手の苦手があるのは知ってるよ。大丈夫。別口で活躍する機会はあるさ。嫌になるけどね」
ブラックハウンド。魔界に多数いる獣人の中において、そう呼ばれる一族がレイフォの一族だ。
レイフォが現在のところ族長となっており、それほど数は多く無い。昨今、各種獣人の中で小数になりつつある種族というのが問題視されており、彼女の一族もそういう種族の一つと言えた。
「姐さんが活躍する場面なんてだいたい血生臭い現場だろう? あーやだやだ。どんな修羅場が待ち受けている事やら」
「河口半魚人二言ワレルノハ心外ダ」
「そうかい? 我ら北海の河口半魚人は他より紳士的だって有名なんだぜ?」
「多弁で好戦的って話は聞くけど、紳士的ってのはあんまり聞かないなぁ」
「いやだなぁ。そりゃあ話し合いでまず解決しましょって、そういう奥ゆかしさの表現だぜ?」
そんな事は無いだろうとナイールは思う。
半魚人にも色々いるが、種族が川や海等のどの部分で主に暮らしているかで彼らの呼び方は変わる。
河口半魚人とは文字通り河口付近で暮らす種族の半魚人であり、彼らの種族はレイフォが言う通り、多弁にして好戦的だ。
人の出入りが嫌でも多い地域である以上、誰よりも話好きになり、話で決着が付かないとなればすぐに武闘に発展する。それが彼らの特徴と言えた。
ちなみに、ナイールが知る限りにおいては、ガンマもその性質に漏れない性格をしているはずだ。
「ま、僕の配下はだいたい武闘派な連中さ。仕方ない。そういう運命だって諦めて王都に行く事にしてるんだ」
「なんかそれを聞くと、旦那はそうじゃないって聞こえるぜ?」
「そりゃあ勿論。僕は貴族らしく優美で華麗な立場だからね」
「フッ」
間を置かず、レイフォに鼻で笑われる。
まあ、諦めて認める事には慣れている。今、集まって王都に向かうこの連中は、ナイール自身も含めて禄でもない連中ではあるのだった。