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吠えよ剣  作者: 大隅スミヲ
高校三年生編
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エピローグ

 インターハイを終えたおれは部活を引退したが、高校生活はまだ終わりを迎えてはいなかった。


 高校三年。進路をどうするか決めなければならないのだ。


 おれの進路や受験勉強なんかについては、ここでは語らない。

 だって、誰も勉学に励むおれの物語なんて読みたいって思わないだろう。


 だから、少しばかり時間をすすめる。



※ ※ ※ ※



 朝の道場は冷え切っており、床を裸足で歩くことをためらわせるほどだった。

 午前六時。まだ日は昇っていなかった。


 道着に着替えたおれは、竹刀を持つと素振り稽古を行って、体を温めた。


「朝から気合いが入っているな、花岡くん」

 高瀬晴彦が道場へやって来たのは、素振りをはじめてから二十分ほど経ってからだった。

 すでにおれは汗をかいており、体から湯気もあがっていた。


「この日のために、おれはインターハイ後もずっと稽古を続けてきましたから」

「進学することにしたんだって?」

「はい。もちろん、勉強の方もがんばっていますよ」

「隼人が来るのは一時間後だ。その前に、俺とひと勝負しないか」

 おれは高瀬兄の申し出に驚きを隠せなかった。

 あの高瀬晴彦がおれに勝負を挑んできているのだ。

 こんなチャンス、二度と無いかもしれない。


 二つ返事でおれは高瀬兄の申し出を受けると、防具を着けはじめた。


 目の前に立つのは、現代の武蔵と呼ばれる剣道界でナンバーワンの高瀬晴彦だった。


 蹲踞の姿勢から、正眼に構えて立つ。

 道場には二人しかいなかった。

 そのため、審判はいない。


 現代の武蔵と呼ばれるだけあって、その構えには異様な圧力があった。

 以前、S高校剣道部に来て、紅白戦で戦った時はかなり手加減をしてくれていたのだろう。

 いま、目の前に立つ高瀬晴彦は別人のようだった。


 先に仕掛けたのは、おれの方からだった。

 正確にいえば、仕掛けさせられたといった方がいいかもしれない。


 面打ちを狙って打ち込んだ竹刀は、簡単に高瀬兄によって弾かれていた。


 高瀬兄の剣先は、まるで別の生き物のように動いていた。

 おれの面打ちを弾くと、剣先が吸い込まれるようにおれの喉元を狙ってくる。


 おれは竹刀を引きながら、高瀬兄の剣先を弾くが、すぐにその剣先は変化し、今度は小手を狙ってくる。


 防戦一方。

 おれは次から次へと攻めてくる高瀬兄の攻撃を凌ぐことで精一杯となっていた。


 これが全日本クラスの剣士なのか。


 高瀬兄の攻撃は苛烈を極めていた。

 おれの防御も次第に追いつかなくなり、浅く小手や面が入りはじめる。


 おれは何とか高瀬兄の攻撃を止めようと、鍔迫り合いに持ち込もうとするが、高瀬兄もそれを察して動く。

 おれが間合いを縮めようとすると、下がりながら引き面打ちなどを仕掛けてきて、距離を取って、おれの自由にさせてはくれなかった。


 それでもおれは諦めなかった。

 高瀬兄の攻撃を防ぎながらも、一瞬の隙きを伺っていた。


 横面打ちが来る。

 おれの面金に当たり、竹刀が弾かれる。

 当たりは浅いが、軽く脳震盪を覚えるぐらいの威力があった。


 ふらつきながらも、おれは竹刀を振った。

 胴打ち。

 その胴打ちは、高瀬兄の胴を掠めただけだったが、高瀬兄は警戒して距離を取ろうとした。


 体勢を整えながら、おれは面打ちを狙う。

 やはり防がれてしまう。


 おれの竹刀は高瀬兄に受け流され、宙をさまよう。


 高瀬兄が小手を狙ってくる。

 おれは慌てて受けようとするが、間に合わない。

 慌てたため、肘が変な角度に曲がり、竹刀は遠心力を得る。


 この時、予想外なことが起きた。

 おれが変な体勢で高瀬兄の小手打ちを受けようとしたため、竹刀がコントロールを失った状態で振られた。


 そして、剣先が弧を描いて高瀬兄の横面にヒットした。


 何が起きたのかわからない。

 面越しに見えた高瀬兄の表情が物語っていた。


 現に、その横面打ちを放ったおれにもわからないことだった。


 偶然が生んだ横面打ち。

 当たりは浅かったが、いままで一度も触れることが出来なかった高瀬兄の面におれの剣先が触れた瞬間でもあった。


 高瀬兄は距離を取ると、再び正眼に構え直した。

 おれも気を引き締め直し、正眼に構える。


 さっきのは偶然だった。

 偶然に振った竹刀が、横面に当たったのだ。


 だが、そこに答えがあるような気がした。

 おれは肩の力を抜き、じっと高瀬兄のことを見据えた。


 空気が歪んだような気がした。

 次の瞬間、おれは高瀬兄の小手打ちを竹刀で受けていた。

 強烈な小手打ちだった。竹刀を持つ手は痺れていた。


 続けざまに高瀬兄は面打ちを狙ってくる。

 またしても強烈な打ち込みだ。


 おれは竹刀を横にしてその面打ちを受け止めると、そのまま力を抜いて、竹刀の重みのままに腕を振った。


 胴打ち。

 おれの剣先は高瀬兄の胴に触れていた。

 しかし、入りは浅い。

 だが、また竹刀が届いたことは確かだった。


 これには、高瀬兄も驚いた顔をしていた。


 おれはそのまま、攻めた。突きから変化させて小手打ちを狙う。

 しかし、その攻めは読まれてしまい、高瀬兄に竹刀で弾かれる。


 それでもおれは、攻めるのをやめない。

 力を抜く。重みのままに、竹刀を振る。


 面、突き、小手、胴。おれは次々と高瀬兄に打ち込んでいく。

 どの攻撃も高瀬兄によって弾かれるが、だんだんと何かが掴めて来る。


 おれの攻撃が、高瀬兄の防御を凌駕しはじめる。


 ここだ。

 何かが見えた。おれはその場所に向けて、面打ちを放った。


 確かな手応えが竹刀を通じて、自分の手にあった。

 入りは浅くはない。


「面あり、一本……だな」

 高瀬兄はそう言うと、すっと体を引き、竹刀を収めた。


「さすがだよ、花岡くん。インターハイ優勝は伊達じゃないな。完全に一本取られた」

 面を脱ぎながら高瀬兄は言うと、おれに握手を求めてきた。


 二人とも、汗だくだった。


「アップにしては、少々やりすぎたかな」

 その言葉に、おれはハッとした。

 そうだ、これからおれは神崎とここで試合をするのだ。

 そのために、朝早くから道場に出向き、試合前に気持ちを落ち着けようと稽古していたのだ。それなのに、高瀬兄の口車に乗せられて、全力で戦ってしまった。


 だが、高瀬兄との試合は得るものが大きかった。

 このぐらいの体力の消耗なんて、得たものに比べればなんてことはない。


「あ、二人とも何やってんだよ」

 道場の入り口から顔を出した高瀬が驚きの声を上げた。


「隼人を駅まで迎えに行ってやれっていうから、行ってきたらこれかよ」

 高瀬は汗まみれのふたりを見ながらいう。


 その高瀬の背後には、見覚えのある背の高い男が立っていた。

 神崎隼人だ。


「ひさしぶりだな、神崎」

「インターハイ優勝おめでとう、花岡くん」

 相変わらず、憎めない爽やか野郎の神崎がそこにはいた。


「もう、おれはアップ済んでいるから。準備ができたら教えてくれ」

 おれはそれだけいうと、顔を洗うために道場の脇にある洗面所へと向かった。


 一年以上ぶりに見る神崎は、少し背が伸びているように感じた。

 そして、相変わらずの爽やかオーラを身にまとっている。


 やっぱり、気に食わない。


 おれは乱暴に顔を洗うと、手拭いで汗を拭きながら、道場へと戻った。


「これより、試合をはじめます。試合は三本勝負。制限時間は無しとします」

 道場の中央に立った高瀬晴彦がよく通る声で言う。


 おれはこの日をずっと待っていた。


 インターハイ優勝後、高瀬晴彦は優勝したお祝いがしたいとおれに言った。


 何でも良いから、何か欲しい物とかを教えてくれと言った。


 おれは、神崎と立ち会わせてくれと高瀬晴彦に言った。


 高瀬晴彦は驚いた顔をしたが、わかったとだけ言った。



 そして、この日が来た。


 高瀬晴彦は約束通り、すべての段取りをつけてくれた。

 神崎は留学から帰ってきて、大学受験も終えていた。

 おれも進路は決め、剣道に打ち込む時間を十分に作れた。


 おそらく高校三年間の中で、いまが全盛期といえる状態に仕上がっている。


 おれは蹲踞の姿勢で、目の前にいる神崎をじっと見つめる。


 やっと会えたな、神崎。

 おれは立ち上がり、正眼に構えると、心のなかで神崎に話しかけた。




 【 吠えよ剣 ―― 完 ―― 】

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