高校三年生編(14)
気が付くと、見知らぬ男がおれの前に立っていた。
頬ににきびがある、坊主頭の男だ。
「決勝、楽しみですね。言っておきますけれど、俺は神崎先輩よりも強いですよ」
男はそういうとにやりと笑って、おれの前を去っていった。
誰だ?
何でおれは、見知らぬ男と話をしていたんだ。
なんだか、ひどく疲れていた。
道着の袖をめくって左腕を見てみる。
左腕はどす黒い色になり、相変わらず腫れている。
さっき、高瀬に買ってきてもらったロックアイスを探したが、あるのはロックアイスと書かれた水の入った袋だけであり、それはどこにもなかった。
参ったな。左腕はきちんと動くだろうか。
おれは手を握ったり、開いたりしながら確認をする。
多少の痛みはあるが、動かせなくはなかった。
さて、そろそろ試合がはじまるはずだ。
おれは自分の竹刀を手に取ると、アップをするために立ち上がった。
選手控室には、大きな模造紙でトーナメント表が張り出されている。
おれはそのトーナメント表の前で足を止めると、自分の目を疑った。
すでに試合は、準決勝まで終了していた。
決勝戦は、東京M学園の塚原という名前が書かれており、もう一方には県立S高校の花岡と書かれていた。
一体、何が起きているんだ。
おれは困惑した。
準々決勝まで勝ち上がったところまでは覚えている。
しかし、その後の記憶が無いのだ。
「おれ、決勝戦まで勝ち上がったのか?」
そんな独り言を呟いていると、背後から声を掛けられた。
「ついに決勝戦だね、花岡」
振り返ると、そこには高瀬がいた。
「腕、大丈夫?」
「あ、ああ」
おれは自分の混乱を高瀬に伝えることにした。
「なあ、高瀬。おれ、決勝までどうやって来たんだ」
「え、どうやってって……。なにを言っているの、花岡」
「いや、わからないんだ」
「はい?」
おれは自分の記憶が抜け落ちていることを正直に話した。
すると高瀬は、Y大学の平賀さんがビデオを撮っているはずだから、見せてもらうといいと言って、おれを客席にいる平賀さんのところへ連れて行った。
「おお、花岡くん。決勝進出、おめでとう。あと一勝だ、がんばってね」
平賀さんは自分のことのように嬉しそうに言う。
そして、ノートパソコンで映像を見せてくれた。
準々決勝。
おれは、まるで幽霊のように立っていた。
構えは正眼。
相手から、散々攻め込まれているが、相手の攻撃を竹刀で払い落とすようにして、相手に一本を取らせない。
動きを見ていると、何だか気配がなく、おれの亡霊が戦っているかのように見える。
試合は、小手をおれが取って、そのまま終了した。
続いて、準決勝。
またしても、亡霊なおれ。
構えは正眼。おそらく、腕の痛みで上段には構えられないのだろう。
自分から攻め込もうとはせず、気配のないまま、立っている。
そんな感じだ。
相手は全然攻め込んでこないおれに対して、苛立ちを隠し切れず攻め込んでくるが、カウンターを取るように、相手に合わせておれが突きを打ち込んでくるため、入るに入れないでいる。
「まるで別人だよな」
映像を一緒に見ていた河上先輩が言う。
「ここまで気配を消す戦法、いつ身に着けたんだよ、花岡」
映像の中にいるおれは、おれのようで、おれではなかった。
知らないおれが、戦っている。
徹底的に稽古を続けてきた。
それが無意識のうちに動けるまでになった。
映像の中にいるおれは、そんな感じなのだろう。
俯瞰的になりながら、おれは自分の試合の映像を見つめていた。
「決勝戦で戦う、東京M学園の塚原って選手は、オール二本先取で勝ち上がってきているな。対策は……」
「平賀さん、大丈夫ですよ。ここまでおれは、相手選手の情報をひとつも入れないで来ましたから」
「ああ、そうか。そうだよな。花岡くんなら大丈夫だな」
平賀は笑いながらいうと、パソコンの画面を閉じた。
おれは平賀さんにお礼を言うと、選手控室へと戻ることにした。