高校三年生編(6)
場内アナウンスが流れ、女子の準決勝がはじまる旨を伝えていた。
女子準決勝。なんと高瀬が残っている。
高瀬はここまで相手から一本も取られず、順調な勝ち上がりを見せていた。
準決勝の相手となるのは、この地区では優勝回数がダントツに高い私立B高校の主将だった。
おれは試合会場へ向かう高瀬のことを見つけると、声を掛けた。
「高瀬、頑張ってこいよ。お前なら勝てる」
「他人事だと思って、適当なこというなよな」
「本当だって。おれと毎日の様に朝練してたんだ。誰よりも練習をしていたのは、自分が一番知っているだろ」
「そうだけどさ」
「自信を持て」
「わかった」
高瀬はこくんと頷くと、一度深呼吸をしてから試合会場へと向かった。
おれは高瀬の試合は見なかった。
次に行われる自分の試合に集中したかったからだ。それは高瀬もわかってくれるはずだ。
誰もいない二階席に向かい、精神を集中させる。
決勝の相手となるのは、二年生の鍋島だった。
決勝戦がS高校同士となるのは、去年に続いて二度目のことだ。
去年は、おれと桑島先輩で戦っていた。
会場の中央に進み出ると、気合の入った鍋島の顔が面越しに見えた。
「鍋島、ここでおれを倒してみるか」
そんな挑発的なセリフを鍋島に投げ掛けてみた。
もちろん、声に出してというわけではない。心の声でだ。
「俺は、先輩には負けませんよ」
鍋島がそう答えた気がした。
面白い、やってやろうじゃないか。
おれはそう答えて、ゆっくりと竹刀を構えた。
鍋島の構えは中段正眼だった。
正攻法が好きな鍋島らしい構えだった。
それに対して、おれは上段に構えた。
おれの上段構えに、鍋島は警戒を見せた。
なぜなら、おれが上段で構えることは滅多にないからだ。
基本的には、正眼を取るか、下段で相手を誘う。
それがいつものおれのやり方だ。
それは、普段から一緒に練習している鍋島だからこそ、わかっていることだった。
だから、あえて上段で構える。いつもと違うおれの構えに鍋島は警戒したのだ。
鍋島は、なかなか踏み込んでこなかった。
来ないのであれば、こっちから行こう。
おれは一気に踏み込むと、上段から小手を狙って竹刀を振り下ろした。
振り下ろした竹刀に、しっかりとした衝撃が伝わってくる。
鍋島はおれの小手打ちを竹刀で受け流すと、反撃の胴打ちを仕掛けてきた。
おれは咄嗟に竹刀を引いて、その胴打ちを受ける。
そして、その勢いを利用して擦り上げての横面打ちを狙う。
剣先は鍋島の面金に当たったが、浅かったため、一本にはならなかった。
鍋島が態勢を整えるために一歩後ろに下がろうとする。
おれはそこを逃さずに、追い打ちを掛けていく。
面打ち、小手打ちと連続して仕掛けるが、鍋島も必死に竹刀を動かし、受け流そうとする。
どうした、鍋島。お前の剣道はこんなものか。
おれは心の中で鍋島に語り掛けながら、攻め続けた。
胴が空いた。そこだけぽっかりと、守ることを忘れてしまっているかのように空いている。
おれは小手を打とうとしていた剣先を変化させると、胴打ちに切り替える。
一瞬、背筋がゾクッとした。
罠だ。おれの五感に危険信号が知らせれる。
おれは咄嗟に胴打ちを打ちかけていた竹刀を引っ込めて、身体を後ろに下げる。
目の前に鍋島の竹刀が迫っていた。
横面打ち。ぎりぎりのところで、おれは頭を後ろに引いて剣先を避けていた。
なかなかやるな、鍋島。
ふたりの距離は再び開いた。
どちらかが飛び込まない限りは、竹刀の届かない距離だ。
どちらも一本も取らないまま、試合時間は終了となった。一度、仕切り直しをして延長戦に入る。
場内は大騒ぎとなっていた。S高校だけではなく、他の高校の選手や応援団などが試合場の周りに集まってきて、観戦をしている。
延長戦がはじまった。
先ほどまで騒がしいぐらいに聞こえていた歓声が耳に届かなくなる。
しん、と静まり返った世界。
そこにいるのは、おれと鍋島だけだ。
明鏡止水。
桑島先輩が好んで使っていた言葉だ。
いまのおれの心境は、その言葉がふさわしいと思えた。
おれは正眼に構え、じっと鍋島のことを見据えた。
鍋島も同じように正眼の構えを取っている。
鍋島、よくここまで成長してくれた。
おれは正直な気持ちを剣先に込めて、一気に踏み込んだ。
竹刀と竹刀がぶつかり、絡み合う。
鍔迫り合い。
身長は、鍋島の方が少し大きく、鍋島がこちらに圧し掛かってくるような形になる。
だが、力では負ける気はしない。いままで様々なパワー型の選手と試合をしてきた。
中でも鈴木先輩のような、力で攻めて攻めて攻めまくってくるような選手と多く立ち会って来たお陰で、おれは鍔迫り合いでは誰にも負ける気はしなかった。
力の入れ抜き。
鍔迫り合いは力と力をぶつけているだけではない。
力が拮抗している状態で、いつ力を抜くか、もしくはいつ力を込めるか、そのタイミングも重要で、タイミングを間違えれば、崩されてしまうことも少なくはない。
わざと最初は力で押し込みを掛けて、鍋島に力で返させる。
あとはタイミングを計って、力を急に抜くだけだ。
面越しに鍋島と目が合う。
鍋島の目は血走っており、力でおれのことをねじ伏せてしまおうと思っているのがよくわかった。
おれは息を吸い込むと、鍔迫り合いで押し込んでいた腕の力を急に抜いた。
支えを失った鍋島の体は、前のめりに崩れていく。
おれはその隙をついて、引き胴を打ち込んだ。
「胴あり、一本っ」
主審の声が試合場に響き渡った。
こうして、おれは地区予選を優勝で突破し、県大会へと駒を進めた。