高校二年生編(39)
一回戦、おれはシードだったため、前田や桑島先輩、鈴木先輩などの試合が撮影されていた。
桑島先輩や鈴木先輩の試合には、河上先輩の駄目出しの声が所々に入っている。
そういえば、河上先輩が三年生の時は試合を見ていると、横で解説をするように色々と技術論を語ってくれたっけ。そんなことを思い出し、なんだか急に懐かしさを感じてしまった。
前田の試合がはじまった。
映像がアップになり前田が緊張しているということがよくわかった。
前田の動きを見ると、やっぱり以前と比べるとかなり強くなっているということがわかった。
特に一本を取った胴打ちは見事なものだった。
しかし、この程度の前田であれば、おれは負ける気はしない。
決勝戦でおれのことを追い詰めた前田は、まだどこにも姿を現してはいなかった。
前田の試合が終わると映像が途切れて、いきなり二回戦のおれの試合へと切り替わった。
二回戦、おれは二本を先取して無傷のまま勝利を収めている。
映像で見ても無難な勝ち方なだけに、特に気になるような点は、どこにもなかった。
だけど、平賀さんはなにか気になる点があったようで、リモコンで映像を一時停止させる。
「いい踏み込みだよね、花岡くん」
「そうですね。思い切りがいいというか、花岡の踏み込みは一気に迫ってくるような感じですよね」
平賀さんの言葉に、河上先輩が答える。
「例えば、ここ」
映像が巻き戻しされて、おれが面を打ち込んだシーンに戻る。
「花岡くんの踏み込みが早いから、相手が反応しきれていないよね。多分、相手は気づいたら面を打たれていたって感じだと思う」
平賀さんはそれだけいうと、一時停止を解除して映像の続きを流し始めた。
踏み込みについては、祖父から徹底的に教え込まれたことだった。
すべては踏み込みだ。踏み込みさえしっかりできていれば、後は手を動かすだけで一本が取れるんだ、と。
祖父は基本稽古に厳しい人で、一つの動きを何百回、何千回もやることで体に覚えこませるといった稽古法を実践してきた人だった。おれもそれに習い、物心ついたころから毎日のように、素振りや踏み込みの稽古は欠かさずやってきていた。
おれが祖父との思い出に浸っているうちに、いつの間にか映像は決勝戦になっていた。
前田の顔とおれの顔のアップが交互に映し出される。
試合の時のおれって、こんな顔しているのか。
おれは初めて見る試合のときの自分の顔を見て妙な気分になっていた。
『平賀さん、前田にあれを伝授したんですか』
『まあ、ね』
河上先輩と平賀さんの撮影しながらの雑談がしっかりと録音されてしまっていて、二人は映像を見ながら顔を見合わせていた。
『もしも、もしもですよ、前田が平賀さんの授けた秘策で勝っちゃったら、どうします』
『勝つかもしれないよ。それだけの秘策をぼくは前田くんに教えたから』
『花岡に恨まれますよ』
河上先輩が笑いながらいう。
そうこうしているうちに試合がはじまった。
平賀さんが前田に伝授した秘策というのは、意味もなくおれの足を見つめるというものだった。
おれはその秘策に引っ掛かり、精神的に追い詰められた。
映像は前田が巻き上げ打ちのフェイントから胴打ちで、おれから一本を奪ったところで一時停止された。
「このとき、完全にやられたと思いましたよ」
おれは率直な感想をいった。
「わたしも、前田が勝つんじゃないかって思った」
「なんだよそれ。高瀬はおれが負けると思っていたのかよ」
「ここまではね」
「おれも、花岡は負けるんじゃないかと思ったぞ」
河上先輩が真剣な顔をしていう。
それを証拠に前田がおれから一本を取ったシーンでは河上先輩の『まさか……』という驚きの声が入っていた。
「このあと、前田くんはぼくの教えたとおり、花岡くんの足を見続けたよね。前田くんには、花岡くんの足を見ている素振りをしていればいいって教えたんだけれども、本当の意味は別にあったんだよ。それに気づいたかな、花岡くん」
「えっ、本当の意味?」
おれよりも先に驚きの声をあげたのは、高瀬だった。
本当の意味。
おれは頭の中であの時の状況を再生していた。
おれの足。踏み込みの際の足。基本どおりの踏み込み。
何ひとつ、間違ってはいないはずだ。
「わからないかな。そうだろうね、花岡くんは何ひとつ間違っていないから、わからなくて当たり前なんだ。きょう、花岡くんを呼んだのは、その当たり前を壊してもらおうと思ったからなんだよ」
おれは平賀さんがなにを言おうとしているのかさっぱりわからず、首を傾げてしまった。
「花岡くんは、基本稽古を大事にしてきたよね。だから絶対に崩れない剣道をするし、強い。だけれども、そろそろ、その基本から脱してもいいころじゃないかなと、ぼくは思うんだ」
「基本から脱する?」
「そう。花岡くんの剣道は素直すぎるんだよ。悪くいえば、基本に忠実すぎる」
何を言い出すんだ、この人は。正直、おれはそう思っていた。
基本に忠実なのは当たり前じゃないか。基本があるからこそ、応用だってできるんだろ。それを基本に忠実すぎるってどういうことだよ。
「ちょっと、立ってみてもらえるかな。ここに竹刀はないけれども、あると想定してぼくと向かい合ってみてくれる」
おれは平賀さんの言葉通りに立ち上がって、竹刀を持っているつもりで構えてみた。
平賀さんの構えはいたって普通の中段構えだった。
平賀さんも基本に忠実じゃないか。
「それじゃあ、行くよ」
平賀さんの踏み込みなら何度も大学での出稽古で経験している。大体のタイミングも掴めているはずだ。
ほら、来るぞ。
そう思った瞬間、平賀さんはおれの目の前に立っていた。
「え……」
一瞬、おれは何が起きているのかわからなかった。
平賀さんが来る。そう思ったと同時に、平賀さんはもうおれの目の前に踏み込んできていた。そんなに早い踏み込みなんてありえないはずだ。
おれは一体なにが起きたのかわからず、目を何度も瞬きさせた。
「これがぼくのいう基本に忠実ではない踏み込みというやつだよ、花岡くん」
「それ、おれに教えてください」
おれは平賀さんに頭を下げてお願いした。