高校二年生編(29)
目が覚めたとき、どこからか消毒のような匂いがした。
清潔感を表すような白いシーツが敷いてあるちょっと固めのベッド。
おれはそのベッドの上で寝ていた。
恰好は剣道着のままだった。
おれが体を起こすと、少し離れた場所にいた白衣を着た若い女性がこちらを振り返った。
「目が覚めたのね」
髪を後ろでまとめて団子状にした黒縁メガネの女性は、知的な笑みを浮かべながら、おれの寝ているベッドへと近づいてきた。
「熱中症よ。剣道に集中するのもいいけれど、水分はきちんと取らないとダメよ。あ、お水飲む?」
彼女はおれの答えを待たずに、コップに水道水を入れて、おれの前に差し出した。
おれはそのコップを受け取ると、一気に喉の奥へと流し込んだ。
喉が渇いていたため、水をもう一杯もらい、今度はゆっくりと体に染み込ませるように飲んだ。
「調子はどうかしら、吐き気とかはある?」
「いえ、大丈夫です」
「きょうは練習をせずに家で安静にしておいた方がいいわよ」
「でも……」
「体調管理も練習の内よ」
彼女は有無を言わせぬ口調でいうと事務用のデスクに向かい、どこかへ電話を掛け始めた。
電話はすぐに終わった。
彼女はおれのところに戻ってきて「いま、来るって」とだけ告げて、またデスクへと戻っていってしまった。
それから五分もしないうちに河上先輩がやってきた。
その隣には高瀬の姿もある。
「すいません、色々とご迷惑をおかけしちゃって」
河上先輩は白衣の女性に頭をぺこぺこと下げると、おれのいるベッドのところまで大また歩きで近づいてきた。
「花岡、大丈夫か」
「ご心配をおかけしました」
「いいんだよ。とりあえず、きょうは帰っていいぞ。もし、明日も調子が悪かったら休んでもいいから」
「でも、県大会まで一週間ないんですよ」
「お前は本当に馬鹿野郎だな。体調不良で県大会に出れなくなったらどうするんだよ。そうならないためにいまの内に休んでおいた方が得策だろ」
河上先輩はそういって、手に持っていたおれの鞄を差し出した。
「さっさと着替えて帰れ。高瀬ちゃんも一緒に帰ってくれるそうだからよ」
「高瀬……」
「わたしは県大会に出れるわけじゃないからさ」
高瀬はそういうと、さっさと着替えろといわんばかりにベッドの仕切りカーテンを閉めてしまった。
いまは休むことも必要か。
おれはそう自分にいい聞かせながら着替えを済ませると、白衣の女性にお礼をいって医務室を後にした。
「それじゃあ、高瀬ちゃん、無事に花岡を家まで送り届けてね」
河上先輩はおれと高瀬を校舎の玄関まで見送ると、剣道部の練習へと戻っていた。
外に出ると強い日差しが一瞬、おれの視界を真っ白にした。
時間は昼を少し過ぎた頃だった。
バス停まで行き、バスの時間を調べるとちょうど三分前に乗りたいバスが通過してしまっており、次のバスまで四十分近く待たなければならなかった。
「どうしようか、高瀬」
「どこかでお昼ご飯でも食べていこうか」
おれはその高瀬の提案に乗り、少し歩いたところにあるファストフード店へと向かった。
ファストフード店は昼時ということもあり混み合っていたが、ちょうど二人座れるテーブルが空いていたため、高瀬に席を取っておいてもらい、おれがレジに並ぶことにした。
ハンバーガーを購入して席に戻ると、高瀬が満面の笑みを浮かべていた。
「なんさか、こういうのってデートみたいじゃない」
「そうかな」
「彼氏がハンバーガーを買ってきてくれるのを待っている彼女って感じで。わたし、こういうの憧れていたんだ」
「へえ、そう」
おれは高瀬の話にほとんど付き合うことなく、ハンバーガーに齧り付いた。
このファストフード店は質を大事にしているというのが売りの店で、多少ハンバーガーの値段は高いものの、味は他のハンバーガーショップのような陳腐さがなく、本当に美味いと思えるものだった。
おれがハンバーガーを味わっている間も、高瀬はなにやら乙女チックな話を続けている。
「おい、少しは乗ってこいよな、花岡」
ようやくおれが話を聞いていないことに気づいた高瀬が少し拗ねたような口調でいう。
いつもだったら肩パンチを喰らうところだが、きょうは機嫌がいいのか口もとには笑みが残っていた。
「あーあ、デートしたいなあ」
おれは突然の高瀬の発言にぎょっとした。
「ねえ、花岡。この後の予定なんて何にもないでしょ?」
「本当なら剣道の練習をしているはずだから、予定はないけれど……」
「じゃあさ、買い物に付き合ってよ」
「買い物?」
「そう。デパートだったら冷房が効いていて涼しいから、花岡だって倒れないでしょ」
「なんだよ、それ」
「はい、決定ね。これ食べ終わったらバスで駅まで行くよ」
なんだかよくわからないが、おれは完全に高瀬のペースに巻き込まれてしまい、高瀬の買い物に付き合うこととなった。




