高校二年生編(22)
着替え終わって体育館の練習場所に戻ると、十人ほどの剣道部員たちがおれたちを出迎えた。
練習をはじめる前に顧問の田坂さんが、おれと前田のことをみんなに紹介する。
黒縁メガネの平賀さんを筆頭に、居残り組の人たちはどこか個性的なメンバーばかりのような気がした。
男子剣道部の練習は素振りにはじまり、打ち込み稽古、鍔迫り合いからの切り替えし稽古などといった、普段おれたちが部活でやっている練習と何ら変わりない内容だった。
それだけにおれは拍子抜けをしていた。
これじゃ、ただ学校の体育館が使えないから大学の体育館を借りて練習をしているだけじゃないか。
おれが求めているのは、こんな普通の練習じゃない。
おれは強くなるための練習がしたいんだ。
おれのそんな煮え切らない気持ちを察したのか、顧問の田坂さんが話し掛けて来た。
「花岡くん、次は試合稽古なんだが、キミと是非やってみたいという奴がいるんだが……」
「別に構いませんけれど。どの人ですか?」
「あのチョンマゲだよ。岡田っていう奴だ」
田坂さんは胴と小手だけを着けて竹刀の素振りをしている長い髪を後ろで結っている男の人を指差した。
「彼は結構強いぞ」
「わかりました」
強いっていっても選手じゃないんでしょ。
おれは完全に岡田さんを舐めて掛かっていた。
おれが面を着けて試合稽古の準備をしていると河上先輩が近寄ってきた。
「岡田さんとやるんだってな」
「ええ。強いらしいですね、岡田さん」
「そうだな。強いぞ、あの人は。心してかかれよ、花岡」
「はい」
そうは言ったものの、どうして河上先輩は「心してかかれ」なんて忠告をしてきたのだろうかと疑問に感じていた。
河上先輩はおれの実力を知っているはずだ。確かに高校生と大学生ではレベルが違うかもしれないけれど、おれだってインターハイで準優勝をしているんだ。そこらへんの高校生とは一味も二味も違うんだ。
それなのに、どうして河上先輩はおれに忠告なんてしてきたんだろうか。
おれは面を装着すると、試合稽古に使うコートへと進み出た。
目の前に立つ岡田さんは、面をつけていない状態でコートの中央に立っていた。
「あの、面は」
おれは戸惑いながらも審判を務める田坂さんに尋ねた。
「ああ、あいつはいいの。着けたくないんだって。あ、面をつけていないからって遠慮しなくてもいいよ。隙があれば思いっきり面を打ち込んでやってくれる」
「はあ」
おれの中に戸惑いと同時に怒りに似た感情が湧き上がってきていた。
面を着けないだと。完全に舐められている。おれの面が一発も入らないとでもいいたいんだろうか。面白いじゃないか、絶対に面を決めてやる。
「試合は三本勝負とします。今回は花岡くんが高校生なので、突きはなしとします」
田坂さんが簡単にルールを説明する。
「それでは、はじめっ」
試合稽古がはじまった。
おれはいつものように正眼に構えて、岡田さんのことを見据えた。
岡田さんは下段で構えている。面をつけていないため、表情が丸見えだったが、岡田さんは無表情のままだった。
剣先を少しだけ下げてから面打ちを狙い、おれは一歩踏み込んだ。
剣先を下げたのは小手うちのフェイントだ。
岡田さんの竹刀はまったく動かなかった。
おれの振りかぶった竹刀の先が、岡田さんの何もつけていない顔へと吸い込まれていく。
一本、もらった。
そう思った瞬間だった。おれの右手は下から来た得体の知れない衝撃によって跳ね上げられていた。
おれの手にあった竹刀は宙を舞っていた。
何が起きているのかわからなかった。
武士が刀を捨てた時、それは死ぬ時だよ。
突然、脳裏に子供の頃に祖父から聞いた言葉が甦ってきた。
確か、幼稚園の頃に、剣道の練習が嫌になって竹刀を投げ捨てた時にいわれた言葉だ。
どうして、そんな言葉をいまごろ思い出したのだろうか。
頭に衝撃を受けた。
その衝撃が面打ちだと気づいた時には、すでに遅かった。
「面あり、一本」
おれはその場に膝から崩れ落ちていた。
面打ちの衝撃が強かったからではない。この得体の知れない攻撃に、心を打たれたからだった。