高校二年生編(16)
どうやって神崎を崩すべきなのだろうか。
おれは正眼に構えながら、考えていた。
隙はどこにもない。
先に動いて、隙が出来るように誘うべきなのだろうか。それとも、神崎が攻めてくるのを待って、隙が出来たところを狙うべきなのだろうか。考えても、考えても、答えは出てこなかった。
左足が熱を帯びていた。ちょうど怪我をした場所だ。
痛みはない。怪我は完治している。
気のせいだ。自分にいい聞かせた。
おれは構えを下段に変えた。
変える瞬間を突いて、神崎が攻めてくるかと思ったが、誘いには乗らないといわんばかりに、神崎はじっとおれの動きを見据えていた。
「花岡、がんばれ」
体育館の二階から声援が飛んできた。石倉さなえの声だ。
その声に釣られるようにして、S高校からは花岡コール、M学園からは神崎コールが巻き起こった。
張り詰めていた空気が緩和したように感じられた。
おれは床を蹴っていた。
左の小手に狙いを定めて、竹刀を振る。
神崎が小手打ちを竹刀で受ける。
読みどおりの動き。そのままおれは竹刀を跳ね上げて、胴打ちを狙った。
しかし、これも神崎の竹刀によって受けられてしまう。
まだ読みどおり。
今度は引きながら横面を打ちに行く。
また竹刀と竹刀がぶつかる。
これも読みどおり。
神崎はおれの竹刀を弾き返すと、そのまま小手打ちを狙ってきた。
おれは一歩下がって、その小手打ちを避ける。そして、そのまま引き面打ちを狙った。
竹刀を通じて手に確かな感触が伝わってきた。引き面打ちが決まった。
そう思っていた。
しかし、審判はおれの旗を上げなかった。
引き面打ちに合わせて、神崎が前に出てきていた。
そのせいで、面打ちの当たりが浅くなってしまっていたのだ。
まさか神崎が前に出てくるということまでは、読めていなかった。
そして、抜き胴を決められるということも。
「胴あり、一本」
審判の声が高らかに響いた。
神崎がおれの読みよりも、一手多く読んでいたということだ。
くそ。やっぱり、神崎には勝てないのか。
そんな言葉が頭を過ぎったが、まだ時間はあると思い直し、再び正眼の構えを取った。
神崎は下段に構えていた。
防御を固めて逃げるつもりか。いや、そんなはずがない。神崎には何か考えがあって下段に構えているに違いない。
おれは頭の中で次の動きを考えながら、じりじりと間合いを詰めていった。
今度は、神崎の方から仕掛けてきた。
下段構えから右小手打ち。
剣先がまるで生き物の様に、おれの腕を目掛けて飛んでくる。
竹刀で神崎の小手打ちを受けると、神崎の竹刀を跳ね上げるようにして、逆に神崎の小手を狙って打ち込んでいく。
神崎が素早くおれの小手打ちを竹刀で受け止める。
お前の手の内は読めているんだぞ。そういわんばかりの動きだった。
一旦、間合いを外すために一歩後ろに引いた。
だが、それをさせまいと、神崎が一歩前に出て間合いを詰めてくる。
まさか神崎が間合いを詰めてくるとは思っていなかったため、神崎の攻撃に対する備えが全然できていなかった。
面打ちが来る。
竹刀で受るには間に合わない。
慌てて、もう一歩後ろに下がろうとしたとき、おれは足を滑らせてしまいバランスを失った。
やばい。おれはバランスを崩しながら、迫り来る神崎の竹刀を見つめていた。
世界はスローモーションだった。ゆっくりとした動作で、しなりを見せた竹刀が頭上に降り注いでくる。
左足が床を蹴った。
完全に無意識の状態でやったことだった。
体が左斜めの方向へと動いていた。
あ、抜き胴だ。
そう思ったと同時に、体が動いた。
確かな感触があった。
そして、神崎の胴を叩く音もしっかりと聞こえた。
「胴あり、一本」
審判がおれの旗を上げていた。
S高校陣営から歓声があがった。
体育館の二階からもおれを応援する声が聞こえてくる。
じっとりと汗を掻いていた。
いまのは、完全な無意識下での動きだった。
体が勝手に動いた。
もう一度やれといわれても、出来ない動きだ。
再び試合場の中央で神崎と対峙した。
1対1。
つぎに一本を取った方が勝ちとなる。
残り時間はどのぐらいあるのだろうか。
だいぶ、時間をロスしているような気がする。
神崎は正眼に構えたまま、動かなかった。
しかし、ただじっとしているだけというわけではない。
剣先からほとばしる殺気でおれのことを威圧し続けている。
何度か、おれは神崎に対して揺さぶりを掛けてみたが、神崎はそれに動じることはなかった。
背中は汗で濡れていた。おれはまるで蛇に睨まれた蛙だった。
そして、試合時間の五分が終了した。
またしても、おれは神崎に勝つことが出来なかった。
礼をすると、神崎が歩み寄って握手を求めてきた。
どうして、おれは勝てなかったんだ。あれだけ練習を積んできたのに、どうして勝つことが出来なかったんだ。
去って行く神崎の背中を見つめながら、おれは自問を繰り返していた。