九十四編
私の話。
友人に刀が好きだという人がいる。私も芸術品として見るのは好きだ。
刀の年代やその形状だとか、鞘の美しさは分からない。ただ単純に刀身の濡れ水のような輝きに目を奪われる。
彼に連れられて、ある場所に刀を見に行った時の話。
小さな博物館だった。薄暗いホールの天井は高く、声がよく響いた。
壁際の分厚いガラスケースに古い甲冑や調度品が飾られていて、刀もそこにあった。
初老の館長らしき男が白い手袋をしながら、ケースから出されたその刀を見物人に説明する。周りには私達以外にも見物人がいたが、年配の方が多い。
曰く、その刀の製法は謎に包まれていて、現代でも分かっていないことが多い。一説によると普通の方法では行くことのできない秘境で作られた刀なのだという。
私が遠野の隠れ里と呟くと館長と横の分厚い眼鏡を掛けた男が物珍しいといった感じで私を見た。
実際に刀を持って、その重さを体験させてもらえることになった。館長は黒い鞘ごと私達に持たせる。
重いわね、重いな、そんな声が館内に響く。
私の番になった。ずっしりとした重さに本当にこれを人が振ることができたのだろうか、と思った。こんな重いもので戦えたのかと。
友人の番になり、彼は私に両手を差し出した。私は鞘の部分を彼の手に乗せた。左手に乗り、右手に乗る。
その瞬間、ずるりと刀が右手を抜けた。ゼリー状の何かが手を抜けていくようなぬるりとした動きだった。或いは水が手からこぼれ落ちるような、そんな動き。左手はしっかりと鞘を握っていて、私も慌てて手を出した為、刀が床に落ちることも、抜き身になることもなかった。
異様な空気を察したのか、館長が心配そうな顔で大丈夫ですかと聞く。私は大丈夫ですと答えた。
彼の右手のひらには刀で切られたような青あざができていた。
帰りの電車の中、彼は興奮した面持ちであれは何だったんだと私に質問を重ねた。
興奮からか、はては先ほどの刀のせいか彼の手はいつまでも震えていた。