九十一編
私の話。
偶然が重なり、偶然ではなかったかのように見えることがある。
もしも絶対的な客観という立ち位置から“偶然”をみることができたなら、それは本当に偶然と呼べるのだろうか。
ズルズルと蕎麦をすする様な音に目が覚めた。
三段ベットの真ん中で私は体を起す。兄の学習机につけられた灯りは部屋を弱々しく照らしている。上の段からは次男のいびき声。すする様な音はその音が下から聞こえるのだと気がつく。
二段ベットから首を出して、音のする方を見る。
「…………っ!」
すぐに首を引っ込めた。
黒いような、濃い紫色のような布を被った何かが兄に何かをしているようだった。布に浮き上がるような長くゴツゴツとした背骨に、それが兄ではないことが分かった。
薄生地の布団を被り、私は震える。ズルズルという音が止み、布団の隙間から黒い影がちらつくのが見えた。
品定めするように私を見てるようにしか思えなかった。
冷たい何かがゆっくりと布団の中に侵入してくる。
私は声も出せず、ただ震えていた。固く布団の隅々を抑えて、ただ“それ”が私を諦めてくれることを祈った。
不意に侵入者は私の布団から抜け出した。私は息を飲み、しばらく様子を窺った。
心が落ち着いてきた。その油断を狙って、それは私の布団をはぎ取った。
「っ!!」
布を被っているとしか表現できない黒い何かは私に覆いかぶさり、妙に冷たくかさついた手で私の体を掴もうと手を伸ばす。私は足を出し手を出し、ただ闇雲にそれを拒んだ。しかし、力の差の前ではその反撃も無意味だった。
声帯の部分を握られ、声を出すどころか呼吸すら細くなる。私は睨みつけるようにそれを見た。
布の隙間から見える困惑したかのような丸い目。血の滴る長い舌ベロ。
ああ、あの音は兄の血をすする音だったのか。
兄は死んでしまったのだろうか。
そんな言葉が沸く。
一度も瞬きをしないその瞳が私に近づいた時、意識が飛んだ。
目が覚める。朝日が部屋に差し込み、小鳥のさえずりが聞こえた。
寝汗をかいた私は夢でよかったと心を落ち着けた。血をするる怪物などどこにもいないのだと。
タタッと布の上に赤い液体がこぼれ落ちる。
「あっ」
鼻血だった。
顔のかゆみに寝ている間も、血を流し続けていたことが分かった。
しかし枕を見ても血の跡はない。
それは、まるで誰かが零れる前に血を――――
二人の兄は起きて早々、私にティッシュを取るようにいった。