八十三編
聞いた話。
日常と非日常の境目はとても曖昧だ。簡単なことで壊れる。
壊れたあとは元に戻らない。
そしてチャンスは一度だけしかない。
彼はある日、鍵を拾った。飲み屋が並ぶ駅前の汚い路地裏だった。
友人と飲んだあとの帰り道で、妙に風は冷たい。彼は何気ない気持ちで足元の鍵を持ち上げる。
黄金色に輝く真鍮で出来ていて、おうとつの少ない鍵。時代劇に出てくるような古くて無骨な形だった。
彼はそれを手に持つと、特に考えもなしに横の灯りのついていない店の鍵穴に差し込んだ。鍵のサイズは明らかに合っておらず、入るはずがなかった。のにも関わらず鍵穴はズルズルとそれを飲み込んでいく。
押し込み、回す。かちゃりと鍵が開いた。
「……あっ」
周りが暗くなり、ぼうっと灯火のようなものが店の奥で光ったような気配がした。
そこで彼は言葉をやめ、興奮した面持ちで私に聞いた。吐く息は酒臭いが、顔ははっきりとしていて、頬は引き攣っている。
「お、俺がそこで何を見たと思う?」
「さあ? 分からない。でも、それに二回目はないと思う」
「……ああ、そうだ。そうだな、俺もそう思う」
彼は雨などこれっぽっちも降っていないというのに、全身を濡らし、ズボンは泥まみれにしていた。
彼はどこに行き、何を見てきたのだろう。