七十五編
聞いた話。
自分がどこにいてどこに向かっているのか、分かる人は意外と少ない。
あなたは何に向かって歩いている?
「んだよ、畜生っ」
自動車は止まった。正確には止めたという表現が適切だった。どんなに進んでも、濃い霧が周囲を覆っていて自分がどこにいるのか、全くわからなかった。
仕方なくゆるゆると山道を進む。あるのは先の見えない森のあぜ道。
彼は自分がどんどん迷っているように感じた。
「おっ」
霧が開け、視界が広がる。どこかの小さな村の集落のような場所に出た。どの家も藁葺き屋根で、辺りに田んぼが広がっている。
時刻は既に深夜で彼はもう限界だった。誰かに助けてもらおうと車を脇道に止めて、戸を叩いた。庭の隅に置かれた箱からは鶏の臭いがした。
蝋燭の光が近づき、扉越しに大きなシルエットが浮かぶ。
「誰だ」
老人の低い声。
「あの、道に迷ってしまってですね。どちらにいけばちゃんとした道に出れるか教えてほしいんですが……」
「真っ直ぐ道を抜ければいい。そうすれば出られる」
「ありがとうございました」
やけにはっきりとした口調だと彼は思った。
彼は少し不気味に思いながら、車に戻り、村を抜けた。妙な視線がまとわりつきながらも彼は進む。
老人の言うとおり、道を真っ直ぐ進むだけであっさりと舗装された道に出た。疲れきった体に鞭を打ちながら彼はそのまま家に向かった。
そのことを忘れた頃、彼はその近くを通りかかった。後学の為に道を覚えておこうと、村の道を探した。コースを逆走するかのように進み、途中で車を止めた。
先は崖。
崖しかなかった。
「俺はあの時、なにと話して、どっからでてきたんだ?」
彼は肩をすくめてニヒルに笑った。