七十編
私の話。
死者というものがいるとして、彼らはいったい何を伝えたいのだろう。
その日は雨だった。昼だというのに空は一面灰色に染まり、重い雨がパラパラと降っていた。
彼女の家は日本的な屋敷で、門から玄関までが遠かった。幾分か私は雨に打たれながら石畳の上を歩く。土と雨の混ざった匂いがした。
私が家に着くと彼女はタオルを出して傘を使いなよと笑った。
「別に今日じゃなくてもよかったのに、変わってるね」
私は彼女に借りていた本を返すと、直ぐに家を出た。上がっていけばという彼女の言葉をやんわりと断る。
彼女の後ろにアレがいた。すうっと横切ったのを私は見逃さなかった。見逃しようがなかった。
ガラス戸を閉め、小さく溜息をついた私は首を上げて、空模様を眺めた。空は薄墨を塗ったかのような重々しい表情のまま、来た時と変わらず雨粒を落とし続けている。
ちゃぽんというの水の落ちる音に私は横をみた。玄関の横には睡蓮の浮いた黒い大きな甕があって、玄関の屋根から漏れる水がちょうど甕の中に落ちているようだった。
透き通った水の中を何かが動く。蛙でもいるのだろうかと私は睡蓮の葉を少し持ち上げた。
白い手に指を掴まれた。
「っ!!」
ぬるりとしていて、水によってふやけた手には爪がない。手を引くとあっさりとそれは私を開放し、水の中に消えた。
急速に消えていた音が戻り、今は雨が降っていたのだと私は思い出した。
石畳を歩く私を打つ雨は、あの手よりも少しだけ暖かかった。