六十九編
聞いた話。
私達は私達の目の届く場所しか知らない。分からない。
山から景色を眺めることができても、そこから見える草木の一本一本や、それらに住む小さな毛虫のことは分からない。
それはいいことなのだろうか、残念がるべきことなのだろうか。
私には分からない。
彼女は年の離れた姉の息子を溺愛していた。一生懸命で可愛らしく、庇護欲を誘うことをよくいった。
「昨日ね、妖精の国にいったんだよ」
嬉しそうに笑う。彼女もその顔が嬉しくて笑った。
彼は想像力が豊かで、よくそんな話を彼女に聞かせた。
ある日、彼が少し不安そうな顔でいう。
「ドロドロさんが下にいるんだ。こわい」
意味が分からなくて、彼女は詳しく話を聞いた。彼は家の前のマンホールを指さしてそこにドロドロという人が住んでいるのだといった。
彼女は微笑みながらいった。
「よし、お姉ちゃんが退治してあげる」
ホールに近づいて、マンホールの蓋を「えいっ」と軽く踏む。
これで大丈夫というと彼はトコトコとマンホールに近づいて小さな穴を覗き込んだ。
「だめだよお、まだいるもん」
彼女も地面に手をついて穴を覗いた。
真っ赤に血走った瞳が彼女を見ていた。
「わああああ!」
すうっと瞳は闇に消えていった。
「最近、あの子の教えてくれる世界のことが怖くて……」
彼女はどうすべきだろうと私にいった。