六編
私の話。
祖母の家は同じ県内にあるKのFにあった。そこは茶畑や森が非常に多く、まさにトトロが出てきてもおかしくないような雰囲気だった。
ある日、次男は誰から聞いたのか「山の中にはいろんな古い建物がある。それを見に行こう」といった。車で何処かに消えることのできる長男を除き、祖母の家に来てもすることのない次男と姉と私の三人は暇を持て余していたこともあって、よく探検をしていた。
探検といっても近所をうろついたり、少し離れた場所にある大きな川に遊びに行くといった程度のものだった。しかし、それも時を経るにつれて、次第に楽しさは薄れ、私達は新しい何か、場所に飢えていた。
次男の提案に私は内心嫌がった。山の森は傍目からみても広大だし、どこか気味が悪かったのだ。
山には未だ戦時中に使われていた防空壕だったり建築物がそのまま残っている。何度も父や兄達に連れられて防空壕を見に行ったことがあるが、あの形容しがたい気味の悪さには永遠に慣れることはできないと思った。
山奥のほの暗い巨大な穴。異様に風通しがいいあの場所。
本当は断りたかったが、留守番のただひたすら時間を潰すような苦痛を知っていた私は仕方なく、次男と長女に付いて行くことにした。
住宅街を抜けると急に寂れた雰囲気になった。稲荷神社があった辺りまでは人の臭いを感じることができたのだが、それを過ぎてからあるのは生い茂る草木や樹木ばかり。道は進めば進むほど緑が深まり、ひと気が失せていく。
途中、茶畑で作業をする老夫婦から情報を得た兄をガイドに私達は進む。
山を昇っていくと急に下り道になった。下り道は言われてみれば道にも見えなくもないといった雰囲気で酷く狭い。随分と手入れがされていないらしく、草木や枯れ枝に覆われ、道と同じように長い間使われていないことが分かった。
私はそれを見て「奥の細道」という言葉を思い出したのを今でも覚えている。
やっとのことで人が通れるであろう狭い坂道を下ると、広い空間に出た。火山の火口のようにぽっかりと開けたその場所は今はもう使われていない巨大な貯水池だった。
管理がされていないからか、池の水は境界を破り、地面を侵食している。池から斜めに延びた赤銅色のハンドルは錆びきっていて、溢れた水に飲まれつつあるようだった。池には横たわった大木がその半身を浸し、落ち葉や枯れ枝が不透明の湖面をゆっくりと泳いでいる。
それはまるで一枚の絵のようだった。
私はそこに来た時に余りの静けさに身震いした。池には生物がいないのか全く動きはない。
兄はいい釣りスポットを見つけたと喜び、姉は倒れた大木の上に立って湖面を覗いていた。
私はその空間を天然のコンサートホールなのだと思った。事実、高い樹木が絶えず私達の声を反射し続け、壁のように辺りを覆っていた。
私は直ぐに帰りたくなった。神聖過ぎるのだ。静寂すぎるとも思う。本当に山の神がいるなら、こういう所に出るのだと思った。こういう所に住むのだと思った。故に遊び半分でくるような場所ではないと思った。
それに池の側に置かれた赤い小さな祠が気になった。古びていて赤茶けた屋根の祠。
私と兄が祠を見ていると姉が声を上げた。
「あ、ねえ何か……!」
兄と私は振り向き、それの動きを若干だが捉えた。
何か黒いものが濁った池の中を泳いでいた。不思議と湖面は揺れていない。
それは魚だったのかもしれない。よくある何かだったのかもしれない。
しかし、怖かった。何故か怖かった。
何か異様な雰囲気に呑まれた私達は互いに押し黙り、早々に立ち去ることにした。
その時、誰一人として、後ろの池を振り返ろうとするものはいなかった。
兄はそれ以来何故か一度もあの場所に足を運んでいないという。
本当にある場所なので探すのはやめましょう。