五十六編
聞いた話。
ありもしない場所にありもしない道があるとして、そこに私達が進んだとしたら、私達は一体どこに向かっているといえるのだろう。
帰ってきたとして、その世界は本当に元居た世界なのだろうか。
有名は県営住宅だった。といっても綺麗だったり、何か美しい逸話のあるようなものではなく、ただ単純にいわく付きという意味で有名だった。
特に十二号棟は酷く、入居者は誰もいなかった。入ってもすぐに出て行ってしまうような場所。
本来、年に数回あるはずの掃除もその十二号棟だけは行われず、今では草木のツルが壁を覆い、不当に置かれたゴミが付近を覆っている。
そこにまつわる逸話も枚挙にいとまがない。首がゴミに紛れて落ちていただとか、目の潰れた女が出るなど最早古典的といってもいいようなほど、そこはおかしなことが起こる場所だった。
そんな場所に彼女は訪れていた。友人と二人で子猫を探していた。
小学校に向かう途中で、二人は十二号棟の前に置かれたダンボール箱の中に四匹の子猫を見つけた。帰りにもう一度その箱を覗くと三匹に減っていた。
彼女たちは子猫がきっとどこかに迷い込んでいるのだと思い、十二号棟に足を踏み入れたのだ。
どこもかしもこゴミだらけだったが、階段の踊り場は思ったほどゴミは少なく、人が歩ける程度の道は確保されいた。
「どこにいったんだろう」
そんな話をしていると子猫の泣き声が聞こえた。彼女たちは直ぐさに上の階から聞こえているのだと気がつき、そこへ向かう。
最上階の四階。階段を上がって直ぐの部屋。半開きになった扉は何故かそれだけが水色のペンキに彩られていて、少し不気味だった。
その部屋に彼女たちは入る。中は小さな虫の死骸があちらこちらに落ちていて、埃っぽく、畳からは嫌な臭いがした。
二人は玄関で毛づくろいをしている子猫を抱えると直ぐにその部屋を出ることにした。
「あれ?」
振り向くと扉が閉まっていた。音も立てずに、そんな気配もなく水色の扉は閉まっていた。
扉を開けて外に出る。
不思議なことにゴミが無くなっていた。それどころか外の喧騒というものが一切なく、ただ空を真っ赤な夕日が陽炎のように揺らめき、辺りを赤く染めていた。
彼女の腕の中の猫が暴れてまた部屋の中に逃げた。彼女は友人に外で待っているようにいうと中に入って、猫を捕まえ抱きかかえた。
玄関に向かうとまたその扉は閉まっていた。彼女は何も考えずノブを捻り、扉を開けた。
「おまたせ」
友達はどこにもいなかった。ただゴミが無造作にあり、カビと埃の臭いがするだけ。
下の階に行っても友達はいなかった。暗くなるまで辺りを探せど、彼女はどこにもいない。もう一度あの扉を開こうにも鍵が掛かっていて開かなかった。
「え、あれ? あれ?」
そして誰でどんな子がいなくなったのか、彼女は思い出せなかった。誰かが隣にいたことは覚えているのに、顔や声がまったく浮かばなかった。
「誰もその子がいなくなったってことに気がついていないの。変だよね?」
それは自分がという意味なのか、世界がという意味なのか私は最後まで聞くことができなかった。
願わくば彼女とその友達、両方が互いの身を案じる世界にいてほしいと私は思った。