四十四編
聞いた話。
怖い話しや神秘的な話しというのはないものか、と親戚の集まりの時に年寄り連中に聞いてみたことがある。
内心、一つでも聞けたらラッキーだろうという気持ちで聞いたのだが、老人たちはみな、当たり前のように「昔はよくあった」といった。彼らにとってはそれは台風程度の現象でしかないのかと私は笑った。
ある一人から聞いた話。
夜、喉が渇いて目を開けた。井戸水をポンプで汲み上げ、喉の渇きを潤す。
ふと、そこから外がぼんやりと明るく光っているのが見える。家の向かいの畑を越えたところで小さなかがり火が数珠繋ぎにゆらゆらと踊っている。
彼はこんな時間に誰が外を出歩いているのだろうと音を立てずに近づいてみた。暗闇の向こうで、小さな火が一列に並びながらどこかへ向かっている。
畑を超えて、それに近づく。
息を呑んだ。
それは異形の者達だった。それは百鬼夜行、魑魅魍魎どもの行列だった。
毛むくじゃらの瞼のない化け物やくすんだ色の鬼、左右非対称の物の怪がぼそぼそと呟きながら踊っている。練り歩いている。音も立てずにそろそろぼそぼそと。
最初は縮み上がった彼だったが、きっとこれは夢なのだと近づいてみた。それらは一様に彼自身が見えないかのように振舞っていて、どこかへと向かっている。
彼は夢ならば何が起こるのか最後まで見てやろうと思った。
行列をおっかなびっくり眺めながら、鬼火の進む道へと進む。
化け物たちの群れに合わせてゆっくりと歩いていると、前の行列から手渡しで何かが回ってきた。
古ぼけたヤカンと漆の盃。
独特のにおいと、その白濁した色合いから甘酒だと気がつく。あるものは柄杓にそれを注いでもらい飲み、またあるものは盃に注いだものを飲んだ。
彼は隣の鬼に盃を回され注がれる甘酒を受け取った。一瞬、見えているのかとうろたえたが、直ぐにこれは夢なのだと思いなおし甘酒を口にした。
「うまい……」
甘酒が体の隅々まで行き渡るのが分かった。全身を刺すような喜びが包む。
周りが急かすように甘酒を取るのに流され、彼は名残惜しむように盃を後ろに回した。
歩き続ける化け物たちの一向はそのまま森の方へと進んでいるようだった。
どこまで進むのだろうと思っていると、今度は丸い盆に乗せられた握り飯が回ってきた。少しべとついたそれを受け取り、食べた。
塩味しかしないはずなのに、不思議なほど旨かった。
前からはいろんなものが流れてきた。
それは火のついたキセルであったり水であったり日本酒であったり様々だ。それは果ての見えない前から果ての見えない後ろへと流れていった。
気がつけば彼は行列に馴染んでぼそぼそと笑い、そろそろと踊る一人になっていた。彼らが何をいっているかは理解できないがそれでも楽しかった。
森の近くの小さな池に月明かりが浮かび、自分の姿が鏡のように映る。何気ない気持ちで彼は覗き込んだ。
ぎょっとした。
自分の姿が異形のものに変わり始めていた。
血走った目に、牙が生え、髪は乱れ、角が生えた子鬼。触ると確かにそれはそこにあった。
行列から出ようにも何故か体がいうことを聞かない。そこから足を踏み外せば奈落の底に落ちてしまうかのような恐怖があった。
今更ながら涙が出る。
決意を固め、なんとか心を奮い立たせて行列から跳ねるようにして出た。夢よ覚めろと飛び跳ねる。
ざっと土が跳ね、砂がこすれる音。
振り向く。
そこには何も無かった。月が浮かび上がった池と間抜けな顔をした自分しかいなかった。
「今でもこんな風に手だけ変わったままで戻らん。ちと、出るのが遅かったんだなあ」
左右非対称の掌を見せて、老人は快活に笑った。