三十九編
聞いた話。
昔から人は自然を神聖視してきた。それは無知からくるものだというが果たして本当にそうなのだろうか。
無知だったから、だけで説明できるのだろうか。
私には分からない。
彼は彼女と山道の途中でいちゃついていた。男女で夜に人気がないとくればすることは一つだった。
事が終わり、一息ついていると奇妙な音が聞こえた。
ドスンドスンと響く音と小さな揺れ。
「ねえ、なんか変な音聞こえない?」
「幽霊かもな」
「……ちょっとやめてよ、冗談でもそんなこというの」
「でもなんの音だろうなこれ」
音はゆっくりと近づいてくる。
太鼓を叩くような鈍く太い音。
「やだ、なんか音、大きくなってる……」
「熊か?」
何かが確実にこちらに向かって近づいてきている。彼は直ぐに窓を閉じて車のキーをかけた。
ヘッドライトを灯し、目を凝らす。
そこでズンと大きな揺れ。
今度は近くではっきりとした音が聞こえ、衝撃が車を揺らした。
「な、なんだよ!」
これは熊ではない。
では何なのか。
瞬間、サイドミラーに写った木々がぶわっと揺れた。そしてズンと音。
彼は直ぐに後部座席の方に顔を向けて後ろを窺う。
しかし、何も見えない。
彼女の顔を見る。
あんぐりと口を開いて彼女は前方を見ていた。彼もそれに釣られて前を見る。
フロントガラスいっぱいに映ったのは巨大な足だった。自分達の乗っている普通車と同じ大きさほどの素足がそこにあった。
天から聳え立つそれはゆっくりと持ち上がると、足の裏についた土をパラパラとボンネットに落としながら闇夜に消えた。
近くでもう一度ズンという音が鳴る。
十分は何も言葉を発することができなかったという。