三十五編
私の話。
ある人は「この世でもっとも恐ろしいのは人だ」という。ある人は「霊や物の怪だ」という。
私は甲乙つけ難いと思うのだが、実際にそれぞれ体験した人間にはどういった風に映るのだろう。
ある日、ベットから起き上がると足の裏に何かが引っ付くような違和感を覚えた。
私は足の裏をひっくり返し、それを見た。
長黒い髪の毛だった。複数あるようで、よく見るとグレーのカーペットの上だけでなく、私の枕元にも落ちている。
私の髪の毛とは明らかに違い、姉の髪とも違う。私たちはそれぞれ髪が短い。それは母も合わせて同じだった。
まだ引っ越したばかりで掃除らしい掃除もしていなく、最近やっと家具を配置できたような時期。
とりあえず私は寝ぼけ眼で頭の小さなノートに「掃除」と書き、朝を迎えた。
次の日、起きてみるとまた髪の毛が落ちていた。私はぼうっとしながら指に巻きつけたりして考えた。
髪の質と長さからいって女性のモノで間違いない。
そこでふと、薄ら寒いものが背筋を伝った。霧のようにあやふやなそれは少しずつ纏まり凝固していく。
そんなまさか。
私は直ぐにそれを考えることを止め、朝を迎えた。
夜、寝る前に枕元を見る。髪の毛は落ちていない。カーペットの上にもそれはなかった。
目を瞑り、眠る。
そして朝。
髪の毛が落ちている。私の顔の直ぐ横と、やはりカーペットの上。
私は口を押さえてその場で震えた。
どう考えてもこれは、私の顔を覗いている何かがいるということだ。
眠る私の顔を見下ろしている髪の長い女。
人か、そうでないものか。それすらも分からない。
ただゾクゾクと背筋を冷たい汗が伝う。
この髪の多さは、自然に抜けたことではないことを物語っている。
つまり、自分で抜いているのだ。
「何のために……?」
気がつけばその不思議な現象は起こらなくなっていたが、結局何が原因でどうしてそうなったのかは分からなかった。