二十六編
聞いた話。
私が高校生の頃、私に数学を教えてくれていた教師は昔は建築関係の仕事をしていたのだという。彼はおっとりとした男で少し風変わりな雰囲気を持っていた。
そんな彼からあるビルの話を聞いた。
数年掛りの大きな仕事を終えた彼は清々しい気持ちだった。現場監督ということで実際に労働に従事するわけではないせいか、労働者達からは何かと馬鹿にされたし、凄まれ無茶を言われることも少なくなかった。
しかし、これで報われるのだ。
仕事を終えると、自分のことを馬鹿にしていたはずの顔役数名が労ってくれたこともそれに拍車を掛けていた。飲み会を開き、自分の荷物を会社まで運んでくれた。送りも彼らが手配してくれた。
いろいろ嫌なことはあったがいい仕事だったと彼は思った。
数日後、会社に呼び出された。理由は書類の提出が済んでいないということだった。どうにも紛失してしまったらしく、一から書き上げることになった。
その数日後、先日の取引先からクレームがあった。発注と違う部分があるとのこと。そんなはずはないと思いながら彼は後日伺うといい電話を切った。
その翌日、警察がやってきた。顔役の連中が行方不明になっているのだという。何かいやな感覚を覚えながらも彼は知らないと答える。
取引先のビルにやってきた彼は当初と違う部分があることに首を傾げていた。
そこは地下の資材置き場のような場所で、明かりを灯さないと酷く暗く、空気は湿っている。天井は高い。
予定ならば部屋の奥、つまり自分の立っている目の前には隣に続く扉があるはずで、それが完成したのを確かに自分の目で確認したはずだった。しかし、あるのはコンクリートの白い壁で鉄製の扉の姿はどこにもない。
誰かが故意に扉を埋めたのは明らかだった。
彼は許可を取り、年配の現場監督の人間と一緒に壁を崩した。
「やっぱり、ありましたね」
「でも鍵が掛かってるみたいですよ」
鍵は幸いなことに取引先の人間から受け取っていた。扉を開ける。ぶわっと生ぬるい空気が頬を撫でた。白熱灯の明かりを灯す。
真四角の空間、その隅で人が死んでいた。
体は腐敗の為か、若干液状化していて変色したヨーグルトのようになっていた。天井付近の排気口から入ったのか、うじが集っている。
年配の男はその場で腰を抜かし、言葉を失った。その後、すぐに警察に連絡を入れた。
死体は片腕と両足が無かった。瞬間的に彼は飢えをしのぐ為に喰らったのだろうと思った。
後日、直ぐに犯人は捕まり、警察から事件の詳細を聞くことができた。
死んでいた人間は現場で働いていた者で顔役の数名と金のことで揉めていたらしい。完成日のあの日に口論になり、誰かが被害者の脳天を鈍器で殴打。殺しの発覚を恐れた彼らは死体を地下に運び、扉に鍵を掛け、壁を埋め、製図を盗んだ。しかし製図は取引先にもコピーがあり、そして何より死体は生きていた。
起き上がった彼はどうにか脱出を試みたが、すぐにそれが無理だということを悟り、自分の着ていた服に事のあらましと彼らに対する呪詛の言葉を書いた。
それから奇妙なことに彼は何も口にすることなく死んだ。決定的な死因は出血性のショック。犯人達も腕と足のことは知らないと言い張った。
彼の残した遺書らしきものに、奇妙な一文が残ってる。
「片腕と両足は壁を抜けた。このまま上手くいけばそのうち全身も壁を抜けると思う」
その後“いろいろ”あって何の因果か、またあの部屋は埋められたという。
私は彼にこう聞いた。
「結局、壁はどうしたんですか?」
「……いやあ、穿り返すわけにもいかないし、そのままだよ。たださ、偶に工事現場で骨とか掘り返しちゃうことあるんだけどね、最近はあれってそういうことなのかなぁって思うようになった」
彼は笑った。