百十五編
私の話。
ある時、急に思い立つことがある。そんな時、たまに必然性を感じざるを得ないことが起こる。
偶然ではなく必然としか思えない事実を前に私はただただ悩まされる。
コンビニでペペロンチーノのパスタを買った。三百円ほどした。
私はツタヤの裏のひと気のない駐車場でそれを食べ終わると、無性に桜がみたくなった。アパートの前にも桜の木がチラホラとあるのだが、既に花は散り始めていて見頃を遠の昔に終えていた。
ズボンの土を払うと、私はそのまま表側に周り、舗装された川沿いの道を進んだ。道はあまり広いとはいえない。フェンス越しの川は随分と綺麗で、カモや大きな亀がゆったりと泳いでいた。川を桜の花びらが流れて行くの見える。
少し進むと桜並木が見えてきた。歩道のように道路よりも少し小高い場所。下はコンクリートではなく固い土が敷き詰められていて、その上には薄桃色の桜の花びらが絨毯のように続いていた。
フェンスから川辺を覗くと、隅で二匹のカモが羽の中にくちばしを入れて、まどろんでいた。日は高く、空気はほんのりと暖かい。
私はぐるりと桜並木を周り、反対側の桜のない広い道からもう一度桜をみた。私以外に桜を眺める人間はおらず、通り過ぎていく人々はみな忙しそうにどこかに消えていった。
遠目から見ても、桜の美しさは変わらず、そして見事だった。
桜の見えなくなる位置まで進むと、公民館があった。ひっそりとしていて、レンガ調の作り。二台の子供用の自転車が止まっている。
私は自動ドアを潜り、中を覗いた。受け付けの人間は私に無関心に仕事をしている。二人の老人が端のテーブルで弁当を開けていた。
グリーンの公衆電話の近くの白いイスに私は座り、一息つく。
「ふう…………」
あまり外に出ないせいか、体は訛っていて酷く疲れが貯まっている。暖かい空気にゆるゆると瞼が落ちる。
夢を見た。
私は車に乗っていた。黒いバンで、延々と続く桜並木をなめらかなスピードで進んでいる。
「もう見ないの?」
「うん、見ない」
横から聞こえる子供の声に私は答えた。スピードは中途半端に早く、道が少しうねっているせいで運転に気をとられ、声の主を窺える機会がない。ハンドルを離そうにも手が吸いついて離れず、足はペダルに固定されている。
「もっともっと見ようよ」
「もう見ない」
「じゃあ全部消えちゃえ、もう全部消えちゃえ。全部、散っちゃえ」
妙に白く、冷たい子供の手が私の腕を掴んだ。ぎゅうっと力強く私の腕を握り締める。
車のスピードが急に早まり、景色が霞んでゆく。
妙な違和感に危険を省みず、見る。子供の手は野太い男の手になっていた。私の顔を女の細い手が覆い、視界を遮ろうとする。首には誰かの手。
ぷんと匂う、おしろいと桜の香り。
「もう見ないの?」
誰がいったか分からない。
「……うん、見ない」
私は答えた。
「じゃあ全部消えちゃえ、もう全部消えちゃえ。全部、散っちゃえ」
握られた腕がベキりと折れて、首がボキりと折れ曲がった。呼吸が急に止まり私はパニックになった。腕の感覚がない。景色が暗転していて、音以外が見えない。
車が横転するような浮遊感と、金属がひしゃげたような音がして私は目を覚ました。
何故か自分の手で首を締めていて、もう片方の手がその腕を力強く掴んでいた。
むせるように咳をした。
随分と時間が経っていたようで、辺りには人が殆どいない。私は変な夢をみたと汗をぬぐって家路についた。
次の日、雨が三日ほど振り続け、桜の花は殆どが流れてしまった。
私が断ったからだろうか? もしもあそこで見るといったらどうなっていたのだろう。
永遠にあそこで桜並木を見続けたのだろうか。夢の、死後の世界で。
答えは永久に見つからないだろうと思う。