1 放課後と夕陽とその夜道
放課後の楽しみとはいっても、こんな時代のこんな村では特にこれといった楽しみはない。校庭でボール遊びをするとか、何もかんがえずに海を眺めるとか、なけなしのお金でアイスを買って食べるとか。
ちなみに私たちがいつも楽しみにしてるアイスは、本来は高級な嗜好品らしい。村の小さな商店のおばあさんが、ミルクと砂糖で手作りしてくれているんだけど、少しだけど歳を重ねて、原材料の値段が身に染みてわかってくるにつれ、アイスを食べる口も少しづつ小さくなっていく。今の時代、ミルクなんて高値で取引されるもの代表といったような食材だ。牛にせよ、その他の動物にせよ、コストも場所も厳しい。
それでも、私たちのような子どものお金でアイスが買えるのは、商店のおばあさんの「こんな時代でも、子どもたちにはせめて楽しい生活を」という優しい心遣いのおかげだ。優しくのは商店のおばあさんだけではなくて、全体的にこの村には私たち子どもの何倍も歳を重ねてきたような人が多くて、そのほとんどが私たち子供に優しく振舞ってくれる。
放課後を知らせるチャイムが鳴って、私たち生徒五人が向かったのは、海の見える小高い丘の上の公園だった。ひとり用のブランコと、名前のわからない、いくつかの遊具がポツンポツンと感覚を空けて置かれている。少し強いぬるめの潮風が吹いていて、髪がよくなびく。一番下の子がブランコを漕ぐ甲高い音が聞こえる中、特別何をするでもなく、芝生の上に腰をおろして、水平線よりもずっと遠くを眺める。海と空のどちらともつかない、その境界が好きだ。
視点を下にずらすと、丘の下に建ち並ぶ家々がよく見える。私たちが今いる丘の傾斜に沿って家が並んでいて、頂上に近づくにつれて余計に傾斜がきつくなる。まだ太陽は沈んでおらず、ちょうど夕陽に変わる少し前といったところだったが、所々電気が付いていて、夕ご飯を作る匂いも、潮風に乗って薄らと立ち込めてきた。
みんな、そろそろ家に帰ろうかと声を上げると、オレンジ色の光に照らされたブランコが、少し寂しげに影を落とした。
日が暮れてきて少し見通しの悪くなった道を下っていく。
最初はみんな一緒に坂を下っていたが、次第に、ひとり、ひとりと違う道へ別れていった。そのうち、残ったのは私とコノハだけになって、最終的に彼女とも別れを交わすと、もうすっかり暗くなった道を一人で下ることとなった。暗いのは怖いので、少し早足で歩く。他の家よりひと回り大きい家を通り過ぎる時、私はそこで怒声を聞いた。大きくて、低い、男の人の声。私の頭の中には、怖くてガタイの良いおじさんが、凄い剣幕で怒っているイメージが浮かんだ。
あれ。確かこの大きな家って────
暗くて最初はあまりピンとこなかったが、確かにそうだ。ここはケンタの家だ。
あー、たしかに、ケンタの家はお父さんが厳しいからなぁ。
この村の中で一番腕の立つ漁師でありながら、この村の長である。いや、厳密に言うと、事実上の長と言うべきなのだろう。村の人は平等に、という決まりから実際に長という立場が設置されているわけではないが、群を抜いたリーダシップや思いやりのある人柄から、この村の人々も皆彼のことを認めている。つまり、事実上の、なのである。
私とケンタの仲が昔から良かったため、ケンタに付き添う彼の姿はよく目にしていたが、厳しくありながらも、じっと我が子見守っている、そういった印象だった。
しかし、漁師兼村の長という彼の立場を継ぐのは、自然と一家の長男である彼になるわけで、やはり父親の彼としても心配の面が大きいのだろう。
しばらくして、ふと彼の家の前で立ち止まってしまっていたことに気づく。
私は、ケンタに心の中でエールを飛ばしてから、再び足早に家路へと就いた。
読んでくださり、ありがとうございました。