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情熱のVTuber

作者:

 雨が降っている。

 窓に水滴が張り付き、下に向かって流れていく。

 朝のニュースでは、笑顔に加工されたアナウンサーが今日にも梅雨入りと明るく言っていた。

 窓の彼方に目を向ける。鈍く重そうな雲がゆっくりと流れていく。

 まとわりつくような重苦しい何かを、ため息と煙に乗せて吐き出した。

 灰皿に置かれた煙草から細くゆらめく紫煙。

 その隣のコーヒーカップに手を伸ばす。

 さざ波をたてた表面に、天井の照明が黒く反射している。

 何かこれと言って特徴があるわけではないが、飲みやすいコーヒーだ。

 豆を変えたのだろうか。

 この喫茶店との付き合いもいつの間にか長くなっていた。

 今では一端の常連と言っていいかもしれない。

 見慣れた顔のマスターに尋ねてみた。


「このコーヒー、豆はなんだい?」

「ブレン○ィです」

「……」


 ……うん……まあ……喫茶店でブレ○ディは予想外っていうか……いいのかな。

 ふと灰皿を見ると、置いた煙草から立ち上るはずの紫煙が消え、灰だけになっていた。

 腕時計を見ると、約束の時間から三十分も過ぎている。

 腐れ縁の友人から「相談したいことがある」と呼び出されたのは夕べ遅く。

 せめて日の昇っている時間にしろと注文をつけて変更させたのだが……。

 寝過ごしたのかもしれない。携帯電話をポケットから取り出そうとした時、喫茶店の扉が開いた。

 入ってきたのは被り笠に藁でできた簑をまとい、背中から大きな背負子を下ろして一息つく男。

 浮世絵でこんなの見たことあるな、そう思っているとその男が笠を脱いでこちらを見た。


「待たせたな!」


 遅刻してきた腐れ縁の友人だった。


「マスター! ネスカ○ェとマキ○ムをブ○ンディ、燃え上がるホットで!」


 マスターは何も言わずただ頷いた。

 泰然自若、器の大きさを感じさせるが、喫茶店としてそれはどうなのかという疑念がわいてくる。


「遅くなってすまん!」


 友人はそう言いながら、傘立てに笠と簑を置いて向かいの席に座った。

 幸い、笠と簑以外はまともな格好だ。とりあえず、用件の確認をしておく。


「相談ってなんだ?」

「うむ、まずはこれを見てくれ!」


 そう言って背負子から取り出したのは、タワー型デスクトップパソコン。

 なるほど、大荷物になるわけだ。タブレットか、せめてノートパソコンじゃダメなんですか。


「次はこれを……よいしょっと」


 そう言って背負子から取り出したのはポータブル発電機。

 なるほど、お店の電気を勝手に使ったら盗電だもんね。


「システム……起動!」


 発電機のひもを勢いよく引っ張ると、ブルンブルンとエンジンの動く音がする。

 改めて確認すると、ここは少し郊外にある静かな喫茶店。

 そろそろ通報案件ではないか、そう思ってマスターの方を見ると、手動コーヒーミルの取っ手をグルグル回しちょっと待て注文はインスタントコーヒーじゃなかったか?


「接続完了! スイッチオン!」


 友人の叫びと共にタワー型デスクトップパソコンから火花が放たれ煙があがった。

 よく見たらパソコンはびっしょり濡れている。おそらくというか間違いなく雨のせいだろう。


「ノーチラス号ー!」


 友人は叫びながら私のコーヒーとお冷やをタワー型デスクトップパソコンにかけて事態を悪化させている。

 私は立ち上がり友人を避けて発電機に近づきスイッチを切った。


「ノーチラス号……お前の仇は必ず取る!」


 友人の自殺宣言を聞き流しつつ、テーブルの上の惨状を見る。

 これは普通に通報案件。マスターの方を見ると、首をかしげながらコーヒーミルをグルグル回していた。

 泰然自若、器が大きいと思っていたが、底が抜けてるだけじゃないのこれ。

 とりあえずマスターがいいならもうそれでいい。

 こちらはこちらの用事をすませよう。


「詳しい話は次の機会にしようか」

「いや、大丈夫だ。バックアップをとってある」


 意外といったら失礼か。少し見直した友人を見ていると、背負子からびっしょり濡れた分厚い紙の束を取り出してテーブルに置いた。


「企画書のバックアップだ」


 企画書? の文字? は極限までにじんでいて、なにがなんだか分からない。

 惜しいな。どうせ昔の媒体なら石板に彫れば雨にも負けなかったのに。


「詳しい話は次の機会にしようか」

「いや、大丈夫だ。最後のバックアップがここにある!」


 そう言って友人は自分の胸を指差した。

 なるほど、大事なのはハートか。普通指すなら頭だと思うがそれはもういいか。


「分かった。それで相談ってなんだ?」

「ああ、VTuberになろうと思ってな。色々と意見を聞きたい」


 VTuberときたか。無理だな。


「無理だな」

「まあそう言わずに聞いてくれ。俺はVTuberに未来を見たんだ」

「未来?」

「ああ、自分ではない何者かになって、自分ではない何かを表現する。これは人生がもうひとつある事と同じ……いいか? 本来なら一回一度の人生を増やせるのだ。素晴らしいじゃないか」


 意外といったら失礼か。言われてみれば確かにそうかもしれない。

 安易に無理だと言ったのは拙速に過ぎたか。


「なるほどな。それでどんなVTuberになるつもりなんだ?」

「ああ、今は梅雨だな」

「そうだな」

「だから梅雨前線になろうと思う」


 気象現象ときたか。せめて脊椎動物、どうにか有機物で踏みとどまれなかったのか。


「……それで、コンテンツは?」

「明日の天気だ」


 キャラクターを使った天気予報……よく考えたらN○Kでやってないかこれ。

 訴訟はないだろうが、パクリ呼ばわりは避けられないだろう。


「残念だが、○HKという放送局が似たようなものを 」

「ああ、知っているぜ」


 知ってたんだ。なんなのこの人。


「NH○ には決定的に足りないものがある。分かるか?」

「……分からないな」

「血だ、血が足りてないのだ!」

「……スプラッタ的な?」

「そうだ! 奴らのキャラクターには血が通ってないのだ!」


 人の話聞いてないな。


「熱い血潮が感じられない!」

「……お前、梅雨前線になるんだよな」

「そうだ」

「その……熱血? をどう表現するんだ」

「耐熱服を着て火だるまになりながら配信しようと思う」

「……普通のYoutuberになったら?」

「それでは意味がないだろう」


 意味なく死にそうだし、多分消防法とかにもひっかかるだろう。

 説得するか通報するか迷う所だ。

 まずは穏便にいくか。


「お前耐熱服なんか持ってないだろ」

「ああ、マスターに借りるつもりだ」

「……は?」

「お待たせしました。ネスカ○ェとマキ○ムをブ○ンディ、燃え上がるホットでございます」


 突然の声に振り向くと、銀色の耐熱服を着たマスター? が、火だるまになりながらコーヒーカップをテーブルに置いた。

 テーブルも燃えだした。


「え? なにその……え?」

「燃え上がるホットを表現するために、熱湯ではなく溶けた鉄を使用しました」


 よく見ると、カップの中身はボコボコとゆれながら白く輝いている。

 ばかじゃないの。


「おっ、ちょうど喉が渇いてたんだ。いただきます!」


 なんの迷いもなく伸ばした手はジュッ、という音をたてた。


「あっちい!」


 放り投げられたカップからは、流星のような灼熱の熱ッ! ちょっと待って熱ッ! ばかじゃないの!!

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