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平宰相〜北条嫡男物語〜  作者: 小山田小太郎
平宰相の巻(1567年〜)
97/117

足利義周の使者

 1568年正月 駿府 北条氏康


 今川家の屋台骨を支えていた寿桂尼殿の病状が思わしくない。妻の瑞渓院も看病に当たっているが、医師の話では長くはないだろうという事であった。今川家は思っていた以上に悲惨な状態であるようだ。設楽ヶ原の戦いで当主の氏真殿や多くの重臣が討死しており、容易に立て直すことも出来ない有様であった。病床のあった寿桂尼殿の言葉を思い出す。


「陸奥守様、お見舞いありがたく存じまする。今川家が北条家、武田家と共に並び立てるようにと願っておりました。されど、この有様では家を保つ事も叶いますまい」


「寿桂尼殿、御心配召さるな。今川氏親公に与力した我が祖父の様に、この陸奥守が今川家をお守り致す所存じゃ」


「そのお言葉を聞いて安堵いたしました。今にして思えば、天文の頃に一時的とはいえ北条家と争った事が今川家の凋落の切っ掛けであったのかもしれませぬ。雪斎の唯一とも言える失策でありました」


 太原雪斎は遠江から三河へと今川家の勢力を拡大する方針であったそうだ。武田家との緊張関係を改善したいと考えて婚姻同盟を結んだのである。雪斎は多少の北条家との関係悪化は致し方なしと考えていたようだ。北条家の影響力を減らし、義元殿の権威を高める狙いもあったからだ。しかし、相談もなく甲駿同盟が結ばれた事に、父の北条氏綱が激怒し、今川家と北条家は手切れとなったのである。


「父、氏綱も後悔しておりました。一時の感情に流されて手切れとなったことで、後に四面楚歌となりましたからな。扇谷上杉家との争いが優勢となっておりましたゆえ傲慢になっていたと申しておりました。兜の緒を締めよの遺訓の由来です」


「雪斎も慌てておりましたよ。北条家に縁の深い家も多く家中が動揺しましたからね。家中を抑えるために余計な苦労をする事になったのです」


「今となっては義元公や雪斎の考えも理解できます。武蔵守が幼き頃に三国同盟を望んで、それを嗜めた事がござった。儂も理屈では三国同盟を結ぶべしと解ってはいたのじゃが、父の苦労を知っておるがゆえに、素直に認めることができなんだ。子供ながら末恐ろしく思ったものじゃ」


「武蔵守様は大局を見る目があるのでしょう。北条家は安泰ですね。叶わぬ望みですが、武蔵守様にも会ってみたかった」


「寿桂尼殿、養生なさって下され。東堂丸が今川家を継ぐのですから武蔵守も駿河に来る機会もあるでしょう」


 寿桂尼殿は少し落ち着いたのか静かに寝息を立てたのです。


 ◆◆


 駿府の今川館で東堂丸の家督相続と元服の儀が執り行われた。【今川彦五郎範康】と名乗り、今川家の十三代当主となったのである。また、今川氏真殿の娘である鞠姫との婚姻も決まっている。範康はまだ八歳であるので、後見役には烏帽子親を務めた叔父の井伊直元が就いたのである。


「彦五郎。立派であったぞ」


「お爺様、ありがとうござりまする。兄上よりも先に元服となってしまい戸惑っておりました」


「大丈夫じゃ。西堂丸も今頃江戸で元服の儀に臨んでいるはずじゃ。武蔵守から聞いているが西堂丸は【北条新九郎氏政】と名乗るようじゃ。兄弟揃って元服じゃ。彦五郎は小姓達と仲良くできそうか」


「はい。皆仲良くやっています」


 彦五郎の小姓には遠山勇丸、遠山松丸、牟礼勝成、三浦氏正、朝比奈信良、葛山久千世、富士信通、富士信重らが名を連ねていた。


遠山兄弟は遠山綱景の甥にあたり、彦五郎にとっては志学院時代から側近である。三浦家と葛山家には北条早雲公の娘が嫁いでおり御由緒家として一門に準ずる立場となったのだ。更に浅間神社の宮司富士氏からも小姓にとりたてられているのだ。


「父上、長く駿府に逗留されておりますが、小田原に戻らなくてもよろしいのですか。兄上も心配されているのではないでしょうか」


「直元の懸念ももっともではあるが、今川家が落ち着かぬようでは安心して帰る訳にもいかぬ。小田原には松田等も居るから問題あるまい」


「兄上から目付けを頼むと文を貰いました。今川家の国衆に対して、父上が傍若無人の行いをせぬよう気を配って欲しいと事細かに書かれておりましたぞ」


「武州も失礼な奴じゃな。それくらいは弁えておるわ。気配りの為に国衆の出自や経歴は頭の中に入っておる」


「流石は父上、今川家は国衆の統治に苦労しておりました。北条家の国衆に対する兄上の政策は見事だと思います。手厚いが甘くない印象です」


 北条家は国衆対策として、時間を掛けて力を削っているのだ。例えば千葉氏のように大きな家では陪臣であった原氏、高城氏、臼井氏などを北条家の直臣に取立てて、千葉氏の力を削ぎながらも、千葉宗家と婚姻を結び北条一門格に引き上げている。


 武蔵三田家は三田綱定の活躍で大領を得ていた。しかし、綱定が隠居する際に嫡男綱重には全ての相続は認めず、加増前の本領のみとし、加増分は次男綱行と三男氏忠に分割相続させた。更に綱行と氏忠には加増した上で上総と下野に転封させたのである。三田家一門としての石高は二倍程になったが、宗家の所領は据え置かれたのである。


「駿河と遠江の統治は如何するのじゃ。先の戦で多くの国衆が当主を失っておる。今川家自体でも要職を担える者が足りないと聞いたぞ」


「まず今川宗家については経験豊かな者が必要です。遠山綱景を家宰に据えます。また、三浦氏員様と相談して軍法を北条流に改める事になりました」


 今川家では分国法である仮名目録によって、他国の足軽牢人衆を排斥していた。防諜や狼藉者の流入を防ぐことが目的であったが、家臣団の新陳代謝が進まない要因でもあったのだ。


「北条流の支城体制を倣い駿府城、掛川城、浜松城、吉田城、興国寺城を整備いたします」


「浜松城とは聞かぬ城じゃな。何処の城なのじゃ」


「曳馬城のことです。浜松荘から名を取り改めました。支城の規模は北条家の半分ほどですが、旗頭は某が推挙した者を三浦殿にお認め頂いたのです」


 ◆駿府衆

 旗頭◇今川範康(家宰:遠山綱景)

 相談役◇三浦氏員

 備大将◇三浦氏満・朝比奈元長

 船大将◇岡部貞綱(焼津水軍)


 ◆河東衆(興国寺城)

 旗頭◇多目元興(黒備)

 備大将◇葛山氏元・富士信忠

 船大将◇向井正重(田子浦水軍)


 ◆掛川衆

 旗頭◇朝比奈泰朝

 備大将◇岡部正綱・小原鎮実


 ◆浜松衆

 旗頭◇井伊直元

 備大将◇関口親弘・武田信友

 船大将◇鵜殿長照(浜名水軍)


 ◆吉田衆

 旗頭◇小笠原氏興

 備大将◇朝比奈元智・天野藤秀

 船大将◇小浜景隆(田原水軍)伊丹雅勝(今橋水軍)


「それぞれが三千から四千ほどの軍勢ということじゃな。総勢で二万近くがすぐに動員できるのであれば安心じゃ」


「軍政はなんとかなりそうです。一門譜代が備大将を務める部隊はこれまで通り寄親寄子の関係です。浜松衆や小笠原殿など、某が推挙した部隊は足軽衆が主力を担います」

 

「初めて聞く名前もあるな。武田信光殿の父信虎殿は足軽衆の使い方が巧みであったと聞く、足軽衆をまとめるのは骨が折れるぞ。頑張ってほしいものじゃ」


「武田信光殿には信虎殿の縁を活かして上方の足軽衆を推挙して貰っております。しかし、まだ万全ではありません。文官が足りないのです。北条家のような評定衆を作りたいのですが、現状では遠山綱景頼みとなるのが心苦しいところです。お屋形様の傅役の務めもありますゆえ、難しのかもしれませぬ」


「なんじゃ、そんな事なら容易いぞ。武州を頼れば良いのじゃ。江戸には若手の奉行候補も育っておる。井伊家にも良き文官がおるではないか小野政次といったかな、其奴に取りまとめをさせれば良いではないか」

 

「政次ですか。それでは井伊谷を任せる者が居なくなってしまいます」


「井伊谷を任せた上で評定衆にすれば良いのじゃ。使える者は皆使うのじゃ。今川家に対する忠誠心が高く、其方も信頼している者なのであろう」


「解りました。評定衆の候補に加えましょう」


「彦五郎の傅役が必要なら儂が務めよう。小姓や馬廻共も厳しく鍛えてみせるぞ」

 

「流石にそれは問題になります。兄上もお許しにならないと思いますよ」


「其方も武州と同じで固いこと言うのう。そうじゃ。北条陸奥守氏康は興国寺城で療養中という事にしよう。儂はこれから伊勢盛康という名の彦五郎の傅役じゃ。良いな」


「はぁ……兄上が何と仰せになるやら……。文官の事もありますゆえ、取り敢えず兄上に文を書きましょう」


 我ながら良い思い付きだ。子弟の教育機関が早雲寺から志学院へ移ったので少し寂しく思っていたのだ。楽しみな事じゃ。


 ◆◆


「お爺様、足利家から使者が来ているのです。如何に対処するのが良いでしょうか」


「彦五郎は如何考えておるのじゃ。足利家の使者と申しても足利家の意向だけで動いている訳ではないぞ。儂も内容は概ね聞いておるが、今川家が良くなるように判断せねばならぬ。先ず頼るのは儂では無くて直元や重臣達でなければならぬぞ」


「はい、叔父上や重臣達は頼りにしております。むしろ私だけが解らない事だらけで恥ずかしいのです。父上が私くらいの歳には、大人もびっくりする様な意見をしていたと聞きました。私にも出来るでしょうか」


「武蔵守は幼き頃から色々な事柄に興味を持っておったからな。そなたもこれから学んでゆけば良いのじゃ。今日は今川家の周辺の大名について教えて進ぜよう」


 足利家の使者というのは美濃に逗留している【足利義周】に従う幕臣であった。上方では三好家の推す足利義栄が将軍就任を目指して朝廷に働きかけており、朝廷も将軍不在を憂いて将軍宣下も間近と言われていた。これに対抗するように足利義周は織田信長に上洛を促していたのだ。


「足利義周が上洛を果たすためには三河の安定を図り、織田信長の目を京に向けさせねばならぬ。足利家が今川家と織田家の仲介を買ってでた訳じゃ」


「合点が行きました。されど足利家の使者と共に武田の者も参ったのです。今川と織田の仲介をしたいとの申し出でありました。武田家は密かに織田家と盟約を結んでいるのではありませんか」


「ふむ。それは儂も(いぶか)しく思っておったところじゃ。武田家の動きを見極めねばならぬぞ」


 武田家では当主であった武田義信が幽閉されるという事件があった。義信の母は三条の方という武田信玄の正室である。義信の同母兄弟には、柏崎武田家の武田康信、今川氏真の正室にして範康の義母となった【黄梅院】、穴山信君の正室【見性院】がいて、三国同盟に重要な役割を果たしているのだ。


 武田信玄は義信事件を家中の問題として三国同盟を継続する意志を伝えてきたが、武田家の内情は不安定であるようだ。武田義信を除くと武田家の後継候補で相応しい者が居ない。義信と同母弟の武田康信は柏崎武田家の当主であり、甲斐武田家とは距離を置いている。また武田勝頼は諏訪家を継いでおり、信濃衆の信任は篤いが甲斐の国人衆が納得しないと思われた。武田信玄は他にも油川氏と根津氏から側室を迎えているが、その子らはまだ幼いのである。


「儂はお竹の身を案じ、万一の時は甲斐に攻め込む段取りをした程であった。すぐに武蔵守が動いてお竹の安全を知る事になって一安心したものだ。どのような盟約であれ、時に反故にされる事も心せねばならぬぞ」


「武田家が盟約を破って織田家と結び、今川家に攻めて来るのではありませんか」


「そうならぬように交渉をまとめるのが当主の務めじゃ。今川家は二代に亘って武田家から正室を迎えておる。その縁を大切にすることじゃな。それに武田家の矛先は北の方を向いておる。先年は飛騨に駒を進めたと聞く。越中や能登へと進みたいのであろう。武田家も今川家と織田家が争っていては安心して北上できぬと思っているのやもしれぬな」


「なんとなく解りました。でも実際に織田家とはどのような交渉をするのが良いでしょうか」


「そうじゃな。武田家と織田家は間に遠山家があることで直接影響がでないようになっておる。しかし、今川家と織田家は領地を接した仇敵同士じゃ。互いに有利になるように交渉に臨むであろう。重臣達と良く相談する事じゃな」


「お爺様、答えになってないではありませんか。私は良い案がないか聞いているのです」


「ははは、儂が意見を出しては今川家への干渉と言われてしまうからな。彦五郎が自分で考えねばならぬことじゃ。少しだけ助言をするが内緒だぞ」


「はい。お願いします」


「織田家が精強なのは伊勢湾の流通を一手に抑えているからじゃ。義元殿が尾張を目指したのも熱田の港を欲したからであろう。今川家だけでなく東国から物を運ぶ船は伊勢を経て京の都に運ばれる。織田家は今川家や東国の商船からも役銭を取っているのじゃよ」


「なんと、大事ではありませんか。織田家のために船を出すなどおかしいです」


「北条家では大型の船を作って伊勢を通らずに、紀州から堺・京への海路を持っておる。しかし、今川家ではそうもいくまい。伊勢の港も使わねばならぬのじゃ。新しく取り立てた海賊衆にも話を聞いてみるがよい。良き思案があるかもしれぬぞ」


「解りました。船大将からも話を聞いてみましょう」


 足利家の交渉には家老の三浦氏員と井伊直元が当たった。今川範康が交渉の際に求めた事は伊勢湾の交通の安全であったそうだ。九鬼嘉隆という船大将が織田家の後ろ盾を得て伊勢湾を荒らしていたのである。足利家の使者は九鬼水軍への処罰を請け負い美濃へと戻っていったのだ。今川家と織田家は豊川を境目として一時の安息を手に入れたのである。

~人物紹介~

北条氏政(架空)北条氏親の嫡男。西堂丸。家臣団の偏諱の都合で氏政を名乗る。

今川範康(架空)北条氏親の次男。東堂丸。家臣団の偏諱の都合で範康を名乗る。範は今川家の通り字



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― 新着の感想 ―
[良い点] 今川家の陣容が、以前更新されたものとは多少変わっていますね。 調べていたら、天野景貫と天野藤秀がいつの間にか同一人物とされている事にびっくり(@_@;)しました(笑)。 [気になる点] …
[良い点] 今川範康の小姓に井伊直虎をはじめ三浦氏正(祖母が北条早雲こと伊勢宗瑞の娘)、葛山久千世(母が北条氏綱の娘)が入り、そのうえ北条氏康が傅役として伊勢盛康(最後まで伊勢姓を通した祖父をオマージ…
[一言] 下の方のコメントで関東以外の呼称の話がありましたが九州なんかは鎮西とかの呼称がありますね。 立花宗茂が「鎮西無双」とか「鎮西一」とか言われてますし。
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